霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

先祖からの呼び出し  2

2011年12月27日 | 心霊現象
では、一族が救われるためには、どのような形態(システム)をとっていくのかを、
最初に申し上げよう。
まず、救われるための確かな形が、この世、つまり地上に現れはじめると、霊界は
こぞって地上人を、その「救いの場所」へと、導きはじめる。

しかし、地上人のほとんどは、救われることなど、思うことなく、日々忙殺されて、
生活することで、せいいっぱいである。
しかし、霊界はいち早く知る。
なぜか・・・。
人間が、肉体を脱いで霊になったとき、もはや肉体に関したいっさいの物は、必要なく
なる。着ること、食べること、住むこと、飾ること、病を治すこと等々・・・。
霊界へ行って、必要になることは、全く次元が違ってくる。つまり、高い霊界へいくこと。
すなわち、霊格を高めることに、徹頭徹尾費やされるのである。

高い霊界とは何か・・・。
地獄から天国への、無限大に近い霊界の距離を、ひた走りに走ることである。
暗闇から、光のさす明るいところへと、行くことである。
もちろん、「天法」を知ることでもある。

地上で何一つ出来なかった「さとり」を学ぶことである。
自分自身の、本当の姿に近づくための、その「真理」を得ることである。
いっさいの肉的観念を、かなぐり捨てて、地上において修行した、わずかばかりの
「さとり」を土台にして、自分に目覚め、開発し、完成することが、いよいよ始まる
のである。遅かれ、早かれ、すべて「人間」である以上は、やるのである。
そして、もはや肉体のなくなった霊界では、さとりの内容一つにしても、地上の人間
の体を借り、地上人がさとるにつれて、共に少しづつ、霊格の高揚をすすめていくのである。
その時、より強い味方を得ることは、可能である。

より直接的な救いの内容を、因縁によって、一番身近かなところで得ることができる。
守護霊は、霊格に応じてつくのではない。血統的因縁において、つくのである。
ゆえに守護霊は、自分の血統的因縁を辿り、出来ることならば地上人に、より高い霊的
内容があることを、望むに違いない。
「霊感の強いあなた」は、このためにも日々、霊力を正しく鍛錬しておく必要がある。

救いは、全員が一挙に救われる形はとれない。救いは一人からである。
まず、魁(さきがけ)の一人が必要であり、その人こそがカギである。
つまり、すべてを代表する選手となるその人物が、「霊界の門」のどこまでたどり着くか
やり残しがあれば、また次の人が引き継いで、少しでも高い、明るい門に向けて、道を
つけておけばいい。
例えて言えば、前人未踏の山を登ると思ってみればいい。
道なき道を、まず一人が足を踏み入れ、跡をつけておくのだ。その一人が途中で倒れれば、
行きついた所までは、道標が立つ。そして次の人は、そこから先を目指せばいい。


このようにして、氏族が救われていくには、代表選手一人を、いかに選ぶにかかっている。
先に例をあげたように、一族、一門の中で「かなめ」となる人物に、白羽の矢が立てられる。
この時こそ、一族(先祖)からの「召し出し」が下るときである。一族に一人。
これこそ、難関中の難関、東大の入試以上の、狭き門である。
しかし、不思議なことに、いや悲しいことに、この召命を地上人は、ほとんど喜ばない。
百人のうち、九十九人は確実に蹴る!
なぜか・・・。
自分に不都合だからである。かって、歴史の中で、「人身ごくう」という言葉があった。
すべての犠牲を一身に受けて、ただ一人で、運命に身をさらすのである。
時として、生命を取られることもある。
霊界からみれば、栄えある我が一門の救いの「かなめ」でも、それは霊界の事情である。
地上人の事情からいえば、「人身ごくう」にほかならない。
もっと悪くいえば、「貧乏くじ」を引いたことになる。
勝手気ままに生きてゆきたい人間にとって、たとえ「かなめ」だの「選手」だのいわれても、
嫌なものはイヤなのである。

