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「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

民主文学6月号 ノーマ・フィールド&宮本阿伎対談 (御影暢雄)

2010-05-04 11:53:08 | 多喜二研究の手引き
民主文学6月号 (御影暢雄)
2010-05-04 01:17:49

 民主文学6月号に,ノーマ氏&宮本氏の対談が掲載されていて,なかなか興味深い指摘が多いです。
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「自衛隊に入ろう」動画

2010-05-03 00:36:49 | 多喜二研究の手引き
「自衛隊に入ろう」動画


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ワルシャワ労働歌 Варшавянка 歌:初音ミク (Vocaloid Hat...

2010-05-02 00:26:18 | 多喜二研究の手引き
ワルシャワ労働歌 Варшавянка 歌:初音ミク (Vocaloid Hatsune Miku)


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『貴司山治全日記』DVD版今秋、出版へ

2010-04-29 23:43:08 | 多喜二研究の手引き
大正八年から昭和四〇年に至る『貴司山治全日記』が2010年秋、
DVD版で不二出版 から刊行されることがわかった。
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イタリアパルチザンの歌 歌:巡音ルカ Bella ciao (Vocaloid ...

2010-04-29 00:22:28 | 多喜二研究の手引き
イタリアパルチザンの歌 歌:巡音ルカ Bella ciao (Vocaloid Megurine Luka)


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初音ミクの「赤旗の歌」日本語版

2010-04-28 00:32:36 | 多喜二研究の手引き
初音ミクの「赤旗の歌」日本語版


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【YouBunko】Vol.19 窪田涼子「セメント樽の中の手紙」(後)

2010-04-26 23:51:17 | 多喜二研究の手引き
【YouBunko】Vol.19 窪田涼子「セメント樽の中の手紙」(後)


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【YouBunko】Vol.19 窪田涼子「セメント樽の中の手紙」(前)

2010-04-25 23:49:27 | 多喜二研究の手引き
【YouBunko】Vol.19 窪田涼子「セメント樽の中の手紙」(前)


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この『スキー』が原型になったのではないか?(神谷忠孝)

2010-04-22 23:34:49 | 多喜二研究の手引き

多喜二 18歳の短編

大正10年に新聞掲載

1921年10月30日の「国民新聞」に掲載された多喜二の短編小説「スキー」(小樽市立小樽文学館提供)

 北海道小樽市立小樽文学館は21日、「蟹工船」で知られるプロレタリア作家の小林多喜二(1903~1933年)が、小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)在学中の18歳の時に執筆した短編小説「スキー」を確認したと発表した。

 発表によると、この作品は1921年(大正10年)10月30日の「国民新聞」に掲載された短編小説。日露戦争で負傷し腰を痛めた体操教師が、生徒たちにスキーを習うがうまくいかずに笑われるというストーリーだ。

 政治思想史を専攻する岡山大大学院生の木戸健太郎さんが、研究で国民新聞を調べていて、多喜二の名前の作品を見つけた。連絡を受けた同館が、専門家に調査を依頼した結果、全集未収録作品で、ほとんど知られていないものとわかった。

 同館は、この作品の全文を「市立小樽文学館報」に掲載して公開する。

 日本近代文学に詳しい神谷忠孝・北大名誉教授は「多喜二の初期の作品で、貴重な発見といえる。多喜二の作品では『老いた体操教師』が最近発見されたが、この『スキー』が原型になったのではないか。非常に興味深い」と話している。

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なぜ『国民新聞』に投稿したのか?

2010-04-22 23:32:06 | 多喜二研究の手引き

多喜二18歳 「早熟」の短編

「朝日新聞」 北海道版 2010年04月22日

写真

「国民新聞」に掲載された小林多喜二の短編小説「スキー」=小樽市立小樽文学館提供

■小樽の体育教師モデル? 新聞に掲載

 「蟹工船」で知られるプロレタリア作家、小林多喜二(1903~33)が小樽高商(現小樽商大)在学中だった18歳当時に執筆した短編小説が見つかった。小樽市立小樽文学館によると、多喜二の最も早期に活字になった作品の一つとみられる。

 作品は1921年10月30日の「国民新聞」に掲載された小説「スキー」。岡山大大学院で政治思想史を専攻する木戸健太郎さん(35)が別の記事を探すため、「国民新聞」を閲覧中に見つけた。

 木戸さんから連絡を受けた同館が調べたところ、これまで刊行された多喜二の著書や、82年に刊行された小林多喜二全集にも収録されておらず、これまでほぼ忘れられていた作品と分かった。

