霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

次回のご案内

2018年02月15日 | 心霊現象
お久しぶりです。
次回のご案内をいたします。
8回目と、9回目です。


   日 時    3月11日(日)  10時~12時

   場 所    練馬区役所 会議室 1907号室(19階)

   会 費    無料です (なお、前もっての予約はいりません)


   


   日 時    4月 8日(日)  10時~12時

   場 所    練馬区役所 会議室 1907号室(同じ)

   同じく会費、予約など無用です



皆様の「覗き見」を、お待ち申し上げております。

さて、雪に見舞われた「日本」。
東京も雪国と化した一瞬がありました。
皆様は、いかがお暮しだったでしょうか・・・。
わたくしはもともと「雪国の女」。どうってことない、慣れているわと思って安心をはじき出していたら、違った。
一つには、年齢が違う。
つまり、今のわたしは歳を取りすぎた。
二つには、今までにない「寒波」だったこと。

田舎の「空き家」を持つわたくしには、それが分からなかった。
どれだけの寒波だったのかを・・・。
仕事から帰ると、留守電のあることを知った。
早速電話をすると、空き家にしているところの「地主」さんからだった。
「水道管が破裂したらしい」と。
さらに「水が流れている音がするのだが、元栓がどこにあるのか知らないか?」とのこと。
そうだ、わたしは、空き家にはしたものの、ガス水道電気の「ライフライン」だけは生かしておいた。
いつでも私が帰ったときには、2~3日くらいの生活が出来るようにと、つまり宿屋がわりのつもりで「そのまま」にしてある。
今回の寒波には、さすがに100年近い古い家は太刀打ちできなかったのだろう。
水道局、地主、補修業者の間を何度も電話をしながら、決めたことがある。
「この古い家」をどうするかだ。
壊すには、最低でも200万かかることは調べてある。


この冬を持ちこたえて、私が行くのを待ってくれているならば、・・・「家」が。
どうしたらいいか、いやどうされたいかを「家」に聞いてみよう。
弟を数年前に亡くしたわたしは、空き家になることも、弟を先に送ることも考えていなかった。
「今」、わたしが「この血統」の幕引き役を勤めることになっていることを骨身にしみて思っている。
よくぞ「このわたし」を、と思うか、まさかと思うかには雲泥の差がある。


一人身の高齢者。
日本には、こう呼ばれるにあたるどれだけの数の人がいるのだろう。
最近「ちらし」の中で多くなったものがある。
「遺品整理」と名を打って投げ込まれる「ビラ」だ。
御多分に漏れず、わたしもとってある。
が、その前に「いいもの」は人にあげている。
一つひとつ、わたしの元から放たれていく「もの」をみつめて、あの時をおもいだす。
わたしがパソコンに向かい、不慣れな手で文字を打ちながら「記録」を空に放ち始めたことだ。
二冊目の本の代わりにと、電波?に託して世に放ったことだ。

「永遠」と「未来の希望」に拘(こだわ)っての、「わたしのパンドラの箱」の解放でもあった。



73歳の春。
私は「生かされていること」と、「一人身の高齢者」を最大限に「利用」して、平成から次には「何」に変わろうとしているのかの時代の狭間を覗き見するつもりでいる。
賃貸の、マンションとは名ばかりの家も正月そうそう風呂の水が排水出来なくなった。
ついに銭湯がよいである。
が、悪い事ばかりではない。
寒い日でも、「神田川」の歌を口ずさみながらカタカタ鳴る「桶」を持ち、現金460円を握りながら風呂屋へとむかう。
そこでの「高齢者の会話」を聞いて、そこで「馴染む」自分を発見する。
最近通い始めた私が珍しいのだろう、何かと話をふってくる。
新参者の私は、「さしさわりのない言葉」であいずちをうつ。
この寒波は、水道や水回りの修繕工事が追いつかないほどの現象をおこし、私の風呂もいつになったら入れるのかがおぼつかない。
(いまだに、業者からの連絡が入ってこない)


