霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

死者との共闘?

2013年08月24日 | 心霊現象
『戦争も、原爆も、沖縄の基地も、原発事故も。
 犠牲者を強いる構造に抗(あらが)うには、死者と共闘しなければならないと、山形さんは訴え  る。
 
 山形さんはNHKの復興支援ソング「花は咲く」の歌詞に目をとめる。
 ここで歌っているのは死者ではないか。
 だから口ずさむとひとりでに涙があふれてくるのだ。
 「生き残った者は、死者の無念を自分自身の生き方として受け止めなければならない」
 仙台で被災した宗教人類学者、山形孝夫さんの言葉だ。近著「黒い海の記憶」の副題は「いま、死 者の語りを聞くこと」 』 、とある。

先般の新聞8月7日、またまた天の声が人に語った内容の一つだ。
私は本日の題目にした、「死者との共闘」という言葉に強く反応した。
そして、その後につけた「?」のマーク、これが私の今日言いたかった内容を表している。
他の人にとっては、多分どうでもいい事なのかもしれない。しかし・・・。
私的に言えば、「共闘」とは・・・、過去あまりにも過激であり残酷であり「世を敵視した輩(やから)の集団が「善」と錯覚して世直しのためだと、共に力を合わせ、闘った社会現象がいまだに強く脳裏に焼き付いている。
赤軍であり、集団暴行であり、北朝鮮に向かう飛行機のハイジャックのことが全て「芋ずる式」に思い出されてくるからだ。
そう、学生運動のまっただ中、左翼であり、共闘であり、破壊そのものであった。
赤城山であり、長野の旅館立てこもりであり、その全てが一つのことを表していた。
その場限りの、手前勝手な論理からくる破壊行為。それ以外の何物でもなかった。
その後、彼らは何もなかったかのように、また全てわすれた記憶喪失者のようにふるまい、跡形もなく失せ、今に至っている。・・・、と私には見えてしまう。
共闘という言葉のアレルギーは、私の脳裏と肌に染みつき、ショックはいまだに癒えていない。
長野県の「あの山荘」の立てこもり事件の一部始終を、私は職場で見続けた。
午后からは、急きょ休みをとった。職場放棄は、さすがに良心がとがめたからだ。
休みをとれば、職場のTVに釘づけでも、まあ許されるとの思いであった。
何が目的だ? そしてそれで人が幸せになるのか・・・?
彼らの行動の一つ一つに「その問い」を投げかけた。その結果、見えてきたものは「自分勝手」の暴挙であり蛮行であるという「証明」しかなかった。
だから、彼らの協力体制は「共闘」である。共に闘い、破壊し殺すことだと、私の心はしっかりとその言葉の意味を捉え、刷り込んだ。

目的が人の為であり、善のためであり、自分よりも他の為、つまりより大義の為、これが真理に立脚していれば、もうなにもいうことはない。これを「協力」といい、「共助」あるいは「協助(きょうじょ)」という。
死者を使うなど、罰当たりなことを重々承知で時々私も言うことがある。
しかし、死者ほど怖いものはない。
目的をいち早く知った彼らは、嬉々としてよってくる。
これはおうおうにして「魔界」からの現象が顕著であり、素早く、人数も多い。
それだけ人間界、つまり下界に反応しょうと待っている霊達の数が多いということでもあり、また言い方を代えれば、「のり移りやすい」ということになる。
よって、「共闘」はいけませんなぁ~。
一致して、良きものを造る、あるいは良きものに代える、あるいは良きものをもたらす・・・、ということ。それが「神」の願いであり、目的にかなっていればもう何もいうことなし、です。

守護霊は、前にもご紹介したとおり、決して「共闘」という表現は使いません。
共に働こう、誠心誠意オマエを守る、決して見捨てない、二人三脚で行こう・・・、といろいろですが、分裂、分断、総括、殺人はどこを探しても出てきません。

