霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

霊界にいって変わる指導内容、それは言葉

2011年12月22日 | 心霊現象
これからご紹介する内容は、先日書いた「世良修蔵」を背後として
降霊した青年の、今度は守護霊の言葉です。

当の本人が一番ホッとした事でもありましょうが、周りの私たちも
やはり胸をなでおろしたというのが、本音でした。
この青年は、寮で同室であったもう一人の青年(仮にBとする)と、ボクシング
の練習に励んでいました。
が、Bの態度が、ドンドンエスカレートし、最後には、深夜寝ている頭の横で、
「殺す、ぶっ殺す」の異言を吐くようになり、命からがら逃げ出すところを、
K氏と出会ったといういきさつでした。
K氏が声をかけなければ、それまでだったか?
いいえ、そこに集まるように、しくまれていた、と今になれば言える事ですが、
当時としては、とてもとてもそんな風には、考える事すらできなかったでしょう。
寮は出たものの、今夜泊まるところもない。
だからといって、寮に換えれば殺される。(かも?)
デパートの屋上から下を眺めて、めんどくさい、死んでもいいか・・とまで
一瞬だが、思ったそうだ。
その青年Aが、しばらくK氏の仕事を手伝うようになったのは、しごく自然の
流れというしかない。
その間A青年は、霊界の事、因縁のことなど、はたまた「天法」までてんこ盛りの
メニューをこなす毎日でもあった。
そして、守護霊降霊である。

彼はやはり中途半端になっている格闘技「ボクシング」の事を聞いている。
地上の本人から問答をしてもらった。

A男「あなたさまは、わたしの守護霊ですか?」

守護『(少しうなずく)』

A男「お名前を聞かせてください」

守護『(しばらく黙っている。その後)言わずとも、望月とも縁あり、
   海野にも縁あり、・・・言わずともがなじゃ』

A男「禰津の宗家であられますか?」

守護『そんなところで、よいだろう。』

A男「天皇家の血統ではないのですか・」

守護『みな一族は、おそらく大なり小なり、皇族の血はひいておるよ。』

A男「どのような霊界におられますか?」

守護『だいぶ、そのほうに感謝しておるよ。
   あまりうまく言えないのだが、これすべて、あの世もこの世も、
   修行の連続だからな。
   ただ、わしのあの世の修行、努力した度合いよりは、だいぶ高いところへ
   引き上げてもらっておるの。その意味での、そのほうに感謝をして
   おるよ。』

A男「いろいろな現象を見せてもらっていますが、これはあなたによる
   ものですか?」

守護『わしには到底、作用することは及ばぬよ。』

A男「さらに上の霊界の人からの作用ですか?」

守護『そうよのぅ。うまく言えんな。
   こちらへ来てからの生活は、うまく言えんが平穏じゃよ。
   闘うことがなくなったでの』

A男「そこには一族の方が、多々おられますか?」

守護『一族らしき者?皆無ではないが、ちと少ないの。』

A男「ここに、集まったということは?」

守護『やはり神仏の前に対する積み上げによるのかの。
   滋野一族の霊の強さが、引き合わせるというのかな。
   やはり、別格とまではいかないが滋野一族は、うまく言えんが
   その神仏の前につくした分だけ、あの世へきても救われるのぅ。
   まあ、よい。』

A男「今からの、私の方向性としてボクシングを目標にしていますが、
  そのことについて、どう思われますか?」

守護『うむ。まあ、闘争心もよかろう。
   わしは、戦(いくさ)の明け暮れで、闘いは、飽きたな。
   一応わしも、世評からはひとかどの武将に思われておるゆえ、
   肉体が闘うも、よかろう。闘ってみるもよかろう。
   わしは常に、・・・やはり語れるものは、いさぎよさであり、・・・
   いさぎよさ・・うーん、卑怯未練をなくし、武士らしくじゃな。
   感謝しておるよ。いさぎよく、闘え』

私 「そちらで、あなたさまを導き、指導された方は、今も渡られますか?」

守護『指導するものが、変わった

私 「それはどういう事ですか?
   具体的に、たとえば人が代わった、指導の内容や言葉がかわった・・」

守護『そう。言葉が変わった。姿形は、あまり変わらぬが、言葉が変わったな。
   わからせてもらっておるよ。
   疲れたので、帰りたい。もうよい。』

A青年の守護霊降霊は、後日何度も行われた。
また、B青年の守護霊が「望月」であることもわかった。
それはまた、後日の話として。
もうひとり、霊界で新しく学びに入った方を思い出す。
佐渡国主奥方である。
あの方もしくめる霊界から、今は降り、神の言葉を学んでいると・・・。
淀みなくながれた読経『南無妙法蓮華経』の教え、が、神の言葉に変わった
と言っている。

まだまだ、あの世のことははかりしれないが、霊界も地上界も、学びを
一つにして、救われようとしている事は、確かである。
    
   

その介護は誰がするの?  2

2011年12月22日 | 心霊現象
母を亡くした後、彼らはどうしたのであろうか。
霊界はうそを言ったのか。
単に、一時の気休めで「治る」と言ったのか。
そしてまた、霊能者K氏の「みたて」は間違っていたのか。
不信は不信をよぶ。
「一時の気の迷いだ、見てはならないものを見てしまった。
 聞いてはならないものを、聞いてしまった。忘れろ。忘れろ」
と、全員、守護霊達が語った数々の言葉から、遠のいていった。
母の葬儀がピリオドを打ったと思った。 
そして・・・。


今、血統圏の小さな命が一つ、消えかかっている。
亡くなった「母」の孫にあたる命だ。
生後、八か月、原因不明の「意識不明状態」が続いている。
時々、心臓も止まる。医師は見放した。
そして、危篤状態が、今も続いている。

