楽しい老後を求めて

高齢者の生き方を模索した日記風です

庭の花木(53)

2005-08-22 07:24:21 | Weblog

姫睡蓮。黄白色  右の赤い実は藪柑子の実。睡蓮も終わりらしい。下では金魚が泳いでいる。
昨日10日ぶりに何時もの猫が池のほとりに膝を折り坐っていた。金網を池にかけているので、金魚は大丈夫と思うが、一応追い払うがいっこう動じない。「にゃおう」と鳴いて私を見上げている。そこで動物嫌いの妻の出番で声を出し「しー」と言うとすぐ反応し池を離れる。なにか餌を呉れようとしたら、妻に止められたのでやめた。

昨夕は激しい雷雨があった。今朝は小雨が降っている。うっとしい。庭の草を一部取り残して気になるのだがこの天候ではおぼつかない。

今日の一書。田山花袋著「蒲団・一兵卒」(岩波文庫。明治40年作)

「蒲団」は有名な代表作。赤裸々な心理描写で文壇を騒然とさせた。作者がモデルと言われる。私小説だ。「一兵卒」は日露戦争を舞台に脚気の病気を抱えながら、行軍途中に倒れ死んでいく兵士の物語だ。幾多の反戦論の論文を読むより、戦争の悲惨さ、むなしさがリアルに書かれている。勿論、花袋は反戦の思想をもってこの作品を書いたに違いない。今の時期、読まれていい本だと思う。

明日から、暫く(一週間か10日位かも)充電の為このブログを休みます。

庭の花木(52)

2005-08-21 07:11:19 | Weblog

茗荷の花今年は昨年に比べて茗荷が極端に少ない。天候のせいか、また隔年のサイクルの為か、今まで注意しないできたのでわからない。家で食べるのには不自由しない。しかし昨年のように仲間に呉れることは出来ず残念。茗荷の子を採らないでいるとすぐ花が咲く。花が咲くと味が落ちる。朝露に濡れて採るも楽しみ。

季語 茗荷の花(秋)。 茗荷の子、茗荷汁(夏)。 茗荷竹(春)。

俳句  (茗荷の花)

人知れぬ花いとなめる茗荷かな 草城  明るさに馴れぬ怯えの花茗荷 登四郎

あかつきの井の水さはに花茗荷 七菜子   忘れかさなる齢花茗荷  保

今日も暑苦しい。夕顔を貰う。食べきれない。栄養価はどんなものか。プリンターで娘と孫の画像を印刷。うまくいかない。この前までうまくいっていたのに、L判設定したのに半分の大きさしか仕上がらない。下半分が空白。大きな画像を開いてファイルから印刷に入った。そのためかな。以前もそうしていた気がするが。試しに開かず、小さな画像から印刷過程に入った。そしたらうまく仕上がったが、まだ腑に落ちない。PCの設定に問題があるのだろうか。解説書を見たが、用語の意味が分からずじまい。お手上げ。お助けマンいたら教えてください。

追記尚色々調べてキャノン イージーフォトプリントを使ったら上手くいきました。

蝉の殻

2005-08-20 11:14:03 | Weblog

蝉の殻書斎の前の庭。伽羅の木の下。山草のモミジガサの白い花に縋り付いて2匹脱皮をした。まるで兄弟のようだ。長い7年の地下生活をを終えて「さあこれから短い盛夏のひと時を、お互い精一杯生き抜こう」と言っているように。今年も我が家の庭には沢山の蝉の穴が見られた、やはり大樹の下が多い。樹液を吸って生きてきたためだろう。羽化し始めは作業してい私の帽子にとまるのも居た。日数がたつと眼がいいのか耳がいいのか近づくとすぐ飛び立つ。ツクツクボウシは特に敏感だ。子供の頃この蝉を採ると自慢したものだ。ちょっとした英雄気取りだった。羨望の眼差しを得意げに見返した。今蝉取りの子は見当たらない。採った蝉は母に言われて。惜しかったが皆逃がした。蛍も間もなく逃がした。蛍はよく庭に飛んできて夏の風物詩だった。夜、着物に着替え、祖母に手伝ってもらって捕まえ蚊帳の中に放して、はしゃいだ。今郊外でも、なかなか見当たらない。昔は自然とのふれあいが多く情緒があった。懐かしい。先ごろ庭先で盆火を焚いた。昔は何処の家でも迎え火、送り火を焚き、美しい情景だった。今年は近所で見当たらず寂しかった。

ここ数日朝夕は涼しいが日中は猛暑続きだ。稲の生育はよいようだ。
午前中「物忘れ予防教室」のパンフレットを班長さんに配って歩く。3回目の案内だ、9月初旬開催だ。その重要性を認識し大勢出席して欲しい。
今高校野球観戦。熱戦が続いている。同点だ。北国住まいとしては苫小牧に応援。勝たせたい。

