霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

最後のステージ?

2014年01月25日 | 心霊現象
今年1月で69歳になりました。
もう「70歳」に手が届くとなると、人生最後のステージと呼んでもおかしくはないでしょう。
そこで私は、今「新しい職場」を与えられた訳を、そう解釈することにしました。
これもご縁。三つ先の駅近くで新設された「介護のホーム」の仕事が、この私に与えられました。
それも「介護される側」ではなく、「介護する側」の人間(スタッフ)として・・・。
ね、世の中面白いでしょ。高齢者は「いらない」と、追い出されたところがあるかと思えば、高齢者だから「いい」と受けるところがある。(ただ、健康でないとダメですよ~)
よって二月一日開設に向けて、今特訓中の私でもあります。
利用する人も初めて、受ける側も初めて。さあ、何が起きるんでしょうねぇ・・・。

今は、さしあたって「ノロウイルス対策」が急務とあって、有名企業「某会社」の業務担当者が商品の説明を兼ねて、至れり尽くせりの研修をやってくれます。
介護用品もそう。これも「某会社」の渉外部が、二人組で用具をもって丁寧な説明をしてくれます。
食事作りも「某食品」の調理担当者を派遣して、冷凍食品の扱い方や、今はやりの「IH(アイエッチ)器具」の取り扱い方まで教えてくれます。

世の中も本当に「ハイテク時代」になったものよ~、と感心しながら私なども若い人に混じりながら特訓の仲間入りです。
どんな方が入ってこられるかわからない今、この若いスタッフと、それなりの年齢になった利用者さん(お客さん)の間をとりもつ「私の世代」の役目、つまり「つなぎ役」を今強く意識しています。
まるで日本の縮図を見るような思いさえして、新しく開設される「介護施設」を祈るような思いで見つめています。

私は「誕生日」前後から、祈りはじめました。
多分、年齢的にみても「これが最後」のご奉公(仕事)となるでしょう。
だからお願いが一つあります、と神さまに条件を出しました。
二度とない肉体生活の締めくくりとして、私が踊るにふさわしい場所、つまり「ステージ」をください・・・、と。そこで私は「経験と心の限り」を尽くし、感謝の舞をご披露して終わりましょう。
働く場所が「その舞台」であり、私の日々の働く姿が、「舞」となって神様に奉納出来るように設定してください・・・、と。
私に「次」はありませんから、『そこ』だと分かるように、『ここ』だと分かるようにはっきりと教えて「二の舞」を踏まぬよう、最後の姿をご覧くださいませ・・・、と。

この年で社員はありえません。「パートのおばさんその一」でしかない私ですが、「最後(最期)」の覚悟は、多分私だけではないか・・・、と。
でもね、どうも健康であれば「なんぼでも」働けるような気配が漂い、ひょっとして「オリンピック」がくるまでいたりして~。もしそうだとしたら、私、自分で多分慌てると思いますよ。

1月20日から始まった「研修」も、やっと5日間過ぎただけでもう「ヘロヘロ」になりました。
若い人も、先の事を考えると眠れなくなって睡眠薬を飲んじゃう。すると次の日「講義」が始まると睡魔が襲い、船をこぎ始めるという悪循環。
「どうしたらいいんでしょう~」と私に聞いてくる。
さあ、何と答えたらいいんでしょう・・・。(私がいるんだから、気を大きく持って、とでも?)
きれいな顔とスタイルの良い「その人」は、左のうでに傷がたくさんありました。(リストカットの痕でなければいいのですが・・・)

さあ、あんなこんなで2月1日に「船出」をします。
こわーい反面、面白くもあり、楽しくもあり、心配満載で大波・荒波に向かいます。
研修の一つでもらった「オレンジ色のゴム腕輪」が、ようやく私の腕にいつもはめられているようになりました。(介護のサポートが出来るという証明です)
どんな「舞」が始まるのでしょう。分かっているのは「てんてこ舞」だってことくらいでしょうか。
「てんてこ舞」って、ご存じ?
そうなんです。神様が踊る「舞」の一つだとか・・・?。えっ、違ったかしら???。


