霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「あの世」から聞こえるもの  2

2012年02月29日 | 心霊現象
 スミマセン、今整理しますから・・。
 そう言って講師は一息いれてから、このように説明した。

 「今わたしにいきなり入り込んできたのは、天使・ミカエルです。
  わたしが仕事中であることと、仲介する者がいなかったので、帰るといって帰りました。
  ここでの言葉は、日本語でやってくださいと、お願いして、あ、い、う、え、お・・と、教え
  簡単な単語をいくつか教えました。
  彼(天使ミカエルは男性格)は、わかったと言って去りました。また来るときは、日本語でメッ  セージを伝えますから、その時はみなさん、黙ってメモされるといいでしょう」

 だって・・・。



三、私の夢(霊界の音楽)

 再び、私の夢から。
 今回は、聞こえるものとしましたから、言葉とか音楽になってしまいましたが、
 笑い声だって、泣き声だってそうです。でも、まあ気持ちのいいものを、今回は取り上げて
 います。
 耳には聞くことは出来ないが、「匂い」(かおり)も、あの世のものがあます。
 今回は、それにはふれないで。

 「身も心も溶ける」という言葉がある。
 どんな時使うんだろう、と思っていた。
 皆様は経験しましたか? それは、どんな時でしたか?

 「身も心も溶ける」あるいは、「とろける」とは、この事を言うのだろう。
 私は夢の中で、そう思っていた。
 いきなり宙に浮く自分をみて、「夢」かと、夢の中で思っていたようだ。
 目の前を誰かが、泳いで行く。
 いや、水の中ではないから、空中を泳いで?移動しているようだ。
 そうか、私は宙に浮かぶと同時に、泳げるんだ。飛天や、天使のように、どこへでも
 行けるらしい。しかし今は、目の前を泳ぐ「案内人」について行くしかないようだ。
 時々その案内人は、後ろから行く私を見て待ってくれる。
 「来れるの?大丈夫?」と言葉はかけないが、気遣うのがわかった。
 行く先は、あっちの方とばかりに、その案内人は杖で指し示す。
 あっ、その杖は。見たことがある。
 絵本で見たか子供の頃の童話、「アンデルセン」か「イソップ物語」のようなものだ。
 そこにでてくる「妖精」が持っている、あの「お星さま」が先っぽについた「杖」、それと
 そっくりの杖で、行く先を教えた。「あっちよ」と。
 案内人はよく見ると、「妖精」だ。花柄模様の洋服。それも、足の「くるぶし」まで長い
 ワンピースだ。ふーん、妖精っているんだ・・・。
 彼女(女の子だった)には、羽はなかった。しかし、上手に宙を進む。スイスイ進む。
 私は遅い。実際水泳は苦手だった。(カナズチに近い)
 足はバタ足、手は平泳ぎで、宙をかく。すると、少しは前に進んだ。
 慣れていないから、仕方がない。

 その移動中に聞こえてきたのが、音楽だ。それも「身も心もとろける」という表現がぴったりの
 荘厳で美しい音楽。その中に「はげまし」もある。「癒し」もある。「希望」「夢」「あこがれ」
 もう何でもいい、それが混然一体となって、心に沁(し)みわたる。
 いや、正しく表現すれば、私の心がその音楽の方へ向かって、溶け出している・・とでも言おうか
 。この世では、音楽を耳から聞いて、心に沁みわたるが、あの世では、その「音楽」に自らの心が
 誘われて、それに向かって溶け出していく。それに向かって流れ出していくのだ。
 これはもう、この世の感覚ではない。実に不思議というか、言い表し難いものである。
 
 私はすぐに、その音階を楽譜にしょうと試みた。なぜか?
 こんな「とろける音楽」、地上で聞いたら、みんな飛びつくだろう、という商売根性が芽生えた。
 音楽はまだ続いていた。全霊界が会堂だ。音響効果バッチリの大会堂だ。
 記録する「もの」を持たない私は、「心」という記憶装置にこの譜面の全部を写したつもりだっ 
 た。また妖精が振り返る。「今行くから~」私は急いで後を追った。