だから私は「共闘」という言葉を脚下し、「協力・協助」を取り入れて今後は使わせていただくことにいたします。
「死者との協力体制」、これこそが神が願い、人も願う強力なる目的に向かってのシステム(実現可能な体制)づくりとなるのです。
霊界を知らないとね、力の出具合が微々たるもので終わります。
しかし、目に見えない「あの世」のパワーを取り込むとき、自分でも分からないほどの不思議なことが起こり得ます。それは「力」の強さであり、「現象」の変わり方であり、「人の心の変化」でもあります。人はそれを「奇跡」とよびますが、労無くして「奇跡」は起きません。
『人事を尽くして、天命を知る』という言葉の通りでしょうね。
人事の100%を尽くしたのか・・・?、これを我に問うた時、答えは自ずから与えられると、まあこうなるのでしょうねぇ。
手を組むことは悪いことではありません。その目的によるのです。
徒党を組むといえば、何か後ろめたい、いかがわしい、というより「悪党」の集まりという代名詞が頭に浮かぶほどイメージは悪い。
しかし、「善党」とはいわない。今風にいえばさしあたって「NPO法人」とでも言えばいいんですかねぇ。
『さあ、悪党を組んで共闘しょうぜ!』といったら、何人集まりますかしら?・・・。
『さあ、NPO法人をたちあげて、世のため人のために何かやろうよ。この指とまれ!』といったら、今なら人が集まる時代でしょう。



さあ、私もこれから「死者との協力」による「あの世とこの世のため」のNPO法人をたちあげ、何かやらねばなりますまい。
と、おっと一つだけ決まりがありました。
NPO法人をつくるには、「宗教に関係」する内容はご法度だそうで・・・。「あの世」は宗教になるんでしょうよ、きっとね・・・。
ならばさしあたって、「部屋の整理整頓、ご協力隊」とでもして、あの世へ渡るお手伝いをばいたしましょうかしらねぇ。


『地上の人たちの無知において、あまりにもその度が過ぎます!』と吐き出すように言った「シルバーバーチ」の言葉が、今も私の頭の中でぐるぐる回っています。
早くやらないと~。(誰かさーん、この指、とーまれ!)

夏の雑感  3

2013年08月23日 | 心霊現象
先日、通りすがりの方が書き込んでくださったコメントでの「松山 真一氏」の事。うれしい便りでした。
ありがとうございます。私がどうも勝手にかの「御仁」を殺しちゃったんでしょうかねぇ~。
私にとっては確かな筋からのことで、ついついそう思い込んでしまいました。
この夏は、老人にとっては酷な暑さです。そうでなくても息も絶え絶えの日々、私は東京におりませんので、帰ってきたらさっそく「一升瓶」を持参して東池袋の事務所をば、お訪ねしょうかと思っています。決して「わたくしめ」は、御仁を刃物なしで殺そうなどとは、つゆ思っておりません!
大事な御仁でございます。が、周りにはあれやこれや「それなりの女性たち」が多くはべっておりまして・・・、いつ近づけることやら。
しかし、ここまで年を重ねると男も女も、最後は心と心の「お付き合い」になり、いいお茶飲み友達になるようで・・・、今度はこちらから「三原堂の塩せんべい」を一緒に持参して行きましょうか。
この場をお借りして、御礼と反省と、新たな期待をもって決意表明をばいたしましょう。



漫画『はだしのゲン』が、ここへきて物議をかもしているようです。
教育委員会が中に入っただけで、「またか!」とアレルギー体質の方は早い反応をされたようで・・・。
図書館から借りる借りないの前に、この本を読ませたくない「大人」の下心が覗きます。
「親ごころ」と言わずに、「下心(したごころ)」とした私の思惑は、たしかにありますが。
皆様も全部読まれたら、一人一人答えを出してくださいませ。
理由、理屈はいくつも考えられるでしょうから、両方の意見(答え)が「あり」でしょう。
しかしその両方とも、メリットとデメリットがある。
そのどちらを「よし」とするか・・・。
判断基準を持たない「幼い子ども」が、目に飛び込んでくる「絵」に衝撃をうけるのは目に見えている。その時親は、また教師は、それをどう導くかにかかっている。
たとえば・・・。
裸体の女性に、兵士が一升瓶を押し付けてこう言う。
「女の膣にはどのくらい入るのか、一升瓶で試そうぜ」といって、女性の膣から一升瓶を突っ込み、骨盤まで砕いた場面が載っている。
この一つをとっても、大人は「何を」「どう」説明出来るのだろうか?・・・。
「だから、戦争はしてはいけないよ!」とでも?・・・。
女性を裸にし、最後はその生首を切り落とす。
そんな「画」がいやおうなく目に飛び込む。大人は何と説明するのか?
「だから、戦争をしてはいけないよ~」と、また言うのだろうか・・・。

