霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

わたしが死んだ日  4

2011年12月19日 | 心霊現象
道・・・そうだ、「人の道」があったのだ。
人間にとって大切なもの、生きているうちに、必ずやらねばならないことが、あったのだ。
その「何か」をやるように、人間は本来しむけられて生まれたとしたら、それを
成し遂げない限り、死ねないようになっている。
「死」が恐怖なのではない。何もせずに死に向かうことが、苦痛なのだ。
だから人として、全てやり遂げたあかつきには、死はこよなく待たれるものでは
なかろうか。死は、生のあとに来る当然の訪れとして、納得できるのではないだろうか。
と、するならば、死の意味は結局は、生きる意味と同一のものであるに違いない。
探すのだ。その「道」を・・・・
そして、真実がわかるのであるならば、抹香臭いと今まで嫌っていた、あの「宗教」と
かかわることくらい、なんでもないではないか・・・・。
そして、その宗教は、ことごとく我こそはそれを教え、導き、智(さと)し、説いている
と、今も声を大にして、叫び続けているのだ。

だが、ひとたび世間に目を向けた時、あまりにも数多い宗教や哲学、人生論があった。
そしてそれはまた、「本」になり、「宗教団体」となり、「サークル」となって、各々
に熱心であり、必死で闘っているのを、知るのである。
もはや一つ一つをすべて吟味するには、人生は短かすぎる。
そして、私に許された時間は、もっともっと少ないのである。
クラスメートからよせられる数々の「結婚式の案内状」を横目で黙殺しながら
私はひたすら動き回っていた。私の周りには、理解してくれる人は誰もいなかった。
孤独の中で、親からも友人からも見捨てられてすごす日々は、覚悟の上とはいえ
やはり、つらいものである。が、しかし死に直面したあの時の恐怖と、死神との約束
のみが、くじけそうになる私の心を、常に駆り立てていた。

そして。
十年の歳月は、未知の世界を求めるには、決して長すぎはしなかった。
祖母の霊、白装束の女と、霊の出会いから始まって、今はこの世の人ではない霊人達と
幾度対話したことであろうか。
その度ごとに、人の一生は、一様に、「生かされた部分」と「生きた部分」が、縦糸と
横糸になって織りなす、一巻きの反物のようである。そしてそれは、ひとつとして同じ
物はない。

「人間」とは、そもそも何であろうか。
この基本ともいえる、根本的なことがわからない限り、人生つまり「生きる目的」も
「死ぬ目的」もわからないのだ。
時がたつにしたがって、人間そのものを、いかに研究しょうと、人間を知ることは
出来ないといういうことに、気がつくのである。
しょせん、人間も生み出された「被造物」でしかなく、したがって、その人間を
存在せしめた原因、つまり「あるもの」へと、目を向けない限り、人に対する永遠の
この命題は、決して解明されることはないと知るのである。
それはもはや、ちっぽけな私ごとき人間一人が、嫌ったり、否定したりするような
次元のものとは違い、好むと好まざるとにかかわらず、はじめから「あるもの」として
受け入れるしかないものに、行きつくのである。



いつ死ぬかわからない我々は、実に都合よく生きようとしている。
自分の都合に合わせて、神も仏も、宗教も使い分けるのだ。
私から言わせれば、神や仏や宗教を嫌っているうちは、まだ「しあわせ」だといえる。
いずれきっと、打ちひしがれる時がやってくる。おののきの時が来る。
その時はもはや、選択の余地すらなく、好き嫌いのことなど言っていられなくなる。
「死」はもはや、妥協も意地も、見栄も体裁も、いっさいすべてをかなぐり捨てて、
「真実なるもの」と向かい合うことのみを勧める。

かって、宗教嫌い、神さま嫌いであったさしもの私も、命がけで取り組まざるをえなくなった
この「真実への道」は、私のような強情でかたくなな人間には、一度死ぬ目に合わな
ければ、求められないのかもしれない。