 「朝だよ!」起こされて夢から覚めた。
 誰もいない。人が起こしたわけではないのか・・・。
 と、その瞬間、無惨にもあの音階は消えた。頭にも、心にもなかった。
 ただ、「とろける」ような音楽を聞いた、という記憶だけは、今も思い出す。
 特徴をあげるとすれば、音符が上から下へと激しく移動し(抑揚し)、その度ごとに波打つような
 うねるような心の高まりが、文字どおり「気を失いかける」までの心地よさで、心という形のない
 ものが、「音」に向かって放出されていくのだけは、今もはっきりと覚えている。

 それを聞けただけでも、幸せだったかもしれない。

 過去に、それを成し遂げた巨匠たちに拝礼する。
 よくぞあの世のものを、地上へと持ち帰ってきてくださったと。
 「ベートーベン」しかり、「バッハ」しかり、「ヨハン・シュトラウス」しかりだ。
 日本だって「春の海」「さくら」「荒城の月」、いっぱいある。
 あの世とまでは言わないが、人の心を、あるいは日本の心を伝えるにふさわしい楽曲が、もし
 これから先、廃(すた)れていくとしたら、「天界」からの宝物を民族自ら葬り去ることに
 なりはしないかと、畏れる次第です。
 それは、音楽に限らず、「言葉」もそうだ。「食べ物」もそうだ。
 「立ち振る舞い」もそうだ。古臭いのではない。その持っている「価値」に気がつかないだけであ る。全て、日本の風土と人の心が育んだ、天からの贈り物だ。
 一代や、二代で失ってはいけない。
 天運の証(あかし)を、大きくこそすれ、小さくまた、滅ぼして後孫に渡しては、我々は彼らに会 わせる顔がない。
 

「あの世」から聞こえるもの  1

2012年02月29日 | 心霊現象
一、音楽

 何年か前、モーツアルトの生誕200年(間違ったか?)とかいって、その映画が日本中に放映
 された。「いい映画」だからと子供たちには親や教師が、進んで見せたものだった。
 私もそれを見た一人であるが、その映画には強烈な印象が残った。
 映像的な手法などという高度なものはわからないが、モーツアルトその人に対してである。
 
 まだ5、6歳の「モーツアルト」は、その頃からもう「神童」と呼ばれていた。
 彼のピアノの技能はもちろんのこと、その作曲、作風においてである。
 
 夜中になると、彼は飛び起きた。
 「ママー、聞こえる~、聞こえるんだよ~」
 そう叫びながら寝室からピアノまで、駆け降りた。映画では、階段の下にピアノが置いてあった。
 そのピアノに向かうと、彼は今聞こえてきたメロディーを、弾きはじめた。
 時々譜面に向かって、音符を書き入れた。
 「神童」をもつ親は、最初はびっくりしたものの、「またか・・」という面持ちで部屋から
 覗くが、また眠ってしまう。
 彼のあの荘厳(そうごん)なる楽曲は、このようにして生まれたのだ。と、映画では説明
 する。

 多分それは、人間の域(技)を越えていたのだろう。
 ましてや5、6歳の子供(ガキ、失礼)が作れる「代物」ではなかった。
 神がかり、つまり「あの世」から聞こえてくる音楽を、地上に紹介した彼は、当時
 「著作権」などというケチなことをいう時代ではなかったこともあり、「神童」として一生を
 貫くことが出来たと伺える。
 その楽曲が、本当に「あの世」のもの、それも「神」から来たのであるかどうかは、聞けば
 分かる。いや、分かると信じたい。
 「クラシックは、どうもね・・・」という方も、人間であれば必ず分かる、そういう部分で
 成り立ったものこそが、「神」あるいは「天界」を地上と結びつけることを可能にしている。
 「人間」というだけで、誰でも分かるもの、それが「あの世」からの音楽(楽曲)である。
 それも不思議な余韻を残しながら、人を荘厳な世界へと誘(いざな)ってくれる。


