霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

今「坊コン」のとき?

2013年07月31日 | 心霊現象
世の中にはいろんな言葉が出現し、流行りはじめる。
今日の言葉、お分かりになるだろうか?。
「合コン」ならぬ「坊コン」。坊主(失礼)と婚活することらしい。

「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」という言葉がある。が、今は「坊主好きなら、袈裟まで大好き」となるそうな。
結婚願望の子女が相手に選ぶのが「坊主(坊さん)」、の世らしい。
今、何かと「寺」を巡るツアーが喜ばれている中で、とりわけ若い修行僧がモテはじめた。
単なる「イケメン」にもそろそろ飽きだしたとき、目の前に現れた「汚れのない?」、「浮世離れした?」男性に、どこか憧れにも似た感情が湧くのは、分からないでもない。
しかし、結婚の相手として選ぶのも「極端」といえば言えなくもないが・・・。
「この世の垢(アカ)」にまみれた「彼女」の行く先は、アカにまみれず、会えば癒しのひと時さえ提供してくれる「若い僧侶」であり、それはまた格別の味を持つらしい。

これもまた週刊誌のネタであれば、なにも目くじらをたてることでもないだろうが。
彼女たちは「お目当て」の男性に目を留め、「デイト」の約束を取り付ける。
第一段階の終わりである。婚活の第一歩が踏み出されたことになる。
さて、その先何が待っているか?・・・。
若い修行僧が「その色香」に負けて堕落するか、さもなくば彼女が修行の「真似事」をすることになる。「寺の住職の奥さん」の椅子のすわり心地は、それほど「楽」な商売ではないと見受けるが。

そしてまた私は思い出す。
「外面如菩薩、内面如夜叉」と私に向かって言った「御仁」のことを。
相手の死によって目の前から無くなった、私の「住職の奥さん」という呼び名は、決して軽い響きではなかったことを思い出す。
相手の人間を見ずに、両親は真っ向から反対した。それが先々「苦労する」ことを常識的に物語っていたというのが理由だった。

ま、人生いろいろ結婚相手もいろいろ。
しかし多分に背後(守護霊や指導霊、背後霊)は、「仏門」に帰依した関係者であろうことはうかがえる。その守護霊や先祖の目は、そう簡単には「縁」を結んでくれるとは思えない。
それこそ「ご縁」があれば、結婚にまで至るだろう。
あとは本人の努力次第である。
が、本人の努力の範囲を超えたものに「願い」があるときは、その先に「不幸」の二文字が見え隠れする。そんなことはなく、なんなく通過する人は、よほどの強い縁、つまり同じ仏門に帰依した同士という「取り合わせ」であり、目には見えないが双方の先祖が、小躍りして喜び、ことほぐ姿さえ見えてくる。
ただ、「彼女」がひと時の「癒し」に酔い、自分の満足のみ満たしたあとは、相手の先祖を巻き込んだ「要求・願い・清算」が嵐となって吹き荒れることは、覚悟していただきたい。


これもまた「ネタ」の一つであるが。
皇太子妃「雅子さま」のことを、かまびすしくのたまう御仁が多い。
つまり次期「国母」として、ふさわしくない、ということらしい。
皇室あるいは王朝、王家に嫁ぐ「妃選び」には、必ず巫女や僧侶や霊能者が呼ばれて「相性」をみるものである。もし見立てを違えたら、その首は飛ぶ。
そのようにして日本も韓国も中国も続いてきた。
目に見えない「世界」、つまり先祖という霊界からの相性をみたのだ。
きっとご多分に漏れず、皇太子妃選びも、かく行われたと思う。
そして国民は狂乱し、熱狂して次の天皇の第一候補者に喝采した。そう「あの時」に。
そして「今」。
ある者は「弟宮」に天皇の座を譲り、公務なしで二人で幸せな生活をなさいませ、と言い。
ある者は、「はたして皇后としての資質はありやなしや」、と雅子妃を今から値踏みする。