こうして私は、「全くの別人」と人が言うくらいになって、今を生きている。
時々、「もう、いいかい・・」と、声が聞こえる。
私は、「まーだだよ。」と答え続けて今に至っている。

死に急ぐわけではないが、このブログを書き終わるまでは、待ってくれそうである。
誰が? そう、あの時の死神が、である。

わたしが死んだ日  3

2011年12月19日 | 心霊現象
それからの私は、何ひとつわからないままに旅に出るようになった。
生きてはいるが、まるで存在感のない私に、家族は沈黙するのみであった。
私は憑(つ)かれたように旅に出た。
北海道の二週間の旅は、大自然というものに、生まれてはじめて触れたような気が
した。北の国の自然は、あるがままの姿で、私を迎えてくれた。
知床の真っ赤な夕日。美幌峠の景観、摩周湖の霧と、そのはれゆくみごとな湖のたたずまい。
そして、牧場とサイロとポプラ並木。羅臼の漁船、大沼の駒ケ岳。旭川のアイヌ。
牛乳とラーメンと、とうもろこし。そしてカニとじゃがいも。
自然と味覚と人情が、よじれた糸になって、すばらしい思い出が私の心の中で、
織りあがっていく。(ここだけみれば、私は余裕ある、のんきな旅人に見えるだろう)
人と、自然・・・何かある。
大自然の中に立って、おのれを見つめるとき、こんなにちっぽけな人間が、大自然にも
匹敵するような内容が、密んでいる気がしてくる。
知床の夕日を見た。夏の終わりの日であった。私は体が震えて、涙が止まらなかった。
理論じゃない、理屈じゃない。どこからかつきあげてくるものに、心ゆさぶられ、体が
熱くなってふるえるのだ。

ああ、直接この生命に与える何かが、ある。やさしさか、はげましか、それとも厳しい
諌めか。言葉を介さずして、直接魂に呼びかける「声なき声」を知る。
何かがある。大自然の中に、宇宙の中に、人間の生命と共鳴して触れ合える、何かがある。
私は嬉しかった。この自然は、この宇宙は、何の縁もゆかりもないと思っていた。
こんなものは、ただの「環境」にすぎないと、思っていた。
しかし・・・・何かが、・・・。
そうだ、この広大な自然の中に、ともしたら私の「ふるさと」のようなものが、あるかも
しれないと思った。


夜汽車に乗って旅をした。
凍てつく寒い冬の日、真夜中の駅が修行の場となる。
私はひたすら、人々の話を聞いた。まきストーブに燃える火をみつめながら、乞食の老人の
話を聞く。「人間なんて、空しいよ・・・」と、愛する息子に捨てられたうさを、ぼそぼそ
とつぶやく。
南へと向かう列車で、向かい合わせの人の話を聞く。東京に住むその社長は、明日の
ことで燃えている。死ぬことなど、思ったこともないと、言う。それが、普通なのだ。
しかし、私はいつも忘れない。いや、忘れることが出来ないのだ。
死は、あのときのように、何の前触れもなく、予告なしにやってくるのだ。
家族を暗黒の中に落とし込みながら、私の旅は続いた。

真冬の十和田湖で、自殺志願の青年と会った。
片道切符しか持たないというその青年は、よほどの覚悟とみた。
神奈川の鶴見で、ボイラーマンをしていたというその彼のいきさつを、わたしはいっさい
聞かなかった。
ただ、ひたすら死ぬことが目的である者に、何を言ってもはじまりっこない。
一度死んでみるしかない。私の態度は冷たかった。
本当に死ねるんならば、死んでみれば・・・・。
青年は何を思ったのか、もう一度生きてみるといって、鶴見へ帰っていった。
自殺志願の青年ではあったが、「死」という共通のものをみつめての旅人であった
一人の相棒を失って、私はなぜか一人、そこに取り残された思いがした。
やはり、「死」と向かい合うのに、相棒は許されないのだ。おのれ一人で「死」を
見つめ、向かい合うしかない。