 そんな事があの時代、モーツアルトだから出来たのだろうか?
 そうだともいえる。が、あながちそうでもない。
 現代、今の時代に、この私が目にした似たような現象が、確かにあった。
 ある部屋での事だ。
 一時私が通った「勉強会」。内容は「聖書」。
 生徒の一人がいきなり立ち上がった。勉強はまだ真っ最中だ。
 その女性は、いままで私が聞いたことのない歌(讃美歌?)を歌った。
 講師はあわてず、止めさせることもせずに、「黙って聞こう」という合図をした。
 その女性が歌い終わると、講師はこう言った。「あの世」から聞こえてきたのでしょう・・・と。
 初めてのことで私はびっくりしたが、いとも簡単に言う講師をみて、「ああ、日常茶飯事の事
 らしい」と、認識した。
 
 多分、モーツアルトもこの女性も、「おかしくなった」訳ではない。
 それどころか、「神」のものが聞こえる程の、それこそ「先祖の功労」をもっているのだろう。
 人間の技を越えた「神の領域」、この部分を地上界に下ろしてくれる人がいる事は、人類歴史にお いての宝だと思いたい。そして私たちは、今もその恩恵にあずかっている。



二、言葉

 あの世から来る「言葉」は、集めたらきりがない。
 世を騒がす「ニセ霊能者」の言葉もそうだというのならば、気が遠くなるほどある。
 エデンの園から始まって、言葉によっての間違いは山ほどある。
 しかしまた神へ戻る方法も「言葉」だ。言葉で失敗したら、言葉で元返すのが、道理である。

 これからご紹介するのは、「あの世」から来る言葉ではあったが、ちょっとその出所(?)が
 変わっていたということである。
 いままで書いた、ブログの中身も、「あの世」からの言葉には何ら変わりはないが。

 これも同じく勉強中の部屋での事。
 今度は「講師」に何かが起こった。
 女性であったその講師は、もちろん日本語で説明をしながら、黒板にいろいろと、書き込んで
 いた。その講師は、いきなり男性の声に変わり、日本語がどこか外国の言葉になった。
 「○x▽▼、~?*■#&×」
 いったい何事かと、教室は浮足立った。一人は廊下へ逃げ出した。そして一人が他の先生を
 呼びに走った。
 私は聞いたことのない(なじみのない)言葉を分析していた。何語か・・・と。
 はっきりしていることは、英語ではない。フランス語でもない。ドイツ語?中国、韓国?
 そのいずれでもなかった。
 たった一つ、どこかでかすかに音楽とともに流れてきた「言葉」を、思い出していた。
 それは、皆さまもご覧になったでしょう。今となっては古い映画、あの「サウンド・オブ・ミュー
 ジック」のバックにかすかに流れていた「讃美歌」の歌詞(言葉)が、それらしい、と。
 それは、多分「ヘブライ語」?  ん? 待てよ・・・。

 講師はさんざん喋ると、一人二役を見せ始めた。(面白い!拍手したいくらいだ)

 「ちょっと、待って。待って!
  ゆっくりと。あわてないで。今日本語を教えるから。
  あ、い、う、え、お。
  これは、りんごです。 これはコップです。 これは手です。私は先生です」

 『あ、わかった。わかった。あ、い、う、え、お。
  いんご? あ、りんごね。かお。ミカエル、ゴーホーム!』


<次へつづく>



 

ここだけの話「松山 真一氏」のこと  2

2012年02月28日 | 心霊現象
いくら「名代(みょうだい)」といっても、住む世界が違う面々だ。
「普通でいいんですよね?」と私は、出かける前に社長に聞いた。
「いいよ」と簡単に返事がきた。
わたしの聞いた内容は、はっきりとは言わないまでも、「しきたり」があるのかを、暗に聞いている。たとえば、仁義をきるとか、名刺を出すとか(私は名刺がない)、最初は誰に行くかとか・・。
なにせ、世界の違う所へ、初めて行くのだから・・・。
しかし、社長の認識は違った。「仲良し」の一人を訪ねるくらいの軽い思いで、私を向かわせて
いるのだ。だから、普通でいいのだ。「なら、いいや」と、気を軽くして向かった。