ひところ、そうだいぶ古い歌で、たしか相良○○が歌った『二人のため世界はあるの』という流行り
歌があった。それ以来、歌の歌詞の一部である「いいじゃないの、幸せならば」と最後にくくる習慣が世にはびこったことを覚えている。
決して『二人は世界のために』ではない。
世界が二人のためにあるのだ。このダンから言えば、国は二人のためにあり、家族もそうであり、「皇室」も「国民」も二人のためにある、となる。
大なり小なりこの感覚は、確かに一部の人間に深く根付いた嫌いがあることは確かだ。
しかし、生まれた時から決まっている人。将来「天皇」になるべく位置づけられ、宿命でもあり、「帝王学」で固められた毎日を過ごす「お方」に、二人だけの生活のために結婚があるなど、毛ほども思われるはずがない。
雅子妃の先祖、つまり「小和田家」の血統がどうであるかなど、宮内庁のその立場の方が、それこそ「首」を賭けて弾き出した答えであれば、国民はとやかく言ういわれはないと、私などは思う。
週刊誌は見方によっては「意地悪く」、次々の事柄を「あなたに出来るの?」と問うている。
中には、今の皇后さまのように「蚕を飼うこと」も出来るんですかぁ~、などなど。
元来「皇室」は「祈りのところ」だと、まえにも明治天皇のひ孫の方が言っておられたように、第一は国民の安泰と、先祖天照大御神を祈るのが仕事であれば、アイドルのように笑顔をふりまけばいいってものではない。
出来ないことは仕方がないじゃないか。
将来の国母がご病気であれば、その平癒を日々祈る国民(つまり私)であったかを先ず、反省しなければなるまい。
どこから見ても非の打ちどころがない、という勝手な国民の趣向のもとで「お妃」が選ばれるわけではない。
「日ノ本の国」、この国の永遠性からみて「この人」だと決められたはずの「人物」に、三本の矢ならぬ無数の毒矢を放ってはならない。
「子どもが生まれない」と言っては嘆き、公務が続かないといっては批判し・・・、もし妃選びに
日本を見守る「八百万の神々」がその手を貸されていたとすれば、いずれ国民に罰が下るだろう。
「勝手な、我がまま放題の民族よ、あの姿こそ先ず手始めに罰を与えたことだと、どうして悟らない!」
「国民に下す諸々の災禍の前に、まず長たる者を打つ。この仕組みこそあの世の最も高貴なるやり方であることを、今こそ悟るべし」・・・、とね。

かつて明治天皇は、こう御製を詠まれている。

  罪あらば 我をとがめよ天津神
  民は我が身の生みし子なれば

これが我が日本「皇室」の置かれた立場であり、その在り様でもあるのです。
そして日本は今日まで成り立ち、存続してきたといえる。


さてさて、またまた道が反れそうですね。
まぁ、一時の問題提起と思召して、大目に見てくださいね。

まるで別のものを二つ書いたと思われるでしょうか?。
さにあらず、根本は一つの処に繋がっています。
目に見える世界と見えない世界。この二つの世界によって、宇宙は成り立っている、という真理です。
いつも同じことの繰り返しですが、私には「それ」しか言いようがありません。
どうぞ、あなた様もいかがお思いになるか、ご自分の見解を書き出してみてくださいませ。
これ、つまり自分の思いを書き出す、という行為を続けるとね「新たな自分発見」の時に気付きます。是非騙されたと思って、やってみてください。
(どうせダメもとでも、いいじゃないですか~)
はい、今日はこのへんで・・・。



人生の分かれ道、あなたはどちらを行くの?

2013年07月30日 | 心霊現象
暑い東京へ帰ってまいりました。
しかし今年の夏は、どこが暑いとか、どこが寒いとか決まらない「特別の夏」のようで・・・。
「天気」というように、天の気分は定まることなく「何が起こるか分からない」模様。
夏恒例の花火大会も中止となれば、その残った花火は使い物にならないというのです。
雨つまり水が嫌いな「花火」は、ひとたび「水」に湿ったら、もうダメ。
職人さんの苦労が結晶のような一つ一つの「手作り」の花火は、廃棄物になると聞いて、その金額もさることながら、彼ら職人魂の「なげき」がむしろ「気」になるのです。


さてそんな日本の夏。
巷には、よくもまあ「飽きもせず?」大量の書物が出版されています。
しかしこのごろは、人生とか進路とか、選択とか「あなたが選ぶ○○」というふうに、「本」自体が選ぶ形態をとって、「今」「ここで」「決める」「あなたの」「人生をみる」といったものが流行っているようです。
新聞広告で載っていたので、ついつい案内を見てしまいました。
いつの世も「似たような」「同じことを」しているなぁ~、と私は思った次第です。

本の題名が、『次の二つから生きたい人生を選びなさい』。
著者タル・ベン・シャハー、訳成瀬まゆみ、と書いてある。
さらに中身に目をやれば、「自分に変化を起こす101の選択問題。あなたはどんな『答え』を出す?
aかbか一つ選択するごとに、あなたの運命は変わっていく。