市内点描

2005-08-19 07:24:25 | Weblog

「セロ弾きのゴーシュ」のモニュメント。新花巻駅前広場にて。14日娘や孫の見送りの際写す。前に立つとひとりでにセロのメロデーが流れる。たしかトロメライの曲だ。素敵な気分にさせられる。曲を聴き、ゴーシュや動物達の像をみて、しばし賢治の童話の世界にどっぷりつかる。ゴーシュはいつもドジをふんでいて私みたいで親しみを感じてきた。ガラッパチというか粗忽で不器用でいつも叱られている。しかし文句を言いつつも動物に世話をやくところがいい。最後に楽団へのアンーコルに楽長から指名され、破れかぶれで弾いた演奏が褒められた。これは賢治が何を言いたかったのであろうか。 
いつも失敗ばかりしている者への、労わり、優しさだと思うのだが。

昨日今日庭の草取りをする。100坪の庭を老人2人でするのは息が切れる。しかし運動になるし、綺麗になった時の気分はなんとも言われない。しかしこちらの庭の草を取っていると別の庭の草がもう生えている。追いつかない。いつも終りのないマラソンをしているみたいだ。

今日の午前中は地区老の役員会。主な議題は9月の老人の日、老人週間の取り組み行事について。その他いろいろ。
いかに実行していくかが大事な問題だ。社会奉仕、交通安全運動の展開など。

昨日書店でたまたま読みたいと思っていた本が見つかった。「老子 タオ」(加島祥造著。筑摩書房刊)。この本は、作家、ドイツ文学者 中野孝次さんが生前推奨していた本だ。「老子」は以前から持っているが、その和訳がなかなか分かりづらいがその点この本は詩人が分かりやすく現代詩文で訳している。人生の書なので急がず、じっくり理解するまで読んでいこうと思う。秋にふさわしい書だ。

油断大敵

2005-08-18 13:14:12 | Weblog

昨日一週間ぶりでゲートボウルをした。

いくらかは涼しい風が吹くが依然として暑い。ボールをうまく打てない。

やはり休んでいたせいだ。少し疲れたので今日は休もうと思っていた。

今朝テレビで癌を防ぐ生活の番組をしていた。

その中に運動することが大切と言っていた。そこでやはり行こう。

昨日最終試合で、第3ゲートを通過しスライドタッチをかけた。これが

見事決まり2ゲート付近に集合していた相手球の近くまで私の球が

行きラッキーにも相手球の一つにタッチした。すなわちダブルタッチだ。

これで大差の勝利を信じた。しかしその後、相手に好プレイが出、

終って見れば2点差の勝利。薄氷を踏む思いだった。

油断大敵  これは人生あらゆることにあてはまる。 大いに自戒。

 

 


庭の花木(51)

2005-08-17 09:32:49 | Weblog

おみなえし。2年前苗を買って、今年初めて咲いた。去年は本当に女郎花かなと半信半疑だった。初めてなので丈は低い。年々根が大きくなり高く成長して咲いていくと思う。

女郎花の俳句

女の香放してその名をみなへし きくの ひょろひょろと猶露けしや女郎花 芭蕉

女郎花裾野の雨に負けしかな かな女   女郎花の中に休らふ峠かな  虚子

昨日の地震の最中、市内を買い物に行くべく、車を走らせていた。初めパンクと思った。ハンドルが取られる。最近タイヤを買い変えたのに運が悪いなあと思った。
急に前の車が路肩に止まった。とっさに地震かなと思い電線を見た。大きく揺れている。地震だ。停車する。揺れは間もなく止んだ。自宅に電話したが通じない。
帰宅後被害ないのを確認し安心した。妻は以外に動揺していなかった。

1週間たっても歯痛が治まらない。歯科医院に行く。今日は女の先生の担当だ。「かぶせた歯を取ってみましょう」ということで診断の結果、今までの男の先生の歯槽膿漏による痛みとの診断と違って「虫歯である」との事で治療を受けた。これで痛みが治まってくれればよい。様子を見ることと相成った。

庭の花木(50)