行き帰りの電車の中でね、びっくりする事に遭遇します。
「そこどいて!!」と、駅員がホームを走ります。
急行を止めた「バカ者」がいたようです。踏切を通り抜けたようで・・・。
と、もう一つの踏切を、「警笛」を鳴らしっぱなしの電車が通り、急停車した。
「またかよぅ!」と、ホームで待たされている人の波が「悲鳴に近いため息」をつく。
もう早速「携帯」を取り出して、「電車が遅れますから~」なんて連絡を入れる人もいる。

電車の中では「化粧中」の女性が二人で座り、他人など目に入らないとばかりに、念入り化粧を比べあう。
「なんだとぉ!」と叫んだあとで「冗談いうんじゃない。今すぐにでも這ってでも来い!死んでも来い!」と喝を入れている社長らしき「おやじ」もいた。
くすくす笑いをしながら、若い者達がつぶやく。「死んでも来い!だって。来れるわけないじゃん・・・くくく」と。
これから私も、何年ぶりかで通勤の方々の仲間入りです。
何事もなきように、と祈りながらも諦めています。だって「この路線」は、人身事故多発地帯で有名なところですから~。


昨日TVで「ザ・タイガース」のライブを見ていました。
2013年12月。東京ドームの舞台でしょうか。
全員が集まった「またとない舞台」だったようです。
岸部四朗、一徳兄弟の互いに思い合う姿、またメンバーの熱い思いを込めた歌声を聞いて、遙か遠くにいったはずの時間が、また戻ってきた錯覚に襲われたのは、私だけではなかったでしょう。
ファンだったとか、そうでないとかではなく、「あのとき」という「同じ時間」を共有した同士、あるいは親戚のような気がして、懐かしく長時間の舞台を見たものです。
そして、しっかりと「彼ら」も同じく味わっている「老い」を、考えました。
人は必ず老いる。この鉄則、自然の摂理を私達は時々忘れています。
しかし、確実に忍び寄る老いという人の生を、これからは見据えて生きていかなければならない「お互い」になったことをむしろ喜び、ありがたく思っている今日このごろとなりました。
そして「日本」も一緒に歳をとっていく?のでしょうか・・・。
そして、その先は?・・・。
それこそが、このブログの本当の目的であり、意義でもあったのですね。

さてさて、神はどんな舞台を最後に私に与え、さらに私のどんな「舞」を見るおつもりでしょうか。
そして私は、どんな舞を踊って、どんな最後の舞台(ステージ)を神に奉納するのでしょうか・・・。

これから先、皆様もとくとご笑覧?(照覧)あれ。





「須磨寺」の思い出

2014年01月18日 | 心霊現象
「阪神淡路大震災」から19年経ったとニュースで流れ、時の速さを感じています。
あの地震さえなかったら、姉の義父はまだ元気で生きていたでしょうし、財産争いという最も醜い
親族の確執を見ることもなかったでしょう。
義父は即死ではなかったといいます。
仏壇がぶっ飛んできたという。そのはずみで自分も腰を打ち、動けなくなって後で助け出されたが、その後まもなく亡くなったと聞いています。
もう本当に、忘れてしまった方も多いことでしょうね。
19年といわれ、阪神淡路地震といっても、「そんなこともあったようだねぇ~」と、昔の話になっていくのです。

そのことと、「須磨寺」と何か繋がるの?と、言われたら・・・。
実はね、「あの日輪さん」(尼さま)のお手紙に書いてあったことを思い出しました。
震災後に、彼女が須磨寺や長田方面を歩いていると・・・。
もそもそと彼女の足元に霊が集まってくる。どこへ行っていいか分からない霊が、自分に助けを求めているんだと分かる。そんな時彼女は「陀羅尼」というお経を唱えたといいます。
自分がまず楽になった、と。
彼女はいつも言っています。
「あの世」を知らない者が多い日本の霊界は、迷い続ける霊達で満ちている、と。
人に頼めば楽になり、さらにお金の額によっては「よりいいところ」へ行けると、本当に思っているとしたら、日本の宗教者たちの大きな罪であり、いずれ罰が下るだろう、とも。
今こそ日本の魂の「本当の救済」をしなければ、取り返しがつかなくなる。と、彼女は警鐘を鳴らします。今年も元気でお暮しだと、お年賀を頂きました。御年89歳になられましょうか。