松江城と宍道湖。大山と砂丘、そして出雲大社。
私の旅は続く。
そして・・・・。
ついに、私の足は釘づけになった・・・ある場所で。
日本三景の一つ、あの天橋立は、秋の陽に映えて、美しく輝いていた。
そのほとりに、小さな堂があった。たしか、「文殊堂」といった。
その中は、経文や写経などが並び、資料館のようになっていた。堂の隅の壁に、一枚の
掛け軸があった。
それは、・・・・何と、十二単衣の美しい女御の死にゆく様の、刻一刻と移りゆく
無情な姿を描いた「絵巻」であった。
美しい衣は、次第に剥がれ落ち、死体は驚くほどふくれていく。
裸同然となった体からは、水がジクジクと流れ出し、あちらこちらにウジがわく。
肉が崩れ、骨がさらけ出てくると、頭髪はわずかばかりを残して、ほとんど抜け落ちる。
かすかに残った髪がからまりつくドクロは、もはやかつて、十二単衣の女御であったこと
など、どこにもその跡を残していない。そしてその絵からは、いまにも死臭に満ち満ちた
悪臭が、漂ってくるようである。
あまりにも生々しい醜態に、息をのむ思いがする。
さらに、屍は風雨にさらされて、骨も崩れ、もはや原形さえもとどめていない。
そして次第に、土と化していく。
無言であることが、かえって重みをもってせまりくるこの一枚の絵巻は、天橋立の美しさと
対座して、今も人々の魂に「宿命」を訴え続けていることであろう。
無惨・・・か、はたまた無情か・・・、いや、無常なる世のつねであった。
そしてこれが、古今変わりなく続いてきた、自然の理なのだ。
こうして。
私は何かに操られるようにして、心と体の旅を続けていったのである。
そして何とかして早く、死と無常観の向こうに「何か」を見出さなければ・・・。
時は私を待ってはくれないのだ。

わたしが死んだ日  2

2011年12月19日 | 心霊現象
何度でも繰り返して、もとの位置に帰ろうとは思う。
しかし、結果として、どうなっているのだろう。この瞬間にも、
私の死は、もはや決定されているのだろうか。
もしそうなら、ヘビの生殺しのように、生と死の間を、何度も繰り返すことはない。
いっそひと思いに、自ら谷底へ飛び込んだほうが、早く楽になれる・・・・。
一瞬、死の誘惑が、頭をよぎった。しかし、・・・やはり、生きたい!
最後に心が叫ぶ。よし、もう一度だけやろう。いや、生命ある限り、繰り返し
続けるのだ。そして、体力が尽きた時、その時はその時だ。
「よくやった。でも仕方なかったね」って、納得して三途の川を渡れるだろう。
雨の冷たさと決意で、全身がブルブル震えて止まらなかった。
そしてもう一つは、失敗する度に失望し、絶望していくことが恐かった。
斜面は、四十五度以上はあると思われた。ただひたすら、にらみ続けて試みた。
二度目も、無情なことに失敗した。
三度目を試みる。

そして、気が付くと、登り切っていた。落ちたもとのところにいた。
助かった!・・・・生きれる。
腰が抜けて立てない。ガクガクと全身が震え続けていた。
雪道にうずくまったまま、時間がたっていく。雪の中に顔を埋めて、泣き続けていた。


そして今、はっきりと思いだす。あのときの「死神」との対話を。
私をあざ笑った、あの声。
確かに聞こえたあの声は、外からなのか、それとも私の心の中からのものだったのだろうか。
しかし、はっきりと思い出す。生きることが出来た今、あれは錯覚だったと、いや、幻聴だった
と、ごまかすことの出来なくなった約束。死神との約束は、守らなければならない。


その時私は、谷の斜面で、「死神」を見たと思った。

『若いから死なないと、誰が決めた。
 正しい行いをしていれば、死が遠のくと、誰が言った。
 死は予告なしに、突然おそってきて、一刻の猶予も与えずに、黄泉の国へと
 連れていく。
 待ったなしの今が、オマエの番だ!』

