霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

私を取り巻く最近の情況変化(霊界事情?)

2014年08月26日 | 心霊現象
やっと秋風が、自分のところまでやってきたという感がします。
が、喜んでばかりはいられない。
広島の雨による災害は、他人事ではいられなくなった。
知人が「あの界隈」に住んでいる。
先には、あの東日本震災で被害に会った知人がいて、今回は広島だ。
こんなに小さい島国の、いたる所で今「はじまって以来」の気象の変化が私達を襲い始めた。
単なる偶然だろうか?、さらに何かの予兆だろうか?・・・。
ここまできても、日本の過去現在未来を解き明かす者は、・・・いない。


さて、小さいながらも「私を取り巻く」事情も少しづつ変わってきた。
霊界事情と申し上げておこう。
人には「そう」見えないだろうが・・・。
一つは「単なる人事異動」であり、いま一つは表には何も現れない「心模様の変化」である。

先日、我が職場の人事異動が発表された。
動く職員はわずかだ。数えるほどの人数ということもあって、ほっと胸を撫でおろす者も多かっただろう。
が、そうは問屋が卸さない。(これは私の見方であるが・・・)
この人事の背後には、そうだあの「抜擢人事」に紹介した類似点が見え隠れするのだ。
9月1日より、いよいよ実施される「この人事」により、霊界が動かないはずがない。
まだあと一週間もあるというのに、私の耳には「きな臭い」噂がいやおうなしに入ってくる。
今回は私自身が直接動く者でなければ、まあ脇役と決め込んで何がどう運ばれていくのかを見守ればいいと思いながらも、間接的には、友人、知人が関わっている。
となると、またまた「私の心」は無関心ではいられなくなる。
不思議なことに、ここ3、4日の間に「狼煙」があがり、思惑の何たるかをこの私に話す者が現れた。
聞くだけの私は何も言わない。「意見」などないからだ。
人が動く背後には、当然「因縁」がつきまとう。
因縁などくそくらえと、無視を決め込んだとしても、其々の思惑はついて廻る。
誰がどう仕組んだものであれ、人事異動という「霊界をいじる行為の背後」には、何かのリスクを伴って見え隠れするものがある。
このたび、こんなにも私の耳に聞かされている内容は、「明」よりも「暗」のほうが多い。
一人一人の自覚や反省、はたまた本当の意味での「因縁解き」に、謙虚なる姿勢で取り組まない限り、
分裂は避けられまい。
降格もあれば、抜擢もある。
自分が何にあたるかは、其々の思惑と深く関係する。
野心ある者には、とうてい避けては通れない「難関」が用意されるだろう。
「いったい何を教わってきたの?・・・」と、一頃流行った「山口百恵」の歌の文句が思い出される。
「プレイバック」・・・、そうだ、時はもう返らない。

この「きな臭い」臭いからは、あの広島で起きた「土石流の前触れの臭い」がかぶさってみえる。
事が起こる前触れの「臭い」。
私達は、初めて学んだ。土が、その臭いを発して前もって知らせていることを。
予知は、予兆は必ずある。
人事に浮かれたり疑心暗鬼になっている者には分からない。
人の単なる動きだと思っているからだ。
このブログを今日まで読み続けてくださった「皆様」ならば、すぐにお解りだろう。
その背景に何かがあり、霊界の仕組み、あるいは「仕組み替え」が起こった結果であることを。
一番の「正論」であり、当たらずとも遠からずの行動は何であるかも、お分かりのはず。
そうです。過去の功罪の「罪」の部分を、先祖に代わって清算することを念頭におきさえすれば、人事の背景は怖れずに足らず。どう間違っても、失敗することはない。
傲慢になり鼻高々とその態度を露わにする時、全ての足元を掬(すく)われるということを、決して忘れないことだ。(罪の上塗りをしてしまったら・・・、元も子もない)
集められた一人一人を、「愛し」「慈しみ」「育み」大切にしてこその「抜擢人事」が霊界から示された本当の目的であることさえ忘れなければいい。
上司の覚え目出度い「自分」を誇ったりひけちらかすとき、墓穴を掘り自ら真っ逆さまに落ちて行くことを覚悟しなければならない。
抜擢された者こそ、震えるような日々を送るのがこれからの毎日である。
『抜擢人事』とは、その背景にこそ留意されよ!、とまあこういうわけである。
現に一人、傲慢になり始めた者がいる(らしい)。
自分が今、長い歴史の「どこ」にいて、「何をするべき」立場にいるのかを知らない者にとっては、(ほとんどがそうであるが)人の動きで一喜一憂し「その大切な時」を失っていくのだ。