ここでもまた、「めくら蛇におじず」の言葉どうり、普通にふるまった。
「あら、総長さん!」とまではいかないが、昔からの知り合いのように、垣根を越えておしゃべり
をした。
何の垣根か? まず、民族の垣根。そして「極道」と「一般人」の垣根。「男」と「女」の垣根
等々である。
「松山 真一」。小柄な初老のおじさんである。笑い顔は、特に目がやさしそうだ。
しかし、顔の左ほほにざっくりと刻まれた「刀キズ」は、「ヤクザ」そのものの人生を物語って
いた。
ビルの最上階に位置する、その「ドンの部屋」は、風のよく入る広い部屋だった。
ガラス張りの大きなケースには、日本の武将が身につけた「鎧兜」が、威厳を放って大事そうに
置かれていた。それを背にするようにドンは座り、私はその左横へちょこんと座った。
座布団もそのように置かれていたからだ。私は預かってきた「お中元」の品を渡した。

「アボジ、元気か?」「はい」
「テグ(大邱)へ、いつ行くって言ってた?」「○月〇日の予定だと聞いてますけど」
「そう、奥さん一緒に行く?」「いえ、多分別々かと・・」
「そうだねぇ、あんな稼業だと、一緒に飛行機、乗れないよな~」(よくおわかりになる)

金貸しは、特に夫婦(個人経営)でやっているものは、万が一飛行機が落ちたことを想定して、
別々の飛行機に乗る。同時に死なないためである。
松山氏は、別の意味で聞いていたことを、私は知っている。
(あの、おっかないかあちゃん、一緒じゃ、たまんないぞ。大邱へ着いても、遊びひとつ出来やしない)・・・という意味だ。
中年の「ワル二人」は、実際どうしょうもない「遊び人」でもあった。

「あんたも、これ食べる?」と、目の前の皿を指さす、ドン。
皿の中は、甘納豆、柿のたね、ピーナツ、でん六豆などが、いっぱい入っていた。
「総長のおやつですか?」と言いながら、私も皿に手を突っ込んで「いただきます」と、豆をつまみ上げた。
「どう?アボジは?」「はい、やさしい、いい人ですよ」
「そうかね・・・」(私はそうとしか言いようがないではないか)

さて、甘納豆も、豆もいただいた。長居をしないようにと、気を使って帰ろうとすると・・・
「話があるよ・・・」と。(おっと、返してくれないのか~)
周りは、気をつかってか、誰もいない。
広い部屋に「極道のドン」と私だけだ。(ひょっとして、組への勧誘か?それはあるまい)
アボジの手前、へたな事は、「ドン」といえども、出来るわけがない。
私の計算は、そのところで、「安心」をはじき出していた。
「あんたさぁ、家田荘子(いえだそうこ)って、知ってるかい?」
「あの物書きの?」と、私が問う。「そうだよ、あの人だよ。名刺もらったから、待って・・」
「ドン」はゴソゴソと机の中を探していたが、名刺を私の目の前に置いた。
『家田 荘子』と書いてある。
「この人、日参して来るのよ。私の半生記を、書かせろってさ」
『家田 荘子』。そう、あの「極道の妻たち」を書いた作家だ、間違いない。
有名な作家じゃないか。そうか、松山 真一「極東」のドンに、その半生記を書こうと、了解を得に
連日来ているのか。それを何で私に・・・?
しばらくして、「あんた・・書く?」(はあ?どういう意味だ?)
その意味は、あんたが書くんなら、あんたが書いてもいいよ、という意味以外になかった。