その須磨寺にね、私は昔二週間近く宿泊したことがあります。
「須磨寺」は宿屋ではありませんから、多分泊めることはないでしょうが。
ひょっとしたら「宿坊」があるかもしれません。
平家ゆかりだとも、「青葉の笛」があるとも「平敦盛」も何も知らないで、寺の境内で寝泊まりしていました。
それはね、神戸の市長選挙の時。ある教団での人選から、私も行くハメになり、「選挙運動員」の一人として「駆り出された」というわけです。
応援したのは、自民党推薦の「砂田氏」。国会議員「石井一氏」が選挙の総指揮をとる責任者でした。
昼間はポスター張り。夜は「ポスター剥がし」。えっ、おかしい。
いえいえ夜の闇にまぎれて剥がすのは、敵方?「共産党の公認」のポスター。
同じように「砂田氏」のポスターも剥がされる、という「いたちごっこ」をやって日が暮れていましたねぇ。若かったからいいようなもの。結果は砂田氏の負け。
いつの時代かは、お調べになれば分かるでしょうが・・・。(私も忘れて年数が出てきません)

その折に、「須磨寺」って何?ってなわけで、何も知らない私は時間のある時にあちらこちらを周ってみました。昔の時代がかった墓が多いのに驚きながらも、「青葉の笛」も「平家」も意識せずに、回ったり、触ったり、臭いをかいだり?・・・。
ふーん、面白い寺だことくらいにしか思っていませんでしたねぇ。
その時は霊がうようよしているなんて、思ってもみない・・・。
私は元気で選挙が終わるまですごせたのに・・・。
中には「頭痛」「吐き気」「だるさ」「不眠」などなど、今思えば「なるほど」という現象が起きていました。
「やる気がないからでしょ!」なんて上役は「喝を入れて」いましたけど、今思えばそんなことじゃない。可哀そうなことをしました。
警察につかまり、何枚も「始末書」を書かされ、「またあなたですかぁ。勝共さん、分かっていますがもういい加減にしてください。こっちだって捕まえたくないけど、仕事なんでね。たのみますよ~」と拝まれて帰ってきたりして・・・。
今は民主党で睨みをきかす?「石井一氏」。やはり年を取られましたねぇ。(お互い様ですが)


886年創建。真言宗の古刹。
源平一の谷の古戦場などなど。
やっとその、つまり「須磨寺」の輪郭がはっきりしてくると、身震いをしたくなる。
「あれ」は多分全部霊現象だったのだろう。
本尊に尻を向け、青葉の笛に足を向けて寝ていたことを思えば、いくら「偶像は礼拝してはならん」
という教えをうけていたとはいえ、ちょっとは謝りたくなるというものである。

神戸市、須磨寺近くに「かの教団」、つまり私が教えを受けた教団の地区本部の教会がある。
あの時、どうだったのか?・・・。「阪神淡路大震災」の時である。
風の便りだが、教会には亀裂がはいったものの、地割れは目の前で止まっていた、と。
「そこ」を避けるようにして「須磨寺」まで行ったらしい。「地割れ」も走る道を選ぶのか?・・・。
ちなみに、かの「須磨寺」は被害を受けたとニュースで報道されていた。
「手前味噌」の感を残して、だから神は我々を護ったと言わんばかりの狂信ぶりでもあるが、真実はどこにあるだろう・・・。


「須磨寺」といわれてすぐに思い出すのは、私には「選挙」であり、「泊まるところ」であり、「みんながどこかおかしくなった」という事でしょうか。
そして「地震」。
神戸市東灘区。ここが義父のビルがあったところでした。
もっとも被害の大きかったところでもあれば、義父の霊はいまどこでどうしていらっしゃるのでしょう。
私も遠い縁者のはしくれ。
心から皆様のご冥福を、お祈り申し上げます。
あの地震は、何のために起こったのでしょうか~。
私の耳にはいまだ「その訳」が、入ってきておりません。(知りたくもあり、知りたくもなし・・)


今なぜ「オーム真理教」なのか?