さて、無言で過ごした私の3か月。
長いといえば長かった。
が、見えないものが見えてくる。そんな時間でもあった。
人の「恨み」と「愛」が、どこでどう交叉するのかが見えた時、私には「ここで仕事をするハメになった」本当の意味を知るだろう。
9月1日をもって始まる「歴史を賭けた霊界解放」の様を、またご報告出来れば幸いである。



次は「私」を襲った「女の愛と恨み」の心模様である。
一頃「矢代亜紀」が歌ってヒットした『雨の慕情』というのがある。

♪ 雨雨降れ降れもっと降れ わたしのいい人つれてこい・・・

  憎い恋しい 憎い恋しい めぐり巡って 今は恋しい~

あのハスキーな声で、妖艶に歌われたら誰だってたまったものじゃない。
彼女が一つのライフワークにしているという「刑務所の慰問」は、女刑務所に収監されている者たちの唯一の楽しみだという。
そして彼女たちが服する「刑」の背景にある「女心の憎しみと愛」の狭間を思い出しては、その歌に酔い泣くのである。
それほどまでの「男」とは「何か?」・・・。
永遠のテーマである「男と女」。そして女ゆえに手を染めた罪の背景・・・。
私は何も言えずに絶句し、そこにたたずむだろう。

過去の「強姦事件」のあと、私は神に聞いた。(祈った)
「なぜ?。男と女なぞ、こんなめんどうなものを造ったのか?」・・・と。(罰当たりも顧みず)
そしたらすぐに怒られた。
「最も尊く、最も美しいものを汚したのは人間だ。だからそれを美しい本来のものに元返してくれ」と。

本来の美しく尊い「もの」を夢見ながらも、現実の汚い実態だけの「今」をみなければならない「因果」な自分を叱咤激励しながら送るこの「よすが」を、ある「女」が目に付けた。
その時から「私の雨の慕情」が始まったようだ。
あの歌は最後には「恋しさ」がくる。
しかし私の背後は、最期に残るのは「心残り」でありそれはまた「晴れない恨み」であった。

私の心を「誰か」が占領している。
そう気が付いたのは、先日ブログでご紹介した「ペリリュー島に残る望郷の念」の一日前だった。
そうなんだ。「私じゃない」。悪く言えば心を乗っ取られたのだ。
なぜ?。そしてなぜ私なのだ・・・。
私の心にスキがあったから?・・・。それとも私が「男好き?」・・・。(ふふふ、面白い)
それとも「その心情圏に因縁がある?」・・・。(於松様の恋心?)

いずれにしても「憎い、恋しい」の二つが、シーソーのように揺れ動く日々でございました。
いやはや、疲れたのなんのって・・・。
体重も人生始まって以来39キロを記録し、医者に怒られた次第です。
「恋煩い」って、こんなにも大変なもんなんですかねぇ。と言うこの私に、白羽の矢がたったことが面白くもあり、不思議でもありました。

さあ、もう皆様にはお分かりですね。
そう「心情」を預けるということは、賭けみたいなもの。
下手すれば「地上を巻き込んで罪の上塗り」をする可能性がある。
前に書いた「三宅島出身の彼女」のこと。覚えておいででしょうか・・・。
背後は遊女。(遊び目女・あそびめ)
男なら誰でもいい。自分の父親くらいの男性とも仲良くなれる。
その心の虜(とりこ)になり、(乗っ取られ)罪の行為を重ねていく・・・。
だから、「そうならない」意志の強い女。そうそう「石の様な女」を選ぶことが大切になる。
そして自分の無念を、思いのたけを預ける・・・。
地上は「審神者(さにわ)」の役目。いいか、わるいかを告げ、説き、道を示して悟らせさらなる高みへと誘導する。

私の背後が尼様だらけでよかった!。

霊にあやつられ、乗っ取られ、思いもしない人生の深みにハマることは結構あるはずです。
特に男女間の問題は、それが即天法を犯すことにも成りえますから、よほどの「固い女」じゃないと危険ですよ~。