「明日が確実にくるのかも分からない我々は、今を今日を大事に楽しんで生きるしかない」
と、互いに確かめ合って其々に帰っていく「女湯」の老人たちの顔が忘れられない。




「実母散」、じつぼさんと読む。
その銭湯の岩風呂に、袋に入れて浮かんでいる中身の実体である。
漢方の一つらしい・・・が、私は知らない。
「昔ね~、家へ帰ると母親が決まって煎じてくれたもんだったよね・・・」
と、互いにうなずいて、あいずちを打つ「岩風呂の大先輩たち」を後に、じつぼさん、じつぼさんと人の名前を呼ぶかのように、忘れないように唱えながら古いマンションに帰る私でありました。



・・・と、こんな日々を送っております。ではまた。


春よこい!早くこい!







来年の「会」のご案内

2017年12月20日 | 心霊現象
鬼に笑われてもいいので、来年のご案内をばさせて頂きます。
「会」は、ただいま順調に継続されております。
一つは、継続することに意義がありますので、心がけている次第です。
6回目になります。


   日 時   1月14日(日) 10時~12時

   場所    練馬区役所会議室 1906号室(19階)

   会費    不必要です

   前もってのご連絡はいりません


ついでに、7回目もご案内しますね。

   日 時   2月12日(月) 10時~12時
  
   場所    練馬区会議室   1905号室(19階)

以下同じです(会費、前もっての連絡はいりません)





ここまできて、いったい何を話しているの?・・・とお思いでしょうね。
ふふふ、秘密です。
ただ言えることは、絶対的に「あの世」の人が多いということです。
そのための「会」だと言ってもいいでしょう。
いままで私がここまで生きてきて「縁」をもった、いえ「持たされた」多くの人々や家や血統といった種類の繋(つな)がりが、類が類を呼ぶといった内容で集まるという「集会」のようなもの。
だから、もし誰か(この世の人)が覗き見したら・・・。
(鶴の恩返しの「あの場面」のように、きっと思うでしょうね。何を?・・・)
いえね「見てはいけないものを見てしまった」という後味感がいつまでも付きまとい、今後のあなたを呪縛しつづけ、いつかはその「内容」や「意味」を徹底解明しょうと再びの「覗き見」を実行なされるでしょう。

私は「その日」が来るのを待ちながら、前段階としてこうして前座を務めさせていただいています。



この間ね、数回通ってくださっている方が「こう」おっしゃいました。
「この会の名前ね、もう少し何とかならないかな・・・。普通一般のこの世の人にとってはね、すこしどぎつすぎるというか、ストレートというかね。例えば、人生を語る会とかなんとかさ・・・」
とね。
私はとても有りがたく思いました。
なぜこう言ってくださったか・・・。
「そうしたら、もっと人が集まってくるだろうしさ・・・」と、いうのがご提案の本音だったようです。
だから有りがたく「その心」を頂いた次第。
しかし、私の今までの過去や生き方や、「会」の出発の背景には「そんなやぼでやわな(失礼)動機から出発したわけではないというスタンスがあるので、会の名前はそのまま。
しかし、その内容をその日の「立て看板」に明記し、やさしく化粧を施してお待ちするということにしました。
おっと、化粧するとは「看板」のことであり題目のことでありますぞ。
そして「その方」から、昼食に「インド料理」をごちそうになり帰ってきたのでした。


2時間ある「チャンス」は、最初の1時間は私の語り部としての「喋りたい放題」。
あとの1時間は、休憩をはさんでこの世の話題を中心に的を絞ったところからひも解きなだら、日々思う人生の、あるいは世の中の不思議や不可解、不条理や闇の部分を話し合います。

