会場がとれたところから、どんどんご案内していきます。
11月になりますから、もうずいぶんと寒くなっていると思われます。
高齢者のかたも多いとおもわれ気もひけますが、「継続こそ力なり」で押し通して今年はがんばりますね。
日 時 11月12日
午前9時~11時 (前回と変わります)
会場 練馬区会議室 1906 号室(前回と変わります)
経費 無料
(ご注意 ・・・・・時間、部屋が前回と違います)
ご案内は以上です。
さて、わたしの今の近況をお話いたしますとね・・・。
先日「MRI」というものをば体験してまいりました。
一度でも経験した方はすぐに「あれね」と、いろんな心模様(感想)が湧いてこられるでしょうね。
まず第一に、「やかましい」。うるさい!。
例えれば、道路工事をしている横にねて、30分以上そこにじっとしているという事に等しい。
「すこしやかましいですよ~」と一応の説明があったけど、こんなにやかましいとは思わなかった。
さらに、それを長時間受ける自分の耐久力に、限界がある。
よくもこんな環境を「高齢者」に与えて、何の検査だと、カプセルから這い出てどなりたいくらいでした。(わたしが堪え性がなく、またわがままだというのでしょうかね~)
耐えて耐えて40分弱が終わりました。
これで何を知りたかったか?
実はね、わたしの職場でね「島田さん、最近おかしくない?・・認知症?・・」
という噂がどこかで聞こえてきたんですって。
それが上司の耳に入った。
早速呼ばれて「大丈夫?・・・」だって。
来年の1月になれば、73歳になるわたしでありますから、さもあらん。
施設にいれば、スタッフではなく「利用者」と間違われてもいいくらいの環境にいるわけで。
何もいまさら「目くじら」をたてることはないんですよ。
でもね、でも・・・。
あんまりストレートに「たま」が投げられてわたしを直撃したものだから、一瞬気を失うくらい「ぶったまげ」ましたねえ。
今の若いひとって、人の心(気持ち)なんて二の次なんだな~と。
その言葉で相手がどう思うかなんて、気遣うことないんだ?・・・。
たまたまその上司が若かったとか、人への経験が乏しかったとか、運がわるかったとか・・・。
わたし、いろいろ考えたけど、心にたまった「澱(おり)」のようなものは消えてなくなりはしなかった。
来る日も来る日も、「この心のおり」をどうしたらいいのかを思い悩んでいましたね。
上司に言われて、即わたしは検査を提案した。
白黒はっきりさせよう!という自分への「最後通告」と、噂した者への宣戦布告のようなものだろうか。
怒りに震えながらも「老いる」ということに突き付けられた刃は、「やる気を」いや「生きる気」をもそぎ取るだけの「毒気」があった。
さて、どうする。
結果。禍転じて福とする方を選んだ。
「今だ!?」。そう今だからこそ、毒をも含んだ刃でわたしを全てにおいて「初心」に返そうとしている」何かが働いたのだ。
そう思い、これを「天の声」とした。
結果は、診断書が出ていないから「わからない」。
が、わたしの「フイルム」は、相談し見立て(診察)をしてくれる「医師」の手元にある。
「何の心配はない」と言われても言葉だけでは信じまい。
診断書を持って「職場」に提出するまでは。
最終的には「認知症」は医師といえども決定出来ない。
面談をし、相手を充分に観察し、ポイントを押さえたさらなるテクニックでの問答で、結果が出るという。
人生はある意味、「ここ」で決まる。
高齢者を「認定」する役目の人がいる。
目盛はどこで何を見て計るのか。
微妙な「ものさしの違い」が世の中を左右している現実を、わたしも知っている。
さて、今のわたしは心穏やかである。
天にまかせ、霊界にまかせ、守護霊にまかせている。
「地獄の門番」のすわり心地はいかがであろうか・・・。
人事異動たけなわの10月。
いよいよ、あるいはそろそろ、お声がかりでもあるかと・・。
が、いまはまだ行かない。行ってなるものか。
先日のTVで黒柳徹子さんが、こう語っていた。(相手は中尾 ミエ)
「徹子の部屋」が50年目を迎えるあと数年。
90歳になる自分は、また違う勉強をする。
そして100歳になったら・・・。
この「ガッツ」は、どこから来るのか。
いやはや「化け物」の領域に入ったと見える。(羨望と感謝)
さてわたしは、やっと4回目を計画し、あと数日で3回目を迎える「死について語る会」。
「ひよっこ」みたいなものだが、積み重ねれば目にみえてこよう。
というわけで、七転び八起きの我が人生と「会」です。
何度転ぼうと、起き上がればいいのです。
みなさまも、(わたしも)がんばれ、がんばれ!
