楽しい老後を求めて

高齢者の生き方を模索した日記風です

5月31日

2007-05-31 14:50:38 | Weblog

庭の花(21)   白根葵(2)  (5.8) 書斎前の庭。

此花は農協のかあちゃんハウスから買ってきて地植えしたもの

右はモミジガサ(シドケ)赤い落花はボケの花びら。2日ご風が強く

惜しくも散ってしまった。なおその後友人が実生から発芽させ育て

苗を1本持ってきてくれた。今年は咲かないが来年は咲くと思う

とのこと楽しみだ。此花の付近に植えた。友人の所では栽培管理

が上手でゆうに20株以上は庭に咲いていた。

今にわかに  

今日の俳句(雷)

雷鳴のたび青佐渡を濃くしたり     哲郎

遠雷や睡ればいまだいとけなく     汀女

軽雷や水のまわりに水が立つ      恵子

    

 

 

 

 


5月30日

2007-05-30 14:45:42 | Weblog

庭の花(20) 椿  (5.8)  前の庭 八重もあるがこれは一重

今日の俳句(木下夕爾の句)

夕爾(大正3~昭和40年)は高名な詩人として活躍。「田舎の食卓」

「生まれた家」「晩夏」等の詩集を出版した。詩雑誌「四季」同人。

俳句は先日取り上げた、久保田万太郎の「春燈」によった。句風は

当然似ていると思う。私も時々万太郎流の句を作ろうと思うのだが

易しそうでなかなか難しい。情緒の無い平凡な句になってしまう。

少年に帯もどかしや蚊喰鳥

黒穂ぬけばあたりの麦の哀しめり

林中の石みな病める晩夏かな

花過ぎし風あそぶなり水の上

もらひたる柚子にも峡の日のぬくみ

郭公やこもり音に打つ古時計

  

昨日病院で誤記により診察が1時間ばかり遅らされたことを記した

が、考えてみると、大きな問題を内在しているのが分かった。私は

時間を失っただけで済んだが、今まで報道された数々の事故の

幾つかは患者の取り違えとか、単純なミスが人命にかかわる様な

重大事故の原因となっている。私の場合尿検査によるシャーレへ

の患者名の誤記で大事に至らなかったが、もっと大事な検査等の

ことを考えると慄然とする。昨日の誤りは何故起きたのだろうか。

推測してみる。問題のシャーレは医師が私に見せて謝ってくれたが

それを見ると私の苗字の最初の一字と、誤った人の最初の一字が

同じ文字だけだった。次の文字は全然違っていた。そして名前は

私は間違われない為にカタカナで採尿のコップにフルネームで書

いた。だから検査した人は冷静に見ていれば決して間違わない筈だ。

それが何故間違ったのか。結論はその人が文字全体を見ないで

判断したのだ。最初の一字だけを見て、自分の頭に何らかの事情で

刷り込んであった人の名前と判断し、シャーレにその苗字を脇書き

して先生に渡したのだ。不注意な観察と、先入観による認知判断と、

馴れ、または仕事を急ぎ処理したい、これらが複合したと思う。

先生は私のカルテは上の方に在るが、私のシャーレが無いので診断

できず、マイクで先生が直に他の患者を呼び続けたのだ。

私はこの科に受診して数年になるが今までこのような事が無かったので

推察できず無駄な時間を過ごした。これは私の推測の甘さであった。

昨日も書いたが診察結果を悪いほうにのみ考えないで確率な判断で

冷静に早く看護師に順番を確認するのが正しかったと反省している。

     

 

 