私は「はい!」と答えていた。
「じゃ、断るからね、家田 荘子を。これで、付け回されずにすむ。
 うるさいんだよ、実にね。でも、熱心さは買わないと・・・」

右手に持っているお返し(アボジへの)の、「三原堂の塩せんべい」がうらめしかった。
何で、はい・・・と。このバカが、どうする気よ。しかし、あとのまつりだ。
あの家田 荘子を断るからと、私に念押しまでして「ドン」は、自分の過去のすべてを、こんな
私に預けようとしている。
それからの私は、あわてた。しかし、考えようによっては「極東」のドン、「松山 真一」を本当に
知るには、いいチャンスだ。そう思いはじめた。
ドンの右腕のような人のところへ行って、資料をもらった。
いくつかの「関所」はあったが、一応スイスイと。門外不出の「資料」を手に入れて帰ってきた。
いわば、「極東の秘密文書」だ。
今後、へたすりゃ、私といえども指の一本や二本どうなるか・・・。その時ようやく震えがきた。

その後、ドンから電話がきた。
簡単な取材のようなものだが、時間がない人だけに、聞きたいことは、もっと「人間」として
深く切り込みたかった。
その後霊能者k氏に聞いた。松山 真一の守護霊とか、面白く書けないものか・・と。
本名は韓国名○○、生年月日等々。
しばらくして気がついた。私の「作文(原稿)」を、どこの出版社に持って行くかだった。
行き場のない原稿をいくら書いても、「本」にならなければ意味がない。そのための「半生記」だ。
無名で、貧乏な私の唯一のつては、「霊界の門」を出版してくれた、あの所だけだ。
早速、その件を出版社の社長に持ち出した。

この社長とは、その前にある「いきさつ」がある。
「霊界の門」のその後だ。私が二冊目の本を出したいと切り出したとき、こう言われたのだ。
「売れない本はやはりね~。一冊目が売れていれば、二冊目も出せただろうけど・・・」
と、結局私は、二冊目の本のつもりで、このブログを書いている、といういきさつです。
「社長、売れることは、売れるに決まっていますよ。何たって、極東のドンの半生記ですから・・」
と、私は先に言ってしまおうと、畳み込んだ。
社長の顔が曇っていく。(あら、売れる本だと、私言ったよね・・?なぜ)
「うちはね、健全な出版社だからね。健全を売り物にしている。だからヤクザの本はちょっとね・・・」
と、私は「健全」の前に負けてしまった。そう、「極道」は、どこから見ても、健全ではなかった
のだ。
そして、私の「行く先のない作文(原稿)」は、そのまま「幻」となって、消えた。

そして「ドン」松山 真一氏も、もうこの世の人ではない。
もう一人の「わるオヤジ」も、あの世にいる。
日本も、ヤクザの世界も「世代交代」が始まっている。
そんな事を知っている私も、世代交代の波の中にいる。
ここだけの話で、何が言いたいか?
そうだ、一つだけ。
「ヤクザ」とか「極道」とかいう看板を背負ってきた氏に、「なぜ、ヤクザだったのか」を聞いた
ことがある。

 『あの当時、韓国人が日本へ来て、上に登ろうと思ったら、自分はヤクザしかなかったよ。
  三浦のおやじさん(三浦組のドン)に可愛がられたことも幸いしたが。
  ぼくの思いは、人をいじめたり、女を犠牲にすることは道ではなかった。
  ハジキもね。麻薬もそうだ。それ以外のことで、「極道」が貫けるかを探していたといえば、
  いい子になりすぎかな~』

しみじみ語る、今は亡き「ドン」の話である。

たら、ればの話を是非させてほしい。
もし、私があそこで、安請け合いをしなければ、間違いなく「ドン・松山 真一」の半生記は、
家田 荘子によって、世に出たはずである。


その後、私に追ってがかかているという話も聞かない。
私の指は、ちゃんと十本ついている。
「ドン」の背後(霊界)を探ることも、途中挫折した。
氏との約束で一つ守った事がある。
氏が高齢になって、動かれなくなっても、私にまかせろと言って「介護」の資格をとった。
その時の氏のなんとうれしそうな声。(電話の向こうで、しみじみとつぶやく・・・うれしいよ~と)
氏が亡くなった今も、その「資格」だけは、私の脇に置いてある。
「約束」と「思い出」のきらめきで、光りながら。

