霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

死んで間もない父に会える?  2

2011年12月21日 | 心霊現象
長男「おっしゃりたい事を、どうぞ」

父 『(手を合わせて、長男を拝む)全く、ありがたいね。
   本当に、ありがたいね。
   自分が、目がね違いといってはなんだが、こんなにね、○○さん
   (長男の名前)にね、助けてもらえるとは思わなかった。
   本当にありがたいね。生きているときは、死んだあとの世界まで、
   わけがわからないくらいに複雑でね、さすがに理屈で説明しょうと思っても、
   なかなかこちら側の「しくみ」というか、「方法」というか、むずかしくてね、
   本当にそういうこちら側の、そういう、まあこの世で言えばねぇ、この世では
   ね、考えられないようなね、そういうしくみになっておるね。
   
   本当に、こっちの世界に来てみてからね、自分の家族にね、自分が何やってきたんだろう、
   何をよくしたんだろうかね。本当にね、一生懸命努力もし、働いてきたつもりだけどね、
   こっちの世界へ来てみてからね、全部のね、自分の家族一人一人にね、土下座しても
   謝らなければならないくらいね、罪をね、背負うてしまっているという自分の罪深さをね、
   本当に悔いている。
   あとに残った、自分の残した肉親、血縁が、こんなに霊界という我々のね、世界を
   察してくれるような動きをしてくれる事を、本当にありがたいと思っているし、
   ○○さん(長男の名前)、○○さん(次男の名前)、○○さん(三男の名前)、そして  
   ○○さん(奥さん・母の名)・・・・ね、こちらの世界でも、他人がどう見ようとも
   自慢できる家族を残せたなあと思ってますよ。

   本当に、苦労なのよ。苦労だけれども、かけさせた今になって、肉体が無い事が、非常に
   残念至極なんだが、一つあの世からの法則によって、またあなた達と出会えるきっかけを
   持てた事を、本当に感謝しています。
   とにかく、家族が一つになれるような、そういう知恵、努力を出し合って、また、自分が
   先ほども言ったように、肉体は存在していないけれども、どうぞ○○さん(長男の名)、
   ○○さん(奥さん・母の名)あなたたちの祈りで、私もせいいっぱい協力できる力を
   あなた達から与えてもらい、やはり誰一人他人さまから、うしろ指さされるようなそういう
   金家であってほしくない。○○家であってほしくない。
   なんとか、○○くん(末弟の名)をお願いします。
   勝手気ままな、家族を苦しめて、自分は自分なりにせいいっぱい努力して、働いて
   きたつもりだよ。・・・・が、そういった苦しめた部分、許してもらいたい。』


長男『誰も恨んでいませんよ」

父 『ありがとう。(泣く)
   ○○さん(長男)のうしろの先祖の方と自分と、一生懸命手伝わせてもらいますから、
   どうぞ、○○くん(末弟)を、お願いします。
   ○○さん(母親)も、本当にすみません。もう少し、辛抱してやってください。
   よろしくお願いします。』

長男「仲良くしょうとしてますので、悲しまないでください。
   恨んでいないから、悲しまないで。どうぞ、見守っていてください。」

父 『とにかく、○○さん(末弟)のことね、お願いします。
   会いたかったですよ』



霊界から、過去の罪深さ懐述しながら語る父に、今後を託された二人は、母は母なりに、
長男は長男なりに、深く思うところがあったはずである。
先祖はじめ、父の代わりをさせられているような末弟に、少しは同情と、責任の念を
深めた我々でもあった。
「父に会った」これだけで、身内の満足さは、伝わってきた。
間違いなく霊界で修行をしている父の言葉は、今地上人が何をしているかを、よく
知っていた。
生前、自分が何をし、それがどんな罪だったかも知っていた。

今は霊能者を通して、知ることとなったが、私達がもし、自分で聞くことが出来、自分で
見ることが出来たら、この世はどれほど、快適だろうか。
いや、どれほど、恐ろしいことであろうか。

霊界は心の世界である。今もじっと、心を見つめ続けている。
すべてが、お見通しの世界を相手に、これからわたし達は、何を語り、何を約束しょうと
しているのか。
先祖と一口で言うが、私達は、先祖の何を知っているだろうか。
時は、待ってはくれないが、無いわけではない。
気がついた者から早く、霊界人と付き合う方法と覚悟を、今から示していきたいと思う。