5月29日

2007-05-29 13:12:13 | Weblog

庭の花(19) シャガ  (5.7)  前の庭 貸店舗の南軒下。

去年あまり殖えたので減らして1本とした。すぐ殖えるだろう。

今書斎前の庭で、此の花とそっくりなヒメシャガが咲いている。

昨日午前中庭の手入れ。午後ゲートボールに出かける。2時近い

のにだれも来ていない。1人で練習し帰ろうとしたら60代の女性

1人来る。折角来たのだから、運動の為プレーをしようと誘い紅白

に分かれボール5個づつ打撃する。1プレーで普段の5プレーした

のとやや同じ運動量となる。彼女は継続してもよい様子だったが、

私は疲れて1回で終了する。

今日は泌尿器科受診2週間前癌検査の結果を聞く日だ。朝早く

診察券出したのになかなか呼ばれない。悪い方に考えてしまう。

結果が悪かったので先生がじっくり説明する為後回しにしていると

思った。それにしてもあまり遅いので看護師さんに申し出た。「尿も

早朝出しましたか」と聞くので、出した旨答えた。調べたら検査する

人が私の名と似た人の名を間違えて、先生に渡したガラスに書いて

渡していたそうだ。「今後はこんなことの無いようにします」と先生と

看護師さんから丁重にお詫びを受けた。

気にしていた検査結果だが、「腫瘍マーカーも市で検査した時より下が

っていたし、このまま様子を見ていく事で大丈夫と思います」との説明

であった。何時もの通り肥大症の薬56日分出して貰って帰路につく。

帰り道、好物の醤油団子を買って帰る。

今日の結果を早速娘にメールで知らせた。

      


5月28日

2007-05-28 11:50:19 | Weblog

kubota

庭の花(18)  山吹  (5.3)奥の庭

快晴。昨日と今日の午前中はは黒竹の根を除去した。竹は好きで

以前から奥の庭と玄関脇に植えてきた。併し根が極めて強靭でどこ

迄も伸びる。特に裏庭のものは直径50糎深さ1米位のコンクリート

の筒の中に植えているのだが、根が隣の屋敷まで伸びるようになっ

たので思い切って除去した。根がコンクリート一杯に這っていた。

鶴嘴で何回も掘って長時間かかった。玄関脇のはそんなに大きくな

いのだが、成長しやはり根が伸びだしたので堀りあげ頑丈な鉢に

移植した。

  

今日の俳句 (二題)

1)   山吹

あるじよりかな女が見たし濃山吹     石鼎

童女とて愁ひ顔よき濃山吹         羊村

山吹や石のせてある箱生簀        啄葉

(2)  久保田万太郎句集より

久保田万太郎万太郎(1889~1963)は小説家、劇作家として

高名である。俳句も若いときから研鑽した。「春燈」主宰。昭和32年文化

勲章受賞。「俳句は余技」「心境小説の素」と言ったが、その洗練された

句風は他の追従を許さなかった私も大好きな作家である。平易な

言葉を使いながら、何とも言えない情緒のある句がたまらない。

    

神田川祭の中をながれけり

ふりしきる雨となりにけり蛍籠

竹馬やいろはにほへとちりぢりに

したたかに水をうちたる夕ざくら

買って来しばかりまはるや走馬燈

校長のかはるうはさや桐の花

       


5月25日

2007-05-25 13:13:11 | Weblog

庭の花(17)  ボケの花(2) (5.3) 奥の庭

雨が降りそうだ。早朝から剪定の枝を焚く。生木なので燃えずらい。

昨日午前中庭に物干し台設置。今まで蒲団を干すのに下から2階

のベランダにある物干しまで持っていって干していたが、2人共体力

減退で危険が伴う為の設置だ。コンクリート台は重くて下ろせないの

で、手ごろの重さのものを買って来た。ところが支柱を今までのもの

から外そうとしたが、錆付いているのかなかなか外れない。外すのに

3時間ほどかかってしまった。結局設置終了まで午前中かかった。

昼食後ゆっくり休息昼寝し、2時からゲートボールに出かける。4時ま

でプレーして帰宅。相撲見る。朝青龍2敗。白鵬優勝に一歩近づいた

感じだ。夜俳句の本を読む。9時就寝。

     