と、まあこうして今は「説得」を重ねている毎日でございます。
あの世では、「彼女」を尼様方が取り巻いて日々をお過ごしかと存じます。
戦乱の世に生を受け、人生を翻弄された「女性(にょしょう)たち」はごまんといる。
尼様方もそんな人達であれば、きっとその「彼女」のお心をむげに否定することなく、正しく丁寧にお導きくださることと安心しております。
なんたって私の影の軍団は「尼様軍団」ですから。

さあ、そんな私個人の霊界模様も、9月から「仕切り直し」です。
こちらの方も、機会があったらまたお話をいたしましょうか・・・。


涼しい秋風を受けながら、最近の事情をばお話し申し上げました。
みなさまにおかれましても、どうぞ夏の疲れを癒しながら、再びの命の輝きを取り戻してお励みくださいませ。




ペリリュー島に残る「望郷の念」

2014年08月19日 | 心霊現象
お盆も終わり、みなさまも普段の生活に戻られたことでしょう。
私もいつもとはさして変わらない生活をしながらも、再びの「ペリリュー島を偲ぶ日」を送る日々でした。

実写で見る「その有様」は、また強烈に胸に突き刺さり、いつまでも残るものでした。
その時思ったことが一つある。
「やっぱりな・・・。あれは気のせいなんかじゃなかった。彼らがどんなに日本へ帰りたかったか。
 また、どんな日本になっていても理屈じゃない。祖国の地を踏むということが彼らにとって、心の位 置を占めるどれほどのものであったか。私は知らなかったかっただけだ。
そうだ、あの日。
私の心の全てを占めた「あの望郷の思い」は、今にしてようやく借り物ではなく、私自身のものとして蘇る。


日本の冬から飛び出し、南の国へと向かった「私」を待ちうけていたものは・・・。
強烈な「望郷の念」だった。
そうだ。言い方を代えれば、「望郷の念」に襲われ続けた。
朝の太陽で真っ赤に染まる「朝焼け」。
どこかでまだ鳴いている鶏の声がする。
地球は12月でも「ここ」は夏だ。照りつける太陽を遮るような雲の間から、朝の太陽が顔を出す。
『日本の方角はどっちだ?。早く帰りたい!・・・、しかしもう帰れないかもしれない・・・』
こんな思いがいきなり湧いてきた。
その時私は、不吉な思いに満たされた。
「ああ、私は帰れないのか。ここで果てるのか?・・・。単なる観光で来たとばかりに思ったのに、帰れない?。帰りの飛行機が落ちるのか?。それともこの島で起こるアクシデントが私を襲うのか・・・」
焦りの心が湧き始めた。(なんということだ。今死ぬ予定など、私にはないぞ!)
しかし、その焦りと裏側に張り付いた望郷の思いは、いつまでも消えないどころか増々大きく深くなっていった。
夕日で真っ赤に染まる空を見て、私は泣いた。
「来るんじゃなかった!」
今すぐ帰ろうか。私は自由だ。誰にも指図はできまい。
帰りの予定を早めればいいだけだ。
待てよ。そうじゃない。帰れないという運命はどうあがいても「帰れない」ということだ。
私はここで果てる・・・。私にとって、日本は何だったのだ・・・。
帰って何がある?、そこまでして帰りたいか?・・・。
そうだ、帰ることさえ出来ればそれでいい。帰ってからなら何かがまた始まるのだから~。

そして私は、最後のこの時に「予知能力」が与えられたのだと思った(後で知れば、錯覚であり笑い話の一つにもなろうが・・・)
旅に出てこんなにも「里心」が強烈につくなど、いままでの経験からいっても「ない」。
きっと私は帰れない。旅先で果てるのだ。(なんてこった!)