その本を買って、著者が与えた問いに答えながら、「自分」の人生の結果を見る。
なるほど、一時の趣向としては面白い。
101の質問は、なかなか「悩みがい」や自問自答のし甲斐があるに違いない。
ある部分、とんでもない自分の心の思いがけない発見をするかも知れない。
良きにつけ悪しきにつけ、自分と真剣に取り組むいいチャンスにもなるだろう。
aとbしか答えはないから、二者択一だ。「どっちへ行くの~」、これが人生に101か所あるだけの話だ。多いか、少ないかは人それぞれの思いであるが・・・。

思えばみんな、今だってその真っ最中にある。
自分の、まぎれもない現実の、今の待ったなしの選択に、個人のみならず家族の、会社の地域の「日本」の将来いや、生死の分かれ道という運命が掛かっているかもしれない。
そんな立場にいたことがないと答える人も、これから先「その立場(ハメ)」に落ちいらないとも限らない。さあ、どうするの? あ、な、た。


今からそう遠くない昔にね。
女性週刊誌でよくそういったのがありましたねぇ。
「袋とじ」とかになってね。結構面白いものでした。しかしあくまでもゲーム感覚、お遊びのたぐいでしたね。
しかし、生身の自分の人生における選択となると・・・。
「どっちを選ぶ?」・・・、これが人生の別れ道になることくらいよく分かる。
しかし選ばなければならない・・・。こうして「人」は生きてきた。
私達は、自分の人生を、「今」は見届けることは出来ない。
代わりに、過去の「偉人」といわれた人物の人生は、興味をもてばほとんどつぶさに分かる。
選択をせまられることが、一つも無かったなどという人は一人もいない。
そして「その選択」の出した「答え」こそが、人生の明暗を分けて語り継がれることになる。
人に聞かせる人生でもなければ、人にみせびらかす人生でもない。
どうすれば、この世に「わたし」というたった一人の「個性」が、一番喜び花開くことが出来るのか・・・。
最後は「そこ」に拘(こだわ)り、焦点を絞る。


歳をとって、私くらいになるとね、「ああ、あそこの分かれ道、その選択の結果がこれだったのね」と、しみじみ分かるという「ひらめきの時」がある。
それが「取り返しのつく」ものか「取り返しのつかない」ものか・・・。
人生は生きて見なければ分からない。されど願わくば、実に面白き良きものであると言いたいものである。


さて、またこんな書物もある。
『ピンチをチャンスに変える51の質問』(本田 健著)

 人とは「質問力」で決まります。
 「今日一日で感謝できること五つは?」
 「今日のピンチで新しく開発できる才能は?」
 自分に対して適切な質問をすれば、今どんな状況であれ、あなたの人生はもっとよくなります。


それにこんな本も。
『母がいちばん危ない』ー・-・いい娘にならない方法

ことごとく、母に抵抗し続けて、いかに母が思う「いい子」から脱却するかを考えた。
と、著者の言葉が添えてある。

さてさて、今日は『大和書房』の回し者になって宣伝をしているわけではないのですが。
こんな本が書店に並んで皆様に問いかけをしている、という有様をみながらね、自分を振り返りながら思うのです。

私が今でも忘れない「言葉」がある。
ずいぶん古いドラマ、それもNHKの朝ドラに『鳩子の海』というのがあった。
必ず見るというわけでもなく、続きものでも見たり見なかったりで覚えていない方が多い中で、「この場面」だけがはっきりと思い出されてくるのは、実に不思議なことである。
それは主人公の「鳩子」が、人生の岐路に立ち、どちらを選択しょうかと悩み、迷っていた時のこと。
同居している鳩子の祖母は、ある日彼女に「こう」言った。
『悩み、迷うことは決して悪いことではない。でもねただ迷う、ただ悩むだけでは苦しいだけ。
 自分が何を人生の向こうに目的として見ているかがなければ、選ぶことなど出来ないでしょ。
 おばあちゃんのお願いはね、たった一つだけ。鳩子にとって、どちらが大変なことなのか。難儀な ことなのか。大抵の人は難儀なことは避けて、楽な方を選ぶでしょ。そしてまた次も楽な方を選  ぶ。
 そうしてたどり着く人生が、どうなると思う?。確かにいいことづくめの人もいるでしょう。
 しかし、あなたからはね鳩子、大変な方、難儀な方をむしろ選んでも行く勇気と目的を持って、生 きていってほしいの』・・・と。


今日はこの言葉を皆様にお贈りして、おわりとします。


あっ、一つだけ!
「人生の岐路」ってよく言うでしょ。
この「時」はね、案外「あの世」からの仕組みが多いものなんです。
守護霊もよく言っています。
「わらわによるものでもある」と。
ね、結構怖~い話でしょ。



 
 

「水子」はたたるのか?