そして、今この時代に、代表選手たる人物を得ることが出来ずに、深い悲しみと、
いらだちを持って、さらなる時を待つ続ける霊界なのである。
自分の将来の夢や、希望や、生活の、いっさいをかなぐり捨てて、ひたすらに、ただ氏族の
ため、身を挺する覚悟のある一人を探し得ずして、一族一門の救いは、まずありえない。
ここに、歴史が再び地上に降り立ち、いつにない深い思いで、より強い念で、のりうつろうと
している理由がある。
今こそ、歴史上かつてなかった、期待とあせりを胸に秘めて、霊界は思いに思いつめて
いることを、知らなければならない。
そして、宗教者も霊能者も、その時をいち早く知らせ、今この時に神あるいは、先祖の召命を
いかに受けるかを、地上人にさとらせねばならない。

結局は、宗教者、霊能者、はたまた道案内人たる諸々の立場の人も、この一つの事のために
「神」から使われている「使者」にすぎないのであろう。



さて、厳しいこの内容を、一体何人の方が、読み取ってくださるか・・・

K氏は、いつも言っている。
あの世は、厳しいんだよ。
この世で考えるほど甘いもんじゃないよ。
この世の人は、逃げられるだろうが、あの世じゃあ、とても、とても・・・と。

除夜の鐘をききながら、108ッあるという煩悩を思いながら、来年も出来れば
良い年であれかし、と祈る者です。




先祖からの呼び出し  1

2011年12月27日 | 心霊現象
今年も、ここまでくると、大詰めですね。
みなさまは、どんな年でしたか?
いい年でしたか?それとも、とんでもない年でしたか。
まだ、残すところ数日あるわけですから、過去系ではないですが・・・。

今日は、このブログも大詰めにさしかかっていますので、先祖の呼び出し
という事で、みなさまに、ダメ押しをして、年を越えようかなぁ、なんて
思っています。

「呼び出し」とは、つまり「召命(しょうめい)」の事。
普通は使いませんが、事ここに至っては、内容的には、この
言葉がピッタリかと。
「召命」とは、召し出して、命令(使命)を下すことです。
それが、「神」であれ、先祖であれ、その人に賭けるような思いで、使命を
授けます。
あとは、その人がやるか、やらないかだけです。
断ること?
はい、出来ますよ。
しかし、歴代の人ほとんどは、断らなかった。(歴史書に書いてある人の事ですが)
その理由として、断りそうな人を選ばなかったといえば、それまでですが、
断る理由がないくらい、厚い手立てというか、方法手段から、周りの補佐役まで、
全てをセットした上で、召命しているからです。


さて、霊界のあり方や、その、のりうつり方は、前述したとおりであるので、
おわかりいただけたと、思う。
ただ、霊のことは霊能者や、宗教家にまかせておけばいいと思っていた人達も、いよいよ
これからは、必然的に巻き込まれざるをえなくなってくる。
いや、今すでに霊のとりこになって、がんじがらめされている現状かもしれない。
霊界と無関係で暮らしている人は、一人もいない。
いかなる立場の人であれ、いかなる身分の人であれ、必ず霊界とかかわり合って、今を
生きているのだ。そして、例外はない。

結局、人間が救われていくべき存在となった以上、救われきるまで、霊の現象は様々な
形に姿を変え、人を代えて続いていくのだ。そして今、この今が霊界にとっても、
地上界にとっても二度とない歴史的チャンスなのである。
それは「救いの時」が今であり、同時に「先祖からの召し出し」が今である事を
物語っている。
一族の誰かに「召命」が下ることは、本来はすごい事といわねばならない。
さて、では今、「もし、あなたにその【召し出し・召命】が下ったら、あなたはその
命に、従うことが出来るかどうか、なのである。
今がどういう時であるかは、霊界は知っている。我が一族の誰れが、召されるかは、重大
な事件である。
あの、奥州「金色堂」での伊達主従の話を、思い出してほしい。

これから先、ドンドンと地上人に霊界からの呼び出しが下される時、そのチャンスを
取り返しのつかない事にしないためにも、日々、耳を澄まし、目をこらしてご自分の
霊力を鍛錬されんことを、心から願う次第である。
「霊感が強い」とは、本来「この日」のために用意された、先祖からの贈り物である
はずなのに・・・。