死んで間もない父に会える?  1

2011年12月21日 | 心霊現象
霊能者K氏に言わせれば、あの世にいって間もない人は、
呼び出しても、しっかり話がまとまらないと思える。
霊体の形、姿もまるで「霧」のようで、つかみどころがない。
と、以前語っていた。

霊界入りした?方々には、それなりの修行はもちろんの事、
霊界の現然としてある「法則」にまず、のっとることから始まる
であろうことは、察しがつく。

この度の事例は、あまりにも稀なことであろうが、とにかく今
地上に出てくる事が許された父親の語る内容である。
前にも書いた「金将軍」のあの、ご家族である。
放蕩息子一人に家族が翻弄され、年老いた母の心痛は、体をも痛めるに
および、もはやこれまでと思った霊界の苦肉の策だったかは、わからない。
が、あまり例のない事である。

あの世から、ついこの間(400年に比べれば)行ったばかりの父が何を語る
であろうか。
金将軍の言葉から、始まる。(長男に語っている)


 『いかにも、肉体あるは第一。余もそのほうの命令には、順ずる動きを
  せねばならん。
  そのほうの後ろにつきて、やはりはがゆい世界をかいまみる。
  しかし、余には肉体がない。
  少なくとも、余は肉体ある時に、回り道せし部分を、少しでもそのほうに、
  教えおきたいゆえに、今は、霊界におもきを置き、霊界を強く動かすハキが
  必要である。
  そのほうが、霊界にどれだけの霊的迫力というか、集中力というか、それをもって、
  極端に申すならば、、霊界をもしかりつける強力さがあってよろしい。
  そのほうの、肉体的な「ててご(父)」も、本当にそのほうに、三拝九拝、手を
  合わせておる。
  同じく母にも、充分なる感謝の念をもって、この○○、金家の(聞き取れず)を、
  通過するまでは、そのててごも、本来の霊界の位置をおりてきておる。
  余もそうであるように、ててごの霊界もまた高めるは、そのほうの使命なれば、
  ゆめゆめやりずらき事を要求するも、これも一つの方法、せんなき事である。

  この期間は、余もオマエにすがりつきたい思いで、一挙手一投足ですがりつくであろう。
  まわりのててご同様、たかびしゃで出てもらえることを、平に、平にお願いする。
  オマエのうしろには、オマエのててごをも移動する。
  オマエに全てをまかしたい。ててごもまた、オマエにどんな力を与えるか、それは
  わからねども、大きな力となろう。
  お願い申す。大きな戦いの分かれ目である。心して、お願い申す』


金将軍の降霊が終わるや、K氏はすぐに長男の後ろにまわり、その背中を強く
押した。
これによって、今までK氏の背後にあった彼の父親は、長男についたという。
父が最もかわいがった、いや甘やかしたといったほうがいい、その末弟の事を
霊界人となったその父に聞き出さずにはいられなくなるのも、また人情であろうか。
父親は霊界から、末弟の放蕩三昧を、どのように見ているのであろうか。
普通ならば、呼び出す事も出来ない父は、今霊界をおり、すぐここにいるという。
死んで間もない父に会える!
霊界で修行している父に会おう!
母子が積み上げた二か月の祈りは、無駄ではなかった。


<次へつづく>
 

「今」を知らせる霊界のやり方

2011年12月21日 | 心霊現象
「人のふりみて、わがふり直せ」という言葉がある。
この世界つまり、霊界や因縁や救いなどという内容においても
そうであろうかと、疑問に思われるかもしれないが、あながち
そうでもない。

結論から申し上げれば、平和や、いい時には「時」ではない。
その全く反対の時が、霊界からの「今」を知らせる貴重な
「歴史的」時だと、思ってほしい。

諏訪様を守護霊にもつ彼女(由布様)の、その時の霊的現象を
これからご紹介しょう。
一家全員が巻き込まれての、闘いであった。


彼女の家族は五人家族である。
父と母。上の兄と下の兄と自分である。

その家族に大きな「事件」がおこった。
長男が運転中に、人身事故をおこしたのだ。
相手の老婆は死亡した。
運の悪いことに、いつもは携帯していた「免許証」を
もっていなかった。
さらに、酒も少しはいっていた。
さらに、その老婆は真夜中の道路を横切った。
田舎の暗い道を、真夜中に横切る動くもの。
しかし、分はない。全面的な過失だ。
長男は、中野(中野交通刑務所)で約八か月の間、刑に服した。
その老婆に払う補償金の問題はもちろんのこと、様々な世間の体面等、
思わないほどの難題が、残された家族一人一人を襲ったに違いない。