2013年07月19日 | 心霊現象
書店で並ぶたくさんの「水子(みずこ)」の本。
どれもほとんどが、「たたる」と書いている。
本当だろうか?・・・。
なぜいまここで私が、「水子」を話題にするかといえば、深い事情がある。
私には姉が一人と、弟が二人いたそうである。しかし、末っ子の弟は生まれ出ることなく、「水子」となって「あの世」へいってしまったという。
それを私が知ったのは、雪崩からしばらくたってからだった。
多分、祖母がぽつりと「独り言」を言ったのを、私の耳が聞いてしまったのだろう。
日本の風習、あるいは迷信、あるいは世の習いのように「水子」はたたる、と聞いていた。
今までは人事(ひとごと)のように聞き流し、気にさえとめなかった事が、自分の実の弟だと知って、ショックを受けた。
親が決して話さなかった「秘密」を、どのようにして聞きただすか?。
言わないのはそれだけの意味が、きっとあったに違いない。身ごもったことを嘆き、邪魔者を始末するような親じゃない・・・。そう思ったし、そうであってほしいと願った。
信仰などというものが無縁であったその頃の私は、ありったけの知識の中から二つの事を行った。
一つは写経であり、もう一つは千羽鶴を折ることだった。それ以外は知らないし、また頭に浮かばなかったからだ。
写経に書く経文が何を意味し、どのような「きまり」があるかなど知らない。ただただ、鶴を折るその「千代紙」に経文を書きなぐった。
1000枚の千代紙に経文を書き終わると、それを丁寧に、祈りながら折り続けた。

「生まれたかったでしょうね~。姉弟がありながら知ってももらえない・・・。辛かっただろうね。
 この世に名前もなく、その存在を知らせたくても、その術(すべ)さえ閉ざされて・・・。怨んで いるの、 あなたは?・・・」と。

そして、黙って親元へ「千羽鶴」を送った。(多分そのころ、私は親元を離れて暮らしていたと思う。意図を知らない両親は、丁度父がかぜをひいて寝込んでいるその見舞いと思い、治ってからも終生大切にして仏壇の脇に吊るしていたという。それでいい、よかった)


それから月日がたった。
私もいくらか「あの世」のこと、「人の生きる意味」、「霊の存在」を知るようになった。
そして、多分「中絶しなければならなかった事情」が、母親の体(健康)が原因だったことをそれとなく知った。子供を産めない健康状態。母体をとるか、生まれる子供をとるか・・・。
結果、彼はこの世に出ることなく、あの世の住人となった。
男の子と聞いている。魂はすでにあったのだ。ならば話せる。
私はそう確信すると、祈りに賭けた。


ある日、私は銀座三越デパートの近くを歩いていた。
若い女性に呼び止められて、アンケートをたのまれた。
一つ二つ答えるうちに、「興味がおありなら、すぐ近くに説明会場が設けられています。話を聞くだけならタダです。深く知りたいという方には、また別の手順が用意されています。それは有料になります。いかがですか?話を聞かれるだけでも・・・」と、熱い眼差しで誘われる。
ビルの階段を上ると、広い部屋に通される。相談体制になって、机と椅子がいくつも並んでいた。
「全体の説明は終わったようなので、各位相談ということで、いかがですか。せっかくの御縁ですから・・・」やさしい、そしてうまい誘いにのって、私は3000円という一番安い値段の「相談」を選んだ。
四柱推命とやらの「占い」のあと、血統をみるという。
そこで「水子」が出た。「あなたには水子」が見える。
その水子のたたりを解消するには「やり方」や「順序」がある。よって、次のコースへ進むことをお勧めしたい、というものだった。
私は「仕事の途中」なのでと、体よく断ってその場を去った。

多分今思えば、「霊感商法」の一つだったのだろうが、私はしかとは知らない。
もし統一協会の面々であったとしても、私が出てからの「手法」であろうから、知るはずもない。
四柱推命も、姓名判断もみんな本を読み、霊能者の話を聞いて一応学んだ後だっただけに「騙される」ことはない。
知らないふりをして、ただ言われるがまま聞いていた。
彼らの目的は「ありあり」と見えた。結局先祖に結び付け、救われていない霊を例にだして、まるで言い当てたかのように信用させて、何かを買わせるか、信仰に連れ込むか(言葉が悪ければ、信仰に導くか)・・・。
やはりそこでも「水子」のたたりが話される。