<次へつづく>

霊感の強いあなたへ(4)-2

2011年12月26日 | 心霊現象
その「塩」を、布団といわず、体といわず、畳といわず、手当たり次第
部屋中にまき散らした。
塩はあっという間に無くなった。
しばらくすると、院長は静かになった。
救急車を呼ぶ事と、旅館に知らせることは、明朝まで待つということになった。
朝、院長は何事もなかったように、ケロッとして元気だ。
みんなのけげんそうな顔で気付いたのか、彼女は「何かあった?」・・・と。
「何も覚えてないんですか?」私がおそるおそる聞いた。

「あっ、そうだ。何か不思議な夢を見たわね」
(そうでしょ、そうでしょ。大変だったんだから)
「上からね・・・白いふわふわした、羽のような、雪のような物がね、降ってきて、
 わたしを包み込むの。もう、気持ちがね、すごーくよくなってね、そのまま
すーと、眠ったみたい。あれは、何だったの?
それにしても、このざらざらした物は、何?砂?どうして・・」
(塩ですよ)
「あれ、塩みたい。何でこんなに塩だらけなの?」

私が代表して、昨夜の事を話すと、院長は全く覚えていない。
他の職員はとみると、「全く、いい迷惑だよ」と、口には出さないが、寝不足の目を
こすっている。

そうか、白い雪のような、羽のような気持ちのいい物か。
院長はそのように「表現」したまでだが、他の状況で、同じようにこの「塩」を
使った時、その人はどう表現するかは、わからない。
とにかく「塩」は何かを清めたのだ。
「気持ちのいい物」で、よかったと思っている。

宗教者はどの宗派であれ、多少の差こそあれ、各々の教えにのっとって念じ、
あるいは祈って、その塩に霊的な力を与えて、いわゆる「魔界」を清めているのだろう。
自分の霊力で、その塩がどれだけ威力(魔界を清める威力)を発揮するかは、
確かに、霊能者としての決定的な内容を示すことになる。


「霊感の強いあなた」へ贈る言葉は。
あなたのまわりの「雑霊」(魔界)を「あなたの塩」で清めてみてください。
今すぐ、あなたが、まくのです。
さあ、いろんな霊が寄ってきて、困るという方、台所にある「塩」を一つかみ持ち、
全霊をかけて念じ、それで、勝負をしてみてください。
その結果が、その塩を通してみた、あなたの「正しい霊力」の判断基準となるでしょう。
その「塩」が、あなたの力(今の)を教えてくれるでしょう。

その時の注意を一つ。
念じた塩は、もとに戻さず、(調味料にしたり、口に入れたりはしない)きれいな物は
紙に包むかして、身につけるか、カバンに入れて、お守りにしてください。
下などに落ちた塩は、きれいに集めて、捨ててください。水に流してもいいようです。


あなたの霊力が、魔界をも清めるくらいになる日が来ますよう、祈っています。

 

霊感の強いあなたへ  (4)-1

2011年12月26日 | 心霊現象
久しぶりに、書きます。
一丁目、四番地ですよね。(間違っていたらごめんなさい)
今日は、「塩」の威力についてです。


塩を「清め」に使う文化は、日本だけかと思ったら、そうでもない
みたいですね。
でも、日本で何と多いこと。
思い出されるだけでも、これだけありますよ。
まず、「相撲」の取組前のあの、すごい量の塩。なんであんなにまくんですかね。
清めてるんですね。けがをしないようにとか、邪念がわかないようにとか、とにかく
相撲じたいが、「神」に奉納するものでしたから、あたりまえといえば、あたりまえでしょう。

さらに、私たちの身近なところでは、葬式の後の「お清め」として使う塩。
まるで、おまじないだと思っている人も多いんじゃないですか?
親が教えないと、意味がわからないまま、子供は育ってしまうでしょう。

他にありますか?
そう、商売をやっている人が、玄関に盛っておく白い物、あれ、塩なんですよ。
特に水商売に多いです。正面玄関に小高く盛っています。(何を清めるんですかね。
それとも、商売繁盛のしるしなんでしょうか?)