そして「あの夜」私は彼らの存在を知る。
たとえ「霊」でも、彼らは確かに私の周りに現れ、一つの思いを共有してくれた。
その一番の思いが「日本へ帰りたい!」という「望郷の念」だったのだ。
理論を越え、理屈を超えた人の想いが、そのまま私の魂にぶつかってきたのだろう。
朝夕の燃える雲を見、夜は三ツ星(オリオン座)を見て泣いた。
ヤシの木を見ては泣き、鶏の泣く朝がうらめしくもある。
島中漂う潮の香り、不思議な異国の臭いと空気感の違いが「もう、絶対に帰れない」という我が身を思って泣いた。
それらはみな、彼ら日本兵たちが一様にして持った強烈なる「望郷の念」そのものである。

しかし、私はまだ「自分の運命」を疑っていた。(絶対はないが、それに導く条件を考えた)
帰りの飛行機が無事に着くかを、目を凝らして辿ることを怠りはしなかった。
つまり飛行機の座席に着いた「現在地」を知らせる掲示板から、一時も目を離さずに飛行の経緯を辿り続けた。
「ただいまコロールの上空です」
「ただいま九州の上空です」
「ただいま成田に近づいています」
日本の領域に入ったと知ったとき、「この心の解放感はいったい何だ?・・・」。
『やっと、日本へ帰ってきた』、深い安堵と喜びに浸ったことを今でも覚えている。
飛行機から降りるときも、山手線に乗るときも、私の足は地に着いた感がない。
あまりの嬉しさに空を歩いている?・・・。
気が付けば、会社に戻っていた。

彼ら「ペリリュー島」の日本兵達は、現地の人達に親切にされながらもやはり祖国・日本へ帰り、もう一度生きてみたかったのだ。
奇跡的にも島から生還した34名の日本兵は、その彼らの「望郷の念」と、「次の命」を継続する使命をもって、それぞれの人生をたどったことであろう。


「望郷の念」が、これほどに強烈であり、言葉を失うほど深い思いであることを、私はあの時も教えられていた。
朝鮮の役で敗れた「金将軍」のことである。
あとから「ふるさとは、忘れがたきもの。長男をしてわたしの一存で朝鮮へ送った」と述懐している。


帰りの飛行機が落ちない方法を、私は一つだけ実行した。
それはね。(ふふふ、笑わないでね。昔聞いた話だから~)
「とても大切な方がお乗りになっている飛行機が、敵に狙われて落ちるという可能性は・・・、ある。
 一つだけ、落とす側と落としてなるものかという二つの念(勢力)の闘いである。
 神の力はもちろんのこと、天使の力を借りた。
 飛行機をまるごと天使が下を支え、横を支え、尾翼を支え・・・。
 目で見えないベールで被わんばかりに目的地まで支え続けた・・・、と)

あんまり強烈な「望郷の念」でしたから、「あの世」と「この世」の引き合いかと錯覚して肝を冷やした次第です。
今となっては、落ちるわけがないでしょうが!と一喝されそうですが。
それだけ彼ら(日本兵)は、本当に返りたかったんです。
帰れさえしたら、また戻ってきてそのまま死んでもいい、というくらいにね・・・。


日本の何が、日本の何処が、日本の誰が・・・、「あなた」にとってそこまでにさせたのでしょうか・・・。

今私は、ペリリュー島の激戦の実写やドラマを見ながら、再び偲んでいる。
その「思い」を継いで私達が生きなければ、あなた方は救われない。
どうぞ喜んでください。
あなた達によって、こんなにも「うるわしく、誉れ高い祖国」に生まれ変わりました。ありがとう!」と、言えなければ・・・。
私は思う。
日本中「お化け屋敷」になってもいい、いまこそ「その眠りから覚めよ」とショック療法をば与えてくださることをむしろ、お願いしたい!。


どうぞ、「望郷の念」をご放念くださいませ。
そして、さらなる「高み」へとお進みくださいますことをお祈りしております。(感謝)

 

『お盆』、あなたは先祖の来訪を待っていますか?

2014年08月13日 | 心霊現象
台風一過の暑い夏が再びやってきました。
おりしも今日から、田舎では一月遅れの「お盆」です。
先祖の霊をお迎えする行事ではありますが、私達は本当に心から待ちわびて「お迎え」しているのでしょうか?。
ましてや「あの世」を信じたり、気にする方々におかれましては何をもって「その心」をお示しくださるのでしょう?・・・。

またまた「くそ婆の演説が始まった」とお思いか・・・?。
その通り!。
「ある事」が引き金となって、今日のブログの内容はこうなってしまいました。
いつもお読み下さる方においては、ある意味「とばっちり」を受けた感があります。
が、あしからず。霊界もまた「こんな思い」なのでなないかと、いわば「代弁者」のような気持ちで語りましょうぞえ・・・。
近々二十歳になるという青年からの手紙を受けて、折り返し電話を入れた時のこと。
私の口から出た言葉は、懐かしさよりも嬉しさよりも、激しい叱責でした。