しかし私は知っていた、「水子はたたるものではない」ということを。
ただ、彼ら「水子」が、親や先祖や後孫を「うらめしく」思うことが強まったとき、何かしらの「つつき」(しらせ)をするであろうことは、充分に納得できる。
霊があるのに、生まれ出る予定だったのに「無視」される。
「ここにいるんだよぅ!」くらいの叫びは、あげてもいい。
時々霊能者K氏の見立ての中で「水子」は語られる。
「水子がたたるなんて、ありません。ただね・・・」というその次が、あの世に送られたその「しうち」の内容による、ということだ。
ただ真理からみれば、神の「天上天下唯我独尊」から計れば、決していいことではない。
宇宙の生命体としての道理から、「バツ」をうけると言った方がいいか・・・。
天地の真理から受ける「バツ」にはなる。
(ここでまた思い出す。情状酌量の余地を。やむにやまれぬ事情。神でさえ、同情せざるをえない
事情があるとすれば・・・少しは許されるかもしれないと、シルバーバーチが語る「あれ」のことだ)

私は「それ」を、つまり「恨み事」を、「わたし」が受けるとして、霊界の名のない「弟」に伝えている。
「全部私にちょうだい。恨みごと、無いと言えばウソになる。それをみんな吐き出しなさい。
 頼りないだろうが、私の胸が受け止めるから、全部思いのたけをぶちまけなさい!」・・・、と。

そうだ、なんたって私は「地獄の門」の門番を自ら神に所望した女だ。
弟の恨みを受けられずして何とする?・・・。

「賽の河原の石積み」という話がある。
生まれ出ても幼くして死に、親と離れた子。水子となって闇に葬られた子。
その子供たちの霊が、「賽(さい)の河原」という処で、親を思って石を積み上げる。
積みあがったと思ったところへ「鬼」が来て崩しにかかる。
子供たちは泣きながら、また石積みを繰り返す。
「一つ積んでは、母のため、一つ積んでは父のため~」と謳いながら積むのだ。
それをみた「地蔵様」が、そこへ来られて、子供たちをその衣に入れ、抱きかかえながら教えをとき、抱きしめて慰めてくれる。・・・、というものらしい。
多分に仏教的である。が、それと似た「子どもの養育所」は霊界にもあると聞く。
そこで彼らは、「無垢」な魂で天法や、人の道理を習う、というものである。

水子供養という「供養代」をお寺に収め、事がすんだと思っている「その親」の態度が問題なのである。供養は他人がするものでもなければ、出来るはずもない。
当時者か血統がやるものである。
傲慢な今の時代に、「水子」など人として認めない今に、何も起こらず、見過ごされていくわけがない。
二億とも三億ともいわれる日本の水子。せめて今からでも思った者から、始めてみようではないか。
ましてや、自分に直接関わる「水子」には、誠心誠意真心を尽くした「言葉(想い)」を送りたい。

うがった話で恐縮ですが・・・。
そうすれば、「今」の子供たちの社会問題やあるいは諸問題は、きっと時間とともに次第に「うさんむしょう」することでしょう。


お盆(旧盆)も近くなってきました。
私はね、この時に「化けてでも出て来い!」って、「弟」をけしかけています。
どんな姿で、何を言うのか今からもうわくわく、楽しみにしています。
夢枕に立つ弟との初めての出会い。(心臓が止まらないことを祈りつつ)
これもまた、最後の私に与えられた「ミッション」でもありましょう。

(姉ちゃんはバカだねぇ。過激なんだよぅ~、って「やさしく育った」弟は、言うかしら・・・
 ふふふ、やっぱり私は過激かぁ~)



前のブログの間違いを一つ。
「態勢を立て直す」が正しいです。「大勢」は間違いでした)
来週また留守にいたします。
暑い日本。どこへ行っても暑い。みなさんもガンバレ!!


「八方ふさがり」はチャンスの到来!(私流逆転のシナリオ)

2013年07月17日 | 心霊現象
人生の意味などというものは、その時は分からないものです。
後になってやっと「なーるほど」と納得がいく。しかし、分かればまだいいほうで、ほとんどは何が何やら分からないままやり過ごしてしまう。
とまあ、人生こんなもんよ~と誰もが思って今日まで生きてきた。

私も最近になって、なるほどそうだったのか、と合点がいく有様。
霊能者はどうした?、と思われるかもしれないが、不思議や不思議、私のことになると「K氏」は見てくれない。他の人の番だったり、急用が出来たり・・・。
ある時から私は悟った。「ははーん、自分で解明せよという事か」と。
その時以来である、不思議な成り行きになっていく先の見えない事象が、「何かの意味」をもって、現れ始めてきたのを感じ取るのである。

