奥羽山脈を望む(2) 更木の高台より(3.20)
昨日は公民館で俳句会。欠席者あり3名で開催。会員誘致に皆で努力して
いるのだが、諦めず今後も勧誘していく事とした。少人数だが2時間たっぷり
各自5句出し、選句も5句として、それを元に各自の句を研究しあった。
俳句は17文字と極めて短い詩なので、他の文芸に比べて一語一語の含む
意味が極めて重い。だから省略して無駄のない表現が大切だ。説明になっては
ならない。あくまでも詩としての表現を忘れられない。余韻をもった表現で、あと
は、読む人が想像してその句の言わんとするところをは把握することだ。だから
説明、報告、饒舌では余韻のある句とはならない。しかし自分で気づかないで
いることが多々ある。ここに句会の意義がある。仲間から批評されて気づく。
そこに独りよがりを脱して進歩していく。
「単語」にも神経を使う。明らかなや誤りや誤字は勿論駄目だが、俳句で日常
問題なく使われている言葉(季語を含む)も選者または選考機関によって否定
されることがある。一例を挙げれば私の友人がNHKの応募句で入選したが
その中で使用した季語「唖蝉」の「唖(おし)」が差別的用語だから違う表現に
してほしい。と言われたとの事だった。
今日の俳句(唖蝉)
唖蝉をつつき落として雀飛ぶ 鬼城
唖蝉の諸羽美し透きとほり 水櫻子
唖蝉も鳴く蝉ほどはゐるならむ 青邨
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