『長い間のご無沙汰はおたがいさま。
 ただね、この間あなたの心は何を思い、何に忙しくしてお暮しだったのでしょうか?。
 近況をお知らせくださり、近く上京したい由。いったい目的は何でしょうか?・・・。
 「いまさら何を?」・・・、その目的も意味も私には理解し難いのですよ。
 あなたの手紙には何一つ書かれておりません。
 今に至るまでの経緯を説明されても、答えでもなく、意図でもなく、したい事を意のむくままにして きた説明でしかない。
 「あなた」だけが聞いた守護霊の意図するところ。そして希望は、他の誰も聞いてはいない。
 それに対しての答えや、また決意表明はどこにも書かれていない。
 ただ上京し、ただ会って話をするためにいらっしゃるのでしたら、お止めくださいな。
 時間と経費の無駄でしょう。
 霊能者K氏も「会っても意味がない。従って自分は会わない」と申し上げてくれと。
 今月末に二十歳になるとのご報告です。それを待ちに待ったのは誰でしょうか、「守護霊」でしょ  う。
 この日から、あなたは完全に親の庇護から離れ守護霊との二人三脚が始まるのです。
 誕生日を報告し、祝いたいのであればまずあなたの守護霊になさいませ。
 これまでの非礼を謝罪し、今後の長い行く末をお願いすることが順当でしょう。
 あなたは何者であるか、これをはっきりさせるのが、成人を迎えた者がきっちりと胆に銘じる日とい えるでしょうね。
 ともすれば、あなたは守護霊の使命を継ぐべく先祖から召命された者でしょうから。
 このお盆は、あなたにとっても先祖にとってもまたとない時。
 ご自分がどんな役割を持って生を受けたかは、先祖と守護霊から充分はかり知ることができるでしょ う。
 成人までよく守ってくださったと、お礼を言いましたか?。
 何のために守ったと?。「守護霊だから」?。いいえ違います。
 守るだけが守護霊じゃない。正しい道に導き、そこから外れようとする地上人を叱咤激励するのも守 護霊だったはず。
 これからが守護霊の本領発揮でしょうね。厳しい道が待っているかもしれない。
 思ってもみない願わない事が降ってわくように人生が変わるかもしれない。
 しかし祈っていれば分かる。自分にとって不都合と思えることも、あの世から見れば「救ってくれる 者」へのメッセージであったことを。
 今年のお盆は先祖に対し、守護霊に対し、今までにない深い思いで祈ることでしょうね。
 その結果に得たことは、あなたを充分に知った先祖が、また守護霊があなたにだけ伝えた(与えた)
 霊界からのたった一つの現象となるでしょう。
 その上にたって、また次が用意される・・・、その連続が今後のあなた待っていると思召せ。
 やる気がなかったら、さっさと「その路線」から外れることでしょう。
 声を聞いて体外のほぼ99%の人がやってきたようにね。
 
 あなたにだけ厳しいことを言うわけではありません。
 なんと淋しい思いを、なんとやるせない想いを耐えに耐えてきた「霊界」あるいは守護霊であった  か。
 裏切ではまだない。今のあなたは結果「優柔不断」となってはいるが次へと繋ぐのは、言葉を聞いた
 「あなた」だ。親でもなければK氏でもない。ましてや私ごとき「くそ婆」でもない。
 天上天我唯我独尊たる自分であり、宇宙からみた唯一無二の自分の立場であり使命である。
 今は何を言われているのか分からないかもしれない。今はいい。
 しかしいずれ分かる日がくる。いや分からせずにおくものか、という霊界からの時が必ずくる。
 その時はもう私はいないでしょうし、K氏もいないでしょう。
 「一期一会」という言葉がある。
 しかし先祖や守護霊において「それ」は悲しすぎる。
 出会ったその時が、もはや二度とはないという意味合いをもって「設定」されるのであれば、血統的
 歴史を賭けた一種の「バクチ」みたいなもの。
 4、5百年に一度の奇跡であり奇遇なる時であることを、ゆめゆめお忘れなく。
 「もはや聞かなかったとは言わさない。わたしは確かに言ったはずだ」。
 これが守護霊がこの世から取った「絶対条件」。この世というよりも「あなた」からもらった絶対的
 条件と言ったほうがいい。
 今までの事を、簡単に思わないほうがいい。変なおじさんから聞いた変な事?。
 今はそうでも、いずれあなたを導く「宝物」になる。
 それはあなたが絶体絶命になった時に分かる。
 私は今、「会っても意味がない」というK氏と守護霊の代弁者としてのものいいのような立場でもあ る。
 あなたの人生はいよいよこの誕生日から、本当の意味で出発するということを忘れないでほしい。
 守護霊に祈り、先祖に祈って分かったことや疑問が生じたら、「私」に連絡をしてほしい。
 生きていたら必ず返事をいたしましょう。
 今のあなたは、一族を背負うにはあまりにもおぼつかない。
 精神、肉体ともに「たよりない」。これからの位置づけは、あなたの気持ち一つで決まる。
 目に見えない力を信じ、彼らの願いを聞くことから始めなされ。