2014年01月17日 | 心霊現象
なぜか「オーム真理教」へ入る若者が、後を絶たないそうな。
知ってか知らずか、「彼ら」は何を求めて行くのだろうか・・・・。
年間200人もの若者が入るとなれば、「それ」は一つの社会現象であり、今後を憂いる人も多いはずである。
あの「オーム」へ、なぜ、と私達は思う。
そこが違うのだ。彼らにとっては「あの」は無い。
まっさらの「新しい教団」か、新鮮な「サークル活動」がそこに待っている、という感覚でしかない。まず、オーム真理教の名を知らないか、過去何があったか(何をやったか)を知らない者が自由に出入りできる「開かれた門」の一つでしかない。
「そこ」が過去性を持つ、犯罪の組織であった「ところ」だなど、知らないのだ。
もちろん親とて「子どもが何を求めたか」など、知ろうともしないだろう。
まさか「その行く先」が、あのオームだったとも・・・。


時は黙って過ぎていく。しかし確実に実りをもって今に至ったのだ。
教祖『あさはらしょうこう』と名乗った「男」の子供が、20歳を過ぎた。
長女は現在24歳になるという。
その彼女がTVのインタビューに答える。今すぐ「解散」するべきである、と。
しかし、残党は、名前を変え、組織を代えてあきらかに「教え」を広めている。
長男は21歳になった。本来ならば「その長男」が跡を継ぐ者となる。
今後どうなるかを問われて、長女は「わからない」と答える。
再び何を企み、やらかすかなど、環境をかえた長女には分からないし、「あずかり知らぬ事」だろう。

TVのニュース番組では、今後次々に裁かれるオーム関連の裁判の行方を追いながら、今後の日本を占うような警鐘を鳴らし始めた。
一つの教団が『世襲』を行い、継承されはじめて行くとき、彼らの目的は「血統を重んじる」ということになる。教えなければならない「その教え」と血統に何のつながりをもたせるというのか?。
新たに道場に集まる若者たちは、昔事件のさ中、何度も映像に映し出された「訓練模様」と同じ様子で、学びの一端を私達に見せる。
彼ら、つまり「あさはら」を中心とした「グル」とその仲間たちは、日本の転覆を計ったのだ。
天皇の「ポア」(殺人)から皇室の廃絶。政府機関の構造改革。必要のない人間の殺人。
靖国はいうにおよばず、伊勢も出雲もいらないのだ。
日本の日ノ本の歴史に、取って代わろうという「もの」に、国は「犯罪に手を染めた者たちの逮捕」のみをもって、幕を引いた。
「残党狩り」は行われず、今ようやく「その息を吹き返した時より大きなもの」で、現在を見据えている。・・・としたら、何と自由三昧な、無法の国であろうか。

ただ、日本の若者はじめ、総国民がある意味「骨抜き」になっている現状をみれば、ま、なんてことないかもしれない。・・・が、場合によっては「これから」上へ下への大騒ぎが始まるかもしれない。
日本の「世襲制度」がいろんな所に残っているが、これが善と出るか、悪と出るか。
はたまた「丁」と出るか、「反」と出るか。そして「凶」と出るか「吉」と出るか~。
「あの時」日本が、バクチまがいに賭けたその行動に対しての「答え」が、そろそろ出る頃でもある。
そういう意味からも「時は不気味にも、静かに今日まで確実に実りをもって刻み続けてきたようだ」と、言い切れる。


さあ、さあ、お立合い!。と、芝居ならこうなるところですが、現実の、それも時間をかけた結果(答え)が出る時を迎えた「今」、しばし「日本」という舞台で、何が始まるかを見届けるしかありますまい。
革命の狼煙(のろし)を上げた者たちは、積年の思いがあればこそ「全う」せずにはいないでしょう。
「その教え」は、本当にあの「神」の願いであり、人類を希望と真実の輝きに導くものなのでしょうか・・・。答えは「否」。
この世に「いらない人間」を、殺す?。これをもってしても、全く愚かな、的外れな、自分勝手な論理ではないでしょうか・・・。せめて『天上天下唯我独尊』に徹しても、そうはならないことくらい、分かりそうなものを・・・。
何が彼らを、そうまでにして「狂わせる」のでしょうか?・・・。

