霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

青年とは・・・

2012年10月31日 | 心霊現象
「青年」という言葉で想像する我々のイメージは、それぞれの感覚、あるいは人生観などで
大いに分かれると思う。
あなたに「青年とは・・・」という題で何かを書けと言われたら、さて何と綴るでしょうか?
規制されたことではなく、ごく自由に考えご自分の言葉で綴ってみてください。

次の『青年とは』という短い文は、あの「修養団」の研修の時に渡された資料の中にあったもの
です。
そして私達はまた、『教育基本法』なるものの第一条「教育の目的」をしっかりと読みながら、
日本という国が、「何」を目指して国家の根本精神のもとで世界の一国として将来を見据えたかを
学ぶことでした。

日本という国を知るには、歴史もさることながら、「国家の憲法」を知らなければならない、と
ようやく気が付くのです。
法律の専門家になるわけでもない私なぞは、学校の社会科の時間以外は今に至っても学んだ記憶
がありません。
最近とみに騒がしくなった政界の動きでは、『憲法改正』という話題さえ上っています。
何をどのように、またどこをどのように改正するというのでしょうか?

今日は「修養団」の資料をここでご紹介しながら、またまた問題提起の場といたします。


  青年とは

 青年とは、生命の期間ではない。
 青年とは精神の状態である。
 青年とは、豊かな頬(ほほ)、赤い唇、柔らかい肢体をいうのではない。
 意志の力、創造力、感激性を指すのである。
 齢を重ねるだけで誰も老いてゆくのではない。
 理想を失い、自信をなくした時のみ人は老いる。
 年齢は皮膚に皺(しわ)をよせるが、情熱を失うとその人の魂に皺がよる。
 常に明るい希望をもち、勇気凛々未来の夢に挑戦する人、生命の歓喜(よろこび)を神に
 感謝する人であれば、五十歳であろうと七十歳であろうと、その人は青年である。
 春たけなわの新鮮さこそ、青年の魂の真の姿である。



『教育基本法』

第一条(教育の目的)教育は人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として
          真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ
          自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われな
          ければならない。



と、記されています。
改めて読んでみると、なるほどと思います。
が、これを実践するには、「それ」が実現するために携わる人材の育成こそが先ず問題になる。
教育は、何も「学校」だけではないことくらいは知っている。
しかし私達の頭で思い浮かぶといえば、ほとんどの比重を学校に置くのは仕方のない今の現状
である。
そしてこの定められた「法」が、「絵に描いた餅」であり、形骸化していることも分かっている。
今後細部にわたって、法が改正されるとしたら、頭の中で考え、机の上で弄繰(いじく)り回す
だけのものであってはいけない、と誰もが思う事だ。

どなたかが言った「最期の御奉公」。やれるものならば、是が否にもお願いしたい。
日本人の根本精神を造ろうという教育の法こそ、さっそくにも待たれる内容である。
混迷の日本人の根本精神が無くならないうちに、である。


私がのぞいた(?)修養団の研修会には、当時(昭和55年、56年ころ)参加を勧めた企業が
たくさんあった。
例えば「東海青年会議所」、「アルナエ機(株)」、「日立照明(株)竜ヶ崎工場」、
「東芝ケミカル(株)」、「岐阜シェル石油販売(株)」等々が同期の桜である。
バブルの時代から、それがはじけた時代をぬって、今はどれだけの企業、あるいは会社が存続
しているかは分からない。
しかし、その時に「伊勢」にて学んだ心の糧は、永遠に残り続け、一人一人を日本国の勇士として
育て上げ今に至っていると信じてやまない。


「青年とは」という文から見れば、80歳の「じいさん達の集まり」でも『青年』といえるのだ。
その中には『暴走老人』もいらっしゃる。
「なんで俺がやんなきゃならないんだよ! 若いもん、しっかりしろよ!」
と、「あの方」がおっしゃる。
でもね、「青年とは」何をもってそう言うのか、という今日の文の通り、青年は年齢にあらず、
「魂の春のときめき」をもって、そう言うのだ。


さて、このようにして日本を見回したとき、日本に「青年」が何人いるんでしょうかねぇ。
心が見えるメガネがあるとして、それで見たら「みんなしわしわ」だったりして・・・。
さあみなさん、「青年とは」このブログを読んでいらっしゃる「あなた」ですからね~。
私は期待して、待っています!