11月になりますから、もうずいぶんと寒くなっていると思われます。
高齢者のかたも多いとおもわれ気もひけますが、「継続こそ力なり」で押し通して今年はがんばりますね。
日 時 11月12日
午前9時~11時 (前回と変わります)
会場 練馬区会議室 1906 号室(前回と変わります)
経費 無料
(ご注意 ・・・・・時間、部屋が前回と違います)
ご案内は以上です。
さて、わたしの今の近況をお話いたしますとね・・・。
先日「MRI」というものをば体験してまいりました。
一度でも経験した方はすぐに「あれね」と、いろんな心模様(感想)が湧いてこられるでしょうね。
まず第一に、「やかましい」。うるさい!。
例えれば、道路工事をしている横にねて、30分以上そこにじっとしているという事に等しい。
「すこしやかましいですよ~」と一応の説明があったけど、こんなにやかましいとは思わなかった。
さらに、それを長時間受ける自分の耐久力に、限界がある。
よくもこんな環境を「高齢者」に与えて、何の検査だと、カプセルから這い出てどなりたいくらいでした。(わたしが堪え性がなく、またわがままだというのでしょうかね~)
耐えて耐えて40分弱が終わりました。
これで何を知りたかったか?
実はね、わたしの職場でね「島田さん、最近おかしくない?・・認知症?・・」
という噂がどこかで聞こえてきたんですって。
それが上司の耳に入った。
早速呼ばれて「大丈夫?・・・」だって。
来年の1月になれば、73歳になるわたしでありますから、さもあらん。
施設にいれば、スタッフではなく「利用者」と間違われてもいいくらいの環境にいるわけで。
何もいまさら「目くじら」をたてることはないんですよ。
でもね、でも・・・。
あんまりストレートに「たま」が投げられてわたしを直撃したものだから、一瞬気を失うくらい「ぶったまげ」ましたねえ。
今の若いひとって、人の心(気持ち)なんて二の次なんだな~と。
その言葉で相手がどう思うかなんて、気遣うことないんだ?・・・。
たまたまその上司が若かったとか、人への経験が乏しかったとか、運がわるかったとか・・・。
わたし、いろいろ考えたけど、心にたまった「澱(おり)」のようなものは消えてなくなりはしなかった。
来る日も来る日も、「この心のおり」をどうしたらいいのかを思い悩んでいましたね。
上司に言われて、即わたしは検査を提案した。
白黒はっきりさせよう!という自分への「最後通告」と、噂した者への宣戦布告のようなものだろうか。
怒りに震えながらも「老いる」ということに突き付けられた刃は、「やる気を」いや「生きる気」をもそぎ取るだけの「毒気」があった。
さて、どうする。
結果。禍転じて福とする方を選んだ。
「今だ!?」。そう今だからこそ、毒をも含んだ刃でわたしを全てにおいて「初心」に返そうとしている」何かが働いたのだ。
そう思い、これを「天の声」とした。
結果は、診断書が出ていないから「わからない」。
が、わたしの「フイルム」は、相談し見立て(診察)をしてくれる「医師」の手元にある。
「何の心配はない」と言われても言葉だけでは信じまい。
診断書を持って「職場」に提出するまでは。
最終的には「認知症」は医師といえども決定出来ない。
面談をし、相手を充分に観察し、ポイントを押さえたさらなるテクニックでの問答で、結果が出るという。
人生はある意味、「ここ」で決まる。
高齢者を「認定」する役目の人がいる。
目盛はどこで何を見て計るのか。
微妙な「ものさしの違い」が世の中を左右している現実を、わたしも知っている。
さて、今のわたしは心穏やかである。
天にまかせ、霊界にまかせ、守護霊にまかせている。
「地獄の門番」のすわり心地はいかがであろうか・・・。
人事異動たけなわの10月。
いよいよ、あるいはそろそろ、お声がかりでもあるかと・・。
が、いまはまだ行かない。行ってなるものか。
先日のTVで黒柳徹子さんが、こう語っていた。(相手は中尾 ミエ)
「徹子の部屋」が50年目を迎えるあと数年。
90歳になる自分は、また違う勉強をする。
そして100歳になったら・・・。
この「ガッツ」は、どこから来るのか。
いやはや「化け物」の領域に入ったと見える。(羨望と感謝)
さてわたしは、やっと4回目を計画し、あと数日で3回目を迎える「死について語る会」。
「ひよっこ」みたいなものだが、積み重ねれば目にみえてこよう。
というわけで、七転び八起きの我が人生と「会」です。
何度転ぼうと、起き上がればいいのです。
みなさまも、(わたしも)がんばれ、がんばれ!
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