2005-08-16 06:51:29 | Weblog

朝顔。 種を撒かないのにひとりでに生えた。毎朝楽しませてくれる、最近手を呉れて立ち上がらせてみた。俳句では秋の季語。 秋の花だ。

朝顔の俳句

朝顔に喪服の人のかがむかな  孝作    朝顔の紺の彼方の月日かな  波郷

朝顔や百たび訪はば母死なむ  耕衣    朝顔や濁り初めたる市の空  久女

母の実家に仏拝みに行ってきた。以前に書いたことがあるが、伝説の五輪塔も拝んできた。花が供えられていた。上から下まで真二つに割れていて針金で結んである。伝説は、伝説として貴重な史実を含んでいると思うが、割れたのは科学的に考えて、落雷によるものではないだろうか。すぐ側には数本の杉の木が立っている。しかし貴重な史跡だと思うし、伝承していかなければならない伝説と思う。当主から本日聞いたら採算が採れないので田は貸して、畑のみの農業で、勤め人をしているとの事だ。これが歴史というものだろう。豪族の末裔としての様子は何処にもない。ただ分家で10町歩ほどの水田耕作をしているところがあるらしい。稲の穂も大分大きくなってきた。田園地区を車で走るのも気分が良い。
孫(23歳女)が一枚のCDを置いていった。韓国旅行、京都旅行、卒業制作等、500枚近い写真なそうだ。少し見せられたが、殆どみていない。彼女はフリーソフトの「イーファンビュー」をダンロードしてスライドショーで見せてくれたが、それをアンインストールしたので、またダンロードしようとして、そのページを開いたのだが、操作がややっこしい。自信がない。今回見送り一枚一枚所々見ている。若いものにはかなわない。


庭の蝉

2005-08-15 08:13:05 | Weblog

あぶら蝉奥の庭のナナカマドの木に止まっていた。珍しく近づいても逃げない。生まれて間もないのかもしれない。この蝉の鳴き声のピークも過ぎた。立秋も過ぎ盛夏も終った。みんみん蝉、つくつく法師、蜩が多く鳴いている。
蝉の俳句

蝉鳴くや松の梢に千曲川  寅彦   唖蝉も鳴く蝉ほどはゐるならむ  青邨

夕蝉の遠くなりつつ雨降れり 年尾  病むもよし死ぬもまたよし油蝉  秋子

蝉時雨棒のごとくに人眠り  敏郎    蝉時雨より深きもの人の息  裕

のち
終戦記念日。60年前の日を思い出す。温泉地区に疎開してきた海軍関係の航空機部品製造の軍需工場に勤務していた。まだ旋盤等の工作機械を設置している最中だった。現役の若い海軍将校も管理官として派遣されていた。正午。天皇の重大放送があるとのことで炎天下、社長と将校を中心にして全員、100名足らずと思ったが、広場に集まり、頭を垂れて放送を聴いた。感度があまり良くなかったし言葉が難しくて意味が分からなかった。皆もそのようだった。「なお頑張れ」とでも言ったのだろうと思った。しかしそれから1時間ぐらい経ってからだったろうか。また集合せよとのことだった。そこで将校からポツダム宣言受諾による敗戦を告げられた。彼は口惜しさを絶叫した。私達は茫然自失する以外になかった。仕事をする元気もないし、仕事そのものの目的が崩壊したのだ。明日からどうなるのだろう。誰も分からない。みな言葉少なに社長の言葉を聴いた。ただ東京の方から疎開してきた事務室の乙女たちは、戦時中とはいえ、田舎者には常日頃魅力的で華やかに見えたが、その日は特に何時もより明るく輝いて見えた。

町内散歩(6)

2005-08-14 09:18:46 | Weblog

「たぬき」らしい。賢治碑入り口付近。右正面は賢治碑入り口。左は桜地人館。バス停から賢治碑までの通路の脇に童話に登場する動物達のオブジェが所々にある。説明が見当たらないが、狸と思っている。

盆の俳句

盆過ぎて一人づつ去る母の家 ひろし ゆるやかに日暮れて盆の人出かな 佐知子

新盆や悲しけれどもいそいそと 愁思堂   男手のやがて侘しき霊まつり 岳陽

盂蘭盆や東京にある妻の墓  龍男     初盆や偽りのまま逝ひし人  耕雪


子や孫達、皆帰っていった。2.3日あっという間に過ぎてしまった。「さよならだけが人生さ」という言葉があるように日々人生は、別れの連続である。あらゆる事象、時間との決別。不可逆的に過ぎていく。故人を偲ぶのも悲しいし、盆は悲しい行事である。盆の俳句を見てもどことなく悲しさが漂う。
今朝早く町内の皆と櫓かけをしたり、盆踊りの用意をした。いま夕立が降った。夜には晴れればよいが。子供らが楽しみにしているだろう。しかし少子化で町内も子供が少なく年々参加者が少ない。  私達も今日から二人暮しに戻る。


庭の花木(49)

2005-08-13 13:08:17 | Weblog

百日草。去年まで植えていたのと違い、今年はミニの種類を植えた。場所をとらず、びっしり咲いている。キク科1年草、原産地 メキシコ。長く咲く。

百日草の俳句

これよりの百日草の花一つ  素十  百日草ごうごう海は鳴るばかり  鷹女

佛飯のいつもの高さ百日草  淑子  蝶歩く百日草の花の上  素十

時々小雨がばらつく。孫(女)からいろいろPCについて教えられる。自分も分からないと、すぐ京都に居る兄に電話をかけてから私に教えてくれる。美大に行っているときは会えず数年ぶりの再会だ。すっかり成長していて驚く。月日は容赦なく過ぎていく。午後2時ごろ、札幌に勤務の息子が仙台の方に帰っていて、孫(女)を連れて我が家に到着予定。その後一家で墓参。