箕輪城城主の娘・「つる」さんの懐述

2012年10月30日 | 心霊現象
これからご紹介するのですが、今現在の私の心情としては、再度その言葉を聞くのが
実はつらいのです。
こんなことなら、聞かなければよかった・・・と、どんなに思ったかしれない。
でも、それを押してでもなぜ綴るか、と聞かれれば、「彼女の霊界からの言葉」があまりにも
「理にかなう」からであり、改めて教わるものが多いからでもあるからです。
彼女の語る内容に「うそ」(心情的に)は無いと同時に、天法上もほぼ正しく、的確であろうと
思われる事から、あえて私はこの場を借りて表に表そうというものです。
彼女が置かれた霊界の位置、そして今現在の位置を考えると、決して穏やかなものではない、と
私なりにも分かります。
地上で肉体を持つ者との「感覚の差」、あるいは「霊性を研ぎ澄ます」という心根の差をしみじみ
反省させられる意味からも、ご紹介するものであります。
では・・・。(頭のがついているものは、地上人の質問です)



『わらわとて、一日千秋の思いでそもじとのご対面、この日を迎えたこと祝着(しゅうちゃく)
 にございます。
 そもじの現世での生活は、わらわの影響下における、良くも悪しくもすべからく、わらわの生き様
 を通過するような思いにて、誠に不自由なる思いなれど、いかんとも霊界の大きな動きにより、
 いかんともご不自由な思いにて、誠にあいすまぬことです。
 どうぞ、わらわが答える範囲はせいいっぱい400年の月日を、この一時で凝縮して語るこの幸せ
 を、本当に【つる】もせいいっぱいお答えをいたしましょうからに、どうぞ御存分に・・・』

「霊界の大きな動きによって、わたしの元にこられた理由はお分かりですか?
  またそのわけをお聞かせきださい」

『まずは血統、血筋であるが為で、価値観が近しき者ゆえ、そもじが生まれたったその時から
 運命共同体となられるような、そのような状況ゆえ。
 その他に、これは霊界の約束事なれば、わらわはあいにくと肉体を持たぬ。
 ただそれゆえにそもじにすがる、ただその思いのゆえに大なり小なり、そもじの生活圏に影響を
 及ぼす。そういう立場が・・・』

「すがるということは、わたしが何をすればよいのでしょうか?」

 『わらわに代わってではない。わらわと共に・・・。
  わらわの肉体をもってしてなさねばならぬという部分を、そもじに助けてもらい、そもじが
  肉体をもった能力以上のものにては、わらわの協助(きょうじょ)によって、本音を言えば
  わらわも霊界の立場そういうもの、立場の高さというものを得たい欲がある。
  ゆえに、どうぞそもじの肉体をわらわに貸して頂きたく存ずる。
  わらわも、そもじが見えぬ先々の道標となる立場を、道標の役回りをそなたと・・・。
  霊界の約束事、法則にのっとりて、お互いが高まるような、ひとつの全き共同体、運命の共同体
  、成長の共同体。
  霊肉共の成長する共同体として・・・』

「格を上げるために、幸せになるために、お互いに手をとって何が出来ましょうか」

 『何が出来るかより、何がしたいのか』

「わたしが何をしたいかという事でしょうか?
  まず、母をキチンと養なえること。それから女性として幸せになること。この二つです」

 『うん、うん・・・。女性(にょしょう)として・・・(うなずいて、うなだれる)。
  ああ、・・・、(手を畳につく、その後上体を起こし)それは、婚姻、家庭をもつという意味
  か?』

「あるいは、心の支えとなる人を見つけたいということでもあります」

 『うーん、わらわの立場、経過ではいかんとも。そもじに答え得るすべをもたぬ。許せ。
  だがそもじは、わらわよりも本当に霊界の法則に則った大きな力を持ち、与えられた立場
  である。あえてわらわの立場で答えなきなれば、そもじも多少苦労覚悟のものと。
  そもじの許された霊界背後において、苦労をよび、多少忍従する通過を耐えるときも、絶えず
  その通過を必要としなければ、・・・。
  相すまぬ。わらわの立場に・・・、答えられぬ。
  責任の所在を問えぬわらわの立場を察してたもれ。
  そもじが親子の情という、親子の絆という、その強さの一点に必ずわらわも微力ながら、親子
  の絆の強さというものに、わらわの微力なる協助ならびに、協助の方々にて働きかける所存で
  ござれば、もう他の一点はどうぞわらわには荷が勝ちすぎて、そもじに何ともお答えのいたしよ  うが・・・。どうぞ許されよ!・・・許されよ』