最近思うことは、私的には「言葉の学習」を強く強いられております。
言葉は遊ぶものではなく、真剣勝負であること。
それを全部ひっくるめれば「こうなる」という言葉を「ひねり出す」(探し出して)相手に提示する。
つまり的外れの言葉からは何事も生まれない。
相手の聞きたい事が分かったら、矢を用意する。キリキリと弓を引きながら、相手の心のど真ん中を狙い、呼吸を止めて矢を放ち、完全に射抜く。
「どうだ!参ったか!」
内心疲れを感じながらも面に現さず、顔では満願の笑みをうかべながら的確な「言葉」を投げかける。
これは、いつも思い出すが・・・。
ジャーナリストとお呼びしていいのだろうか「かの桜井よし子さん」からTV画面を通して教わったことでもある。
しなやかさをもって、女性らしさを表に現し、しかしながら言わなければならない事実や現象は最大限の真実の言葉で「警鐘」を乱打される。
彼女の後ろには「女丈夫」か、はたまた「巴午前」かとみまごうお方をさえ感じ取る私である。


さあ、今年もここまできますと、もうじたばたしても始まりません。
今年の「あなたさま」は、いかがだったでしょうか。
来年もまた今年よりは少しでも「良いこと」の多く感じられる歳となりますよう、心からお祈り申し上げております。


引き続き「ブログ」をお読みくださっている皆様。
本当にありがとうございます。
中には私の最期を見届けてやる、とばかりに心配しながらお心を配ってくださる方もいらっしゃる。
73歳。来年1月15日をもって「わたくし」あいなりまする。
新しき歳。
どうぞ来年もまたよろしく、皆様方ずずずずい~と、御願いあげたーてまつりまする~(ちょん・・・拍子木の音なり)







   
  



   


「死について語る会」5回目のご案内

2017年10月17日 | 心霊現象
早いものですね。
今年最後の、「会のご案内」をすることになりました。



     日 時   12月10日(日)
           午前10時~12時

     場所    練馬区役所会議室 19階「1905室」

     会費    無料

     (なお、前もってのご連絡はいりません)




連絡事項は、以上です。

さて、わたくし事でございます。
先般お話いたしました「わたくしの認知症検査」のこと。
結果から申し上げれば、「何事も心配することなし」。
医師の「お墨付き」を頂いて帰ってまいりました。
今思えば、何と人騒がせな、と思わないこともないが、結果良ければ全てよし。

金曜日、それも一日待っても今度こそみてもらう!・・・。
私の強い意志が「その日」を決め、一日中の予定を組んで病院に向かいました。
1回目は、電話で先生(医師)が「11じ45分に来ればいいと思うから」と、わざわざじかんをかけなくてすむようにと教えてくれたとうりに行ったら、当日は今までにない混みようで2時間待ちはあたりまえ、いつ終わるか判断が出来ないというありさま。
外来最後に行けば、すぐに呼ばれて昼すぎには帰ってこられると思った私も悪かった。
その日は丁度「夜勤」がはいっていて、一端帰って昼を食べ、少しの仮眠をとってから職場に行けると思っていた。
が、とてもとてもメドがつかない。
理由を告げて途中で帰ってきました。
次の金曜日、休みの日は?・・・と、やっと探してとうとう13日に決定し、何が何でも今日こそはと、雨の中電車にのって、歩いて、待って、ようやく結果が出た。・・・、とまあこういうわけです。

先生は女性。小柄な私よりはもっと若い医師でした。
メガネの向こうで、目が笑っていた。
私はその瞬間、全ての心が晴れましたね~。
医者の笑顔に勝る特効薬は、ありません。
「結果は、どう出ても私は誰も恨まない」
全てを感謝して受ける、と決意して過ごした数日間は、ウソではない。
しかし、その笑顔が物語る「結果」に、わたしはどれだけ救われ、感謝したか。
胸に刺さった刃が、音もなくポロット抜けたのを私は感じていた。

結果がどうでも「診断書がいるんですね?」と聞かれて、私は是非にと強く頼んだ。
大体のいきさつをご存じの先生は、決意のほどがただものではないと再確認したのだろう、「よーくわかりました」とパソコンを開けて診断書の内容を打ち込みはじめた。
なるほど、今は、なんと変わったことか。
昔医者は、太い万年筆を取り出すと、おもむろに「診断書」という用紙に自分の直筆で書き、名前を書き入れ、最後には病院の印を押してくれたものだった。
だから「診断書」は高い。最低でも5000円は取られたものだった。