 お盆はあなたの心がそうであるならば、年中「お盆」である。
 先祖は霊界は守護霊は、あなた無しでは生きていけない。
 まずあなたの行動を示す時。それが心からのものであれば、必ず霊界は聞き届け、動きが現れ、現実 が変わるはずである。
 今の病やこれからのことは、自分と隣り合わせの彼ら(霊界人)との二人三脚であれば、励むもよし
 、怠けるもよし拒否するもよし。
 しかし結果は良きにつけ悪しきにつけ、目に見える形で示してもらえるだろうから。
 親御さんには挨拶せずに電話を切ります。
 失礼の数々はどうぞご容赦くださいませ~』



と、言いたい事を言って、電話を切りました。
人間的、あるいは常識的からみれば「とんでもない」言葉や行為だったでしょう。

お盆を甘くみるな!・・・、とまあこれが言いたかったことだと今思っています。
なーんだ、それならそうと早く言えばいいのに・・、と?。
はたして、「それ」だけを書いて終わったら、みなさまには分かっていただけたでしょうかねぇ。
お盆、とりわけ「日本のお盆」は、先祖は地上から喜んで呼ばれているものと思っている。
その想い、一年に一度の思いを裏切らないでくださいませ。
一族の歓びの中に彼らも交じりたいと思っているのです。


今、BSTVなどでは深夜放送として「戦争・第二次大戦」の真実に迫る特集が組まれています。
ちなみに本日は「ペリリュー島玉砕」のことが放映されるようです。
実写もきっと多いことでしょうから、再びの思いをいだきながら、私もより深い思いを寄せながらしっかり見て学び、祈りたいと思っています。
心の遺族として、ほんとうに忘れてはいけない歴史の事実を凝視したいと思っています。
 

『花火』も『お祭り』も『盆踊り」も全部、死んで行った人達への鎮魂の目的であると知るとき、
彼らの思いを無念から解放してあげたいものだと願ってやみません。
今年のお盆は、みなさまにとられましても意味のある「いいお盆」として迎えて差し上げてくださいませ。



そうだ、手紙をくれたあなた。K氏からの「あなた」へのメッセージを伝えましょう。

『ダイスケよ。俺はおまえが憎くて言っているんじゃないぞ。決してな。
 言うとすれば、親に言わなければならない事がある。
 しかし、今は逢わない・・・』


人生いろいろ。血統もいろいろ。今年のお盆はまた格別であれかしと・・・祈りつつ。(合掌)
 



「目撃者」としての役割

2014年08月07日 | 心霊現象
先般の「事件」を「みた」として、警察から呼び出し?(依頼)があり、行ってまいりました。
そして思ったことは、「これが目撃者としてのわずらわしい事柄」であったかと、しみじみ味わって帰ってきたというわけです。
時間もかかるし、なによりも気を使う?・・・。
取り調べではないはずなのに、なぜか「一種の取り調べ」のようでもある・・・。