「この世にあったときに、思い残されたことはありますか?」

 『今、お答え・・・。今そもじに謝りし事柄と連動したようなたぐいのものでしょう。
  心残りは、げせわな物言いなれど、男女の想い。それが心残り』

「つるさまがお会いしたい方はおいででしょうか?」

 『ちょっと難しき。いとしき想いにて会いたき人。恨みつらみで会いたき人。
  いとしき想いで会いたき人は・・・、少しせんなき話で、わらわが幼き時代にての初恋と
  申せるかどうか・・・。そういうたぐいのものでございますれば』

「お名前は?」

 『せんなきことと、申しました!』

「最期の地に、わたしはまいるべきでしょうか」

 『さーさ、あなたの、そもじの思いよりも、わらわはささやかにも気休めになれるような思いで
  是非そもじにまいってもらいたき・・・。
  だが、すぐには探しあてられぬ。そのじがわらわを、すこしの気休めを、むしのいい物言い
  ではあるが、そなたの心にひっかかりうるその心の溜飲(りゅういん)を下げるということに
  是非とも甲斐に探って、わらわの気休めとなられるよう是非とも探し求めてまいられる事を
  是非乞い願う。
  また、わらわが養女の生活、形態を通過したのは、三、四度くらいの養女的な形態を通過
 する。是非ともそなたさまに心より謝罪しが、どうしてもわらわの霊界を、力をもってあなた
  が願う男女の世界が、どうしても力が及ばない。
  どうぞその点は、ご了解くだされたく伏して願います』

「最後に名乗られた名前は、何と?」

 『おぐり、でしょうか。
  執着は、一番、死んだ甲府にて落命した折は、いささか違(たが)う。
  ただ、心情的に【おぐり】の名乗りが一番像が残りおる。
  最後に甲府で名乗った名を、そこが探し当てるか多少の難解なり。
  ただしちょっと、その甲府に行って名乗りはさしつかえがあったゆえ、今の状況ではそもじが具  体的に、背後の霊界が何らかの協助によって動かし、必ず解明の糸口に・・・。
  ただそもじの本心と照らし合わせて、わらわもすべからく語りたくはない。
  自分の名乗りを転々と変えたのは、すべて明らかには語りたくはない。
  そもじの生活を追及する上で、詮索しても何の益もあるまい』

「わたしの体が丈夫でいられるように、気を付けることは?」

 『わたしは、分かりません!・・・、これくらいで!!』 



最後に彼女(つるさん)を怒らせて、終わってしまいました。
これが一期一会の出会いであり、400年を経て祝着の極みから、怒りの思いにまで至らせた
会話の一部始終です。


霊界は先を読むというか、心を読むというか。
その人と、かみ合わない会話を続ける空しさ。そこを何として埋めるか?・・・。
期が熟したところへ守護霊はつくわけではありません。
生まれたとたんにつく。そこからが、一心同体。 
何の?
救われるための日々の教育、心の鍛錬等々の切磋琢磨の人生を出発せるためです。
もし、もしもですよ、再度の降霊があったとして、彼女(つるさん)は今度何を語るでしょうか?
あの日以来、現在も心というつながった糸(緒)を通して見続ける「つるさん」。
地上人は果たしてつるさんの、より高い位置を目指したいという望みに適(かな)った生き方を
しているでしょうか・・・。
「成長の運命共同体」という守護霊とその地上人の関係は、霊界と地上界を結ぶ真理中の真理です。

今がある。何のために・・・?
わたしがいる。何のために・・・?