今日の俳句(永田耕衣句集「殺佛」より

たつぷりと皆遠く在り夏の暮

開眼のごと桃の花ねむるなり

夢入りや頼むたのむと花見蟇

人体に花見の苦あり花の中

人体に落花舞いこむ寂しさよ

椿から椿へ何も伝わらぬ

朝恐ろし百合も女体も萎れかね

      


5月24日

2007-05-24 13:32:54 | Weblog

庭の花(16) 白根葵  (4.30)  奥の庭

昨日は午前中庭木剪定。午後GB。夜、俳句会。参加者7名。

わりと選に入った。ある会員が私の句の一つを、選びながら

高野素十の句を思い出したと言った。「但し季語が蝶と燕の違い

があるがね」と言った。私もとっさに素十の句を思い出したので

「そうだね」と肯定した。また別の会員が私の句を2句選び、「この

句は俳句の型に正しく収まっているその型は飯田龍太に似てい

て良い」と褒められた。先般亡くなった高名な俳人と比較され嬉し

かった。意識して龍太の句風を真似たのではなかったが、5日ほど

前、彼の句集を読んだばかりなので、その影響かもしれない

類句、類想句については山口青邨(ホトトギス派夏草主宰。有馬

朗人の師。東大名誉教授。故人)もその入門書で詳しく論じ諭して

いる。例として「燈籠流し」の句を25句上げている。

私の知人はだから前衛的な句を作るべきだと言う。たしかに前衛句は

「虚」の要素が強く、客観写生よりも感覚的に言葉を頭の中で考えて

作るので独創的な句が出来やすい。詩に近い作風となっている。

昨日、角川の総合俳誌「俳句6月号」が届く。天為主宰「有馬朗人」

先生の特別作品50句が載っている。公私とも超多忙なのにいつも

多く発表されるのはまさに超人的と敬服のほない。

昨夜、仲間から「貴方の俳句が俳句総合誌(俳句研究)に取り上げら

れていたよ」と知らされた。

       


5月22日

2007-05-22 16:38:57 | Weblog

庭の花(15)鯛釣草(けまん草) (5.3) 奥の庭

昨日のゲートボールは4試合。さすがに疲れた。成績は3勝一敗

でまずまず。今日は男のみ3名しか集まらず1人対2人に分かれ

1試合のみ。好い天気だし、十分運動になったし心地よい。

午前中は胃腸外科に行って痔の薬を貰ってくる。大変込んでいた。

後は俳句の本を読む集を読む事は楽しいし、新しい言葉も覚え

勉強になる。殆ど暗記せず読み進んでいく。併し頭のどこかに記憶

、理解、感銘を受けていて、滋養になり、作句の足しになっている事

は間違いない。ただ多読すると、反面、そのような俳句と同じような

句は作られなくなる。盗作、または過度の模倣句としいけないし、又

嫌われ批判の対象となる。だから読んだ事の無い事象を探すかまた

新感覚な表現を発見工夫しなければならない

今晩は2時間、吟詠会例会がある。吟そのものも音声による表現芸術

としての表現を工夫練磨しなければならず、日夜毎日自宅でも励んでい

る訳でそれに喜びを感じているが、漢詩を初め優れた詩歌に接する事

は、その古今東西の詩人の魂に触れる事なので、これまた大きな

喜びである。

      


5月21日

2007-05-21 10:58:58 | Weblog

庭の花(14)  水仙(3)  (4.30)