さてさて、日本はどうしてこんなに「塩」が好きなんでしょう。
海に囲まれて、塩に恵まれていることもあるでしょうが、それだけじゃない
もっと霊的な意味があります。
そして、その塩って、本当に、効き目(効果)はあるの?
と、お思いでしょう。
ここで、一つ、私の体験談をお話いたします。
私に使ったのではなく、ある場面(霊的場面)で使ったときの現象です。



ある会社で院長はじめ、参加できる職員で一泊旅行に出かけた時でした。
(ペリリュー島の会社ではないですよ)
私は、院長と同じ部屋で、あと一人の職員もいた。
若くはない院長の希望で、和室になった。
旅館内もすっかり人の姿がみえず、寝静まった丁度0時か、1時ころだった。
院長のうなり声とも、つぶやき声ともつかない声が、聞こえてくる。
「どうかしましたか?」
私は声をかけながら、ここで具合が悪くなったらまずいことに・・・と内心、あわてた。
楽しいはずの旅行が、台無しになるかも・・・だ。

この「学院」は、由緒あるつながりを持つ。何と?
明治天皇とだ。
しかし、それは馬だった。天皇の名馬「金華号」の遺骨が埋葬してある土地を
抱えるようにして、学院が建っている。
それが、院長の自慢の一つでもあった。
院長は女だ。ご主人の死後、奥さんが継いだというかっこうだ。
さて、その院長の声がはっきりと、男の声に変わり、がばっと、布団の上に身を起こし、
いきなり立ち上がると・・・
「見よ!この行く手を!」と、天井を指さし、片手を腰にかまえて、何かをわめき
はじめた。言っていることがさっぱりわからない。
もう一人の同室の女性は、院長が気が狂ったとばかりに、隣の部屋に走った。
「ねえ、救急車を呼びましょうよ。旅館の主人も起こさないと・・・」

そうだ、普通ならあわてふためいて、そうする。
だが、私もすこーしは、霊の事は信じ始めた矢先だったから、「待て」と合図して、
院長に向かって一言二言何かを、言ったのを覚えている。
返事はない。叫び続けている。
そのうち、私は、院長に手を触れて、「疲れるから、」とか何とか言ったようだ。
その時だ、ものすごい力で突き飛ばされ、部屋の隅へ、吹っ飛んだ。
他の男性職員もきて、同じように試みたが、力およばず、部屋にころがった。

その状況をみて、私はとっさに旅行カバンから、「塩」を取り出した。
霊能者K氏からもらった塩だ。



<次へつづく>

ペリリュー島を訪ねて  2

2011年12月25日 | 心霊現象
朝から夏と思える日差しが、上にあった。
寝不足の目にしみる光を避けるようにして、船に乗り込む。
「遺族の方ですか?」と、観光案内の人に聞かれて、一瞬複雑な気持ちだった。
そうだ、数日前までは、単なる観光客だった。が、今の心は完全に「遺族」だ。
日本の戦死者何万人の心の遺族なのだ。
私は、海に入れないことをいいことにして、周りを見て歩いた。

現地の人が案内してくれる、まさに戦時中のそのままの状況は、何にも増して
激しく、物語っている。
海面に突っ込んだままの、ゼロ戦。
洞窟の奥まで続くビンや缶、飯盒のふたや紙袋。
風雨で赤茶けた戦車。中川大将(間違ったらごめんなさい)が自害したという場所。
機関銃の生々しい姿。ジャングルに突っ込んだ飛行機も、そのままだ。

いたるところに残された遺品を集めて、「資料館」となっていた。
現地の人による遺品収集の結果だ。薬のびんや、酒のびん。
銃や、衣服や、カバンの一つ一つが、物語っている。
「わかったよ・・・」私は心で、彼らにささやく。

ペリリュー神社がある。
現地の人が「靖国」とまではいかないが、日本の人の心のよりどころ、だといって、
建立してくれた、と聞くが諸説あるようだ。
そこに、敵将、米国の戦後太平洋方面最高司令官だった【C・Wニミッツ提督】の「碑」が
たっている。