ま、いくらでもいいが、私には1通では足りない事情があった。

それはね、・・・。
その2~3日前。
同僚がね、上役に辞表をだした。
そしたらね、いきなり目の前で封筒ごと破り捨てた。
知らない人が見ていたら、きっと信頼されて、大事にされて、「辞めないで?!」という意思表示だろうと思うだろう。
しかし違う。その反対の事情から涙の退職を「同僚」はえらんだのだ。

中身を見もしないで、もし破られたら・・・。
私はまた病院に行って、再び時間と金を使って「診断書」を手にしなければならない。
よって、私は2通は必要だった。
その事情と、上役の態度を医師に伝えると、「大変ね」と言いながら、パソコンから2通プリントして
脇にいた看護婦さん(ふるくて、すみません)に「1通は病院の封筒にいれ封印をしてね。あとの1通は受付でこの方に直に渡すように手配してください」と申しつけた。
そして私の方を見て、「これでいいんですね」と念をおした。
ありがとうございます。(完璧です、あなたは)・・・心の中で言いながら深くおじぎをした。

最後に私を見送りながら、先生の言った言葉が胸に残った。


「島田さん。がんばってくださいね。年齢を考えながら無理をしないでくださいね。
 思うんですが、これってパワハラ以外のなにものでもない。
 今度は、この上司のMRIをみてみたいですね~。
 職場に限らずストレスは、全てかわしてください。まともに受けて体をこわさないように願います。
 もしそれができない場合は、逃げましょう。まともに受けて、何もいいことはないし、褒められるこ とでもありません。
 昔から言うではありませんか。逃げるがかち(勝)ってね」


そしてその「診断書」を、昨日上司に渡して帰ってきました。
中身を見ずに上司はこう聞いた「どうだった?」と。

私は満願の笑みをうかべて「おかげさまで健康そのものでした。
このチャンスを与えて頂いたことに、むしろ感謝いたします」・・・と。

そう言って私はその上司をハグした。(おっと念のため、上司は女性であります)


今思えば難儀な試験でもあった。
ことによれば、このわたしとて怨みの心に負けて「わら人形」くらい五寸くぎで打つかもしれない。
セクハラを世間に表明するかもしれない。
同僚にネタをばらまいて、会社を混乱させるかもしれない。

この心模様をみれば、何とでも答えはえらべる。
古くなった台詞だが、「私のテーブルにはいくつもの選択肢」がある。
いや、その時は、たしかに「あった」。
しかし、このように終われて、よかったと思っている。

「認知症」が確かだったらどうしたか?
もしあなたが聞いたら、私は間違いなく「こう」答えよう。

認知症が分かって、ほんとうによかった。あなたは私の命の恩人だ・・・、と。
またちがう意味で上司にハグをしただろう。



私の脳の輪切り、つまりMRIのフイルムは、かの「医師」のところに置かれている。
「いつでもお出でなさい」と言われ、また「いつでも来るつもりです」と答えているから・・・。




パソコンの向こうで祈ってくださった「あなた」に、心から感謝しています。

いよいよ、今年も残り少なくなっていきます。
みなさまも、おっとわたしも、だんだん死に近づいています。
どんなお話をしているのか、たまには「会」を覗きにいらっしゃいませ~。
お風邪などめしませぬよう・・・。
 


   

「死について語る会」4回目のご案内

2017年10月01日 | 心霊現象
会場がとれたところから、どんどんご案内していきます。
11月になりますから、もうずいぶんと寒くなっていると思われます。
高齢者のかたも多いとおもわれ気もひけますが、「継続こそ力なり」で押し通して今年はがんばりますね。


     日  時   11月12日

            午前9時~11時 (前回と変わります)

     会場     練馬区会議室 1906 号室(前回と変わります)

     経費     無料


   (ご注意 ・・・・・時間、部屋が前回と違います)



