楽しい老後を求めて

高齢者の生き方を模索した日記風です

秋の植物(4)

2009-09-30 07:37:39 | Weblog

 (9.17) 書斎前の庭。


昨日は午前中奥の庭木の剪定。木の実のある木を除いて
剪定した。一年で伸びる量が多く驚く。
午後はゲートボール。9名。プレーに丁度良い気温だった。大分
涼しくなったので、外でのプレーは後2ヶ月ぐらいなので、存分に
楽しみたい。

昨日は色々句集や俳句評論集を読み勉強になった。芭蕉は死に
臨んで「一生些事にこだわり続け句を作り仏の教えに反して妄執
の生涯を送り後悔している。あの世へ行ったら句作を忘れるように
勤める。」との趣旨のことを述べているのであるが、それだけ彼は
現象の単なる表現だけを考えていたのでは無く、根源的な真善美
を追求したのは、他の述べた言葉から間違いない。
虚子はこの俳句における人生観、宗教意識をどう思っていたのだろ
うか。その残された言葉から探ってみたい。彼は「俳句を嗜む人は
成仏する。俳句は四季の循環に意を注ぎ、宇宙の現象に心を留め
ることだ。それによって安らかな人生の幕を閉づることが出来る。
所謂、菩提心を得る近道なのかも知れない」と宗教的にも肯定的な
見方をしている。

今日の俳句萩)

一家に遊女もねたり萩と月       芭蕉

白萩のしきりに露をこぼしけり     子規

白萩のつめたく夕日こぼしけり     占魚

殉教の乙女峠の萩こぼる        操

萩あかり雨の法要長びきぬ       雪


秋の植物(3)

2009-09-26 09:02:43 | Weblog

キレンゲショウマ (9.7) 奥の庭。ヤマボウシの下陰

多年草。半日陰を好む。鮮やかな黄色の花だが開かず筒状で
咲く。暗い木立の中を明るくする。長く咲き、今日ほぼ終ったの
で、茎を切った。


24日の夜は定例の俳句会。故障者多く男のみ5名参加。従って
総投句数は50。私はその中から20句選び、仲間4人の各1句
づつ計4句選評した。他の人も同様に4句選評した。私の句も、幸
い多く選に入り何時もの事ながら結果を見てほっとした。やはり
入選数が少ないと淋しい。自信句で数句入らないのがあった。
独りよがりという事になる。だから句会に出ることが必要だ。

今日の俳句(川端茅舎

茅舎(1897~1941)は昭和16年44歳で亡くなったが高浜虚子
の高弟で花鳥諷詠真骨頂漢と虚子をして言わしめた。私の好きな
俳人である。虚子選「ホトトギス」入選の露の句数句を取り上げる。

金剛の露ひとつぶや石の上

露の玉蟻たじたじとなりにけり

ひろびろと露曼陀羅の芭蕉かな

白露の阿吽に旭さしにけり

露の玉百千万も葎かな

 


秋の植物(2)

2009-09-24 08:54:36 | Weblog

鬼灯 (9.9) 奥の庭。ススキの側


昨日は彼岸の中日。私は一日中江釣子古墳祭り俳句大会
参加した。「天為」岩手支部の吟行会を兼ねた。会員は18
参加した。総参加者数は62名。会員はバスで9時半頃会場に
到着し投句締め切りの11時に間に合うように3ヶ所の古墳群付
近を吟行散策した。生憎小雨が降ってきたので会場に帰り、句
を整理して決められた2句を投句した。1時から参加者全員によ
る互選、後5人の選者による入選発表、表彰の後閉会。特選に
は当地特産のこけしが贈られた。殆どは北上市の人達だった。
やはり普段から、良く観察し推敲して作った成果と思う。私も過去
一回こけしを貰い、今もこのパソコンの棚に飾って日頃、その
愛らしい目鼻、姿を眺めて心を和やかにしいる。