 
 待って!お願い、待ってください!
 少しだけでいい、ほんの少しだけ、待って。
 一年、二年、いやもっと短くていい。せめて、何のために人間は生きていたのか。
 何の意味をもって人間は死んでいくのか。
 私は知らない。いまこそ私は知りたい。
 いま、私がこの瞬間にはっきりと、残酷にも思い知らされたことは、
 「私は何一つやってこなかった」ということだ。
 何を?・・・わからない。わからないけれど、何かをやらなければならなかったにも
 かかわらず、知ろうともせず、やることもなく、今に至ったということ。
 それが何だったのか、どうしたらいいのかがわかるまで、命をください。

 やさしく常識あふれる父母に育まれ、大勢の友人に囲まれて、楽しくすごしてきた。
 まがりなりにも、上の学校へいき、就職も出来た。そして今、二十二歳。
 結局、いままでのことは、何一つとして、死の前には何の支えにもなっていなかった。
 ただうろたえ、取り乱し、驚愕する無様な姿が、この二十二年間、何をして生きてきたのか
 の、私の結果となったのである。
 死神のせせら笑いは、私個人に対してか、それとも人間すべてに対してか・・・。
 また、これ以上生かしてやったところで、同じことだと思うゆえか。

 死神よ!
 私は今限りで、人生を変えよう。
 死を前にして、これほどまですべての事柄が、色あせてしまおうとは思ってもみなかった。
 人がやっているから、自分もやるでは、もはやすまされなくなった。
 価値観が違うのだ。そうなのだ。
 いままで生きて、世間一般の価値観や常識の中で、自分を磨こうと思ってもみた。
 しかし、根本から変えずして、再び死に直面することは、もはや許されなくなった。
 人間って、本当は何だったんだろう。
 今思う。それをわからずして、よくも生きてきたものだ。
 二十二年間を死神よ、すべて無駄だったというのか。そしてこれからも、どうせ
 無駄だと、それで私の命を取り上げに来たのか・・・。
 
 どうだ、死神よ、賭けてみないかこの私に。
 もし、今後私が何一つ見いだせないとわかった時は、即刻生命をとるがいい。
 いつ、どこで、どんな手段でもいい。
 しかし、今後は必死で探すから、求めるから、人の道に出会えた時、生きること
 死ぬことがはっきりとわかったら、その時こそ、必ず、必ず報いよう・・・・。


私は変わった。自他ともに認めるほど、変わった。
仕事はやめた。人生の何たるかは、片手間に、余暇で学ぶことは出来なかった。
これからの日々を全部、このことに向けるのが、死から脱し、約束事を残して
きた私の仕事でもあった。
仕事を途中で投げ出した私は、このうえない無責任者となり、家族にとっては、勝手放題の
放蕩人間と化した。
友人は、私のあまりの変化をいぶかり、一人去り、また一人と去っていった。
いままで育み合った信頼と愛情の、すべてを失って、二十二歳の春、私はたった一人
になって、「一個の人間」として立ち上がった。
私から奪えるものは、もはや生命以外には、何もなかった。
しかし、何を惜しむことがあろう。
「人間」というこの不可解な、しかしいとおしいものを求めての旅が始まるのだ。
親の驚きと戸惑いは、失意に代わっていく。半狂いになった我が子をかかえての生活
が、始まってしまったのだ。
私はといえば、「生きること」を、そして「死ぬ意味」を教えてくれない親は、その時の
私にとっては、もはや親の意味をなさなかった。
「子供一人が、親に先だって死んだと思って」と、親が私を完全にあきらめてくれる事を
勝手にも本気で願っていた。
そして、「この世」からおのれ自身を、自他ともに葬り去った。
この日をもって、私は死んだ。