 「スキー」は原稿用紙6枚半程度の短編で、出征した日露戦争で負傷し腰を傷めた体育教師が授業で教えるため、生徒とスキーを習い、悪戦苦闘する様子を描写している。

 07年に日大の曾根博義教授が発見した「老いた体操教師」と同じ、多喜二の出身校の旧制小樽商業学校の実在の体育教師をモデルにしたとみられる。日本の学校教育にスキーが導入された時期の様子をうかがわせる描写も興味深く、今月刊行する市立小樽文学館報第33号に掲載される。

 同館の玉川薫・副館長は「発表時期は『老いた体操教師』とほぼ同時期で、一つの素材で、まったく印象の違う作品を書くなど、技の巧みさ、早熟ぶりが見える」と評価する。

 一方、作品にはなぞも残る。玉川副館長は「多喜二が投稿した媒体の多くは文芸誌。なぜ小樽の人々になじみの薄い東京の『国民新聞』に投稿したのか。一般紙への投稿はこれまで知られておらず、研究の対象にもなっていなかっただけに、こうした作品が今後も見つかる可能性はあるだろう」と話している。
(三木一哉)

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NHKで、「小林多喜二の小説発見」報道! (akio)

2010-04-22 16:10:20 | 多喜二研究の手引き
NHKで報道! (akio)
2010-04-22 14:31:58
NHK報道「元気列島」(22日14時22分頃)で、「小林多喜二の小説発見」として、当選短篇小説の「アップ」や小樽文学館副館長の玉川さんのインタビューを放送していました
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小林多喜二 全集未収録作品「スキー」新発見 (小樽ジャーナル 2010/04/21)

2010-04-22 16:08:17 | 多喜二研究の手引き
小林多喜二 全集未収録作品「スキー」新発見 (2010/04/21)

 小樽が生んだプロレタリア作家・小林多喜二の全集未収録作品「スキー」が発見された。市立小樽美術館(色内1)が、4月21日(水)に発表した。

 昨年9月、岡山大学大学院生の木戸健太郎さん(35)が、立教大学所蔵国民新聞(マイクロフィルム)を調査中に、1921年10月31日付の新聞から小説「スキー」を発見。「全集未収録と思われるのでコピーを送る」と、同館に知らせた。

 小林多喜二の作品については、2007(平成19)年3月に86年ぶりの新発見として、最初期の小説「老いた体操教師」が公開されていた。

 このほど発見された「スキー」は、2007(平成19)年に見つかった「老いた体操教師」に続く新発見となり、小樽高商時に書き上げた同時期の作品で、同じ人物をモデルとしている。

 作品は、実在した「T先生」が、生徒たちにスキーを習うが、日露戦争で腰を負傷したため、うまく行かず、生徒たちに笑われるという、哀れな先生に同情を感じさせる原稿用紙400文字・6枚半の短編小説。

 「老いた体操教師」を発見した日本大学の曾根博義教授は、「先生に寄り添い、哀れな先生に同情を感じさせる、『老いた体操教師』との一番大きな違いであろう。20枚の『老いた体操教師』にくらべて6枚半という短さのせいもあるだろう。『スキー』は、『老いた体操教師』の付録か副産物くらいの価値しかないかもしれない。初出も同年同月だが、発行日をとれば、『老いた体操教師』の方が約一ヶ月早い。しかし、『スキー』の発見は、多喜二が卒業した直後に小樽商業を追われた『T先生』こと富岳丹次先生に多喜二がいかに小説的関心を寄せていたか、おそらくは前に書いて『小説倶楽部』に応募していた『老いた体操教師』にいかに自信を持っていたかを語っている、とはいえるだろう」としている。

takiji2.jpg 同館では、「市立小樽文学館報」33号紙上で、「スキー」全文を復刻し、紹介することにしている。併せて、曾根教授の寄稿文「もう一つの『T先生』もの--新発見の小林多喜二『スキー』について」も収録する。

 玉川薫副館長は、「掲載されている『国民新聞』は、小林多喜二の身近にあった新聞ではなかった。地方版をどこかで見て出してみようと思ったのかもしれない。多喜二は巧みであり、非常に関心を寄せていた人物なのに、まったく取り上げる部分が違う。日露戦争で負傷し退役した体育教師は、気の毒でハンディがあり、学校に拾われた。学校の中のトラブルに巻き込まれ辞めさせられるというところに同情を寄せていた。この作品は、最初期のもので、スタートポイントになる。新聞紙面が限られており、完成度は高くないが、多喜二の早熟さは印象深く感じた。良い意味でするどく、メディアに対する敏感さを感じる。17~18歳の実績のない学生だが、巧みだった。当時、文学活動を展開していたとは知られていたが、活動の範囲の視野が広かったということが分かった」と評価する。(写真提供:市立小樽文学館)

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18歳の小林多喜二の小説「スキー」発掘!!