 

ここだけの話「松山 真一氏」のこと  1

2012年02月28日 | 心霊現象
今日はまた、皆さまの知らない世界の話をいたしましょう。
これも、あの世の話ではありません。
「あの」松山 真一氏」の事です。もう故人になっておられますから、実名で。
皆様、この名前は、知ってますか?
知らない人が多いでしょうね。(ある意味、そのほうがホットします)

日本名「松山 真一」。泣く子も黙るヤクザの親分だ。「山口組」とよく抗争のあった、「極東」
のドンである。彼ら組の者(子分)は「総長」と呼んでいる。
東京、池袋界隈を中心に「仕切る」、極道の組長だ。
本人が「ヤクザ」といわれることを気にする(嫌う)ので、彼を「極道」と呼ぶことにしている。


ことの始まりは、私が一時席を置いた「町場の金貸し」の電話番からだった。
どこから見ても「ヤクザ」としか見えない一人の老人が、貸金の社長だった。
二人(松山氏と貸金の社長)は在日韓国人、お互いに「大邱」(てぐ)が故郷だった。
私も最初から「町金」の電話番をしたわけではない。
職安、今でいう「ハローワーク」の紹介で、一つの工務店に就職した。
その会社が、だんだん経営がおかしくなっていった。
「取り立て」が多くなってきた。
『ここはもう、あかん!来月からの給料なんか、出ないんとちゃうか?』と、大阪弁の職人が私に耳打ちをする。そのうち、一人、二人と職人が出てこなくなった。
工務店の社長は、「そんなことは、ない」と言ってはみたものの、二、三日会社へ戻らなくなっていった。そのうち、社長は店(会社)へ全然来なくなった。
おかしな電話が入るようになった。そんなある日、どこから見ても「ヤクザ」に見える「じいさん」
が、タバコをふかしながら入って来た。
「社長、今日もいないの。あいつめ!逃げ回っていてもダメだよ。顔を出すように言ってよね。
あんたを怒ってんじゃないよ・・・」と。そして帰っていった。
その後何度も来ては、同じことを繰り返し言って、帰った。そして最後の時、「もうここダメだよ。
どう?うちの電話番やる?来てみたらいいよ・・・」
そして、私は○○興業の電話番になった。

そこに2~3日座って電話番をしてみれば、すぐに分かることがある。
いかに「品がなく」、いかに「きわどい」稼業であるかが。
ただ、ヤクザに組しないだけの「一匹狼の金貸し、じじい」、その言い方がぴったりの人物だった。
まあいいか。そしてそこへ通い始めたのが、「事」の始まりだった。
その時日本は、バブル期の真っ最中。物件が面白いように、右から左に売れた。
「狂乱の日本」の時代だ。
「見ず、ミズ」とは、物件を見ないで、「ブローカー」に任せて取引することだ。
北海道の原野が、それで飛ぶように売れた。現地を見ないで札束だけが、日本中を駆け巡った。
「せんみつ」・・・「せんだみつお」のことではない。
物件の話をすれば、千に三つは、必ず取引が成立するという、確率の多さを言った言葉だ。
ブローカーは、その確率を「信仰」のように心に刻み、分不相応の夢を見続けた。
銀行、物件、手形、小切手、札束が「日本」の代名詞のように、時をせっけんした。
町金の事務所でさえ、そのおこぼれを充分にいただけた。
「いますぐ、用意して!取りに行くから」と言って銀行に電話をすれば、手形(担保用)と引き換え
に、私でさえ二千万円くらいは、渡してくれた。もちろん会社のお金である。
その「物」を、スパーの買い物袋に入れて、「ねぎ」や「ほうれん草」をその上に乗せて、一応の
カムフラージュをして銀行から会社へと、歩いた。
その時の日本は、金という意識ではなく、文字どおり「印刷物」のやり取りだった。
マヒしていたといえば、全身麻痺くらいに重篤であったのかもしれない。
そして狂乱の日本が見えてくる。この時代、日本に何を残して去ろうとしているのか・・・。
絶頂期はそんなことは誰も考えない。浮かれて踊れば、その日はそのまま確実に、次の日へと
繋がった時代だった。
東南アジアを中心に「女買い」に走り、日本人が「エコノミック・アニマル」と蔑(さげす)まれたことも知りながら、走り続けた。