もう一度、一から考え直し、出直してみませんか・・・。

(ほら、はじまった! また、はじまったよ~)

あたりまえの事。皆様の耳のタコは、これからも増し続けますよ~。


  
  

 


海野宗家の懐述

2012年10月29日 | 心霊現象
では、今日は早速『海野宗家』の言葉を皆様にご紹介しましょう。
なにせ、地上の準備が何も整わない内に、いきなりの言葉ですから驚くのなんのって・・・。
予期せぬ「歴史の一コマ」を聞くハメになったというのが、正直なところでした。
よく『事実は小説より奇なり』と申しますが、まさにそのごとく、聞く者の心を圧倒するものでした。


『余が語らねばならぬ部分がある。
 つるさん!海野のじじいだ! おなつかしゅう・・・。
 物心両面に、幾重もこまごまと言い訳がましき言葉を発するよりも、ただただ海野の親子共に
 ただただ一言。許せ、と。 ただ、許せと。
 
 何百年からの歴史を経過し、やっとここで相まみえて許しを乞い願うために出会いをもって、
 肉体を持たぬ身なれども、冷静に対処できない。
 つるさんと経過した箕輪(みのわ)の城においての経過。
 つるさんが最後となったその時までは、余も存じおるが、それ以降の消息はかいもく分からん。
 ただただ二十歳(はたち)も満たないとうな齢(よわい)で、この親子ともどもが、あなたさまの
 人生を狂わすような結果となりし立場を、全く・・・・。
 誠に、誠に申し訳なけれども、冷静なる対処は出来かねる。
 
 箕輪のそれ以降は存じかねる。
 余も霊界にいって分かった。
 あの箕輪での死化粧、余はてっきりつるさんが、本当に亡くなったものとばかり思っておった。
 あまりに流転が多く、こまごまとしたものは、ただあの時に箕輪でつるさんの死に直面したとき、
 しかし、ああ侍女「みね」という者と「つるさん」の身代わりとなりし・・・。
 しかし余は、つるさんの最期の死化粧をつるさんから賜った「こそで」をつるさんに掛けようと  ・・・。
 それ以降の消息はとんとつかめぬ。
 つるさんの前に、わが親子がのめのめと顔を・・・・。
 
 余が決意し、つるさんと出会い、まさしく霊界において道なくも、あえて道をつくろう!
 その程度でわが親子が許されるような・・・。
 しかし、実子にも勝るようなかわいい我が娘であった。
 
 何百年の時を経た現実に、関係をもった出会いが再度出来たということは、この上なき喜びと
 存ずるが・・・。
 余の血統である霊的差配の中で、まさしく全身全霊をかけて守り導く。
 それが「海野」の「長野家」に対しての、ささやかな詫びの形と・・・。
 冷静なる対処が出来ぬ。
 悠久なる前世の( )において、余がくさびを打っておきし滋野家三家より、一名づつをすでに
 背後としてつるさんの守りを固めた。
 これは間違いない。その都度その都度、海野の力の及ぶところは海野の、禰津の及ぶところは禰津
 の、望月の得意なる分野は望月の・・・。
 これにおきて、つるさんと又つるさんの肉体を持ちし者との和合をもって、常にこの三人が
 俗に仏教的な物言いなれど、「三人寄れば文殊の知恵」であれば、まさしく滋野三家が全てを
 取り計らうゆえに、霊的研ぎ澄ましをつるさん本人が、またつるさんを背負った肉体が、迷えば
 必ずこの三家が協助(きょうじょ)をおこすよう霊界の仕組みを・・・。
 それにあまりあれば、余が立つ!
 ささいなことにて迷い振り回されることないように、大きく霊界を作用するような動きを必ず
 出来るように仕組み、霊界の仕組みを・・・。

 しかし余は本心と闘う苦しさが、自分を許せないというそういう( )の堂々巡り、
 微力ながら出来る霊的な協助というか、手伝いというか、必ず余の差配する霊界内で守り抜く。
 それが、余の本心の納得という・・・。
 つるさん!許せ!
 必ず、かならず!・・・』



これは、部屋の隅で私が書きなぐったメモですから、ところどころは聞き取れませんでした。
箕輪城と海野家に何があったか・・・、現代の「電気式百科辞典」を牽いても、よく分かりません
でした。
ただ不思議なことに、その少し前に私が読んでいた「本」に、多分その事であろう短編小説が載っていて、かろうじて頭に入っていたという事から、私の頭には「海野宗家」の懐述が全部繋がって
理解できたという事です。
今思えば、前もって「読まされた」と間違いなく思いう事ですが・・・。