2010-04-21 22:42:04 | 多喜二研究の手引き
御影さん、akioさん 情報提供ありがとうございます!!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

多喜二18歳の小説 (akio)
2010-04-21 20:58:26

多喜二18歳の小説:新聞投稿の短篇・小樽文学館発表(4月21日北海道新聞夕刊1面)

 市立小樽文学館は21日、プロレタリア作家・小林多喜二が小樽高等商業学校(現小樽商大)在学中の18歳の時、「国民新聞」(東京新聞の前身の一つ)に投稿、掲載された、全集未収録の短篇小説「スキー」が見つかったと発表した。

 政治思想史を専攻する岡山大の大学院生が昨秋、偶然発見。問い合わせを受けた小樽文学館が調査していた。

 玉川薫副館長は「多喜二最初期の作品。限られた紙幅にふさわしい表現をとっており、作家としての早熟さがうかがわれる」と評価している。

 新聞は21年(大正10年)10月30日付。小説は400字詰め原稿用紙6枚半。日露戦争で負傷した体操教師が主人公で、体が不自由な教師がスキーの練習をする様子を、学生がからかう場面を交えてつづり、社会的弱者に寄せる多喜二の思いが伝わるという。

 事実上のデビュー作で「小説倶楽部」(21年10月号)掲載の「老いた体操教師」とほぼ同時に書かれた。
 主人公は多喜二が卒業した小樽商業学校(現小樽商業高)の実在する体育教師で、2作品共通。ただ、原稿用紙20枚の「老いた体操教師」では、教師の境遇への同情が書き込まれていた。

 玉川副館長は「スキー」は新聞への投稿を意識したのだろう。
 同じメデイアによって書き分ける巧みさを18歳で身につけていた」とみている。

 「スキー」は市立小樽文学館報の最新号に掲載した。希望者は同館でコピーを入手できる。

研究はまだ日浅い:小林多喜二の著作に詳しい倉田稔小樽商科大名誉教授(社会思想史)の話

 小林多喜二の研究が始まったのは戦後からと日が浅く、また長年「左の人」と敬遠する学者が多かったため、研究者が少なかったのが今回の作品が見つからなかった原因だろう。

 これからも未収録作品が発見される可能性は大きい。


♪akio:ビックリしました。

※ 「老いた体操教師」が練習したスキー場って何処だったですか?(小樽・ニセコ)
※ 丁度この小説が書かれた年の大正10年に小樽商大はスキー部の合宿を「ニセコ山系・昆布宮川温泉旅館=現鯉川温泉旅館」で例年行っています。
※ 多喜二が1930年2月に「昆布温泉」に泊って、多喜二が恋人タキに恋文を書いていますね。文章からして「鯉川温泉旅館」と推測しています。
※ 厳冬期の2月、宿泊できる温泉旅館は2軒しかありませんでした。他の一軒は「不老閣・現廃業」で「宮さま」の常宿でした。
※ 1928年3月に「秩父宮」がこの「不老閣」を拠点にスキー訓練をしていることが毎日の様に地元新聞に(馬橇24台を連ねて・・)などと報道され、その直後に「3・15事件」が起きます。
※ 多喜二が、「不老閣」に宿泊することは予想できず。500m川上の質素な「宮川温泉」に泊って「女中」さんにドロップスを差入れたのでしょう。
※ 当時の建物は焼失のため現存しませんが、温泉浴槽は当時のまま(支配人談)だそうです。


「研究まだ日が浅い」って!!励ましの言葉です。♪


小林多喜二の小説を発見 18歳当時、新聞掲載 (御影暢雄)
2010-04-21 18:19:11
~あの(?)経営者思いの日経新聞が本日夕刊で多喜二の小説が発見されたと報じています。

”小林多喜二の小説を「発見」
 18歳当時、新聞掲載”

 北海道小樽市立小樽文学館は21日、日本プロレタリア文学を代表する作家小林多喜二(1903~33年)が小樽高等商業
学校(現小樽商科大学)在学中の18歳の時に「国民新聞」に投稿し、掲載された全集未収録の小説が見つかったと発表した。
 小樽文学館は「完成した小説としては最初期の作品で、作家生涯のスタート地点と言っても過言ではない」と評価。館報に収録し、公表する。
 文学館によると、小説のタイトルは「スキー」。400字詰め原稿用紙6枚半の短編。日露戦争で負傷した高齢の体操教師が主人公で、社会的弱者に寄せる多喜二の思いが伝わる新聞は21年10月30日付。
 事実上のデビュー作で、「小説倶楽部」(21年10月号)掲載の「老いた体操教師」とほぼ同時期に書かれ、主人公のモデルが共通している。


国民新聞 (御影暢雄)
2010-04-21 19:51:52
 国民新聞(戦前:國民新聞)は徳富蘇峰(徳富蘆花の兄)が1890年2月に平民主義を唱えて創刊した、日刊新聞。