まさか、人が「宙に浮く」だけで、そこに集まったとでも?。
神は人が宙に浮くようには造られてはおりません。人は鳥ではないんですから。
しかし、それらしく移動出来る能力は持っているように、アイディアいっぱいの想像力(創造力)にはいとめをつけずに、与えておられます。
ここにある「宇宙すべてを素材として」、住みよい地球を作れ!とは言われましたが・・・。
アダムとイブは、その創造力を生かして、神に代わって「この世」を治めるのが使命だったと、ま、こうなりますか・・・。

もし、どんな団体でも組織でも、教祖や会長や社長が「殺人」を是としたら、とっとと逃げ出さなければなりません。それさえも出来なくなるほど「マインドコントロール」が染みついていたら、もう「魔界」にがんじがらめにされて、いつか来る「自分の死」を待つしかなくなるでしょうね。
「逃げるが勝ち!」。
自分で入ったところなら、自分で出てくるのも勝手でしょう。
それさえも出来ず、「闇に葬られる」というのであれば、全員を救うために「あなたの命」を犠牲にしてでも、声をあげて「正義」を叫んでいただきたいものです。


この世は今、正と邪の引っ張り合いと思召せ。
それは巧みにも、あなたの心に巣を食う「魔」に向けて、一本釣りを企てています。
「一丁上がり~」と、彼らを喜ばせてはいけません。
親も教師も政治家も宗教家も、じいさまもばあさまも、姉ちゃんも兄ちゃんも、みんなで目くばせし、滞りなく周りを護っていくような世の中を希望しつつ、お祈りいたします。
求めた「動機」に見合ったものが、与えられるという鉄則も、また忘れてはならないことです・・・。

あの時「幕を引いた」その動機は、何だったのでしょうか?・・・。
その答えが、これから「日本」に与えられるのです。はい・・・。(怖!)





「谷を渡る鶯のように春を告げよ!」

2014年01月16日 | 心霊現象
前に書いたかもしれない。
が、はっきりと思い出せない。
「もう一度」書いてみました。もしダブッてしまったら、お許しを。


まだ、雪が残る春の始まり。
太陽のぬくもりが、それを伝えている。谷を渡る風だけが冷く、汗ばむ肌にはむしろ心地いい。
雪解けのぬかるみを、おぼつかない足取りで、誰かが私の前を歩いて行く。
一人でどこへいくのだろうか・・・。
「あっ、滑ってこけちゃった!。大丈夫ですかぁ」、と走り出しながら、そういう私も足をとられて尻もちをつく。
追いついて手を差し伸べると、あれ!、尼様じゃないの・・・。
なんでこんな村はずれを、尼様一人が行きなさるんだ?。
それも若い尼様がさぁ。
「立てますか?」と心配そうに聞く私に、尼様はにっこり笑って「大丈夫、どうぞ先へいって」と手で合図する。
「では、先へいきます。お気をつけられて・・・」と行こうとする私を手招きし、尼様はこう言った。
それが「これ」。『谷を渡る鶯(うぐいす)のように、春を告げよ!』・・・と。
「えっ、なに、何、なに?・・・」、謎めいた言葉だけが残って・・・。
そして、目の前から全てが消えた。


夢?。夢だったのか・・・。夢だったのだ。
しばらく私は、寝たままの姿勢でじーっとしていた。
今の言葉の意味を、何度も何度も繰り返しながら、考えた。
いったい尼様は、私に何をせよとおっしゃるのか・・・?。
この私に鶯になって飛べということではない。春を告げるために「鳴け」ということでもない。
鶯が春を告げるように、わたしにも「春」を告げよと、言っているのだ。
春、はる、ハルねぇ~。四季の春でもあり、そして人類の春でもある?。それは何だ・・・。
そしてとうとう思い当たったところが、「人類歴史、つまり人類に春がきたことを声高らかに告げよ!」という意味だと読み取った。


人類の春とは、何を言うか・・・。
救いであり、末法の世であり、終末であり、メシア降臨の時だ。
生きた観音がこの世に現れ、真人が現れ、この世の春がくる。
人にとって暗い闇が晴れ、明るい希望の世が来る。これぞまさしく「人類歴史の黎明を告げる春の時」。
その春の到来の前に、何かの兆しを見るはずだ。
それが何か?・・・。
星が動き、鳥が鳴く。雲がわき、風が走る。雷が轟き、稲妻が光る青嵐の時。
何かの訪れが、「時」を告げる。
時は今。太鼓も自ら鳴り出すかもしれない。
しかし、一方ではこうも言われている。
「それは盗人のようにやってくる」とも。
皆が寝静まった夜、音もなく忍び寄る・・・と。それはまるで「盗人」のように・・・。