時代はそんな時だった。
ある日、社長が私に品物を手渡して、こう言った。
「わたしの代わりに、ちょっと行ってきて」と。
その行先が、「極東事務所」松山総長その人であったということだ。
用は、お中元の品を渡して、帰ってくる、それだけのはなしだ。



<次へつづく>




先祖の功労

2012年02月27日 | 心霊現象
「先祖の功労」とは、目に見えない血統的功績、いわば霊的貯金のようなものである。
何をもって「功労」というかは、平たく言えば『世のため、人のため』であるが、直接的に言えば
「神のため」につくした功績である。
「天に宝を積め」とは、キリスト教でいうところの「聖書」の教えにある。

 『神の前に積み上げてきた何らかの功績が、この血統を別格とまでは言わないが、
  特別な能力をもって、この世を司ってきた理由である』

・・・と、これは滋野一族の守護霊が語った事であった。(禰津氏)

血統的に積み上げてきた功績は、天に宝を積んだ「積立貯金」のようなものだ。

 『先祖の功労は、神といえども、どうする事も出来ない』・・・と聞いている。

その血統下に生まれた者は、先祖からの積立貯金をあるだけ使うことが出来る。
無い者は?  この世の財と同じである。下ろすことが出来ない。
山の水と同じだ。枯渇したところからは、一滴の水も汲むことは、無理だ。
「功労」が無いとは、マイナスの貯金、つまり借金があるか、ゼロということになる。
借金とは、霊的借金つまり「罪業」である。

これから何が起ころうとしているか、あるいはもう起こり始めているのかは、目をこらせば、見えて
くる。これが「霊感」である。そして、「そこ」つまり、霊界的功績と罪業に焦点をあててみれば
すぐに分かる。
日本はいったい、どんな歴史を過去、現在において綴ってきたのか。そして、その延長上にあるのが
将来の日本の姿だ。
一族においても同じことだ。

ここに一枚のメモがある。

 『日本は飽食の国といわれていますが、そこにもまた、小さな生命がどんどん
  失われています。日本は、戦後から今日まで、四十数年の間に、中絶で、おそらく二億
  以上の小さな生命を殺していると言われています。』

                (1991年7月1日発行 グッド・ニュース201号) 

「国の借金」といえば、今まさしく国をあげての話題であり、政治の争点がそこにあるような錯覚を
国民に与えている。
霊界からみた「国の借金」はどうだ?
恐ろしいのは、実はこちらのほうだ。なぜ?・・目に見えていないからであり、全てを見て分かった
者が、いないところから始まる「借金がえし」だからである。
先のメモのように、今からさらに二十数年前の数でさえ、二億の「殺人」があった事を知れば、それからさらに今までにどれだけの「殺人」が、積みあがってきたかは、想像を絶する。

今、「少子化」の現象に対する今後の日本の行く末は、暗澹たる思いだと、上に下に大騒ぎをしている。が、過去の(殺した)反省はどこへいったのか?誰も叫ばない。
一年に自殺をする人が、三万人を超えることも、身にしみていない。
三万人を一年、365日で割ってみればいい。一日、約90人だ。
こうしているうちに、誰もしらない所で、間違いなく人命が、それも日本人の命が自らをもって
亡くしていくのだ。