誰ひとり見届ける者のなかった冬山での「孤独の戴冠」は、新たな出発の為の儀式となった
のである。

わたしが死んだ日  1

2011年12月19日 | 心霊現象
12月24日、私は「滝沢」という遠いへと仕事に
出かけた。
もちろん雪も深く、徒歩で行くしかなかった。
地元の人達は、「かんじき」というものを靴にしばって、
雪の中に足が埋もれないように歩くのであるが、私はその
使い方を知らない。
普通のゴム長靴にリュックサック、そしてこうもり傘という
いでたちであった。
地元の人は雪崩(なだれ)のおきる日はよくわかる。時間もおおよそ
決まっているらしい。
そして、雪崩の起こりやすい場所も、彼らにとっては常識である。
しかし、平場育ちの私には、山の自然現象は初めてのことであり、
まして冬山は、登山経験のない者には、全くの未知のものであった。


農林部農業技術課、生活改善係。これが、私の県職員としての身分であった。
そして、私のような新人職員や独身者は、必ずといっていいくらい一年や二年は、
僻地へ赴任することになる。
いわゆる県の出先機関(出張所)に勤務するのである。
新潟県松代町。ここが私の赴任地であった。
「鳥も通わぬ」とうたわれる山深い一等僻地である。冬は三メートルから五メートル
の積雪があり、「陸の孤島」と化した。


足もとの雪が、音とともにに動き始め滑り出し、すごい勢いをつけて谷底へと崩れ
はじめたのは、そんな時である。
それはまるで、すべり台の上を、急降下していくようなものである。
木や岩にバウンドしながら、私は雪といっしょに滑り落ちていく。
すさまじい勢いで流れていく周りの物が目にうつり次第、手をのばしてつかんだ。
木の枝は、雪から抜けて共に落ちていく。草も木もすべて、無情にも根元から抜け
て、私の支えにはならなかった。何を考えるということもなかった。
「死ぬ!」その直感だけが全身を貫いた。

「死にたくない!・・・いや、まだ死ない。死ねないのだ」
なぜ?・・・わからない。しかし、やっぱり、死ねない!
眼前に母の姿を見る。山並みと母が重なって見える。
幻覚か・・・小さいころの一コマ一コマが、音のないテレビ画面のように流れて消えた。
一瞬ではあったが、美しい走馬灯を見ている思いであった。

ふっと、どこかで誰かの声を聞いたようだった。
幻聴か・・・・。ふくみ笑いをしているようだった。
声なき声が、私をあざ笑っている。誰?誰がいるの。助けて!
しかし、冷たくせせら笑うその気配は、味方ではなさそうである。
一瞬、笑い声がとぎれたようだった。
その時に、谷を吹く風が強くなり、空が曇りはじめたかと思うと、
パラパラとこつぶの雨が降り出した。
私は、今にして思えば、いわゆる表層雪崩というものにあったのである。

岩肌の氷面に両手の爪をたて、足をふんばって斜面に抱きつくような恰好で
しがみついていた。下は谷底だ。
爪の一枚や二枚、剥がれ落ちても、死ぬよりはいい。
どのくらい、私は落下したのだろう。上を見上げる。かなりの距離だ。しかし
もう一度、もとのところへ這い上がるしかない。
リュックサックに差した、こうもり傘の先で、氷面を削り始めた。
足をかけ、手をかけ、一歩、また一歩と上へ進んでいく。
「生きるのだ。生きるのだ。生きるのだ!」
二十二歳、死んでたまるか。
全身が目になり、耳になり、細心の注意をして登る。
あと一歩、あと一歩。そうだ、いいぞ、いいぞ、いいぞ。
いまのこの一歩に、命がかかっているのだ。ああ、もう少しで助かる・・・。

しかしその時、私の足は、貴重な一歩を滑らせて再び落下した。
何がどうなったのか、わからなかった。ただ、絶望で体が震え、顔面がひきつって
いくのがわかった。
ああ、生きることは許されないのか・・・。
はじめて涙が出た。そして、確実に絶望を感じ取った。
そしてその時、人間の生命は、自分の思い通りにはならない部分があることを、
身にしみて感じた。
苦しいときの神だのみではないが、自分の努力以外のところで、何かが決定されている
ような、運命のしくみを思った。