たしかに、解禁したら「彼ら」(子供)は、目から飛び込む生生しい「画面」に、心がどう対処していいか分からなくなっていくかもしれない。
親に聞ける子はまだいい。一人部屋に引きこもり「生生しい画面」のみに目や心が奪われてゆくとしたら、・・・危ない危ない。
だから、この本は「薬」にも「毒」にもなる。
毒もまた使いようとはいえ、本当に使いこなせるのか?・・・。
「怖い物見たさ」というがごとく、それによって大人になっていくことは確かにある。

そしてこの夏は、日本人がまた考えなければならない「永遠のテーマ」を目の前にして、戦争と原爆と、そして戦争の名のもとに繰り広げられた「性がもつ魔の世界」をいやがおうにも覗くハメになった。いわば今まで避けてきた「命題」を、「はだしのゲン」がここぞとばかりに目の前に突き付けたことになる。
「戦争はいけないよ」というのは簡単である。
が、なぜ「戦争がいけないのか」、人間の深い闇の部分、言い換えれば「人間の恥部」をのぞくことにもなる。
子供にその「恥部」をみせることが出来るのか?・・・。
そして「それ」を何と大人は解説するのか・・・。
原爆の爆風で体が焼けただれ、血や肉や骨が溶け出しながらも生きようとする様は、これもまた強烈である。
かつての「絵本・地獄」のように、「ショック療法」も確かに「あり」だ。
が、そのあとの「ケアー」が必ず必要になる、とかの幼児教育の女史がのたまう。

暑い今年の夏。なぜ、今年になってこの本「はだしのゲン」はこんなにも多くの課題を、今になって我々に提示しているのだろうか。


みなさまにおかれましては、いかがお考えでしょうか?

私?・・、んー、今のところはね条件つきで、つまり「アフターケアー」つきで、解禁すると申し上げておきましょうかねぇ~。
難しいことです。子供たちに今までどんな教育をしてきたかが、実に大きな要因になるからでしょう。
きっと、漫画という一つの形をつかって、作者は「大人」にこそ幾多のメッセージを残しているのでしょう。
「かくし絵」という手法があるように、隠れたものを彫り出し、読み起こして、全巻をもって漂う作者の霊気を読み取って欲しかったのでしょう。
全巻を読み終わり、目を閉じ、心の耳を澄ませば聞こえてくる「声」が、その「答え」だというしかありますまい。
「それ」をこれから「あなた様方」とご一緒に、解き明かそうかと思っています。
亡くなって間もない作者は、呼べば答えるところにいらっしゃいましょう。
霊には霊をもって、礼を尽くしてご返答頂きたいものです。



「生前整理」

2013年08月18日 | 心霊現象
「せいぜんせいり」と読みます。
死んでからでは何かと面倒(?)や不都合なので、生きているうちにやっておこう、というもの。
する人は「本人」か「その子供」。
つまり、いずれあるいはもうすぐ死ぬ人の「物」を、整理してあげましょうというもの。
『親の生前整理を、子供がしてやる』、いいか悪いか?・・・、とは、とあるTV番組で投げかけた問題でありました。

生きている限り「物」は持つ。
しかしその量や中身はおおいに違う。
こんなにも、よくもまあため込んだものよ~、と感心を通り越してあきれかえる。我ながら・・・。
その「ごみの山」に、いつまで住むつもりか。また、いつまで生きられるか分からないのに、まだ懲りずに「物」を買い求め、たまる一方の生活である。
「物」を整理する意味も含んで、「引っ越し」を繰り返す人もいる。確かに物の処理にはもってこいの手段ではある。
特に戦前戦中の時代に生きた人は、「物」がない時代の苦労が心身ともに染みついていて、物が捨てられない。捨てるという行為に、罪悪感すら覚える。
デパートの包装紙を、いつ使うともなく大切に折りたたみ保管する人の、何と多かったことか。
しかし、バブルの頃は「捨てること」が美徳だった。
ドンドン捨てて、新しい物をドンドン買った時代。そんな日常が身に着いた者たちは、「もったいない」という言葉など、右の耳から左の耳に抜けていく。
まだまだ充分に使える物を、惜しげもなく捨てることが身に沁みついた者は、「物」が無くなる事態や不便さや、時として恐怖であることなど分かるわけがない。