先祖の功労を食いつぶした「男」がいた。
皆様も思い出されることであろうが、そう、ついこの間の「バカ息子」のことである。
人はその男を「御曹司」と呼んだ。
三代続いた名門らしいが、悪い意味で「時の人」になってしまったら、おしまいである。
そうだ、あの男の事を言っているのです。
私たち庶民というか、貧乏人というか、そういうたぐいの者には「目の玉が飛び出る」金額が
遊びの費用になる。遊興費が何百億円だって?ふざけんじゃあ、ねぇ!
・・・でもね、これは犬の遠吠え。持たざる者の、やっかみ、と言われても仕方がない。
ただね、そんな形で、「御曹司」を地に落とした本人も、血族も恥ずかしかっただろうな・・という話です。胸を張ってきた先祖も、腰を抜かし、泣いていることでしょう・・・。

実は、私達もそうなんです。
文句たらたら、いつも満足せず、足りないことばかり探して恨む毎日のあなた。
罰当たりは、あなたですよ~。五体満足で、健康で、そこそこの毎日があれば、よし。とするところから、人生が始まります。
先祖の貯金がなければ、あなたが積立てればいい。
何をすればいいかは、その筋の方が教えてくれますよ。そして、その貯金は自分が使って、あの世へ
行くんではなく、使わずに後孫に残してあげる、その心遣いこそが、「宝」になる。
使うことのみ望む人が多く、蓄えることをしない民族、血統は、永遠に存続すると思いますか?
その反対に、蓄える(積む)ことを望み、使うことは他に譲る人が多かった氏族は、将来どうなると、思いますか?(この世の事ではなく、あの世の話です)

ある話です。
どこから見ても、恥ずかしい「そんな人」がいた。
いつも、だれからもなぜか可愛がられ、大事にされた。
ある日、自身満々の一人が聞いた。成績もよく、可愛い。家柄もいい。クラスの人気者だ。
「なぜ?あの子なの」と。
答えが返ってきた。牧師の答えだ。
「あの子の先祖が積み上げた功労が高いのです。その高さにおいては、神も、なんともしがたい
ほどです。人を目で見ただけで、判断してはいけません」と。


今は、血統くそくらえの時代ですから、私のように名も無い者が、いくら抵抗してもはじまらないでしょうが。
歴史には、それを物語るものがいくつもあるようですね。
人の話と、本からのものですが。
第二次世界大戦とか、大東亜戦争とかいった終戦の時。
アメリカの統治下にあった日本。GHQのマッカーサー元帥に天皇が呼び出された。
天皇の進退(運命)は、マッカーサーの手の中にあったといっていい。
天皇の心は決まっていた。自分の命と引き換えに、国民を生かしてくれるように頼むことだ。
玄関で天皇を迎えたマッカーサーの心が、会ったその瞬間に、変わった。いや畏れた。
何を? 説明の出来ない感情にだ。いままで、経験したことのない、言葉に言い表せない、深い
感情だ。ただ、心から敬意を表して、迎えた。

絞首刑も、銃殺刑も、彼(マッカーサー)の頭から消えた。
「この方を中心に戦後の日本を復興させなければ、日本は、いや日本人は復興させてはくれない・・・」。
マッカーサーが霊感が強かったかどうかは、知らない。が、皇室が日本に対して積み上げてきた
「功労」がある。日本の長(おさ)として、また天津神に対しての祈りの積み上げがある。
絶対的な功労は、敗戦といえども、敵国といえども、マッカーサーといえども、「神」の領域で
ある。そして、その神も先祖の功労だけは、いかんともしがたく・・・となると、この世でも、
あの世でも「絶対なるもの」は、功労である。

金はこの世の「ものさし」である。ならば、あの世の「ものさし」をこれから身につけ、確かな
宝を積んで、ゆるぎのない将来を後孫に残したいものである。
畏れ多くも、かしこくも・・・これを霊的な雰囲気として持ち合わせた民族をめざしてこそ、日本の
輝かしい将来があると思いませんか?

先祖の功労ならぬ、日本歴史を賭けた「日本の功労」を積み上げてみたとき、日本を襲う厄災(地震
や津波、噴火など)の姿ありや、無しや・・・。
おのずと、答えがでてくると、いうものです。