提督は、「制空、制海権を手中にした米軍が、一万余の死傷者を出して、ペリリューを
占領したことは、いまもって大きなナゾである。」と述べ、

『この島を訪ねる、もろもろの国の旅人たちよ、あなたが日本を通過することあらば、
 伝えてほしい。
 此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と、祖国を憶うその心根を・・・』

という言葉の碑だ。       (ウィキペディア、他観光案内から)


現地の人は、いまだに言う。
島の住人もいたが、日本兵は一人残らず追い出した。
「あんたらと一緒に戦ったら、日本兵のこけんにかかわる、出ていけ!」と、
そう言って、闘わせてくれと頼む住人を船に乗せ、その船が、はるか向こうへ行ったとき
日本兵の唄が聞こえてきた。「さよなら」を言っていると民は理解した。
この心、感謝は、今も子や孫に言い伝え、決してわすれない。
この島の海岸、今はオレンジ海岸と呼ばれているが、日本兵と米兵の血で真っ赤に
染まったことから、「オレンジ」と名付けられている。
米兵の遺体は、すぐに彼ら米国によって片付けられたが、日本兵の遺体は、全員玉砕だったから、
そのまま放置された。
島に渡ったかつての住人は、自分たちの命を守ってくれた日本兵の遺体を、泣く泣く一人
残らず、埋葬したという。
今現在も、8月15日には、パラオの歴代大統領は、海の底で眠る日本兵の遺骨を前にして、
その霊をなぐさめていると、話してくれる。
パラオ共和国は、今でも日本語が通じる。
全部が全部ではないが、何百という単語が、今も使われていると聞いて驚く。
さらに、彼らの子や、孫の名は、日本名も多い。○○ちゃんと呼ばれて、彼らの子供が
恥ずかしそうに出てくるのだ。

そして、パラオ共和国の国旗のいきさつを、聞くに及んで、泣けてくる。
青地に黄色の月だ。それも中央ではなく、少し右(?)によっている。
恩ある日本が太陽なら、自分たちは、月になろう。
そしてその太陽の光を反射して生きる月のように、そっと寄り添って、絆を保とうとした。
それも、地の真ん中を避けて、少し端によせて、だ。
その国の独立、建国記念日に、日本は何の意志も示さなかったという。
待っても、待っても祝電すら来ない!
しかし、彼らの心はそんなことでくじけは、しなかった。
総理として、初めて訪れた「橋本氏」の態度で、国民は、再び日本を、さらに強く意識した
と、現地の人が語る。
飢える寸前の島の人に、「タロいも」のつくり方や、今も土産として売られている「木の彫刻
細工」は、みんな日本の人が教えてくれたものだと、熱く語る。

まだまだいっぱいあるが、観光案内人ではないので、これくらいにして。

さて、私が部屋に着いて、何を話したかで、締めくくる。
車座になって、座ってもらった、その後の私の言葉はこうだった。
「よーく、わかりました。
 皆様に三つの道をご案内します。どうぞ、私が日本へ帰るまでに、お決めください。
 一つ、望郷の念は何ごとにも、変えがたいもの。私といっしょに、お帰りになる方は
 ご一緒します。そして、必ず「靖国神社」へと、ご案内しましょう。
 でも一つだけ、お覚悟をしてください。
 今の日本は皆様のお心を、慰めることは、できないでしょう。
 こんな日本にするために、我々は、死んだんじゃ、ない!・・・とそう思われる
 日本の状態でも、いいですか。それでも、帰りたいと。

 二つは、心が慰められる道を選びたければ、このままパラオに残られた方がいいで
 しょう。気高いその心が、傷つかずにすみますからね。

 三つは、そのどれでもなく、人として、また別の道が用意されていますが、その道を
 辿られますか?本来の人間というものに目覚める道です。

 あさっての私が帰るまでの間、いや、瞬時でもいい、皆さまのお心を見定めてお待ちください。
 第三の道をお望みの方には、その案内人が霊界で待機しているよう、申し伝えておきます。」

深々とお礼をして、集会?を閉じた。
あの時以来、ラップ現象はない。

帰国後、早速靖国神社へ詣でたことは、いうまでもない。



あなたは、この事を、信じますか?

はい、おわりです。