丁度そんな時代の子供たちが、「物が無かった時代」の親の整理を我が身に置き換える。
全部といっていいほど、親が持つ「持ち物」は、不要の物だろう。
生きた時代とともに、その物がもつ価値観もまた変わる。
たった一枚の包装紙が、どれだけの価値をもったかは「その人」でなければ分からない。
つまりそれは「物」ではあるが、「物」ではない。
こうして生前整理は、親子の確執を生みながら、今の時代に推し進められていく・・・。
TV番組の中では、「本人が捨てられないならば、代わって整理してやる」と、子供連中が胸をはる。
「物」の整理は、それが物としか見えなければいとも簡単である。あっという間に片付くであろう。
では試しに、「自分の物」つまり部屋を他人に明け渡し、勝手に整理してもらったら分かる。
整理人の価値観や生き方が、そっくり捨てる物と取っておく物で分類されることを知るであろう。
個人の物を子供といえども他人が整理する、つまり捨てることは出来ないのだ。いわば「ご法度」である。
親に生前から促すのは、いやがおうにも「死」を連想させてしまうから難しいと彼らも言う。
ゲストの俳優「坂上 忍」さんはある日、母親に引っ越しを勧めたという。
いくらか物が片付くだろうとの見込みだった。
案の定、物は確かに減った。が、母親はその後体調を崩した。しばらくして退院したそうな。
それは、どれだけ「その物」に心がいっていたかを、暗に物語るものだった。
彼はいたく反省した、と語っていた。
「いいか、悪いかなど、結論は出せない。親子関係の差もあるし、ケースバイケースだろう」と最後には司会者が締めくくった。


「物」はたとえどんなに高価な品物でも、あの世には持っていけないことくらいは、誰もが知っている。しかし、ではなぜにこうも「物」を周りに置いて生きたがるのだろうか?。
いずれ、全て、全部手放すのが分かっていながら・・・。
簡単な整理整頓を繰り返すくらいなら、死の時にさっぱりと、全部整理して(捨てて)もらおう、というのもまた一つの考え方でもある。
生前贈与というのもあり、また今生きて「遺品」を分ける人、そのリストを作成する人と、いろいろである。
「あなた」は、どうしたいのですか?、と聞かれたら、どう答えようか・・・。

随分前、私が見た夢の話はいたしましたよね。
「さあ、いきましょう」と、私は手を引かれて・・・。(あの世へ行くという意味です)
と、その手を制し「待って!」といい、一番着たかった洋服と貯金通帳に目をやった事を。
あーあ、この期に及んでという言葉があるが、なんてこった!
人間、こんなもんですかねぇ~。
他人様から見れば、こんな小さなアパートの部屋の「物」なぞ、たかが知れています。
金額からしても、数からしてもね。しかし、「わたし」という一人のたった一度の人生の思いの全てが「そこ」にある。
物に執着はしないが、「物」を通して感じる思い出や「想い」は、そして人や「事象」は、心の「ひだ」にしっかりと刻み込まれているとはいえ「この世の名残」が一瞬気になるのだろう。


生前整理はもう一つある。
物ではない。人の心だ。整理がつくものならば、これこそ整理をして旅立ちの準備に取り掛かったらいい。
三途の川が渡れない話。どこかでご紹介しましたよね。
向こう側に渉る橋がある。身に付けたものが重たくて、橋がたわむ。
そこで一つ、また一つ身から外して川へ投げ込む。
そして、すっかり身軽になった自分は難なく橋を渡って向こう側へとたどり着く、という話です。
いったい何を脱ぎ捨てたのでしょうか?
それが「この世」のいらないもの。つまり魂の汚れ、重さだったと・・・。
見栄、外聞、体裁、エゴ、学歴、身分、つまり自分をよく見せようとする「副産物」をいうのです。
ありったけの装飾品を身に付け、あの世へ行こうなど、皆様方におかれましてはお一人なりともおられますまい。
それよりは、心の汚れを清め、わだかまりの関係を修復し、恨みを愛に変えて目の前の橋を渡ることこそが、整理中の整理だと申し上げます。
以前に「あの世への渡り方」を説いた守護霊の言葉をご紹介しています。
今一度、この場にて思い出していただき、この世を後にする意味と、その術(すべ)をお互いに復習したいと存じます。


そういう私も「ゴミの山」おっと、「宝の山」(想いでの山)に囲まれて暮らしている現在です。
暑い夏には整理整頓は、ちょっとねぇ~。
秋になってから、少しづつ始めましょうか・・・、といっているうちにまた年が明けます。
捨てられない性格は、死んでも治らないのでしょうか・・・?
(あの番組は一面、耳の痛いことではありましたよ、私には・・・)