次回は当事者「つるさん」の霊界からの言葉をご紹介いたしましょう。
 

最初で最後の出会い(K氏の場合)

2012年10月28日 | 心霊現象
今もあるのだろうか?
今から14年前の話になるから、きっとそんな「雑誌」はもう出ていないかもしれない。
その本の名は「ジャマール」。
占いや霊能者がよく宣伝を載せる雑誌の一つである。
ひところ霊能者K氏も、その雑誌に宣伝を出したこともある、がすぐに止めた。
100パーセントと言っていいほど、ほとんどの相談が「恋愛問題」だったからだ。
それも、答えはもう自分の中にある。
「わたしー、幸せになれるでしょうかぁ~」。
このままでは、「だめ!」という第一声で「もう、いいですぅー」と玄関へ走る「相談者」。

何でも「きっかけ」というのは必要である、がそれが続くと「自分がダメになりそう」といって、しばらく相談を止めたK氏だった。
雑誌の宣伝を中止してしばらくたったある日、「その彼女」から連絡がきた。
とりあえず会う、ということで日を重ねて待った。
守護霊を降霊するまでになるなど、ほとんど諦めた日々だったから、「またか~」という思いだけが
強かったようだ。
彼女は27歳。仕事はパソコンを中心としたIT関係のプロらしい。
付き合っている男性との関係を相談したいとの事、「またか~」と顔を曇らせるK氏を私は見逃さなかった。
話が進むにしたがって、K氏が熱心に説得を続けている。
「無駄なのに・・・」と、私はむしろあきれて見ていたくらいだ。
「では後日」ということで、彼女は守護霊降霊を約束して帰っていった。

「なんで又、説得してまで?」と聞く私に、K氏はこう言う。
「縁者かもしれない」と。
後日、彼女の守護霊降霊が実施された。
女には女、とばかりに最初は私がお相手をと、しゃしゃり出て待つ。
しかし違った。
『つるさん!海野のじじいじゃ!
 この場にて、是非にも伝えなければならない事がある!
 許してくれ!つるさん・・・』
私なんかどうでもいい、私に目もくれずに守護霊ではない「海野のじじい」が「彼女」に両手をついて、話はじめる。
「あっ、私お呼びじゃない・・・」ってすぐに気付くと、座った位置から離れた。
しかし部屋を出たわけではない。しっかりとメモをとった。

400年という月日が経ちながら、このようにして相まみえた幸せを、心から感謝する、として
始まったK氏守護霊の「海野宗家」の懐述は、私達の知らない「歴史」の一コマであり、この二人
(K氏と、彼女)が会わなければ解けない恨みの内容であった。

海野宗家は真田幸村の祖にあたる。
海野宗家の子供が「幸隆」、その子が「昌幸」、そしてその子が長男・信之、次男幸村となる。
いずれも歴史に名をはせた猛将でもある。
その幸隆の婚姻に、長野一族の娘(姫)「つる」が嫁として選ばれた。
婚姻後、幸隆は「武田」の軍門に降る決意をする。
海野宗家は、「つる姫」をことのほか可愛がった。つる姫も義父を慕って尽くした。
いつもつるが縫った「こそで」を着ないで大切にして脇に置いてながめた。
その「こそで」が、まさかこんな事に使うハメになるとは・・・、誰も思わない。
一通の手紙を残して、「つる」が長野家へ走り去った。その後すぐさま自害をしたという連絡が
海野家に入る。
馬を駆けさせ、やっとの思いで長野家へ着いた海野宗家が見たものは、布団に横たわり「死化粧
」をした「つる」だった。
「何があった!」、つるの脇で絶叫した海野宗家が見たものとは・・・。
死化粧をして横たわる「つるの付き人の女」だった。
つるからもらった「こそで」を持って駆け付けた海野宗家は、わけが分からぬままその「こそで」を
死体に掛けた。

何があった? その後どのようにして生き延びたのだ・・・。
これが是非にも聞きたかった「海野のじじい」の切なる叫びだった。
その後、彼女の守護霊「つる」さんの降霊が行われたのは言うまでもない。
内容は後日として・・・。

