楽しい老後を求めて

高齢者の生き方を模索した日記風です

庭の花木(37)

2008-08-28 11:20:40 | Weblog

槿 (8.18)     前の庭。八重咲き。次から次と咲く。

ただし、その花はほぼ1日で落ちてしまう。

朝起きたら雨が降っていた。最近は本当に雨が多い。トマトがまだ
生っているが、割れているものが多い。専門の農家が言っていたが
雨が多いと、こうなるそうだ。そこに蛞蝓がたかっていたりする。
洗って切って食べているが気分の良いものではない。蛞蝓は長いほう
の触角の先に目があるそうで湿気を好み、植物を食べる。何処をどう
歩いてくるのか、風呂場や洗面所にも出る。塩を掛けると水分を吸収
されてみるみる小さくなる。務めて風呂場の隙間を塞いでいるのだが
古い家だからかそれでも出る。私は俳句の季語にもなっているので
観察し、そして外につまみ出すのだが妻は見るのも大嫌いだ。

昨日はグランシェルで宮沢賢治生誕祭俳句大会があった。私は体調の
関係上10年以上大きな句会、大会に殆ど出ないできた。数人から声を
掛けられた。勉強の為これからは務めて参加していきたいと思う。
150名以上は参加者があったと思う。
記念講演は「小熊座」主宰 高野ムツオ氏が約30分「俳句の魅力」との
演題で話された。その中で今年も8月15日から3日間松山で開催された
高校対抗の俳句甲子園について話された。各高校の選手が1名ずつ自作
の俳句を発表し、相手の俳句に批評、批判をし、その上で十数名の審査
員が旗を上げて勝敗を判定するのだそうだ。岩手代表の水沢高校は残念
ながら準決勝で敗れたそうだ。興味ある話であった。

   


庭の花木(36)

2008-08-26 12:38:04 | Weblog

サルスベリ(白)  (8.11) 奥の庭。

今日午前中は循環器科受診。待合室で角川の月刊俳誌「俳句9月号」
を読む。特集は「忘れられない名句集20」だ。2日前「天為」有馬朗人
主宰が記念講演で取り上げた数句が記されている。名句と言われる
基準がなかなか難しい。私の理解を超えるものが多い。だから俳書に
よる解説、評論を読むことが必要だ。先日の有馬主宰の講演で懇切
丁寧な名句、著名句の解説がなされた。元東大総長、文部大臣且つ
物理学者である先生は科学における真についてガリレオ、ニュートン
アインシュタイン等の発見、学説。また光りが粒子そして波と言われ現在
は波であり且つ粒子であると言われている経緯と文芸上の真との違いを
解説された。滑稽については小原琢葉「樹氷」主宰の数句を例に解説
された。今日の「俳句」を読みまだまだ勉強の不足を痛感した。

   


庭の花木(35)

2008-08-25 08:57:51 | Weblog

ノウゼンカズラ (8.17)  駐車場のフェンス際

中国原産。丈夫な花だし切っても周囲に沢山芽を出す。

今日の俳句のうぜんの花

のうぜんの花さけど吾は貧しくて     捷平

いくすじも松ののうぜん湖に垂る     礼子

雨のなき空へのうぜん咲きのぼる    素逝

昨日は県内の俳誌「樹氷」発刊30周年記念大会がホテルメトロポリタ
ン盛岡であり、参加してきた。雨の中県内外から来賓、会員約200名
参加し盛大に開催された。私は「樹氷」の会合に約20年ぶりに参加。
昔の仲間が皆見違えるように歳をとっていた。勿論私も然り。歳月の流
の速さと無常を痛感した。米寿を迎えた小原琢葉主宰の今までの県俳
壇への育成寄与と各種句会の選者として超多忙な中の現在でも名句を
発表し中央俳壇の数々の賞を受けているその努力と才能には唯驚嘆
する外はない。「天為」有馬朗人主宰の記念講演は「俳句における真善
美と滑稽」という内容の濃い興味あるものであった。

私は祝賀会の折、有馬先生の席に行き日頃の指導を謝し挨拶をした。
先生は「元気でしたか。最近会員が減っているので、新会員の増加の
方をよろしくお願いします。」とのことだった。地区の「天為」の会員増加
の運動を続けていきたいと思う。

  


庭の花木(34)

2008-08-23 09:30:15 | Weblog

サルスベリ  (8.18)  前の庭。車庫の上。

2ヶ月前ほど枝を大分詰めた。だからあまり咲かないかなと思って
いたが予想に反して例年通りに咲いた。花芽がつくのが遅い花なの
だろう。江戸時代前にインドから中国を経て渡来したと言われる。
花期が長い花だ。樹皮が落ちて木の肌がつるつるになるのでこの
名がついたのだろう。漢字で百日紅と書くのは花期の長いからだろう。
赤、ピンク、白と見かけるが赤が一番豪華だ。