さあ、まだまだ暑い夏は続きます。
皆様も、思い出という「宝の山」に囲まれて、物と心の生き埋めになってお暮しくださいませ~。
あとはケセラセラ・・・です、はい。
ではまたお会いしましょう。

夏の雑感  2

2013年08月17日 | 心霊現象
暑い毎日です。暑中お見舞い申しあげます。
(もうそろそろ、残暑見舞いになるのでは?・・)

四十度を四日連続で味わった地方の人達は、どんな思いで過ごされたのでしょう。
毎年、「今年の夏が一番暑い」と言い続けて、もう何回の夏を重ねてきたことでしょうか。
東京の練馬は、都心よりは1度から2度高いといわれています。
ですから東京が35度のときは、練馬は37度と思ってすごしていれば間違いがない。
そんなところに、私はもう35年以上住んでいます。
まさか、高齢者になるまで生きているとは、つゆ思ってもいなかった私ですから、内心少し慌てています。


『日本の戦没者は、軍民で約300万人。その数は戦争の末期に激増し、最後の一年で200万人近 くが落命した。
 特攻、沖縄、空襲、原爆、悲劇の多くがこの間に起きている。
 最後の一年を逆回しして、玉音放送を早めてみれば、死なずにすむ人は増々増える。(略) 』

8月15日の天声人語から拾った「見逃せない」一言である。
1941年12月8日から始まった「第二次世界大戦」は、1945年8月15日をもって終わった。かの言葉のごとく、天皇の戦争終結を伝える「玉音放送」から一年前は、100万人の死者ですんでいた。つまりその後の200万人は、死なずともよかった人々だと、言っているのだ。
「こんな戦争、早く終わらせたい!」と、誰もが思ったすえ、人類歴史で初めて経験する「魔の手法・原爆」が人間を狙って「とどめ」を刺す。
先の言葉を借りれば、これ以上続けたらもっともっと死人が激増しただろう、だから「これでよかったのだ」と、聞こえてくる。
米国の歴史認識は、「原爆投下」を「是」とすると聞いた。

これから先、同じことが起こるとしたら、きっとそのときには「核爆弾」が使われたとしても、どこかで「是」だったと認識されて、生き残った人間は次の是なる核戦争へと突き進むに違いない。


同じ日。TV番組「ミヤネヤ」では特攻隊の実体を知らせるべく「知覧」からの生中継をしていた。
『神風特別攻撃隊』といい、別名「神風特攻隊」、そして「特攻」となった恐るべし「日本の人権を無視した作戦」に、世界とりわけ米軍は震えあがった。
一時ではあったが、実際米軍兵は怖れで闘うどころではなく、そのパニック状態に軍部は頭をかかえたという。その結果が、ゼロ戦一機に3000から4000機の米軍機が攻撃に当たり、間違いなく「落とす」という作戦に出た。
たまったものではない。ゼロ戦は蜂の巣のように打ち落とされて、海に沈んだ。
魂と魂の闘いから、物資の闘いとなり日本は完全に負けた。
最後には「ベニア板」を張り合わせた舟に乗った、人間爆弾まで登場させたというではないか。
そして最後のとどめを刺す日。広島も長崎も「暑い夏の午前中」を迎えていた。

「あの戦争は、何だったのでしょうね・・・」と、最後に宮根氏はそう言って番組を結んだ。



「アーサー・ビナード」、彼は米国生まれの詩人である。
「ピカドンの日」と称して、ある朝4時20分から30分までTVで話をしていた。
詩人でありながら絵を描き、「絵本」を出版。
彼は「原爆投下」とは言わない。「ピカドン」という言葉が一番「それ」を言い当てているとして、詩でも会話でも、そう言う。
その時、「人」が何をしょうとしていたか・・・。
「物」、そうだ残された物が語るすさまじいまでのリアリティに迫る。
○○ちゃんが着ていたワンピース。焼けただれた布が無言で叫ぶその声を、彼は代弁して詩を書く。
朝ごはんを食べるつもりで用意した弁当。中身はまっ黒く焼け焦げている。
○○君は箸を手にして、さあいよいよ一口を食べようとしていた、かもしれない。
いつもの、変わらない平凡だがたのしい暮らしがそこにあった「証し」の数々は、焼けてその場に残され、あるものは解けて黒い影だけを残して「ピカドン」の何たるかを「無言」に語っている。
彼は日本に住み続け、決して二度とこのようなことが人類歴史上あってはならないと、詩を書き、絵を描き、講演をして「ノーモア・長崎」「ノーモア・広島」を訴え続ける。

