山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

アオキを活けてみる

2016-12-21 21:23:40 | 植物
 裏の畑の隣にアオキの実が成っていた。
 しかしあまりにごちゃごちゃ繁茂していたので大胆に剪定する。
 剪定したアオキを捨てるのはもったいないので玄関前に飾ってみた。

                              
 それでもまだ余っていたので土間の中に飾ってみる。
 クリスマスでもお正月でも通用する赤い実であることを発見する。
 葉のほうが多くて実がどうしても隠れてしまうので、葉をけっこう剪定してから活けていく。


       
 最後の1本も無駄にしない。
 他の花や実も一緒にと思うが周りにもなかったし、アオキ単独だけで十分だと居直る。
 生け花する時間ができたのがうれしいが、心の余裕というより必死だったのが本音。
 ちなみに、実ができるのはメス、できないのがオス。
  
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境界のススキを刈り取って

2016-12-20 21:08:02 | 農作業・野菜
 隣接する原野との境界に繁茂していたススキを三日がかりで刈り取る。
 当初は見えなかった向かい側がとうとう見えるようになった。

                            
 もう1本の境界も開通した。
 手ごわいのはクズのツルだ。
 これが足や手に絡まって思うように作業が進まない。

                             
 刈り取ったススキを運搬する。
 積んでいく山が4~5個ほどになる。
 これを再利用するのだ。

   
 刈り取ったススキをキウイフルーツの下に敷いたり、野菜畑の畝沿いに敷いていく。
 寒風の中うっすら汗をかく。
 いい運動だ。
 いやこれは絶好のリハビリだと思うようにしている。

                                    
 ブルーベリー畑にもススキをマルチにした。
 見たくれは悪いがこれで冬を乗り切るのだ。
 しかもススキが分解していけば肥料にもなる。

 これで園内のほとんどのススキはなくなった。
 昨年は忙しくて手入れができなくてススキに悩まされた。
 来年はススキと共存することになりそうだが、ススキの活用はきっと変らない。
 
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宮廷文学から抜け出せない体質=加藤周一の提起

2016-12-19 21:29:15 | 読書
 やっと、加藤周一の『日本文学史序説・下』(筑摩書房、1999.4)を読み終わる。
 下巻は、町人時代から終戦までを対象としている。
 日本文学の担い手の特徴は、閉鎖小集団からなると言う。
 貴族の女房は「宮廷行事」の和歌を中心とする恋・もの思い世界を構築。
 茶人は「茶会」の総合芸術から美的享楽主義を生み出す。
 文人は「詩会・連句の会」で瞬間的感覚を研ぎ澄ました。

                                  
 それらの感性は、歌舞伎や人形浄瑠璃にも表現される。
 中国では早くから哲学・政治・兵法・商法などの諸子百家や漢詩人を生んでいるが、日本では日常の些末な世界を詳細に描く伝統を固辞してきた。
 こうした日本人の「土着的世界観」は、全体よりも部分を、過去・未来の完結性よりも現在を、重視する。
すぐ、スキャンダルメディア・原発・選挙・スポーツ界ボス・通り魔殺人などが頭によぎる。
  
          
 ついでに、『日本文学史序説・補講』(かもがわ出版、2006.11.)も読んでみた。
 上下巻は小気味いい案内書だったが、補講は、来場者からの質問に答えていく形式。
 そこでは、絵画の自然描写の東西の違いが面白かった。
 中世以降の西洋絵画は、イコンや壁画をはじめ、自然描写は人物の背景でしかなかった。
 自然描写は17世紀以降ブルジョアジーが台頭してきたオランダから始まった。
 日本や中国は山水画のように人間は自然の一部という存在に描かれた。

                                    
 9世紀に出た日本の「古今集」は近世になるまで自然を謳い続け現在に至る。
 しかしそこに出てくる花鳥風月は約束事として決まったものばかりで、本当の自然と向き合ったとはいえないと言う。

 東西世界の文化に造詣の深い加藤周一の言葉の切れは、一人ひとりの作家の評価にも例外ではなかった。
 加藤周一の視座は、文学だけではなく現在の日本の状況、日本人の精神的生き方そのものをえぐりだすメスにもなっている。
 ちなみに、彼は医者だった。
 
 
 
 
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かじかんだ手でキクイモ・ニンジンを収穫

2016-12-18 18:21:56 | 農作業・野菜
 キクイモの収穫はゴロゴロ採れるので楽しいもののあとの処理が大変なのだ。
 キクイモについた泥を落とすには強力な散水シャワーで落としていく。
 しかし、この季節の水は冷たいうえに寒風だと体も冷えてしまう。
 毎年、ぶるぶる震えながら一つひとつ洗っていく。

