霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「沈 寿官」が導く陶工のこころえ  2

2011年12月17日 | 心霊現象
守護『ゆきづまれば、いつでもよろしい。具体的な技法を
   しらしめるゆえ、その方が受け入れようと受け入れまいと
   一つの目安となり、参考となる。
   協力はおしまぬ。一つ、一つ狂人となるよう、一心不乱と
   なるよう。
   作品にその方の魂を傾注させるような、作品をものにする努力、
   是非とも狂人となって、いただきたい』

地上「どういう形で、指導していただけるのか、伺いたいのです」

守護『具体的には、こういう通過体をもって、具体的に教え申す。
   ただし、決して、その方の価値観もあれば、美的価値観も
   おそらく相異するであろうゆえ、余が良き点、その方が受け入れ
   られるような分だけを、受け継いでもらえれば、全く結構な。
   一つ、己の中でおのれ自身の相応の壁の高さをつくり、それを乗り越える。
   越えられぬ時に、またあいまみえてみたいと思う。

   常には、その方と共にあり、その方の一部始終を把握し、ともに
   悩み、共に成長していく立場なれば、出来る限りの中での助力は
   惜しまぬ。
   まずは、狂人となること。
   色の基調は、白、およびねず色を原点にて、焼かれてみるがよかろう』

地上「ぼくが、間違ったことをしたときは、どこを打って教えてくれますか?」

守護『まずはやはり、病みやすい所を打つ。
   体の弱気部分を、打つ。それが一番打ちやすき、知らせであろう。

   そなたには、是も非もなく、日の目を見ていただけるような立場を
   余が背負わねば、ついた意味もなし。
   とにかく狂人となられたし。
   まずは、初心にかえりて、余は余の意思によって、紆余曲折し、
   陶工に目覚めしまでに、時間はかかりしが、そなたはそなたの事情
   にて、三十路を過ぎて立った、目覚めた世界であるなら、まずその世界の
   とっかかりから思いおこし、狂人の出発をなさしめたがよかろう。
   常に共にあって悩みあおう。
   是非にもよろしく。
   欲をもって、今は黙々と、黙々と、一心不乱に創造すべし。』

地上「最後に一つ。今、【うつし】をやっているんですが、方向はそれで、
   間違っていませんか」

守護『基本的に、そなたがよかろうと思う事に、何の異もとなえぬのが、余の
   役目。技量的に負になるなり、そなたの創作が、停滞するようなれば、
   叱咤激励する。
   まだまだすべてが、そなたの吸収の部分である。貪欲にやられるがよかろう。』

地上「あの窯(かま)は、あれでよろしいですか?」

守護『あれはあれでよし。あれでよし。
   あなたの思いが、初めて焼かれたるものであれば、どんな悪辣(あくらつ)
   な条件にあっても、初窯(はつがま)である。』

地上「次に作る窯に、どういう窯がよいですか?」

守護『まず余に聞くよりも、そなたの構想、理想は固まっておろうゆえ、
   そのまますすみ、間違いがあれば積み上げるそばから、崩す。
   そなたの心に素直に動いて、正直に動いてみること。
   たのみまいらせる。狂人となられたがよかろう。』



「沈 寿官」を知り、さらに陶工をめざす方は、是非もない内容であろうが、
門外漢の私などは、チンプン、カンプンである。
しかし、その心構えは、何人にも通じる貴重な教えに満ちている。
守護霊として、技量も併せ持って、地上人を導くことは、難儀なことかも
しれないが、ただ、教えや、諭(さとし)だけにとどまらず、共通の「芸術、
芸能」に携わることこそ、一体化をますます深める要因かもしれない。

私は「三代目」を守護霊にもつその人の、「焼き物」をいくつか持っている。
名前が世に出る前の作品は、絵であれ、曲であれ、脚光をあびる事はない。
数々の作品は、今は、静かに我が家の押入れで眠っている。
しかし、「そのとき」が来たら・・・欲に目がくらんでいる私は、ニンマリ
笑いながら、実に気長に待っている。
   
   

「沈 寿官」が導く陶工のこころえ  1

2011年12月17日 | 心霊現象
「沈 寿官」、この名前を聞くだけで、震える人もいるだろうし、
逆によだれが出る人もいるでしょう。

世に言うこの世界、つまり焼き物師のトップである。
朝鮮戦争のおり、日本軍(島津、および小西の連合軍)に拉致された
人物である。
その後、沈氏は、島津家に預けられ、「焼き物」を焼くようになる。
もともとは、朝鮮において、李王朝につかえる、日本でいうところの
「公家」のような役割であったそうだ。
焼き物を焼くような身分ではない。

その「沈氏」が、いまでも九州では名高い陶工として、有名であり、
「沈 寿官」の十四代目を継いだ方の焼き物は、何百万という高額な
品物である。(よだれが出るゆえんは、ここにある)
その方の守護霊は、私は知らない。

以前に私が書いたブログの中で、「金将軍」が登場したのを、覚えて
いらっしゃるだろうか。
一緒に、拉致されて日本へ来たあの方である。
その金家の血統、弟で、焼き物をやいていたその人の守護霊が「沈 寿官」の
三代目であった。
その「三代目」が、「じいさん」と語っているが、その方こそ、初代ということ
になる。

なぜ、兄弟なのに、違う家系を名乗るのか、その理由を守護霊はこのように説明
している。

『まず、なぜ沈家が、金家にたいして、沈家の血統がつきし事を疑問と思う
 ならば、初代、わがじいのつれあいが、金一族からの娶(めと)りである
 からだ。』

さて、では三代目(守護霊)が、地上人に「陶工として」の何を語り、指導
したかを、その道に興味のある方は、とくとご覧あれ。



守護『余は、三代【沈 寿官】である。
   じいの口から言えば、朝鮮における三代目とは、俗に、朝鮮で
   いわれる創始者は蘇生期であり、二代目は長成期であり、三代目は
   完成期となるというが、まあ、三代目はまあ、粗末な完成期ではある。

   自分が父は、名人上手といわれ、名人上手に庇護されながらも、三代目
   を継ぎ、じいが始めし時の苦労を垣間見ながら、三代目を継しゆえ、
   まずまず、放蕩の限りの息子であった。
   全く、陶工として立とうと決心したは、三十をいくばくか出てから、
   陶工として目覚めたといえるかもしれん。
   
   今後その方に、願いとすれば、余人から見て、愚作といわれようと、自分
   のみつめた世界で感銘し、一心不乱に作り上げた作品が、己が納得すればよし。
   他人からの批判、批評は世の常であるが、自分の世界に妥協がなければ
   そのまま、信念を貫けばよい。その方に貫け!

   最たるきゅうち(窮地、究地?)の至極の色は、【白】および、【ねず色】が
   原点であり、基調である。

   余がつきし事、自覚しょうとしまいと、必ず作品をもって余を知らしめる。
   創意工夫、言い古された言葉であろうとも、失敗を恐れず、創意をもって、
   創意工夫をもってひとつ、「焼き物の狂人」たれ!
   焼き物の前に出でては、狂え!狂人となって、創作をなすよう。
   今後余計な事があろうが、参考となる為には、具体的に技法をもって
   知らしめてもよろしい。
   常に壁あり、その壁を乗り越え、また障害物になる大きい壁がくる。
   その大きな壁を乗り越えれば、また大きな壁がさえぎる。
   そういう過渡期において、余はそなたに働きかけるであろう。



<次へつづく>