最近では米国の○○氏。名前を失念したが、有名な映画監督らしい。
来日し、今回はようやく広島、長崎を回ることが出来たと語る。
二度とあってはならない「人類の蛮行」と吐き捨てるように言う彼もまた、米国人の一人である。



靖国神社は、形としてみればいつも変わらず居住まいを正して静寂の中にある。
しかし、目を転じて「魂」を見ようとする者がもしいたら、その姿はどうだろうか・・・。
彼らは人の心しか見えない。
日本の国民が何を思い、国家の首長が何を思っているか全てお見通しだ。
靖国に限らず、300万人の戦没者の魂は、はたして鎮魂されているであろうか?・・・。
形だけが全てではないが、はたしてあの日正午丁度に、わずか一分間の黙とうをささげた人は、何人いたであろうか・・・。
「死にたくなかった!」その人達の霊を慰め、鎮魂を祈るには、どんな言葉でどれだけの深い想いで
国民は相対さなければならないか・・・、お分かりになるだろうか~。

最後に私は、また言わばければならないようです。
化けてお出なさい!・・・と。
官邸も幽霊が出るのなら、靖国だって出たっていい。
日本中「幽霊やしき」になったって、いいじゃないですか。
ふぬけた民族の、性根を叩き直すのは、生半可なことじゃぁ出来ません。
この暑い夏の夜。皆様のお力?ならぬ霊力をお借りして、「ショック療法」とまいりましょうよ。

私?、もちろん大丈夫。
それどころか、早く、いつでもお待ち申し上げておりますぞ!
(どうせ暑くて、眠れないのですから、歓待いたします~)





夏の雑感

2013年08月11日 | 心霊現象
留守中にもかかわらず、読んでいただいているようで、感謝です。
あいも変わらず同じことを、性懲りもなく・・・、ときっとお思いでしょうね。
そこが私の目のつけどころ。耳にタコ、百辺言えばのたぐいです。お覚悟を!。


8月にはいると、「戦争」に関係するイベントや映画が思い出したように集中して、私達の周りにあふれます。
第二次大戦があったこと自体、知らない子供が多くなった昨今、原爆が日本に投下されたことさえ知らないそうですぞ。
こんなことでいいんですかねぇ。学校ではもう何も教えない。近代史をね。
関ヶ原までは「暗唱」して、脳に叩き込むのに、その後の明治から今まではさっぱり繋がっていない。
歴史認識とかいいながら、繋がらない時間をもつ「日本人」の負けでしょう。
最初っから勝負になりませんなぁ・・・。

こんな「人に語る天からの声」を知りました。
 『それほどに戦(いくさ)がしたい男らよ。
  子を生んでみよ、死ねと言えるか! 』
強烈なこの言葉は、沖縄の「中村文子さん」のもの。
そんな歌と反戦運動への献身を残して、6月に亡くなった。



日本に「お化け」や「幽霊」のたぐい?が横行した時代。
江戸時代らしい。
お化けは完全に「この世」にはないもの。しかし分かっているけど面白おかしく付き合う「術(すべ)」を知っていた。それを「粋(いき)」と、江戸時代ではいって、一つの文化になったそうです。
いろんな「お化け」が出現?(創作)し、おばけに自分の気持ちを移入していく。
総数50以上の「お化け」があったといいますから、いやはや彼らの楽しみ方は、際限を知らない人の心の現れでもあったようで。
ちなみに「ろくろ首」。あれはね、「我が夫が浮気している相手見たさに、来る日も来る日も見たい思いがつのった」結果の女の姿だという。ね、恐ろしくもあり、悲しくもあり、心の世界を覗けば、さもありなんとさえ思えてくる。
今だって考えてみれば、「お化け」全盛。夏休みもあってか、アニメや映画なども子供向けの「お化け」に大人も便乗して楽しんでいる。
実に「粋」な時代ですなぁ~。