                            
 隙間の泥は取り切れないので一部を包丁でカットしてきれいにしていく。 
 畑のインシュリンと言われるほどの健康野菜だが、このように手間がかかるのでスーパーに出荷されるのは稀だ。
 娘が働いていた職場ではこの旨みのあるキクイモを楽しみにしてくれている。
 
   
 毎朝野菜ジュースを飲んでいるが、ニンジンは欠かせない。
 人参の芽生えには苦労したが、やっと自前で供給できるようになった。
 間引きもうまくいったようで商品にできるほどの大きさに近づいた。

                               
 今年のスーパーでは人参が高くなったが、零細農家はそれでも食べてはいけない。
 竹を伐ってきてニンジンの畝に竹マルチを行う。
 このところの霜は人参の葉でも萎えさせるほど波状的に強力になってきたからだ。

 
  
 
 
 
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ショウガパウダーついに完成

2016-12-17 19:29:12 | 食彩・山菜・きのこ
 11月末に収穫した生姜をスライスして天日干ししてきた。
 天日干ししていると生姜が風でひっくり返ったり、天候も不順で干せなくなることしばしば。
 そこで家庭用乾燥器とか掘り炬燵とかの利用で乾燥をやっと終える。

                             
 いっぱいあったショウガも乾燥させると小さくコンパクトになってしまう。
 これをボリボリ食べてもいいが、これをミルサーにかけて粉状にしていく。

        
 ただし、ミルサーでもまだ粉粒は粗いので目の細かい茶こしでふるいにかける。
 まだ粗い粉粒はもう一回ミルサーにかける。

                                
 粉を吸うとくしゃみが連発するのでマスクが欠かせない。
 これでショウガパウダーの完成となる。
 けっこう手間がかかるので、買えば高額となる。
 これがあれば年間を通して料理や飲み物にすぐ使えるのが素晴らしい。 
 和宮様の執念が報われる日となった。  
 
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イタリア風タラ炒めとタラ鍋

2016-12-16 18:28:36 | 食彩・山菜・きのこ
 次女が青森で某劇団の公演の仕事をしている関係で現地の魚介を送ってくれた。
 マグロの中トロやヒラメといっしょにタラが入っていた。
 和宮様はタラに塩麹を擦り込み、畑のイタリアンパセリとシイタケと一緒に炒めた。
 タラに塩麹が効いていてオリーブオイルがうまくマッチしている。
 山里の素朴な料理だった食卓にいよいよイタリアンの登場だ。
 昨日ありがたく青森の海をいただく。

                                
        
 今晩の夕飯は寒かったので「タラ鍋」にする。
 そのため畑の白菜を初めて収穫して利用する。
 紫らっきょうを葉っぱごと入れたがこれがねっとり甘かったのが大発見。
 タラをタラふく食べられ、体も心も温まって、これはタイムリーなタラ鍋となった。
 ご馳走様でした。

                             
 きょうの朝はしっかり寒かった。
 外を見たら白銀の霜世界に朝日が昇ってきた。
 午後は晴れてはいたが寒風が手足を硬直させる。
 そんななか、伸びすぎた桑の木の剪定を始めた。
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またやっちまったボンファイヤー

2016-12-15 19:55:36 | 野外活動
 畑の片付けもだんだん進行してきた。
 オクラ・ナス・ピーマン・パプリカの枯枝が墓標のように残っていたので撤去する。
 とくにオクラは紙すきに使うトロロアオイに似た枝で、繊維が強靭で分解に時間がかかりそうだ。
 やっぱり、それらを焚き火で燃やすことにする。

                             
 乾いた薪が少なかったためかなかなか点かなかったが、竹の支柱があったので後半は順調におき火ができた。
 そのうちに、ゲンさんや梅沢さんらが近くで竹取りに来ていたので寄ってくれた。
 山里いきいき応援隊の守谷さんも初めて参上。
 寒風の中、できたての焼き芋をみんなでアツアツほおばる。

                              
 残り火があったので、一昨日の雨で大きくなったシイタケを七輪で焼く。
 炭火を補充してこんどは餃子を焼いていくという流れ。
 悪乗りして夕飯代わりにフランスパンもどきをガーリックバターで塗って焼いたが、黒焦げになってしまった。
 パンを焼くときは火力に注意だよ。

 伐採してあった太めの枝もしっかり燃やしたので消し炭がけっこう確保できて七輪の出番となったわけだ。
 ゼロ円の自然エネルギーは畑をきれいにした挙句、さらにまた心と胃を快適に暖めてくれた。
 

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ヒメグモに「ぎょっ」!?