結果、1年半で退職した「介護」の職場は、とんとん拍子で決まった就職でありながら、最初から暗礁に乗り上げた感があった。上司からの「いじめ」である。
3日目から「ここへ来た事」を後悔した。
しかし、高齢者つまりシルバーエイジの就職あっ旋をする「ハローワーク」の紹介でもあり、介護の免許をとって、初めての志でもあり、何とか経験を積んでみたかった。
ようやく送り込んだ紹介者が、すぐにやめるとあっては、今後続く者への支障になりかねない。
私は自分の背を押しながら、「けなげ」?にもがんばった。
最初の決意があった。こんな私を雇ってみようという「その感謝」と、それに報いたい心の現し方としての「笑顔」である。感謝と笑顔。この二つを日々繋げれば、何とか務め上げることが出来ると思っていた。
同僚の面前で、「ダメだし」が続く。(それって、先輩がその通り教えてくれた事でもあったのに~)
ある時は「認知症の利用者」が、私の様をみて、頭ごなしに批判する上司に向かって「かばう」という行為に出た。
「あんたさぁ、なにさま?」ってね。これにはびっくりしたと見えて、上司は利用者をなだめ始めた。
認知症といっても施設を利用する「利用者」たちは、過去の人生はバカにしたものではない。
女性初の官僚だったり、松坂屋デパートの女性職員第一号という人もいる。教職員を務め上げ、人生を終わった人もいる。女だてらに旅館を差配し、100名近くの人数を使いこなした人もいる。
彼らは、薄れゆくその記憶の中で、じっと職員を見ながら、彼らなりの「値踏み」をする。
女性がほとんどの「その施設」では、「小笠原流」で食器をおかないと、食べてくれない御仁がいた。
ごはんと味噌汁が逆に置いてある、ただそれだけで箸を付けない。(若い人は小笠原流なんて分からないかも)

半年がたったころ、心では分かっていても「感謝と笑顔」が、私から消えた。
「何だろう、これって・・・」少しづつ異変の意味を探り始めた私であったが・・・。
半分負けん気もあり、強情でもある私は、頑張り続けた。(捨てる神あれば、拾う神ありとつぶやきながら通ったものだった)
そして、限界をむかえる。万万が一、どこかで誰かが私を呼んでいる?。「こっちの方だよぅ~」って?。
意地でも「いじめ」られて止めるとは言いたくない。ケガをすることに決めた。
再起不能のケガ?。とっとと「ここ」を出ていくにはそれがいい。
そのころの私は、「と殺場にひかれてゆく牛か馬か豚」のような気分で、職場へ足を運んでいたものだ。
「きっと、今日も滅多打ちにあうだろう」。意味のある試練ならばまだいい。が、これには深い意味が感じられない・・・。
その間私は、決まって同じ夢を何度もみた。
霧で視界ゼロの森を彷徨う夢だ。手さぐりしながら、次第にあせり、出口を見出そうと必死だ。そこで目が覚める。寝汗をかき、呼吸も早い。そんな日が続く・・・。

チャンスが訪れた。ふらつく足取りで、一人のおばあちゃんが歩きだした。が、すぐに転倒態勢?にはいった。
そら!今だ!。
私は走っていって彼女の体の下に滑り込む。私の体がクッションになればいいのだ。
と、思いきや、彼女が私の手につかまった。それを転ばせては頭をもろにテーブルに打つ。
片手で彼女の体重を支えながら、転倒を避ける。
その時私の片手は、私にだけ分かる音を立てていた。「プチッブチッ」と。
筋肉?あるいは腱(けん)?がブチ切れる音に聞こえた。
彼女が大勢を立て直すと同時に、私は自らその体の下敷きになろうと努めた。
「万歳!すべてがうまくいった」
無傷で彼女は助かった。そして万歳、私の腕はだらりと垂れさがったまま、動かなくなった。
職員が走る。上司が飛んできた。「あんた、何やってんのよぅ!」、これが第一声だった。
「大丈夫?」という言葉は無かった。
モーラステープ(サロンパスより強い貼り薬)をもらって貼りながら、内心ほっとしていた。
「これで、おさらばだ」。
その後、一か月して無事に退職出来た。
「こんなわたし、使い物にならないでしょ」これが理由である。
シルバーのアルバイトのおばちゃんに、「労災」が出るわけがない?。いや出たと思う。しかし、次第に治ると確信した。次に拾う神が待っている。それはどこで誰だ?・・・。急がなければ!。