ご案内は以上です。


さて、わたしの今の近況をお話いたしますとね・・・。

先日「MRI」というものをば体験してまいりました。
一度でも経験した方はすぐに「あれね」と、いろんな心模様(感想)が湧いてこられるでしょうね。
まず第一に、「やかましい」。うるさい!。
例えれば、道路工事をしている横にねて、30分以上そこにじっとしているという事に等しい。
「すこしやかましいですよ~」と一応の説明があったけど、こんなにやかましいとは思わなかった。
さらに、それを長時間受ける自分の耐久力に、限界がある。
よくもこんな環境を「高齢者」に与えて、何の検査だと、カプセルから這い出てどなりたいくらいでした。(わたしが堪え性がなく、またわがままだというのでしょうかね~)
耐えて耐えて40分弱が終わりました。

これで何を知りたかったか?

実はね、わたしの職場でね「島田さん、最近おかしくない?・・認知症?・・」
という噂がどこかで聞こえてきたんですって。
それが上司の耳に入った。
早速呼ばれて「大丈夫?・・・」だって。
来年の1月になれば、73歳になるわたしでありますから、さもあらん。
施設にいれば、スタッフではなく「利用者」と間違われてもいいくらいの環境にいるわけで。
何もいまさら「目くじら」をたてることはないんですよ。
でもね、でも・・・。
あんまりストレートに「たま」が投げられてわたしを直撃したものだから、一瞬気を失うくらい「ぶったまげ」ましたねえ。

今の若いひとって、人の心(気持ち)なんて二の次なんだな~と。
その言葉で相手がどう思うかなんて、気遣うことないんだ?・・・。
たまたまその上司が若かったとか、人への経験が乏しかったとか、運がわるかったとか・・・。
わたし、いろいろ考えたけど、心にたまった「澱(おり)」のようなものは消えてなくなりはしなかった。
来る日も来る日も、「この心のおり」をどうしたらいいのかを思い悩んでいましたね。

上司に言われて、即わたしは検査を提案した。
白黒はっきりさせよう!という自分への「最後通告」と、噂した者への宣戦布告のようなものだろうか。
怒りに震えながらも「老いる」ということに突き付けられた刃は、「やる気を」いや「生きる気」をもそぎ取るだけの「毒気」があった。


さて、どうする。
結果。禍転じて福とする方を選んだ。
「今だ!?」。そう今だからこそ、毒をも含んだ刃でわたしを全てにおいて「初心」に返そうとしている」何かが働いたのだ。
そう思い、これを「天の声」とした。

結果は、診断書が出ていないから「わからない」。
が、わたしの「フイルム」は、相談し見立て(診察)をしてくれる「医師」の手元にある。
「何の心配はない」と言われても言葉だけでは信じまい。
診断書を持って「職場」に提出するまでは。
最終的には「認知症」は医師といえども決定出来ない。
面談をし、相手を充分に観察し、ポイントを押さえたさらなるテクニックでの問答で、結果が出るという。
人生はある意味、「ここ」で決まる。


高齢者を「認定」する役目の人がいる。
目盛はどこで何を見て計るのか。
微妙な「ものさしの違い」が世の中を左右している現実を、わたしも知っている。


さて、今のわたしは心穏やかである。
天にまかせ、霊界にまかせ、守護霊にまかせている。
「地獄の門番」のすわり心地はいかがであろうか・・・。
人事異動たけなわの10月。
いよいよ、あるいはそろそろ、お声がかりでもあるかと・・。
が、いまはまだ行かない。行ってなるものか。




先日のTVで黒柳徹子さんが、こう語っていた。(相手は中尾 ミエ)
「徹子の部屋」が50年目を迎えるあと数年。
90歳になる自分は、また違う勉強をする。
そして100歳になったら・・・。
この「ガッツ」は、どこから来るのか。
いやはや「化け物」の領域に入ったと見える。(羨望と感謝)

さてわたしは、やっと4回目を計画し、あと数日で3回目を迎える「死について語る会」。
「ひよっこ」みたいなものだが、積み重ねれば目にみえてこよう。
というわけで、七転び八起きの我が人生と「会」です。
何度転ぼうと、起き上がればいいのです。

みなさまも、(わたしも)がんばれ、がんばれ!