玄関から玄関までの送り迎え、つまり警察の公用車に運転手つきという「おもてなし」を受けながら、小さい部屋での4時間缶詰め状態は、普通の人には耐えられません。
お茶は昔のように茶碗では出てきません。今の時代はもう「ペットボトル」の小サイズが一本差し出されただけ。
それでも蒸し暑さが残る古い建物の一室は、「犯人」の気持ちが分かるくらい異質なものでもありました。
今はパソコンで、「供述証書」とやらを聞きとったその場で打ち込みながらの作業だから、結構間がいるようで、打ち終るまで待つその時間が手持無沙汰だし、もったいない。(刑事が自分で打ち込んで、さらに聞き取りもする)
それに、次に何を言おうかと考えていることを忘れていく私でもある・・・。
質問は担当した刑事が聞きだしながら、打ちこんでいく。
その間にも刑事には業務連絡が携帯に入ったりして、「ちょっと失礼」と隣の部屋や廊下へと消えていく。


さてさて、結果私は午後1時に迎えの車に乗せられて、帰ったのは5時半くらいといったところでしょうか。
高齢者ならば、もうへとへとである。
おっと、私もそうだから疲れたのなんのって・・・。(超疲れました!)
警察という「その雰囲気」だけでもう疲れるのです。我々健全な庶民?にとってはね。
さすがに取調室ではなく「相談室」と書いた部屋に通される。
ドアーは一つ。窓もない。小部屋の中には小さな机が一つ置いてあるだけ。
壁に掛かった絵が、あまりにも暗い色合いなのでびっくりして反射的に目を落とす。と、そこで若い刑事のお出ましだ。
一応「協力者」である私の立場を理解しながらも、彼らの口調は事務的であり、犯人取り調べとなんら変わりないような気分にさせる。(私は犯人じゃぁないぞ!・・・)
供述調書の書き方が「そう」なっているのだろう、順序だてて聞き取りがされていく。
「なぜあなたは時間を克明に知っているのか」、「なぜあなたはそこまで見えたのか。視力は左右いくつか?・・・」「本当に犯人は殴っていたのか?」・・・。
(あんたさぁ、目撃者を疑うんだったら、もう帰るから~・・・)
刑事は私の顔を見ながら、機嫌を損ねたと思ったのだろう、ちょっと口調を変え、さらに質問を変えてきた。
「私にはそう見えたのですから、それをそのまま言ってもいいんでしょ?。それともそちらにシナリオがあって、そのように答えないといけないのでしたら、私帰ります」と、ついに言ってしまった。
「いえいえそんなことはありません。ただね、公務執行妨害・現行犯逮捕された男、つまり犯人がね、悪いのは俺じゃないと言い張っているものですから。そこんとこを特に詳しくお話を伺っているということでして・・・」
「あれだけ警官を殴って、俺は悪くない!?・・・、どんな頭してんですかねぇ」と私。


私が時計を見ながら現場を観察した5分という時間。
これはしごく貴重だった。
怒鳴り声がした時間。飛び起きた時間。よく見える場所へと小さいながら部屋を移動した時間。
そして何もせず、ただ見守り続けた5分間。そこで私は携帯で「110番」に通報している。
その時間がピタリと合っているのだ。
「あなたは、なぜこんなにも時間を気にして行動しているのか?」と、不思議というかむしろ怪訝そうに私に聞く刑事。
「それはね・・・」と、長い間住み続けた結果第一通報者になってきた過去を話す私である。
「なーるほど」、ようやく刑事が私を少しだけ信用してくれたようだ。。
言えることだけを言います、あとは文章にしてくださいとお願いしながら話す。少したつと刑事は入力した文章を読み上げて私の確認をとると次へと進んだ。
最後に、この事件を目撃した感想はありますか、と聞かれた。
それも書き込むらしい。
意味が呑みこめていない私に、たとえば・・・、と例を出して「ま、犯人に対して今後は気を付けるように」とか延べてもらえればいいかと・・・、なーんてね。

そして、長い目撃者だけが語ることの出来る『供述調書』なるものが出来上がった、とまあこういう次第でした。
普通の生活をしている人達にとっては、この貴重な時間を煩わされることの重大性は、「目撃者にはなりたくない」という心理状態にさせるであろうし、さらに「また、その時はよろしく」といわれたら、「もうかんべんしてほしい」と思うに違いない。
実際私も、最後にこう言われた。
「もしこのあと検察の検事から、話が聞きたいと言われたらその時もお願いできますかねぇ」だって。
もうのりかかった舟だ。私は「いいでしょう」と受けて帰ってきたが。
警察、検察、裁判所ともし進んだら、私の人生の1ページに増し加わるものが出来たことになる。
が、出来ることならば、勘弁してほしい。