父母は、先祖代々の土地、つまり山や畑を手放した。
そして、数千万円という金額の補償金を、大半は支払った。
それでもまだ足りない分は、長男自ら、刑期を終えた後に、働いて払うと
いうことで、話はついたそうだ。

そんなある日、次男の姿が消えた。
三か月、半年と音沙汰のないままに、日が過ぎていく。
母親は、とうとういたたまれなくなって、上京した。
それはあの有名な霊能者「北条喜久」」氏を訪ねて、その霊力にすがる
つもりであった。
もと、東映映画スターである。(知らない方もいらっしゃるか・・)
霊能者北条喜久氏は、霊視の結果、次の事を告げた。

『彼は、今外国にいる。心配することは何もない。
 元気でいるはずである。
 国は・・・・多分アメリカであると思われるが、一年ほどすれば帰ってくる
 はずである。
 それまで、安心してお待ちなさい。』

決して安くはない(金額のこと)、あの霊能者北条喜久氏を訪ねるくらいに、母親はせっぱ
つまっていたのであろうと、彼女は今になってしみじみと語る。
そして、次男は帰ってきた。
実にその通りであって、アメリカからであった。
そうこうしているうちに、刑期を終えて長男も帰ってきた。
ようやくもとの状態で、家族全員がくらせると思った。たとえ、借金があったとしても。
そのやさきである。
父親と長男の態度が、少しづつおかしくなっていった。
つまり、「相克」である。
次第にはげしく相克するうちに、時として長男は刃物を振るった。
彼女も何度か、家中を逃げ回ったそうである。
母親が、長年やっていた「ドライブイン」を、他の人にまかせるようになったのも、
このような事が続くようになってからである。
長男は言うに及ばず、次男も彼女も結婚が遠のいていった。

いづれにしても、このままでは「この家」は絶えてしまう。
長男はその後、『阿含宗』に入門した。
それは、自分の霊障害がどこから来るものであるのかを解くためでもあり
また、「この一族」にまつわる過去の因縁のいっさいを、解くためであった。
現在も、宗門の道場にかよっての修行の真っ最中である。
次男と彼女は上京し、それぞれの職場で働き始めた。



そして、しばらくの間をおいて、私が彼女の職場を訪れたことになる。
諏訪の姫「おふく」さんのたっての願い、「怨みを解くには人数が足りない」
「ゆぶさまに会いたい!」という謎多い言葉のままに動いた末であった。

その後、しばらくして父はあの世へと、召された。
その意味は先に書いた「いのちのとりひき」のとおりである。

「一つの出来事」を通して、家族がガタガタになっていく。その時である。
あなたには、そら!きた。・・・と思って過去を意識してほしい。
たとえ、具体的な何もわからずとも、そう思えるだけで、半分は勝利だ。
霊界人は、わきまえのあるあなたの心をみて、安心するでしょう。
坂を充分に登れるとみた霊界は、嬉々として次の手を打ってくれるはず。
転ばぬ先の杖、と思って読んでくだされば、よろしいかと思います。



真田一族の霊的パワー

2011年12月21日 | 心霊現象
K氏の背後に、このような事情があったとは知らずに、私は目で見える
範囲で判断しようとしていた。
今もほとんどの方がそうであるように、自分の目がすべての判断基準なのだ。
ゆえにこの世が、いかに浅く、うすっぺらに流れていっているかが、わかる。
そんな中で、いじめや借金、DVに冤罪など、とんでもない事が時とともに
おこり、そして忘れ去られていく。
その中で、命を落とす者がいるとしたら、どう取り戻せというのだろうか。


