2010-05-04 01:17:49
民主文学6月号に,ノーマ氏&宮本氏の対談が掲載されていて,なかなか興味深い指摘が多いです。
北海道小樽市立小樽文学館は21日、「蟹工船」で知られるプロレタリア作家の小林多喜二(1903~1933年)が、小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)在学中の18歳の時に執筆した短編小説「スキー」を確認したと発表した。
発表によると、この作品は1921年(大正10年)10月30日の「国民新聞」に掲載された短編小説。日露戦争で負傷し腰を痛めた体操教師が、生徒たちにスキーを習うがうまくいかずに笑われるというストーリーだ。
政治思想史を専攻する岡山大大学院生の木戸健太郎さんが、研究で国民新聞を調べていて、多喜二の名前の作品を見つけた。連絡を受けた同館が、専門家に調査を依頼した結果、全集未収録作品で、ほとんど知られていないものとわかった。
同館は、この作品の全文を「市立小樽文学館報」に掲載して公開する。
日本近代文学に詳しい神谷忠孝・北大名誉教授は「多喜二の初期の作品で、貴重な発見といえる。多喜二の作品では『老いた体操教師』が最近発見されたが、この『スキー』が原型になったのではないか。非常に興味深い」と話している。
「朝日新聞」 北海道版 2010年04月22日
「国民新聞」に掲載された小林多喜二の短編小説「スキー」=小樽市立小樽文学館提供 |
■小樽の体育教師モデル? 新聞に掲載
「蟹工船」で知られるプロレタリア作家、小林多喜二(1903~33)が小樽高商(現小樽商大)在学中だった18歳当時に執筆した短編小説が見つかった。小樽市立小樽文学館によると、多喜二の最も早期に活字になった作品の一つとみられる。
作品は1921年10月30日の「国民新聞」に掲載された小説「スキー」。岡山大大学院で政治思想史を専攻する木戸健太郎さん(35)が別の記事を探すため、「国民新聞」を閲覧中に見つけた。
木戸さんから連絡を受けた同館が調べたところ、これまで刊行された多喜二の著書や、82年に刊行された小林多喜二全集にも収録されておらず、これまでほぼ忘れられていた作品と分かった。
「スキー」は原稿用紙6枚半程度の短編で、出征した日露戦争で負傷し腰を傷めた体育教師が授業で教えるため、生徒とスキーを習い、悪戦苦闘する様子を描写している。
07年に日大の曾根博義教授が発見した「老いた体操教師」と同じ、多喜二の出身校の旧制小樽商業学校の実在の体育教師をモデルにしたとみられる。日本の学校教育にスキーが導入された時期の様子をうかがわせる描写も興味深く、今月刊行する市立小樽文学館報第33号に掲載される。
同館の玉川薫・副館長は「発表時期は『老いた体操教師』とほぼ同時期で、一つの素材で、まったく印象の違う作品を書くなど、技の巧みさ、早熟ぶりが見える」と評価する。
一方、作品にはなぞも残る。玉川副館長は「多喜二が投稿した媒体の多くは文芸誌。なぜ小樽の人々になじみの薄い東京の『国民新聞』に投稿したのか。一般紙への投稿はこれまで知られておらず、研究の対象にもなっていなかっただけに、こうした作品が今後も見つかる可能性はあるだろう」と話している。
(三木一哉)
小樽が生んだプロレタリア作家・小林多喜二の全集未収録作品「スキー」が発見された。市立小樽美術館(色内1)が、4月21日(水)に発表した。
昨年9月、岡山大学大学院生の木戸健太郎さん(35)が、立教大学所蔵国民新聞(マイクロフィルム)を調査中に、1921年10月31日付の新聞から小説「スキー」を発見。「全集未収録と思われるのでコピーを送る」と、同館に知らせた。
小林多喜二の作品については、2007(平成19)年3月に86年ぶりの新発見として、最初期の小説「老いた体操教師」が公開されていた。
このほど発見された「スキー」は、2007(平成19)年に見つかった「老いた体操教師」に続く新発見となり、小樽高商時に書き上げた同時期の作品で、同じ人物をモデルとしている。
作品は、実在した「T先生」が、生徒たちにスキーを習うが、日露戦争で腰を負傷したため、うまく行かず、生徒たちに笑われるという、哀れな先生に同情を感じさせる原稿用紙400文字・6枚半の短編小説。
「老いた体操教師」を発見した日本大学の曾根博義教授は、「先生に寄り添い、哀れな先生に同情を感じさせる、『老いた体操教師』との一番大きな違いであろう。20枚の『老いた体操教師』にくらべて6枚半という短さのせいもあるだろう。『スキー』は、『老いた体操教師』の付録か副産物くらいの価値しかないかもしれない。初出も同年同月だが、発行日をとれば、『老いた体操教師』の方が約一ヶ月早い。しかし、『スキー』の発見は、多喜二が卒業した直後に小樽商業を追われた『T先生』こと富岳丹次先生に多喜二がいかに小説的関心を寄せていたか、おそらくは前に書いて『小説倶楽部』に応募していた『老いた体操教師』にいかに自信を持っていたかを語っている、とはいえるだろう」としている。
同館では、「市立小樽文学館報」33号紙上で、「スキー」全文を復刻し、紹介することにしている。併せて、曾根教授の寄稿文「もう一つの『T先生』もの--新発見の小林多喜二『スキー』について」も収録する。
玉川薫副館長は、「掲載されている『国民新聞』は、小林多喜二の身近にあった新聞ではなかった。地方版をどこかで見て出してみようと思ったのかもしれない。多喜二は巧みであり、非常に関心を寄せていた人物なのに、まったく取り上げる部分が違う。日露戦争で負傷し退役した体育教師は、気の毒でハンディがあり、学校に拾われた。学校の中のトラブルに巻き込まれ辞めさせられるというところに同情を寄せていた。この作品は、最初期のもので、スタートポイントになる。新聞紙面が限られており、完成度は高くないが、多喜二の早熟さは印象深く感じた。良い意味でするどく、メディアに対する敏感さを感じる。17~18歳の実績のない学生だが、巧みだった。当時、文学活動を展開していたとは知られていたが、活動の範囲の視野が広かったということが分かった」と評価する。(写真提供:市立小樽文学館)
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島村輝先生が解説されている改版版です。
防雪林・不在地主 | ||
小林 多喜二 作 | ||
「目付かって,たまるもんけ」―秋味(あきあじ)(鮭)の密漁で石狩川の冬を凌ぎ,渾身の力で地主に抗う農民の若者を描いた未定稿「防雪林」.その主題を発展させ,道庁小役人の背後にうごめく都会の搾取を暴いた「不在地主」.貧困と正義を問い,29歳で国家に殺された多喜二の,故里の言(ことば)と魂こもる北海道小説.(解説=江口渙,島村輝) |