  

「死について語る会」3回目の御案内

2017年09月18日 | 心霊現象
10月は次のように行います。
御都合をつけて、是非一度足をお運びくださいませ。


    日時  10月 8日(日曜日)
        午前10時~12時


    場所  練馬区役所会議室 1905室

    会費  無料

◎ 前もっての予約はいりません。


9月11日に練馬区の「区報」に載りました関係上、質問がありました。

これはどんな団体なのか?・・・宗教なのか、それとも葬式の会場斡旋(あっせん)なのか、死亡保険なんかの「保険屋」なのか、お墓の宣伝なのか等々。
なるほど、なるほど。
ご出席になった方々には、そこんとこを詳しくお話申し上げておりますが、お越しいただいていない方々には、とんと見当がつかず、今どきでは「人様の死をネタに」何かしらやらかそうとでもいう「詐欺まがいの団体」による催しものかと疑われるのも、当然といえば当然のこと。

わたくしをご存じない方におかれましては、「どこの馬の骨」かわからない者のやらかす「不気味かつ摩訶不思議な闇の会」の匂いがしたのも、致し方ないことです。

実はね、「練馬区の会議室」は簡単には借りられません。
まず、何処の馬の骨か調査がありまして、ようやく借りられるという条件がなりたちます。
練馬区の区民であることです。
その次はね。
何の会合かということです。
先に質問された「その内容全部」とは、かかわりがないことを証明しなければなりません。


同じように、「区報」に載せることも、このような条件が満たされたことで、実現いたします。
区報は料金はいりませんが、一回載せると、次は8カ月後とか・・・。
また、会議室はもちろん有料です。
その大きさによって違います。1時間いくらとなっていて何時間でも(あいてさえいれば)借りられます。

わたくしなどは、先ず会場をおさえてから自分の有給を取るという有様で、頭の中はいつもカレンダーが印づけでぐるぐる回っています。


1回目は「お盆」のさ中。2回目は台風のさ中。
まったくもって、集まりにくい日を選んだものだと、文句が聞こえてきそうでした。

が、2回で分かったことがあります。
まず、霊界からのお客様が多い、ということです。
これは、禰津様の「母様」が会場にて霊視された結果ですから確かなことでしょう。
さらに地上のお客様は、高齢の方がやはり多いということです。
それにとても現実的で、あの世よりも「この世」の締めくくり方に終始していらっしゃいます。
遺産の分け方や、その時。それに遺言書の書き方など。
また遺品の整理の時とやり方など。
またまた「エンデイング・ノート」の書き方など等・・・。


このような事は、「セレモニー〇〇」や「催事場」の職員が詳しく教えてくれるはず。

わたくしめは、いままでのスタンスで話をすすめていくつもりでしたが、計画とプログラムを全部書き換え、作り直さなければならなくなりました。

彼ら「お客様」のフリートークの内容は、多岐に及び、まさしく「今の日本の高齢者の死に対する心の実態(模様)」がよく分かるというものでした。



その中で申し上げてきたことは、「一度っきりの人生」であり「輪廻転生」は無い、ということでした。なぜ無いのか・・・。
わかっても 分からなくっても、「こういう理由でない!」と・・・。
つまり・・・。
「万物の霊長」たる人間、そして「天上天我唯我独尊」たる人が、転生して何とする、と。
「やり残したこと」は「のり移り」であり、言い方を代えれば「協助現象(作用)」である、と・・・。

あとは、ここに真実を聞くために集まられた「霊人」に向かって、「何をすれば救われるのか」という一番大事なことを再度繰り返しもうしあげました。




次の三回目は、さてどんな方々がお集まりくださるのでしょうか・・・。

秋風の中で、名月を愛でる心根を味わいつつ「生きている!」を実感しながら、「死出の旅路の準備」をばいたしましょうか。