その頃、私の弟が「成人後見人」をしていた。田舎の知り合いの一人暮らしの認知症の人だ。
私が休職中とのことで、少し、2,3日でいいから「その人」を見ていてほしいと、依頼がきた。
この弟は、私が統一協会に足を運ぶようになってから「あんたとは、縁を切る!」と、はがき一枚で絶縁に近い状態だった人物でもある。
「この事ですか?」と、私は上を見上げてついつい聞いてしまった。
神が上にいるわけではないのに、なぜか上を見て聞いたのを覚えている。
これがもし、そうであれば、私は随分時間をかけ、無駄な回り道をしたものである。
が、まてよ。介護の経験だけは生きて今後も使える。
まさしく、「八方ふさがり」が、降ってわいたような「ベストチャンス」になったのだ。
最後の最後に、私は断絶をしていた弟と、田舎にて一つの事を共有しながら、先祖を意識しつつ、全力投入で今を生きている。
多分、これが私に与えられた最後の「ミッション」であろうと察知する。
そしてこの事を私は、「逆転のシナリオ」と呼ぶ。
不幸の渦の中にいた時は、分からない。しかし時が経ち、何かが見え始めたとき、全てが意図をもって繋がって、目的に向かって我々を誘(いざな)ってくれることを知る。

このまま死んだら、私はやり残しがある。
いつもそう思っていた。
それが、「この」事と、そして本に出来なかった「あの世」の続きであった。
「両手に華」とまでは言えないが、この二つを手にして、私は嬉々として日々を送っているのです。
「断絶」は過去の歴史の産物であり、再現でもある。わが血統が連綿と血を通して清算しょうとしたもののようだ、と私は思いながら、「確執」のまっただ中で身もだえしながら探り続ける。


この二つが終わるころ、きっと「もう、いいよぅ~」と声がするだろう。
その声は「神」か「死神」かは分からない。
きっと、同時に二つの声がハモッて聞こえるかもしれない。
神と死神とのハーモニー。思えば、私は「あの日」からそうして生きてきたのだ。
幕引きの時は、すばらしい取って置きの時を用意してくださるに違いない。

今はそんな気持ちでいます・・・。

だからね、決して短気を起こしてはいけません。
人生いろいろ。血統もいろいろ。
結論なんて、性急に「今」出してはいけません。

生きてみなはれ!。最後まで人生見届けなはれ!自分のたった一度の「この世の華」を味わって、味わって、味わい尽くしてみなはれ!!

私から、皆様へのメッセージでおます。
(関西人が乗り移っているようで?・・・、ではこのへんで、ごめんやす!)



雑記帳(今年の夏第一弾)

2013年07月16日 | 心霊現象
いろんな事が耳に入ってきます。
「それ」を忘れないうちに書き留める。これをするようになって溜まると、時々この場にてご紹介するというもの。
中にはなるほどねぇ~、というのがあって私的には面白い。


日本には「雨の呼び名」が「422」もある、という。
いったいどれくらいご存じでしょうか?
「梅雨(つゆ」だけでも「16」あるという。
例えば「走り梅雨(つゆ)」。
日本語が難しいわけだ・・・。しかし情緒からいえば、世界一かもしれない。
日本人とはそういう民族なのでしょう。


日本には「古事記」と「日本書紀」がある。
最初に作られたのが「古事記」。その後「日本書紀」が編纂される。
誰が何のために作ったのか?・・・。古事記編纂から1300年たったらしい。
日本人はどこから来て、どこへ向かっていくのか・・・。
日本の「アイデンティティー」が書いてあるんだそうで。
なぜ古事記が作られたのか・・・。
そして、人為的に加えられたものがあるか?。
いずれにしてもこれは、「日本に天皇中心の統一国家」を成さんとした目的で、作られまた改良され、今日までその根幹をなしているとか。
歴史書を作るにおいては、「そこ」に焦点を絞って作成されていったという。
「日本人」はどこから来て、どこへ向かっていくのか・・・、ねぇ。
どうして、教えることを「今」しないんでしょう。
結局、終戦あるいは敗戦といわれた民族未曾有の出来事の結果、あるいは「GHQ」の思惑もあって、天皇や国体や古事記や神社仏閣に、趣を置くという民族の精神的な中核を全部排除した「バックボーン」の無い民族が出来上がった、とそういう事でしょう。
時間がたった今、みごとに「骨抜き」された「骨のない」民族に生まれ変わったのが「日本民族」であれば、古事記も日本書紀も天皇も皇室も国体もナンセンス。思惑通りの日本になって、今があることをいったい誰が喜ぶんでしょうねぇ。

『日本人はどこから来て、どこへ向かっていくのか?・・・』
これって、国家をあげて教育しなければならない「最重要」なものでしょうが。
これを「右翼」といって排斥しては、日本の将来はいったい誰がどのような思想で統一し、伊勢や出雲の神々をも納得せしむる「精神」で治めることが出来るというのでしょう。
どこかの国の、だれかによって治めてもらうのが最初からの「神々」の願いであれば、日本など最初っから
このような形をして存在さえしなかったでしょうよ。