 全国新聞に自小説が掲載されたのであれば、多喜二は相当自慢できたと思うのですが、これまで書簡等にこの件での記述は見当たらなかったのでしょうか。日経夕刊では詳しくわからないのですが、筆名は小林多喜二と名乗っていたのでしょうか。


北海道新聞 (御影暢雄)
2010-04-21 21:28:19
 北海道新聞ホームページに、多喜二作「スキー」についての報道が掲載されていました。当時の国民新聞に、同小説は小林多喜二の名で国民新聞に掲載されていたことが分かります。(同HP記事添付写真。日経新聞夕刊の写真もよく見れば小林多喜二の名が読み取れました:拡大鏡にて)
昨秋、岡山大大学院院生が発見し、小樽文学館に問い合わせたのがきっかけで、今回の発表となったそうです。
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岩波文庫『防雪林・不在地主』が発売!!

2010-04-17 00:15:06 | 多喜二研究の手引き

島村輝先生が解説されている改版版です。

防雪林・不在地主
小林 多喜二 作
■緑88-3
■体裁=文庫判・並製・カバー・336頁
■定価 798円(本体 760円 + 税5%)
■2010年4月16日
■ISBN978-4-00-310883-3

「目付かって,たまるもんけ」―秋味(あきあじ)(鮭)の密漁で石狩川の冬を凌ぎ,渾身の力で地主に抗う農民の若者を描いた未定稿「防雪林」.その主題を発展させ,道庁小役人の背後にうごめく都会の搾取を暴いた「不在地主」.貧困と正義を問い,29歳で国家に殺された多喜二の,故里の言(ことば)と魂こもる北海道小説.(解説=江口渙,島村輝)

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宮本百合子「刻々」8

2010-04-15 00:19:04 | 多喜二研究の手引き
メーデーが近づいた或る日、高等室へ出ると、火の気のない錆びた鉄火鉢の中へうず高く引裂いた本が投げこまれている。
 主任が、ズボンの膝をひきしめるようにしながら、
「どうです」
 目でその引裂いたものを指し示し、「朝日」に火をつけた。
 かがんで頁をといて見たら、誰かの「唯物史観」であった。
「あなたがやぶいたんですか」
「いや。今帰った若い者が、もう一切こんなものは読みません、とここで誓って破いて行ったんです」
「ふーむ」
 暫く黙っていたが、主任は乾いた舌をはがそうとするような口の動しかたをして、
「あなた方の考えているようなもんではないじゃないですか」
 自分はにやりとして黙っている。この主任は、事ごとに、彼から見れば所謂心理的な雑談をしかけ、警察的暗示を注入しようとするのが常套手段なのである。
 自分は正面の窓から消防署の展望塔を眺めた。白ペンキで塗られた軽い骨組みの高塔は深い青葉の梢と屋根屋根の上に聳えて印象的な眺めである。同じ窓から銀杏並木のある歩道の一部が見下せた。どういう加減かあっちへ行く人ばかり四五人通ってしまったら、往来がとだえ電車も通らない。不意と紺ぽい背広に中折帽を少しななめにかぶった確りした男の姿が歩道の上に現れたと思うと、そのわきへスーと自動車がよって止り、大股に、一寸首を下げるようにしてその男が自動車へのった。すぐ自動車は動いて行った。音のない、瞬間の光景だ。がその刹那、見ていた自分は急に胸が切ないようになり、息をつめた。――男の自動車の乗り工合のどこかが、今そこに宮本がいるような感じを与えたのであった。
 喉仏がとび出した部長が入って来た。机の引出しをあけて胃散を出してのんで、戦争の話をはじめた。
「失業者の救済なんてどうせ出来っこないんだから、片っぱすから戦争へ出して殺しっちゃえば世話はいらないんだ」
 極めて冷静な酷薄な調子で云った。
「この社会には中流人だけあればいいんだよ」
「中流人て、たとえばどういう人なんです?」
 自分がきいた。
「僕らの階級さ!」
 自分がいる横のテーブルの上に「メーデー対策署長会議」と厚紙の表紙に書いた綴じこみがのっている。自分がそれに目をつけたのを認め、主任は、煙草のけむをよけて眼を細めながら、書類の間をさがし、
「――見ましたか」
と一枚のビラをよこした。共青指導部の署名で出された、赤色メーデーを敢行せよ! というビラである。
「そういうものが、こっちの方へ却って早く入るんだから妙でしょう」
 狡い、ひひという笑いかたで太い首をすくませた。
「マァ、この懸け声がどの位実現されるか見ものだね」
 留置場へ降りがけ、教習室をとおりぬけたら正面の黒板に、
  不逞(ふてい)鮮人取締
  憲兵隊との連携
と大書してある。
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