『あの時の恩とわび、とりわけ「自分」と「せがれ」がかけたその苦労、罪深さをこれからのあなた
の人生を守り、導くことで許してほしい』と語る。
その内容とは、『さしあったて、あなたの後ろに滋野三家、海野・禰津・望月から一人一人を選りすぐり配置する。その三者は「三人よれば文殊の知恵」というがごときものでもあるが、もしそれでも
力及ばなければ、わしが立つ! 必ず必ず、全身全霊で守る!』・・・と。


彼女は内心驚きはしたであろうが、「自分」が分かった分その気になった。
自分の才能を存分に使ってください、となった。
平成10年と私のメモにはあるから、パソコンや携帯つまりIT時代のはしりである。
そんな時代(今から14年前)、その道のプロがメンバーに入る。
夢はふくらんでいった。もうジャマールの読者を相手にしなくてもいい。
「身内」でがんばれば、一挙に全国版で広がっていく。
彼女の技量がここで生きる。インターネットの妙味を知り尽くす彼女は、話をふくらませ、先へ先へと走り始めた。
例えば、講演会、座談会でもいい。隣に畳の部屋があったほうがいいでしょ、とばかりに高い値段の
会場の下見に走る。
「会」の名前を私に考えておいて、と言い残して下準備にまた走って行く。
「お金、儲けましょうね!」と、彼女の元気さには押され気味だ。
だが、待てよ・・・、K氏の暗い顔は何だ?
それにこの私の胸騒ぎは、どこから来る?

原因はあった。
K氏の霊界はまた、違うところで動いていた。
「今彼女が付き合っている人ね、ずっと年上の男だ。自分の父親みたいなね。
それだけならまだいい。これまでの間、彼女は中絶を繰り返している。一回や二回じゃないよ。
これからの我々の作業に、その男が必ず絡んでくる。金儲け?その男はきっと、よだれをたらして加わってくるだろう。そんなことは許されない。だから彼女にはその男をとるか、それとも自分の
これからの使命をとるか・・・。問い正す必要がある。
守護霊のいう、つまり海野宗家と、つるさんの二人の切望こそ、彼女も我々も果たすべき今後の生き方であり、課題だ。そこんとこをはっきりさせる最後の砦がある」と。

そうか、そうだったのか。このドンドン進む「金儲けの道」は、考えようには危険極まりない道でも
あったのか、と私は不吉な予感の意味を知って、むしろホットした。
我々には、そこそこの金しか与えてもらえない運命にある・・・。
身分相応の立場こそ、安心の土台となる・・・。


話がふくらまないうちに、彼女が暴走しないうちに決着をつけなければならない。
三者会談。楽しい、希望に満ちた話かと目を輝かす彼女の前に突き付けられた「課題」。
結果、彼女は「男」をとった。
またもや「男か!」、私はあの時の苦い思いをダブらせながら、ため息をつく。
あの時?そう、守護霊が上杉謙信のご母堂の彼女の事です。

こうしてK氏も、多分守護霊が最も会いたかった人であっただろう「再開」を「水のあわ」とした。
金を掴み損なったか? いや、さにあらず。
もし掴んだとして、そのようなお金は必ず何かのきっかけで、霧のように消えるに決まっている。
これでいいのだ。
ただ、彼女のこれからがうらめしい。
あれだけの霊的背景を約束されながら、それを棒に振り、「その男」とこれからも生きていくのか・・・。

「幸せになれるのかしら~?」とつぶやく私にK氏は。
「いいことはない。最後は刺し違いになるよ。でも本人には言ってあるから。脅しじゃないけど、
こうなるから充分気を付けて暮らせと、言うだけは言った。
結局は自分の人生は、自分が決めるんだから・・・。
あと一つ気がかりは、彼女のお母さん。彼女はね『エホバの証人』(ものみの塔)の強烈な信者だからね、そっちの今後も心配だね。だってお母さん、何にも知らされてないもの・・・」


その後すごく淋しそうなK氏の姿が見られたが、日々忙殺されて次第に忘れていきました。
14年という月日は、やはり「忘却の彼方」へと我々を誘(いざな)うようです。
私もメモを見ながら、次第に忘れつつあります。
ただなぜ今このように思い出し、ブログに書いているのか・・・。
実は部屋の整理中に、前から探していた「メモ」が、ようやく出てきたということと、このメモが
丁度10月の出来事だったという「偶然」でしょうか?
「あの男」はもうとうに高齢者もいいとこ、75歳をはるかにこえている。