さあ、どっちにせよ、「私」は夢で、尼様が鶯のように鳴いて告げよ!と、音をたてる方を選んでくれた。抜き足、さし足、忍び足ではなく、ばたばたと音をたて告げよ、ということだ。
羽ばたき、時を告げ、鶏(にわとり)が鳴くように告げればいいのだ。
「朝がきたぁ」と言う代わりに、「人類の春がきたぁ~」と言えばいいのだ。
静かにそーと、というより、「賑やか」が私的には合っている。

そして飛び回って、駆けまわって、一つの教団と教えのままに青春を駆け抜けた。
今静かに顧(かえり)みれば、はるか昔のような気がする。
何がどう変わったのか。人類歴史の黎明の兆しは、見えたのか・・・。
あれだけの若者の活動は、音もなく消え、姿さえ今は現さない。
日本における「それ」、つまり黎明の兆しは、どこへ移行したのだろうか~。


夢は時々不条理である。
一方的に来て、去っていく。
さらに追っかけても、同じ現場、同じ人に会えるわけでもない。
夢は「その時」「その人」に、「それ」を伝えるためにあるようだ。
それを地上人がやらなければ、三度はあるだろうが、その後を気にしたことがない私は、夢の原理がいまだ分からない。
年をとって増々夢見がちになったかといえば、その逆である。
夢を見ても、起きたらもう忘れている。
つまり「夢」が私にとってはもう、「答え」や「示唆」が示される手段としては終わったことになる。

「もう自分で考えて、おやりなさい」という意味にもとれるが、しかしどうなんだろうう。
今でも怖いのが「ショック療法」である。
最初は「命」にかかわった。が、かろうじて生きることから出発を許された。
次は、人生のポイントの切り替えが待っていた。全く違う人生を生きるハメになる、というショックだ。
そして次は何だ?。
今度こそ「違う世界」への招待だったりして、つまり「あの世」・・・。

「もういいかーい」「まーだだよぅ」、は前のこと。
「もう、いいかーい」「もういいよぅ・・・」と、死神に答えて今を生きている私は・・・、

言わなきゃよかった!、と少し慌てている日々でございます。


蛇足を一つ。
「鶯」が鳴き方を覚えていくのを、ご存じですか?。
最初はね、鳴けません。「ほー、ほけっ」ってくらいで、しばらく何度か鳴いてみて「それ」をマスターしたら次へすすみます。
「けきょ」を連発して練習し、それを全部繋ぎ合わせて、「ほー、ほけきょ!」。
鳴けましたぁ。それからは嬉しそうに鳴く事、鳴く事。
「うるさい!」と言いたくなるくらい、鳴き続けます。
ようやく一人前になったのですね。(彼らに、成人ならぬ「成鳥」って日が来るのは鳴けたときなのでしょうかねぇ)
姉が住む「千葉の田舎」にて観察しましたので、確かなことです。
春を告げる「鶯」も、鳴く練習をしながら「時」を待つのも自然というか、神のなせるものでありましょうね。





国際養子縁組の日本の実態

2014年01月15日 | 心霊現象
今、一人の女の子が「海外」へ渡ろうとしていた。
日本人である。が、もうすぐ養子縁組によって、国籍は「アメリカ人」となる。
「親」は育てられない、という理由で養子縁組を希望した。日本女性、シングルマザーである。
生まれてまもなく、「病気もち」の子だと分かった。
日本人は誰も希望しなかった。一組のアメリカ人夫婦が、「それでも、いい」と名乗り出た。
「生まれてまもない彼女」は、こうして「国際養子縁組」をする組織の計らいでアメリカへと渡っていった。
年間30人、「生まれてまもない子供」が、アメリカへ渡っていくという。