一方「幽霊」。これは実際にはあった。現に見た人が「尾ひれを付けながら」話す「幽霊話」は、いずれ「四谷怪談」となって、まことしやかに現実味を増す。
「ひとだま」なるものを見た、と夏の夜はまたまた騒がしくなる。
幽霊が吐くその一言、「うらめしや~」。きまって「そう」言うからには、きっと共通した何かがある、と幽霊博士なる「御仁」が解説する。
日本に、お化けや幽霊文化が江戸時代を中心に栄えてきたということは、「仏教」では人は成仏できないという本音がみえてくる、という。
だから人の魂(霊魂)は、「幽霊」となってこの世に表れ覗きにくる。
「うらめしや~」、この言葉の裏には個人に対する怨みつらみもあろうが、「救われていないことにたいする怨み」である、という。
今でも続くこの「お化け・幽霊」の文化は、人に何かを伝えようと必死なのかもしれない。

『これだけ言っても、まだ分かってもらえないのですかぁ・・・』(それが、うらめしや)と、私的に言えば「こう」なります、はい。



「ゲリラ豪雨」という言葉から「今までに味わったことのない豪雨」という新語が現れるほどの異常気象です。
花火大会の延期が「うらめしい」などと、言っていられないほどの大災害が続出している。
北海道の海も異常事態の模様。だがこればっかりは「うれしい悲鳴」らしい。
温暖化のせいか海水の温度が上がり、捕れるはずのない魚が大漁続きだ。
漁師さんのほころぶ顔がそれを物語っている。『黒マグロ』?でしたっけ、捕れるはずのない魚が今、この夏すでに70匹以上の大漁をみている。
これは表の顔。いい顔は表の顔であって、必ず裏の隠れた顔がある。そしてそれは「不吉」な顔だ。
「禍福はあざなえる縄のごとし」と昔の人は言った。
また「万事塞翁が馬」とも。ものごとの裏を見て生きるこの「姑息(こそく)」な、いやらしい、
そして因果な性格、・・・と言うなかれ。
人は「のど元過ぎれば」すぐに忘れる「いい加減」な性格を持っているもの。これも生きる術(すべ)なのだろうが、古人は「それ」に警鐘を鳴らし続けた。気を緩めるな、流されるな!と。
そして、「明日は我が身」となる可能性を秘めて、大自然は次の行動を我が身に向けて迫りくる。
家にいても、「身が危険を感じる降り方をする雨」って、どんな雨なのでしょうね。
体験した人がいう。「圧迫感」だったと。
人は心身ともに、圧迫されるよりも解放感を望む。
同じ音でも爆発でも、「花火」は違う。
尺玉100発を一斉にあげる、こんなことは昔は不可能だった。
100人の職人が、一斉に合図とともに花火に火をつける。そして同じくあがれば「ご喝采」となる。中には不発もあるだろうから、むずかしい。まず、一斉に100人の職人が同時に集められるか・・・?。まず無理だ。
しかし今は「コンピュータ」操作で、それが可能になる。
柏崎花火まつりの「尺玉100発一斉あげ」は、人々の歓声と拍手の中で、「圧巻」そのもの。
三尺玉2発も圧巻。
職人さんの渾身をこめた作品が、一瞬という間を借りて、夏の夜空に炸裂する。

夏の暑さも「死ぬほどではなく」そこそこで、幽霊もお化けも「お友達」感覚で出てきてくれれば、
これ以上の「日本の夏」はない。
そして「そこそこの涼」もついてくる。


過日の「地震予知間違い報道」ね。
一瞬身構えました。しかし「間違い」。良かった!。
中にはその報道に「ダメ」をだした者もいた。「オオカミ少年になる」と。
そして「いいんじゃないか」という意見もあった。「いい訓練」になった、と。
私の感想は、後者のほうだ。
「とうとう、今か!」という覚悟は、何度も味わってこそ深くなるし、行動も体が覚える。
ひょっとして、誤作動は、「そんな為」に起きたのかもしれない。
『暑い夏、ダレて忘れかけている日本人よ、「今」だとしたら、備えは完璧か!』とね。
ありがたや、ありがたや「誤報」に感謝!


東京の地を踏んだとたん、私は呼吸困難になりました。
熱風が鼻をふさぐ。よくもまあ、人はこんな日本の夏を耐えるものですね。
中国大陸のある土地では、すでに43度とか。また、「こんなところにも日本人が!」という番組でも、トルコあたりでは50度近いとか。
日本はまだいいか~、と思っていたら、とうとう43度っていうところが「日本」にも出ちゃいました。

皆様、今年こそ秋になって再会出来るよう、生き延びて、生き延びて生き延びて・・・、またお会いしたいものです。(祈り、合掌)