昨日の市老連総会は今まで通りだった。バスが都合つかず会場

変更になった由。

今日の朝、蕨貰ってくる。車で片道15分ぐらいかかるが好きな

ので行って来る。今回は煮上げたのを貰ったので早速朝食で

食べる。あまり食べると私は眼にくるので程ほどに。その後アス

パラガスを6本買ってきた。食べれるまで数年かかるようだ。

今日の午後はゲートボールの予定。昨日総会から帰ってくると隣

街の代表者から明日から今年初めて外でプレーするから是非参加

するようにとの要請があった。今後、正式な対外試合には出ない

ことを条件に承諾した。風邪も大分軽くなったので出来そうだ

「天為」200号記念大会入選作品集が今届いたさすが上位入選

作品は素晴らしい。今日はじっくり全作品を(36P。約1300句)を

読むこことする。

    


5月20日

2007-05-20 13:11:41 | Weblog

庭の花(13)ぼけの花  (4.30)  玄関前。

今日は風邪の状態が少し軽いので力を出して庭木の剪定をする。

アスパラガスの苗を買って来た。4本しかなかった。

午後は市老連の総会だ。今迄と設営の仕方が違うようだ。1市4町

が合併したので老連も大勢集まるのだろう。

3日後の俳句会に10句出さねばならないが、あと1句納得したのが

出来ない。期日までに作る事だ。独創的な句を作る事が大切だ。

知っている句から学ぶ事は大切だが、模倣はいけない。芭蕉は本歌

取りの俳句を作っている。杜甫やわが国の古い有名な詩歌から、同じ

言葉を使って作っている。これは芭蕉だけでなく、良くあることだ。

しかし凡人では怪我をする。避けて通うた方が無難である。有名な永田

耕衣のように漢語による造語を沢山使って俳句を作った人もある。これ

も普通の人は避けたほうが無難だ。言葉は勿論変化するし、してきた。

今朝もNHKのニュースで若者の新しい言葉を紹介していた。昨日取り

上げたピンカーも今後も言葉はどんどん変化していくだろうと言っている。

併し伝統的な俳句では伝統的な言語を使うのが普通である。これらの

ことを考えて伝統的な言語を使って、独創的で新しい表現を心掛けて

いきたい。

  

今日の俳句(永田耕衣の句)

近海に鯛睦み居る涅槃像

炎天や十一歩中放屁七つ

葱は無く鮭は切身に世紀寒

首振れば死は逃ぐ寒い木の塑像

茶の花や骨湯の好きも母ゆづり

     


5月19日

2007-05-19 12:37:17 | Weblog

庭の花12 喇叭水仙  (4.30) 裏の花壇

小学校の運動会の日らしく早朝狼煙が上がったがその後本降り

になり出来そうも無い。

昨日白内障による遠視用眼鏡が出来たので購入してくる。はっきり

見える。しかし馴れない為か、比較的近距離を見ると特にふらつく。

暫く試用してみる。処方箋を書いた医師からは1ヵ月後その眼鏡で

良いのか確認するから持ってくるように言われている。眼鏡屋さん

から確認したのだが、3ヶ月以内の矯正変更の場合は無料で出来る

そうなので安心だ。

今日は雨降りなので読書をすることにした。ピンカーの「言語を生み出

す本能」を再読する。彼は認知科学と幼児の言語獲得の研究で著名な

学者。上下巻ある記述はいずれも興味あるが、今日は特に「思考は日

常の言語で行われない」という説に興味を持った。特俳句との関連

考えたのだが思考は使用言語によらず発想するにしても、発表表現す

るのは言葉なのだから、俳句を作るには言葉を多く知り、そのどれを使う

かが命である。既存の言葉によって触発され発想されることが多々ある。

自分でもこのような言葉がよく思い出せ俳句が作れたと思う事もしばしば

である。日常、言葉に親しんでいるからと思う。思考、発想について特に

は今後も常に考察していきたい。俳句を作るには幾ら位の言葉を考えて

いかなければならないのだろうか。ここにある大辞林は22万語とあるが

これが全部対象ではない。日常使っている「季語秀句(用字用例)辞典

では6万5千語(例句2万5500句)。俳句古語辞典は4千語(例句は1万

2千句)である。大体これらの中から17音の言語を選ぶ事になる。