人生いろいろ。
人もいろいろ。
合う合わないもいろいろある。
なぜか警察は「合わない」ところ、であったと思っている。そのダンでいけば多分検察も合わないだろう。
しかし私が選ぶのではない。「むこう」が私を選んだのであれば、こんどは「刑務所」が最後に残っている?。



雑談の中で・・・。(いわば無理に私が仕掛けた雑談だったが)
なぜ犯人は「自分は悪くない」と?・・・。
警邏中のおまわりさんを殴った現行犯として捕まってまでも言う言葉だろうか?・・・。
そこで私が逆に仕入れた「事件」の背景が見えてきた。
かって「このマッチョな男」(犯人)には、軽い前(前歴)があった。
今回と状況はほとんど同じ。
彼女を後ろに乗せて、つまり自転車の二人乗りを警邏中のお巡りさんに注意されたのだ。
「なんで悪いんだよ!」と食って掛かった。
が、その時は注意だけで終わったらしい。
ところが「彼」は、黙認され、自分だけは「いい」と勘違いをしたのだ。
「前のおまわりはいいっていったのに、なぜ同じことで呼び止めいいがかりをつけるんだ。てめぇ!」と、こうなったらしい。
違法だから次は決してやるな!とクギを指し、次は捕まるぞと申し渡すことが抜けていて甘かったと、刑事は残念がる。
また「彼」は精神異常者ではないが、彼の知恵では日常生活がおぼつかないのではないかと思われる節もある。いわゆる世間となじめないものを多々持ってきょうまで生きてきたようで。
「幾つだったんですか?」「32歳です」
「ふーん、生い立ちに何かそうさせる原因でもあったんですかねぇ・・・」と私もため息をつく。

「ところであのマッチョ男に何度も殴られたお巡りさん。ケガの具合はどうですかねぇ。若いと見受けましたが・・・」
「実はね、何度も殴られてはいないんですよ」「えっ、でも男は何度も手を挙げ、パチンって殴られた音もいくつか聞きましたよ~」
「警察官の彼は26歳。その通り若いお巡りさんです。でも彼ね、昔ボクシングの訓練を受けたことがあって、相手のパンチをかわすことはできるんですよ。
でも一発だけかわし損ねて左顎下をかすったと言っていました。その後がこれ、赤くなっているでしょ」
なーんだそうだったのか。
あんまりマッチョ男が威嚇したり強そうだったから、心配しちゃいましたぁ。
でもケガも軽くて安心しました。
あのままお巡りさんとマッチョ男が「車」にはねられでもしたら、「みた」私は後味悪かったし・・・。



「大変貴重なお話を長時間話していただきまして」と言いながら、刑事が差し出した茶封筒に「お金」が入っているのでした。
今は警察も「御礼金(日当?)」が出るんですねェ。
頂く前に領収書のようなものを提出するのですが、そこの内訳にはね。
自宅から警察までは警察の車で来ました。よって交通費はいりません。
と、一筆書いて判を押すんです。
他の項目を見たら、時間の堺があって、5000円とか1万円とか~。
でね、私には1万円支払われるという内容でした。
私だって「これ」をみてから疲れの半分がふっとびましたからね。
刑事さんにこう言っちゃいました。
「例えば温泉に行って旅館に泊まるでしょ。お世話になるからとチップを渡すじゃないですか。
今までは最後の帰り際に、ありがとうお世話になりました、って仲居さんにテッシュで包んだお札を渡したけど、いつの日からか旅館に着いたその日に渡すことにしたらね、もう最初っからにこにことかいがいしくそつなくお世話してくれましたよ~。警察も後からじゃなくて前に渡されたら、多少疲れても我慢するくらい私達も出来るかと・・・」
と、その答えがこうでしたよ。

『警察は、サービス業じゃないですから~』ですと。



人生いろいろ。
経験もいろいろ。いろんな経験をすることも悪くはない?。
しかし「法」にふれる経験はしないほうがいい。
ましてや「天法」を犯す蛮行は、決してしてはなりませぬ。
またまたの合言葉で、締めくくりましょう。
『天網恢恢疎にして漏らさず』

ではまた。

皆々様に暑中お見舞い申し上げます。