2016-12-14 19:28:55 | 生き物
 霜景色がフツーになってきたこのごろ、とうとう石油ストーブにご厄介になっている。
 灯油が切れてきたのでガソリンスタンドに行こうとして灯油用ポリタンを持ち出した。
 するとなんと、ポリタンクの側面にクモが張りついていた。
 しかも、卵のうだろうか、クモがなかなか卵から離れない。

                        
 このクモは、「オオヒメグモ」(ヒメグモ科)というらしいが、図鑑の写真と一致しない。
 手掛かりの腹部の斑紋は複雑でいろいろ変異が多いという。
 車で20分ほどかけて灯油を買いに出かけたが、ガソリンスタンドは閉店していた。
これで2軒目の閉店、じわじわと過疎の現実が日常化している。

  
                             
 ひょいと防火水槽を見たら、たくさんの金魚が群れを成していた。
 それにしても小さくてかわいい。
 近所に聞いてみたら、地域の祭りで金魚すくいをやったようで、その余りの金魚が入れられたらしい。
 水槽をよく見ると金魚がエサを食べていたので近隣の人が自主的に面倒を見てくれているようだ。

 日本が置き忘れた過疎にもホッとする物語はまだ健在だ。
 
 
 
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「草の葉」精神のイノベーション

2016-12-13 20:44:03 | 読書
 尊敬する作家の高尾五郎さんからコンパクトなミニコミ誌が届いた。
 開けてみる『三百年かけて世界を転覆させんとする日記』という表題がついていた。
 奥付がないので発行者・発行日・作者などがわからないところから妖怪さがさらに迫ってくる。
 しかし、18日分の日記がエッセイ風だがみずみずしい言葉で綴られているのに驚く。

                            
 内容は、クリント・イーストウッドの「ミリオンダラー・ベイビー」の映画批評から始まる。
 東北大地震と原発の被害者に寄り添った叫び・怒り。
 オイラもちょっぴり話したことがある高畠町の星寛治さんの詩への賛辞。
 女流日本画家の秋野不矩(フク)が生み出した絵画の革新性。
 日本の英語教育への異議申し立て。
 イギリスのナショナルトラスト運動の歴史と意味。

          
 表題の「転覆」という過激な挑発で読者の注目を引かせ、「三百年かけて」という言葉で安心を与える。
 そのくらいの志で平和ボケした現代日本の現実と対峙していくという意思表明でもある。
 この日記に流れる精神は、宮沢賢治を彷彿とさせるホイットマンの「草の葉」の息づかいが伝わってくる。

                              
 さらには、有島武郎のもつ白樺派の芸術と自然と働く人への崇敬が思い出された。
 いやそれ以上に『農民哀史』の労作を上梓した百姓・渋谷定輔に近い大地の匂いが放たれる。

 最近の芥川賞・直木賞など奇をてらったテーマや文章が少なくないなか、大地に根付いたヒューマンな世界を拓いた作品がない。
 マスメディアや文学界も大地を忘れた楼閣で目先の出来事に追われている。
 手づくりのこのミニコミ誌に込められた叫びが300年かけなくても受け入られる社会が来ることを願わずにはいられない。
 
 
 

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いつものように火を焚く

2016-12-12 19:44:35 | 野外活動
 畑の片づけや樹木の剪定で出た端材や枝が家の屋根近くまでたまってしまった。
 きょうは風が冷たいこともあり曇り気味の天候でもあったので、焚き火のチャンスとばかり火を起こす。
 お昼に近かったのですぐできるソーメンをさっそく茹でる。
 ついでに、ルッコラも茹でてソーメンと一緒に昼食とする。

    
                                     
 新聞紙でくるんであった保存サツマイモを出してきてダッチオーブンで焼き芋を楽しむ。
 そのうちに、隣の地区に移住してまもないゲンさんが来たのでいっしょに焼き芋を食べる。
 タイミングがいい。
 焦げ付かずねっとり焼けていたので、夕飯の主食にもする。

                                     
 定番のサンマも七輪で焼いてこれは夕飯の副食となる。
 アウトドアの食材には魚と肉は欠かせない。
 外ならば煙が出ても安心、というのも、わが台所には換気扇というツールがないので部屋が黒ずんでしまっているからだ。

 
                                   
 庭の焚き火の周りに散乱する落ち葉も燃やしていく。
 なんとか半分くらいの剪定枝は燃やしたがまだまだ次が待っている。
 畑に散在する杉の端材もシロアリが巣くっていたりするのも多くなってきた。

       
 となりに山があり落ち葉も積もりつつあるので火の粉をチェックしながら燃やしていく。
 家の周りもチェックしてから火に水をかけて終わりとする。
 朝から夕方まで一日中火のそばにいたことになり、灰もかなり溜まっていた。
 この灰もいずれ畑に還元される。
 
                                                                              
 
     

                           
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