霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

備忘録、始めます

2012年03月31日 | 心霊現象
皆様、お久しぶりです。
今日からは「備忘録」を開始します。
なぜ今日からか?
普通日本人ならば、「きり」のいいところ、つまり明日4月1日からとか、新年度(4月1日)から
とか、月曜日からとか、いろいろ選びようがあるのに・・・。
よりによって「終わり」の日を選ぶとは・・・と、お思いでしょう。
あっ、そうだよな~、と正直私も思った次第です。
でも、思ったが吉日っていいますから、心を優先させました。

『備忘録』が本当の言葉、でも『忘備録』という間違いの言葉も、今では暗黙の了解で、世の中には
幅をきかせていると解説されているので、時々は私も間違って入力したら、お許しくださいね。



さて、気が向いたときや、思い出したときに書くという『備忘録』の第一、初日の今日を飾るのは、
前に少し予告しました「お家再興の嘆願書」。
平家一門というよりも、平清盛の直系の家柄でありながら、全てを失った者からの訴状と言った方が
いい。
宛先は、宮内庁長官。記載期日は昭和63年10月24日。
昭和天皇のご病気に際し、国民が皇居へ駆けつけ、「記帳」なるものを盛んに成し、祈りの日々を重ねていた真っ最中と、私も記憶している。(天皇陛下崩御は昭和64年1月7日)
それ以後新号は「平成」と改められ、昭和が終わった。
だから昭和64年は、わずかに7日間しかない。

この「嘆願書」がなぜ私の手元にあるのかは、まるで記憶にない。
ある方の「荷物」を開けたら、出てきたとしか言いようがない。
それも「写し」ではなく「本物」だ。
思い当たることが、一つだけある。これからご紹介する「差出人」の連名者の一人「佐藤日輪」なる
尼さんとの縁から、私の手元に届いたという事実は納得できた。
ご本人も、この件では何も言わず、ご自分の荷物に紛れ込むように意図的にか、あるいはたまたま
入ったものか彼女の書いた「原稿」の中に入っていた物だった。
「預かっておいて」とそれだけを私に言って、送られてきたものを、そのまま預かっていたが、
自室の模様替えの折、開けて発見したという「代物」だった。
さて前置きはこのくらいにして、なぜ天皇であり、なぜ宮内庁なのかを探りながら、お読みください。
たまたま今年のNHKの「大河ドラマ」が、「平清盛」だったこともあり、面白いかと・・・。