K氏の「出発」の背景から、今日も歴史をみつめながら、「真田一族の謎」それも
「畏れ」を抱かれていた部分を探り出したいと思う。


           ◇          ◇


真田家は、清和天皇の第五子貞保親王から出て(一説には滋野宿禰の流れともいう)、
はじめ滋野姓を名乗ったが、後年、これが三家に分かれ(海野、禰津、望月)、
このうち、海野氏が本家として、代々、信濃守を称した。
この海野氏の支族は諸方へ分かれ散り、そのひとつが小県郡、真田ノ庄へ住みつき、
真田氏となったのである。真田家が戦乱の世に台頭しはじめるのは、幸隆の頃から
であろう。

しかし、天文十年(1541年)というから、幸隆二十九歳のときである。
甲州の武田、信州の諏訪、村上の三氏がいっせいに東信州へなだれこみ、真田の本家
である海野氏の本拠、海野平(現信越線大屋駅付近一帯)は、三軍に包囲される。
そして奮戦むなしく、領土と城はついに奪取され、海野本家は潰滅する。


                 (池波正太郎 著 「信濃の武将と城」より)


           ◇           ◇


その後真田幸隆は、海野本家の再興を関東管領の上杉家へ願い出た。
しかし諸々の理由で頼むにたりず、ついに甲州の武田晴信(信玄)を頼り、
これに従属することになる。
村上義清は、信州六郡、越後一郡を領有していたほどの人物で、文字どおり
信州の覇者といってよかった。
彼が武田軍に呼応し、海野本家を侵略したことはすでに述べたが、それだけに
真田幸隆が村上討滅へかける情熱は、苦闘を重ねるたびに熾烈の度を増していった。
そして、天文二十年五月、ついに村上義清の城、砥石城を落とした。
信玄にも落とすことが出来なかった城を、真田幸隆がみごとに落としたので
ある。

その後真田家は、信玄没後は勝頼につかえたが、天正十年三月、武田家が滅ぶと、
幸隆の三男昌幸は、わが子を二手に分け、長男の信行を徳川方へ、次男信繁(幸村)
を豊臣方につけた。
大阪夏の陣で幸村が死んだ後、真田家は信行によって維持され、上田を経て松代へ
移封されながらも、あの佐久間象山を生み出した主君真田幸貫のときまで、連綿と
その家風と意地を貫き通したのである。
幸貫は、松代領国において、身分の階級を問わず学問の普及に力をつくした。
現代でも、信州の地は俗に「教育県」と呼ばれ、向学の志がさかんなのは、当時の
なごりである。滋野一族は、不思議に盲人、医術、妖術などと関係が深い。
先祖の貞保親王(清和天皇皇子)は、盲目であったといわれ、望月氏の祖神
諸羽明神、禰津氏の四宮権現などは、盲人の祖神でもある。

ある時期、滋野氏が盲人を支配していた時期があったのだろう。
望月氏は、巫女や舞太夫などを支配しており、禰津氏は鷹匠(たかじょう)として、
著名であった。
禰津(長野県小県郡東部町)には、「ノノウ巫女」といわれる巫女の集団が、明治
初年まで存在したといわれている。
滋野氏は、武士として発展する反面、不思議な霊界に対する支配をも兼ねるように
なった。
真田一族に対し、人々が抱いていた一種の「畏れ」は、このことと無関係ではない。


以上の歴史的事実は今までのいきさつや、因縁をより明らかとし、われわれを納得
させ得る重みをもって、迫りくるのである。

今にして思えば、なぜK氏があの冬の夜中、水をかぶるといってまで、自分の守護霊
「海野氏」を説得におよんだか。
「出したくもない!会いたくもない!」という海野小太郎棟綱の心は歴史の推移を
知れば、当然なのかもしれない。
村上一族の「切腹の武士」が、この世と通じた一瞬の出来事であったが、これは案外
奇跡に近いのかもしれない。
また、観音教の霊能者M氏が受けた、霊的現象や「おまえはじゃまだ、どけ!」という
霊的内容も、やっと納得できるのだ。
滋野一族が「別格」といわれているゆえんもここにある。
そして、その先祖を背負って、新しい道を今に開く苦労もまた甘んじて受けなくては
ならないのも、K氏である。
霊能者の道は、表舞台で、はなやかにライトをあびる者では決してない。
K氏の修行は、まだまだ続いている。