今日の俳句百日紅

百日紅ややちりがての小町寺      蕪村

女来と帯纏き出づる百日紅        波郷

ゆふばえにこぼるる花やさるすべり   草城

いつの世も祷は切や百日紅       汀女

百日紅つかれし夕べむらさきに     佳子

今朝は畑の草取りをする。胡瓜や茄子の花に花虻が盛んに飛び
廻っている。働き者だ。今年は雀蜂があまり来なくて安心だ。
しかし最近向かいの家を訪問したおり、玄関に大きな巣が二つ置いて
あった。もし家で捕獲したものならこの辺にも居る可能性が大きい。
私も毎朝のように家屋の隙間等を点検している。県内でも毎年死者
が出ている怖い虫だ。黒いものに向ってくる習性があるので、私は
何時も黒い服装で作業しているので要注意だ。

  


庭の花木(33)

2008-08-21 17:24:27 | Weblog

夏水仙 (8.10) 前の庭。葉が消えて間もなく、あっという

間に茎が伸び花が咲いていた。昨年はあまり咲かなかった。
丈夫な花だ。

連日の雨で、庭仕事が出来ない。先ほどやっと雨があがったので庭に
出てみたらやはりアメリカシロヒトリの幼虫が見つかり駆除した。

昨夜は俳句会。参加者少なく6名。私の句は嬉しい事に何時もより皆の
選に多く入った。特にある女性会員は7句も選んでくれた。何時もは余り
選んでくれない人だ。「なんだか今晩はこの句会にどうしも来たかった」と
冗談が私の口から出た。

今日は午前中、ブロック。副作用があると言う人も結構居るが、なんとか
痛みから解放されたく必死の思いだ。特に三日後は盛岡で「樹氷」の発刊
30周年記念大会があり、来賓として「天為」の有馬朗人主宰も来て記念
講演をされるし私も暫くお会いしてないので是非出席したい思いもあり医師
と相談の上、3日ぶりのブロックとなった。同じ狭窄症のみのもんた氏は
ブロックも効かず、紅白の司会直後全身麻酔で手術して成功した訳だが
高齢者の私は手術が可能か疑問だ。藁をも掴む思いでいろいろ売薬等
を飲んでるが、医師から聴くとコラーゲンがはっきり効くというデーターが
ないそうだ。安くないし、あまり飲まない事に決めた。

   

 


庭の虫(4)

2008-08-19 13:04:05 | Weblog

アゲハ蝶 (8.7)奥の庭。茗荷畑に幼虫が数匹いたので、それ

かも知れない。この前の句会でアゲハ蝶は生まれた所から何時も
あまり離れず飛んでいるとある会員から発言があった。観察して
見たいと思う。産卵場所または幼虫は好む植物は決まっているよう
である。黒アゲハの幼虫、蛹は以前決まって鉢物の蜜柑に居た。

早朝大雨だった。毎朝恒例の胡瓜捥ぎは、傘を差していてもズボンが
ずぶぬれになった。今は小降りだ。

昨日は午前中市内の麻酔科ペンクリニック科を受診しブロックを受ける。
盆開け且つ月曜なので混雑した。ブロック後の1時間休息時、「樹氷」
主宰小原琢葉氏の句集を読む。地元の句なのでストレートに理解できた。

午後数日ぶりにゲートボール。8名参加。2勝2敗。2試合までは順調に
勝つ。3試合目は8対8だったが、内容負け。4試合目はキャプテンである
私の手痛いミスもあり大敗となる。2m位の第2ゲートの通過をミスした。
普段の力なら絶対成功するところだ。失敗してから呆然とした。いつもの
通り反省考察だ。先ずチャンスだったことだ。通過すれば敵の数個の球を
アウトにできる大事な場面だ。だから緊張したと思う。打つ瞬間若干の迷い
と不安を感じた。「若し失敗すれば」と。これらの緊張と不安が正常な判断力
を狂わせ、正しい意志の強さと方向性を狂わせ、従って正しい体のコント
ロールを狂わせ結果としてボールが正しいコースを通らなかったと思う。
今後改善を工夫していく。

   

 


庭の花木(32)

2008-08-15 14:31:47 | Weblog

花魁草(草夾竹桃) 奥の庭。 北米原産。 庭には白もある。

今日の俳句花魁草

揚羽蝶おいらん草にぶら下がる     素十

一とむらのおいらん草に夕涼み     鷹女

藪の前草夾竹桃花ざかり         孝作

月遅れの盆中だが瞬く間に過ぎていく。家の墓参。そして妻の実家
の墓参を済ませる。昨年12月96歳で他界した義母の新盆だ。
昨晩は町内の一夜限りの盆踊りがあった。私は腰痛の為行かず
妻に顔を出させた。家に居て踊り歌のみ聴いていた。昔ながらの
「炭坑節」その他なじみの歌だ。9時ごろ帰宅したので聞いたら子供
は少なく主に大人が踊ったとのことだ。お盆の行事は、いくら賑やかに
しても、当然のことだが、寂しさ、哀愁がつきまとう。俳句では「踊り」と
言えば盆踊りのことで秋の主要な季語だ。「踊りうた我世の事ぞうたは
るる  虚子」 「人の世のかなしきうたを踊るなり 素逝」 「をみならに
いまの時過ぐ盆踊 澄雄」等がある。

