楽しい老後を求めて

高齢者の生き方を模索した日記風です

庭の植物(5)

2011-05-26 07:35:55 | Weblog

連翹  (4.25) 貸し店舗の南の庭

昨日の午前中はパソコンのシニアー愛好者会の総会があった。参加者は約50名ぐらいで、盛会だった。午後はゲートボール、そして夜は俳句
会と多忙だった。5名(男4、女1)の参加者で最近としては多い方だ。
私は最近庭で見た草花の句を多く出した。その中で「ぼうたんのほぐれ初めたる吐息かなが好評だった。そこでこの句が出来た経緯を説明した。それは風で倒れた1本のピンクの咲き始めたばかりの牡丹を抱き起こした時偶然私の鼻先に花が当たり、その芳香を始めて知り、陶然となったことを披露した。女性会員は妖しい句だと言い、そして皆に褒められかつ冷やかされた。

今日の俳句(連翹)

連翹の何も語らず黄より葉へ   (桂子)

連翹や雨の堅田の蓮如みち   (麦丘人)

連翹や真間の里人垣を結はず  (秋櫻子)

 


11年庭の植物(4)

2011-05-25 17:02:30 | Weblog

ショウジョウバカマ (4.20) 奥の庭。

快晴だ。朝早くから庭の除草。腰の上げ下げの屈伸。私の腰痛体操
を兼務。ドクダミが一番多い。花々を見ていると心楽しい。句作も出来
る。昨日は自転車で賢治碑まで。新しい眺望案内図が「下ノ畑」方面
を向いて建っていた。またこの地の周辺には市内の観光案内図が新たに2基建っていた。賢治碑前にご婦人がいたが聞くと盛岡に所用で
来た長崎の人だという。先日は新潟から新たに赴任してきた、ある金融機関の人がいた。新たにこの地に来るとよくここに見えるらしい。
賢治の広く時代を超えたフアンが居るためだろう。

昨日は吟詠会の例会。私は漢詩の「秋日」を吟じた。コウイという中唐
の詩人のものだ。通釈は「夕日の照り返しが村里に差し込んでいる。
寂しい景色にふと悲しくなる。この憂いを誰と話し合ったら良いのだろう
か。古い道には歩く人も稀だ。ただ秋風が稲や黍を吹いている」という
ものだ。芭蕉の俳句にも同様な趣旨の句がある。「此道や行人なしに
秋の暮
」だ。芭蕉は漢詩にも造詣が深かったので、この漢詩からヒント
を得たものか、偶然の作か分からない。今晩は俳句会だ。出かける
時間である。


11.庭の植物(3)

2011-05-20 09:00:05 | Weblog

椿  (4,18) 裏の庭。今朝咲き終わっていた枝を剪定した。
    伸びやすい木だ。毒蛾がいることがあるというので、時期的には
    早いが、念のため注意した。此花はもう2種の花と違って淡い
    色だがそれなりに自己主張をせず風情がある。

胡瓜を4本植える。2人世帯だからこれで充分だ。トマトに支柱をくれる。花をつけたものもある。豌豆はまだ伸びない。太い支柱を呉れていたが蔓が絡めないようなので、あらためて細い竹の支柱を補充した。
アスパラガスは豊作だ。草の腐葉土をたっぷり呉れたせいだろうか。
食いきれず妻が友達に呉れたようだ。トマトと馬鈴薯にテントウムシ
ダマシが出始めた。茗荷竹も出てきた。いよいよ夏の風情だ。

今朝良寛の詩を吟じた。まさに同感の漢詩だ。吟題「半夜」

「首を回らせば五十有余年 人間の是非は一夢の中

山房五月黄梅の雨  半夜蕭蕭虚窓に灑ぐ」

 


11.庭の植物(2)

2011-05-15 14:08:54 | Weblog

片栗の花 (4.15)書斎前。山と違ってなかなか増えないが
         
花は咲かないが3つ増えていた。

快晴だ。晴の日は大抵の時間外にいる。庭の草花を見たり除草したり
飽きることがない。紫外線が怖いので帽子は欠かさない。昨日店から
翁草黒白それぞれ1本買ってきて奥の庭に植えた。今までも買ったり
山から採ったりしたが無くなった。これが最後の挑戦だ。白の品種は初めてみた。白根葵も最後の挑戦をしようと思い、1本入荷をお願いして
きた。これもこの辺の山に行くと見かけることがある。今日はブルー
ベリーを2本植えた。1本あるのだが、最近2人共視力が衰えてきたので、実が良いとのことなので植えた。

今日図書館に本を返してきた。丁度2週間の期限日だ。3冊とも賢治と
法華経との関係に関する本だ。「雨ニモマケズ」の詩文の背景を知りたかったのだ。それによると、どうもこの詩文はやはり法華経の教えの
精神を表現して書かれたとのことだ。デクノボーは常不軽菩薩のことだ。ただこの詩文の書いてある手帳を弟の清六さんが披露したときに
居合わせた詩人達が、国忠会と田中智学に理解と好意を持っておらず
文学的な詩文としてのみ評価したとある。賢治からみると詩文の後に
記してある「南無妙法蓮華経」の文字は連続した必然的ものである。
私は今後この詩を吟じる場合このことを忘れないようにしたいと思う。

今日の俳句片栗の花

かたくりは耳のうしろを見せる花  展宏

片栗の花ある限り登るなり     高原


2011年。庭の植物(1)

2011-05-12 09:15:35 | Weblog

シュンラン 書斎前(4.15)花期が長く今でも咲いている。

ブログを書くにも、あまり変化のない生活をしていると、何を書いたら
よいか、気がすすまなっかたが、昨日脳の活性化による認知症予防
の項目の本を読み返して見るとその中にブログを積極的に書こうと
書いていた。文章を考えながら書くことが、とても良いそうだ。特に会話
の少ない人にお勧めとのこただ。私も町内の老人クラブの会長もやめ
そのときクラブそのものが解散してしまったので、以来町内の皆さんとも話す機会がめっきり減った。それでは下手で魅力の無い文章でも、
読んでくださる皆さんには悪いが時々は書く努力をしようと決心した次第である。

昨日の夜は俳句会。僅か4名の参加。寂しい。しかし熱心な人たち
ばかりで、それなりの収穫があり勉強になった。皆でなんとか会員
を殖やす方法がないものかと嘆きあった次第である。
先日も吟詠会の例会があったが本年度5名の脱会者があり会員数
が半減し5名となってしまった。だから経費的にも運営が苦しい情況
だが、本年度会員増加に努め推移を見た上で存続の可否を決める
ことにした。高齢者比率が高いグループはこのような推移になるのは
必然的なところでもある。増加に努力してみる。

 


4月の庭(6)

2011-05-03 09:07:11 | Weblog

ヒヤシンス  書斎前 (4.14)上はクロッカス。

暫く振りに図書館に行って来た「雨ニモマケズ」の詩文の背景と
賢治と法華経との繋がりを知りたいと思った。詩文はよく吟詠会で
吟じる。昨年も9月21日の賢治祭において碑の前で仲間と共に吟じた。手帳には詩文に続いてな南無妙法蓮華
の文字が書かれている。だからこれを続けて一つの文章として読むべきだとする説がある。

昨日痛み止めの薬を切らしたので整形外科に行った。大変な混みようで、私の前に50人くらい待っていた。これからはやはり連休の数日前
に行くべきだと思った。