ほんとうに、日本人はどこから来て、どこへ向かっていくようになっていたのでしょうか?
NHKの歴史番組での、歴史認識あるいは問題提起でもありました。
出発点が分からないものには、行く先(目的)も分からないにきまっています。
このダンから言えば、民族的に「迷い子」になって、ふらついている、としか言いようがありませんなぁ~。

霊界でいつも問われること。
「あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか?」
ね、同じでしょ。考えさせられる事象です。


最近見たTVでね。
「女子度」って言葉を知りました。
男性俳優(男優」に向かってね、「あなたの女子度はいかほど?」って質問する。
そんな言葉すら知らない「彼」は、「???」。
司会者が説明する。「あなたが持っている女らしさは、何度かと・・・」。
「つまり、女っぽいところってことですか?僕の」「そうです」と司会者。
「じゃ、そう言えばいいじゃないですかねぇ~」

今じゃ、女らしいとか、女っぽいとか言わないで「女子度」何%とか言うんですかねぇ??。
ほかにも、通訳が必要な言葉がありますよ。
いったい、日本語はいつから変質や突然変異をしちゃったんでしょうかねぇ。



以前にも書いた「ロイヤル・ブルー」。皇室関係者のみが着る「ブルー」の色の特別名。
では「ベルリン・ブルー」ってなーんだ。
ブルーだから「青」には違いない。が、あの「富嶽36景」葛飾北斎の使った「青」の色をいうらしい。
まだ鎖国下でもあり、入手するには難儀であったろうあの色「青」。
和の絵に西洋の技「ベルリン・ブルー」を使った北斎の、異質であると同時に傑出したその能力は、時代を越えて今も称賛に値する。


人間はいろんな能力を持っている。
時には「魔術師」と見まごう能力がある。
私が見たものの一つには、「ソムリエ」の世界コンクールの一コマ。
数あるワインの種類を嗅ぎ分け、その産地、年数、特徴、食材とのマッチした飲み方等々。
その品質が全部分かっていなければ、とうてい「ソムリエ」の役はこなせない。
鼻と舌で「それ」を嗅ぎ分ける。
その番組では「アイスワイン」と「貴腐ワイン」の識別から判断しなければならない。(何のことやら、私にはさっぱり)
世界一になった「彼」は、そのとき間違った答えを出していた。が、終了40秒前に「気になった」部分を、もう一度確かめた。「あれ?、ちょっと待てよ?」二度、三度確かめて、結果彼は答えを変えた。
それが正解。めでたく「彼」は「ソムリエ世界一」になった。

『脳細胞の全てをめぐらせて、判断を下した。これはアイスワインだ!』と。

次のテーブルで、お客の依頼に答える。
「このワインは、チョコレート、コーヒー、わずかなカシスの香り、そしてチリの大地の香り、サンサンと輝る太陽のもとで育まれた果実の持つ特性であるその香り、おーとてもすばらしい香りだ!」
そう言われて「世界一のソムリエ」から太鼓判を押された「ワイン」が、ふるまわれてゆく。

まるで魔法使いか魔術師のよう。
彼らの鼻は、舌はいったいどうなっているんでしょうねぇ。
香水も同じことが言えますね。


「ワイン」といえば私などは、その味を知らず、いつも頂きものですませ、それも甘くないといっては「シュガーシロップ」(ガムシロ)をたっぷり入れて飲むという「味音痴」です。
その後はとうとう人に差し上げる日々になってしまいました。
しかし、この番組以後は、そんなにも深い味わい、酸味や甘さや、太陽のうまみまでも現す果実の味わいに
私もふれてみたいと思い直しました。
運よく?下宿の下(一階)が「酒屋」ですので、ワインを買って口に含み、その味わいを分析するべく、ころころと舌の上を転がし、鼻で香りをかぎ分け・・・。
冷えたワインが温まるまでがんばりました。
結果、無い物ねだりはやめにして(能力のこと)。「おいしければいい!」との思いで、出した答えは「甘いワイン」つまり「ドイツワイン」におさまりました。黒猫のマークがついていましたねぇ。

人生いろいろ。嗜好もいろいろ。
おいしければ、幸せを感じればいいんです。
ビールがおいしい人は、どうぞビールを。
しかしね、年とともに、嗜好が変わるってのは、どうしてなんでしょうか?
今私は、こんな暑い夏に、ビールが一滴も飲めなくなりました。
苦くてにがくてせき込みます。(かっては大瓶を数本飲んでも平気だったのに~)

さあ、今日も一時の暇つぶしにお立ち寄りくださいまして、ありがとうございました。(失礼)
(どうぞ、なんなりとお飲みくださいませ。でも自前でね・・・)