TVの報道であるが、それを見ていて「えっ!」と思ったのは、私だけではないだろう・・・。
だって、日本には「乳児院(園)」もあるし、養護施設もある。
里親制度だってあるし、国の福祉施設もあるだろうに、「なぜ?」と。
いわゆる「東南アジア地域」でいう「人身売買」ではなさそうだ。だから「いい」とは言わないが、なぜこんなことが「日本」に起こりえるのかが、解せない私でもあった。
今日本はそんな実態になっているなど、知らない人も多いだろう。
年間30人として、10年で300人だ。世界へ向けては、はたしてどれくらいの人数が日本を出ていくのだろうか・・・。
BC3000年に、日本人の人口が「ゼロ」と弾き出した「調査機関」は、この現象を見据えてのことだったのか?・・・。
親が「育てられない」とばかりに、即「国際養子縁組」の組織へと子供を渡すというのだろうか。
その前に「国の機関」が、何も介入しないのだろうか。
親から組織へ、そして「海外の里親」へと、いとも簡単に事がすまされていく・・・?。


しかし、ようやくここへきて「待った!」がかかったようだ。
国会議員「野田聖子氏」をはじめとする議員団が、検討をはじめたという。
ことによったら、「犯罪」になると・・・。
議員団と「養子縁組組織」の話し合いはもたれたようだが、問題は多々あるようだ。
なによりも、日本人は「病気もち」の子供は、預かり手がない。
五体満足、見た目もよく、頭のよさそうな子・・・、これが養子縁組の条件らしい。
しかし「海外の里親」は、違う。生まれながらの「ダウン症の子供」でも喜んで養子にして育てる。
いや、「だから育てたい!」、これが彼らの動機であり、生き方でもあった。
もし日本人の中だけで「養子縁組」を探せば、必ず「無理な子」がいる。
それでも、という親をみつけて「世界」へと渡らせてあげるのが、なぜ悪いのか、とむしろ議員に食って掛かる組織関係者。
日本に住む外国の女性は、そのダウン症の男の子を養子縁組して、育てていこうとしている。
「彼の成長の一つ一つが、自分に喜びや『人の幸せ』とは何かを教えてくれる」と満足そうに話す。

日本人は自分で産みながら「捨て」、外国の人はそれを育てて恵みを受ける、というのか。
寒い、実に寒い日本である。
今日の寒さを言うのではない。心の寒さ、を言うのである。
そうだ。過去日本を訪れた「マザー・テレサ」が言っていた。
『日本は世界で一番貧しい国だ』と。
あのバブル期、最も富み、飽食の時代とさわがれた「さ中」に来日した彼女がみたものは・・・。
彼女の目には、「世界で一番貧しい国」に見えたのだ、この日本がである。
しかし誰も気にさえしなかった。(この尼、何言ってやがる!・・・ってくらいのものだったろう)



マザー・テレサの目は、そしてその心は、少なくとも「我々」よりは「神」に近い。
その目が、その心が「日本人は貧しい」と言うのだ。
それも「世界で一番、貧しい」と。

国は「道徳」を教えようと、腰を上げかけた。
しかし賛否両論があり、また「かまびすしく」なった。
「道徳」って何?、というわけである。
再び「二宮尊徳」の銅像をかざり、その教えを説けとでもいうのか~。
ならば、何を始めたらいいの?・・・、誰も答えない。
多分誰も言わない事がある。決して誰も言わないだろう。
それは「宗教」だ。日本人の宗教嫌い、あるいはアレルギーは、ここまできたようだ。
「あの世」の毛沢東が言っているではないか。
「宗教」を捨て、靖国を捨て、そのくせ第九条を固辞する「日本人」は、牙を抜かれた虎のようなものだと。
『ちっとも、怖くないよぅ~』と。



宗教がお嫌いな皆様へ。
宇宙の真理は何かと問えば・・・。
「神と人間が親子であることだ」と答えが返ってくるという。
逆を言えば、親と子が正されない者に、家に、国に、「神」が分かるわけがない、となる。
そのダンから言えば「日本」は、アマゾンの僻地に住む少数民族や、アフリカの山奥に住む民族で「親と子をしっかり教える部族」よりも、神からは遠い民族となる。

親子、家族、絆・・・、守られるべきはずの「日本の根底にあった魂」が、おぼつかなくなってきている。