私も「かすみ」を喰って今を生きている。
人の出会いは「一期一会」。しみじみ感じながら思う。
霊界のみなさん!一期一会を生かせなくって、ごめんね~・・・。





「夢を解く」ということ

2012年10月26日 | 心霊現象
意味の分からない夢を解く、という事はそうとう難しい。
多分解けない方が、多いかもしれない。
「夢を見る」という行為自体が、多分にも神がかり的なものであることをみれば、夢を見た人は
以前から何かに的をしぼって祈っていた、という行為が前提となる。そして暗示的な夢を見る。
従って夢を解くということは、夢を見た本人の責任分野だともいえる。
他人が口出しすることではないかもしれない。
が、それ、つまり「夢の中身」、その夢の意味することが重大な「摂理」に関することに限り、
解く者が他に現れ得る。
夢を見た、いえ見せられた本人よりも「神がかり」であり、信仰が篤い者に限りそれは解ける。
下世話な夢、つまり「ご利益的な夢」は人間の欲であり、手前勝手な事情の結果であれば、夢見た者
の勝手な解釈でことは済むようになっている。失礼な言い方をすれば、夢を解くなど意味のない
遊びでしかない・・・と。
せいぜい「夢解き」の本を読み漁って、遊ばれたがいい・・・となる。

しかしたった一つ、夢を解かなければいけない時がある。
それは預かった「使命」にかかわる時である。
その夢を解かなければ、前へ進めないという場合である。
祈りの問いかけに対しての夢。これはその問いに対しての「答え」だからだ。
ほとんどは、本人が分かる。真剣に祈り求める人に、謎かけをしたってはじまらないじゃないか・・・。
しかし、何かが不足していて、答えをもらう条件がまだない時、「解く」ことをもって答えが与えられるという事は起こりえる。

「あの人とわたしは将来、どうなるんでしょうか?」そうあなたは問いかける。
答えをもらって、あなたは「素直」に受け入れるだろうか?
例え、守護霊が語っても、「でもね・・・」とか、「だって・・・」とか言わないだろうか・・・。
すでに心に答えをはじき出している人は、霊界ではお見通しだから夢も言葉も暗示も来ません。
自分が出した「答え」の向こうに、「幸せ」という保証を得たいだけのこと。
そのような人には、「ケセラ・セラ」の歌を進呈いたしましょうね。


さて、冗談めいたことはこれくらいにして。
昔々のお話を。
エジプトの王、パロの時代。
ヨハネという人物がいた。
神の前によく祈る信仰者だった、と書いてある。
本来奴隷の身分ではなかったが、ひょんな間違いから「奴隷」に売られてしまった。
作業中、仲間が見た夢の「夢解き」をしてやり、名前を覚えてもらえるようになった。
しかしご主人の奥さんに誘惑され、自分の衣類を部屋に残して彼は逃げ帰った。
主人が帰ると、奥さんが泣いている。「どうした!」。
奥さんが見せる「脱ぎ捨てた衣類」を見せられて、その誘惑の虚偽を疑うことなく怒り狂い、主人は
「ヨハネ」を牢屋にぶち込んだ。

その頃王「パロ」は、自分の見た夢を解く者を探していた。
国中の智者、魔術師あらゆる者を呼びよせ、見た夢を告げ、その意味を聞いた。
だれも答えられない。
国王の見たその夢とは・・・。

 彼はナイル川のほとりに立っていた。
 するとその川から美しい、肥え太った七頭の雌牛が上がってきて葦を食っていた。
 その後、また醜い、やせ細った雌牛が、あの美しい、肥えた七頭の雌牛を食いつくした。
 ここでパロは目が覚めた。
 彼はまた眠って、再び夢を見た。
 夢に、一本の茎に太った良い七つの穂が出てきた。その後また、やせて、東風に焼けた七つの
 穂が出てきて、そのやせた穂が、あの太って実った七つの穂をのみつくした。
 ここでパロは目が覚めたが、それは夢であった。
 朝になって、パロは心が騒ぎ、人をつかわして・・・・とある。(聖書)