その時、いったい何人が思い当たったであろうか。
母を生かすことが出来なかった「ツケ」が、今回ってきていると・・・。
K氏は言う。
「霊界は気付いてほしいんだ」と。
あの時、やればよかった。一様に皆が思ったかもしれない。
霊界は忘れない。うそも言わない。
一族の繁栄のために、全てを語るのだ。
一族の「業」とまで言い切り、解放の仕方を教えた。そして、一人一人の役割。
時は次に移された。
一つの小さな命が、生死の間をさまよう、今。
歴史は繰り返す。今の出来事は、確かに過去に原因があった。
しかし。これから起こる未来の事は、「今」に原因をもつ事柄であると。
原因はすべて先祖にあるなどと、先祖を恨む我々であってはならない。
守り導いて、そしてともに明るい歴史の結実を望むのが、霊界と肉界の「今」
なのである。
長い歴史の「清算」に、ピリオドをうつのは、私達一人一人だ。


  大きな穴の中。
  母と息子はその中に、生き埋めにされて、
  首だけを出し、往来する人々の足元に埋められていた。
  そこには「竹のこぎり」が用意され、
  道行く人が一回づつ、のこぎりを引いてとおる。
  のこぎりは、穴から出ている首にあてられている。 
  一回。皮が破れ、血が出る。
  二回。肉が裂け、さらにおびただしい血が流れ、
  いつかのこぎりは、首の骨を砕く。
  最後に皮一枚になった頭部は、自らの重みで胴と離れて
  落命する。


この母の守護霊の最期は、このようであったと、彼らは知っている。
このように仕向けた「松永 弾正」への怨みも知っている。
しょせん、言葉だけでは、わかりえないのだろうか。この有様を目で見れば
やっとわかるというのか。
霊界それも過去に展開されたことなど、イメージさえもわかないというのか。
そのような場面の心配りさえできないというのか。

それよりも現実、目の前で追われる家族の食事の用意や、仕事のなりゆきや、
子供の塾や、盆暮れの贈り物に時間をとられるというのか。
日常生活の何一つ犠牲にしなくて、霊界の言葉をただ聞こうとしたのだろうか・・・。

子供の命の事は、その後よくなったとは、聞かない。


  

その介護は誰がするの?  1

2011年12月22日 | 心霊現象
今でこそ、「介護」は国をあげての事業となり、予算も、施設も
なんとかなりやすい。
しかし、すぐこの間までは、介護となれば家族、一族の問題となって
一人一人に降りかかってきたものである。

これからの事例は、先に「奇病、難病」でご紹介したので、前半は
かつあいするが、実はその後があるのである。
私がブログでご紹介する内容や、事例にはその後、つまりその先
のことが当然ある。ただ、書かないだけである。

K氏の役割は、その霊的内容と、それぞれの役割、そして方法を示して
終わりになる。
具体的にやるのは、その当事者である事はあたりまえの事である。
氏族の「救い」や「清算」は、その血統に生まれた人の使命であり、
責任である。余人が背負うものではない。


ことは、「母」の難病から始まった。
医師がいうには、「舌をのどに巻き込んで、呼吸が出来なくなる可能性が
あります。ご本人を決して一人にしないでください。」という。
この一言は、家族全員、はては親戚まで巻き込んでのさわぎとなった。
二十四時間体制で、母を介護するのである。
各々、一人一人には自分の都合や、家庭の事情をかかえている。
つきっきりの「番人」が出来る者など、いないのだ。
しかし、医師は「あと一年」と宣告した。
よしんば、「一年でいい」として、その介護は誰がする?
家族、親せき縁者が急にバタバタし始めたとき、一人の縁者から
K氏に声がかかった。それが、あの「尼子一族」の悲劇を伝える霊的
内容であった。

 『わらわの意思にて、そのほうの母じゃに、このような障害を背負わせる
  事は、せんなきもあり、わらわの本心には全くあらず。
  わらわの力及ぶ範囲のものではなく、上からしくみし・・・。
  わらわ、そのほうたちを含め、一族郎党に背負わされた【業(ごう】である。

  わらわは、、肉体を脱いで、今は霊界圏にありて、よくよく思うに、
  見える存在よりも、見えなきものを信じられる心根も大事であるが、
  むずかしい事であろうが、治るのだから、治るのだから、不信せず、
  目に見える結果がどうであれ、治るのだから・・・・。
  たのむ。信じるところからお願い申す。(泣く)】

  わらわの世界においては、霊的に開放されるということ、これが形のものでなく、
  心からのわらわの晴れた分だけ、はれてきたという物質の満足でなく、その
  ほうたちの結束において、なぐさめられた分、わらわの声を出しやすくしていると
  いうことである。
  これは、物ではなく【心】があったから。よろしく願い、よろしくたのみまいらせる』

守護霊の語る言葉、その内容、方法は地上に知らされたはずである。
その後、この婦人をとりまく一人一人の守護霊降霊は、すぐに行われた。
そして、その結果である。
普段の生活圏の中でかもし出される事情と心情の交叉。心の乱れといさかい。
その一つ一つを治めよと、霊界は叱咤激励する。
一人でも欠けてはならない。一人でも我を通してはならない。
目の前の母の病を「みせしめ」にしながら、解こうとする霊界の苦肉の策
でもあった。
しかし、人間はやはりおろかである。目の前に展開することが、ためしとわかり
ながらも、血気、怒気、短気等を治めることは難しい。
また、自分が中心的な立場だと教えられても、自分勝手の判断による失敗は続く。
各々がかかえた事情、そして我。ケンカの日々が続く。
そして一年半、母は、亡くなったのである。


<次へつづく>