拝啓
菊薫るよい季節と相成り候へとも、宮中におかれましては天皇陛下御不快の御事にて候間
日夜御平癒の御願と御心痛の御事と、お察し申し上げ候
                                  さて今般私儀
いささか宮内庁に申し上げ度き儀これ有り、書面を持ちて申し上げ候 私現在神戸にて在住
致し居り候 種子島出生にて、平家が流れ平の清盛が直系に御座候  岩坪家は天皇より岩坪の
号を賜りしと聞き及び候也
種子島西表に種子島氏祖がまつられ、またそこには島津氏祖の一部もまつられ
居ると聞きおよび候 しかしながら我が
岩坪家が先祖並びに平家一門がまつられ居り候
その寺は本源寺にて候へば、皇太子並びに美智子妃が墓参され居り候
種子島公は平家より出て居りへとも
最初より養子にて何代も養子に御座候
現在本源寺の住職は種子島氏とは何の
ゆかりもなき者にて候 其の他日典寺も
日輪寺も日典上人とは何の関係もなき者
にて候
終戦後にマッカーサー元帥により日本の
宗教が解体され、それが為に寺、山林、
土地、神社が一部の人間により解体され
たり、始末されたり現在岩坪の財産は墓
のみにて御座候 いつの間にか岩坪家は抹
殺され候 日本の家紋の本にも紋も
姓もなく種子島の文献にさえ色々な学者
達で書かれ居り候へとも、どれにも平家
の事はしるされおらず候也
何日の間にか岩坪家の系図さえ何者か
により人手に渡り、現在は奈良法隆寺
に有ると聞き及び候
岩坪家は桓武天皇より出て
高望王で(平姓)を賜り平の清盛が次男
宗盛からにて候也
種子島、屋久島、沖永良部三島の南海
の聖とうたわれ、生きながらにして穴に
うめられ死を持って宗教革命をなしとげた
日典上人は我が岩坪家が先祖にて候
永才永順他多くの僧が出て居り候
日典寺にも何人かまつられ居り候が、何者かに
墓石の一部がけずり取られ居り候
日典上人始め多くの上人が我が先祖で
有る為に、ある日突然修行に入り今日迄
三十年の月日にて候 此の間つらき修行多く
有り血をはき何度も死をまぬがれ今日に
至り、現在は心より世界平和を祈り居り候
私は堺、伊丹、神戸と小さき寺を建て、新宗教
を作るべき考へにて、唯今県に提出し居り候
神戸に移り住みたるは青谷観音山という
地名の山を買う為にて候ところ、欲ある
者多く集まりて土地の値をつり上げ候
心ならずも手を引き、また小さき土地をもとめて寺を
建てるつもりにて御座候
平家は亡びたと申し居り候へとも表面だけ
の事にて候 全国に数多く生き残り居り候
日天寺にも九州方面、四国方面と津々浦々
により便りありて心強き事にて候
いま宮中にてのお言葉は種子島が発生の地にて候
天皇は法で有り、法とは法律であり、法が狂えば
日本国は狂います 天皇家代々法の為に
多くの人々がよろこび、苦しみ、永い永い歴史です
法がゆがめば全世界も狂い出し、正しい法に
もどして政治をおこない、そうでなくば国亡びて候
平家、源氏、藤原、足利其の他諸々の
悪しき霊は積年のうらみを持ち候
その悪しき悪しき霊を取りのぞくべく
日夜護摩供養致し居り候也
種子島には古い歴史が有り、四面を海に
囲まれ南国のゆたかな島にて候
その古い歴史の島を島津藩にて
島全土は火の海となり、古き建物宝物は
灰となり歴史はここでぬりかえられたと聞き
及び候 又戦後は日典寺、本源寺、日輪寺は
現在本門法華宗本部幹部、松井孝純、日宏両名によりいいようにされ
日典上人の説も或る一部の人間によって違って
伝えられ居り候
現在神戸須磨寺も平家にゆかりなき者にて候
神戸の須磨離宮も、もともと清盛が建て
我が身及び、平家安住の地とすべく願いにて
候ところ、はからずも源平の戦の地となり
平家一門がうらみ残せし地と相成り候
其の須磨離宮を、平家が子孫の日天寺に返して頂き度く
書面を持って願い上げ候
清盛が建てし離宮は天皇家が別荘と
してつかわれ候が、終戦時にマッカーサー元帥
により一時米軍が使用せしと聞き及び候
後日当時神戸市長なる中井一夫氏により
神戸市に移され現在は神戸市の物件にて候
もともと平の清盛が最後に力を注いだ神戸に
須磨離宮内に寺を建て、平家も源氏もない
平和な日本国にしたい願いにて候
日典上人も無念の思いであったと思い
その無念の思いをもう一度私が代わり
新しい宗教に情熱をそそぎ度く候
最後に天皇陛下の御平癒を祈願致し
筆をおき候也 乱筆にてお許し下され度く候

                   早々

昭和六拾参年十月二十四日

        大日本正道修行教団
         日輪宗 日天寺
     
       管長
         岩坪 

         佐藤 日輪

宮内庁長官 殿



差出人のは、字が読めないためためにそうしました。
以上ですが、皆さまから「だから、何?」と言われても困ります。
世の中には、いろいろあるんですね~と思ってくだされば、いいんですよ。
ただね、私はどちらかといえば「源氏」になる。
日本は大きく分けて、平家か源氏かで今も闘っていると、前に聞いたことがあるものですから
その「恨み」が霊界を二分していてもおかしくはないのです。
まあ、ここはなんたって「備忘録」ですから、あとはよしなに・・・。
あんまり間をおきますとね、指が動かないというか、入力するのもまた最初に逆もどりしますので、
「指」の運動、練習という事もかねて「この録」があると思しめせ。

では、またお会いしましょう・・・。

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (ななし)
2013-02-22 18:28:37
自分の名字が気になりましてネットサーフィンしていたらこの記事が出ました。
何をかくそう、種子島の岩坪家のものです。
祖父の兄が家系についての研究をしていたらしいのですが詳しくは分かりません…
返信する
おなじく (岩坪)
2013-04-20 22:00:16
私も ななし さんと同じく苗字をさがしていて見つけました。おもしろいものありがとうございました。
返信する
Unknown (匿名)
2021-01-31 22:21:25
この書状の差出し人である岩坪氏の名は「薬王」です。
昔、訳あって神戸・青谷の日天寺を訪ね、
岩坪薬王氏と佐藤日輪氏と面会しましたので間違いありません。
ご参考まで。
返信する

コメントを投稿