さて、ここで牢屋から呼び出されたヨハネの「夢解き」が始まる。
パロは、王として立場上神に祈ったかもしれない。が解けなかった。
真剣であったら、神から「よし」とされて、夢の意味も分かったかもしれない。
さらに、神も同情せざるを得ない心で祈ったなら、その答えは「言葉」で教えられたかもしれない。
しかし、それは「夢」で教えられた。誰も解けない夢。神の意地悪か?
そうではなかった。ヨハネが解く、ということに神の「摂理」があった。
ヨハネの解いたその内容で、パロは喜び勇み、彼を国の司、つまり今でいう総理大臣に任命する。
ヨハネを奴隷として売った者、さらに誘惑の張本人として投獄した者、ヨハネに受けた恩を忘れた
者等々、様々な試練の果てに得た「勝利」の上に彼の本当の信仰があった。


さて、ヨハネの夢解きとは、こうである。
(その前にあなたなら、パロ王に何と解くか?)

『夢は一つです。
 神がこれからしょうとすることをパロに示されたのです。
 七頭の良い雌牛は七年です。七つの良い穂も七年で、夢は一つです。
 あとに続いて、上がってきた七頭のやせた醜い雌牛は七年で、東風に焼けた実の入らない七つ
 の穂は七年のききんです。
 わたしがパロに申し上げたように、神がこれからしょうとすることをパロに示されたのです。
 エジプト全国に七年の大豊作があり、その後七年のききんが起こり、その豊作はみなエジプトの
 国で忘れられて、そのききんは国を滅ぼすでしょう。
 後に来るそのききんが、非常に激しいから、その豊作は国のうちで記憶されなくなるでしょう。
 パロが二度重ねて夢を見られたのは、この事が神によって定められ、神がすみやかにこれをされる からです。
 
 それゆえパロは今、さとく、かつ賢い人を尋ね出してエジプトの国を治めさせなさい。(略)
 こうすれば食糧はエジプトの国に臨む七年のききんに備えて、この国のためにたくわえとなり、こ
 の国はききんによって滅びることがないでしょう』




神の前に「夢を見る」という行為こそが、「選ばれた人」ともいえます。
例えば「神官」。「伊勢」にも「出雲」にも「春日」にも、日本にはたくさんの神官がいらっしゃる。
その方々こそ、神の前に夢を見ているはずである。「日本のゆくすえ」という夢をみているはずである。しかし彼らは黙している。なぜ?
次は天皇陛下。
明治天皇の孫の孫という人が、先日TVに出て言う。
「天皇とはいかなる方であるか・・・」という司会者の問いに、『天皇とは祈りの方である』と
答える。まさしく、正解だろう。
世界広しといえども、これほど祈り、これほど神事に身をおくお方も稀有の存在である。
そんな天皇を象徴とはいえ、国のてっぺんに置く日本もまた「稀有な国」といえる。
そんな天皇が、いかなる夢を見ておられるのか・・・。
そして「その夢」の「絵解き(夢解き)」をする人は、周りにいるのだろうか?
同じ懸念が一国(日本)の総理大臣にもいえる。(祈ればの話であるが・・・)

日本における「神のホットライン」は、どこにあり、誰によって司られ、守られているのだろうか。
日本の「国の司」は今、神からの不思議な夢を与えられ、悩みの中にあるのだろうか?
そして、「それ」を解くことの出来る「賢者」を周りにお持ちだろうか・・・。
以前に申し上げた「神の復帰摂理」という「コード」から日本を読むとき、いつも私は気になるのです。
畏(おそ)れを知らない人間の「我」によってなりたったものは、国であれ個人であれ、文化であれ文明であれ、はたまた教育であれ、尽きることを知らない牙城となり、砂上の楼閣の運命にあると。



日本の運命に己の天命を悟り、その「一手」を打つべく立ち上がる者たちの声が、ようやく聞こえ始めた今、神のコードは私達に再びの「維新」をあたえようとしておられるのだろうか・・・。
きっと誰かが夢を見、その夢を解いたに違いない。
神はその「人」に、日本の司としての王権を授けたがっておられるはずである。
さあ、それは誰だ・・・。
今こそ日本中が夢を見、いや夢にうなされ、それを解く最後のチャンスをこそ感謝しよう・・・。