山口青邨や芭蕉の「奥の細道」を読む。そして庭に机を出して嘱目句
を詠む。即興だが数句出来た。良寛の言葉に「貧道の嗜まざる所三
あり。曰く詩人の詩、書家の書、庖人の餞これなり」というものがある。
意味は「私の嫌いなものに三つある。詩人の詩、書家の書、プロの
料理人のご馳走だ」と言うものだ。人間味をなおざりにした専門家の
作品の臭みを嫌った言葉であろう。その言うところの意味とはかけ
離れた拡大解釈だが、素人の作品には下手でも、真心がこもっていれ
ば、それなりに価値がある。と自己流に解釈し、自分を慰めている。

 

 


庭の虫(3)

2008-08-13 15:22:46 | Weblog

蝉(2) 裏の庭  羽化して少し経過。今羽根は透明だが

時間が経つに従い茶色になってくる場合もあるので、何蝉と
断定できない。

蒸し暑い。相変わらず奥の庭の草取り。蝉の穴が沢山ある。その
割には鳴き声が少ない。山口青邨の句に「唖蝉も鳴く蝉ほどはゐ
るならむ」と言うのがある。それにしても少ない。蝉時雨もうるさく
感じる時もあるが、今年は少し淋しい。

芭蕉の俳句について考えて見る。「古池や蛙飛びこむ水のをと」
確かに単純な客観写生ではない。しかし古来私達日本人には感銘
を与えてきた。それは芭蕉が一生真剣に求めて歩んできた、伝統的
「造化」の追求の結果生まれた名句のためだと思う。和歌や物語や
他の詩にない感銘を僅か十七文字で与えてきた。芭蕉が求めた
日本の歌の心、芸術の心は何だろうか。例えば西行の歌「心なき身
にもあわれはしられけり鴫立つ沢の秋の夕暮」等で表されているもの
であろう。形あるもの、無いものを通じての空の世界だ。

芭蕉の単純な写生でない句をいま思い浮かべても「石山の石より白
し秋の風」「塚も動け我泣声は秋の風」辞世の句とも言うべき「旅に
病んで夢は枯野をかけ廻る」等がある。まだまだ芭蕉を調べ学びたい。

  


庭の花木(31)

2008-08-12 10:51:48 | Weblog

山百合 奥の庭. 小道を隔てた 隣家との境際 ツリバナの下。

昔、山から掘りあげてきた貴重な1本。咲いたのを気づかずにいて

も強烈な香りで気がつく。花は1週間位で終わる。あまり近づきすぎて

花粉が衣服に付くと大変だ。なかなか落ちない。大変個性的で魅力的

な花なのだが、薄暗い奥の庭のせいか、可哀想にあまり虫が来ている

のを見たことが無い。深窓の箱入り娘の感じ。

今朝は朝から庭の草取り。屈んでするので腰が痛くない。ゲートボール
も然りだ。打撃するときは痛まない。

毎日、俳書を読んだり、作ったりしているが、満足する句が出来ない。
毎月目に触れる俳句の量も膨大で、一々記憶も出来ないし、結社に
よって作風も異なる。選者によって選ぶ句も違うことが多い。多く読んで
も右往左往する事が多い。
自分の中で確固とした作句の基準が欲しい。結社誌選者や句会の仲間
に受け入れられることは勿論大事だが、基本的には右顧左眄すること
なく、信念で作る事が大切だと何時も思っている。

芭蕉は何の為に俳句を作ったのだろうか。求道の為と思う。「笈の小文」
の中で「西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、利休の茶、それを貫く道
は唯一つだ」との意味のことを言っている。またそれに続けて「風雅におけ
るもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処、花にあらずといふこと
なし、月にあらずといふことなし」と言っている。芭蕉は命を超え人間を
超えた万物発生の根本「造化」の解明把握を目指して「その一筋の道を
目指し」て俳句を作ったと言われている。

  


庭の虫(2)

2008-08-11 11:54:40 | Weblog

アゲハ蝶の幼虫 茗荷畑で。三つ葉を食べていた。

数日前。 茗荷取りをいていて見つけた。成蝶もよく飛んでいる

午前中は裏の庭の除草をする。ドクダミが主ですぐ生える。
日差しが暑いが時たま涼しい風が吹いてくる。紅く小さなミズヒキの
花が咲き始めた。シュウカイドウの葉も大きくなってきた。わが庭も
日毎に秋の気配が増してくる。草をどけると、まだ小さいコウロギが
右往左往して逃げる。程なく美しい音色を聞かせてくれるだろう。

今日の俳句(立秋)

秋立つや川瀬にまじる風の音      蛇笏

草花を画く日課や秋に入る        子規

足早に秋来る雨の登り窯        まり子