今晩は定例の俳句会。8句作ってあと2句足りない。これから作る。
毎日そう情景が変わるものでもないし、日常的な情景の中から
季語を含む表現を考えていかねばならない。すなわち些細なことに
目を凝らしよく観察新発見し、心眼をもって現象をみていくことが
大切だ。しかし既に作った句や、知っている人が発表している句と
同じ発想表現の句、あまりに平凡な意味の深くない事柄の表現は
避けなければならない。また俳句は連衆への挨拶でもあるので、
句会の仲間達に感動を与える句を作ることが大切だ。以上のこと
を考えて、あと2句作ることとする




秋の花(1)

2009-09-20 08:45:55 | Weblog

サルスベリ(赤) (9.6)  貸し店舗の南。花期が長い。

百日紅の名前の由来だろう。やはり紅花が一番鮮烈だ。


昨日は忙しかった。午前中地区合同の敬老会。250名の参加と
思われた。午後ゲートボール10名参加。2勝2敗。
夜は同級生との飲み会。10名ほど参加。遠慮の無い会話が飛び
交ひ、楽しい一夜を過す。帰路車に注意しつつ30分程歩いて帰宅。
よい運動になった。飲んでいるので、毎晩欠かさない入浴は残念な
がらしないで寝る。

飲み会で一友人から、クイズの答えに関することで調べて欲しいと
依頼を受けた。芭蕉の句で「秋深き隣は何をする人ぞ。で良いのだ
ろうか。秋ふかしと記憶していたのだが」と言うものだった。帰宅後
すぐ調べて電話した。「芭蕉は深きとふかしとそれぞれ二つの句を
残している」と返答した。彼は「深きでクイズに合う。有難う」とのこと
だった。この句は亡くなる前の月の作で「旅に病んで夢は枯野をか
け廻る」の句と共に最晩年の作品として有名である。芭蕉は死の四日
前にこの句を詠み、そして次のように言い残している。その大意は
死の目前に、作句どころではないのに、50年以上、朝に雲、暮れに
煙を思い、覚めては山水野鳥の声に心を寄せている。これは仏が
妄疾と戒めていることだ。身に覚えのあることだ。死んだ後は、只管
俳句を忘れるように勤めようと思う。返す返すも後悔することである

と言っている。これは如何に解釈すれば良いのだろうか。私流に解釈
を短く表現すれば俳句とは般若心経にあるように色不異空云々に
あるようにこの世の現象の奥にあるような存在の実体、を本質を把握
した上で表現し、事象及び自己との一期一会を十七文字で表現していくと
考えれば、あながち仏の教えに反しないと考える。芭蕉の気持ちは良く理             解出来るし最後に凄いことを言ったものだと思い敬服する。


野菜の花2

2009-09-18 13:10:11 | Weblog

オクラの花(2) (9.6)


昨日の午後はゲートボール9名。我チーム1勝3敗。
私の作戦ミスもあったし、何時も絶好調のベテラン選手
が不調だった。何時もの実力を基に作戦を立てたのが
戦況に狂いを生じた。また自球の集合、離散の判断の
誤りがあり、敗戦に繋がった。彼我の戦力情況判断の
甘さ等反省の多い、プレーの日となった。


23日に江釣子古墳祭り俳句大会が現地である。「天為」岩手支部
では会員有志がこれに参加することになった。古墳の近くを一時間
位散策吟行してから二句投句することになっている。毎年開催され
ているが数回参加したことがある。今回も付き合い上参加することにし
た。勿論行って吟行してから作ることになるが、心構えとして、風景を
思い出し、習作してみている。入選の自信はないが、作り且参加する
ことに意義がある。脳科学者、茂木健一郎氏の説によれば、苦しんで
推敲して句が出来た時ほど、脳内にドーパミンがどっと排出して快楽
が大きそうである。だから俳句は苦心して作るに如かずだ。
喜怒哀楽を超えた微妙な感覚を研ぎ澄まし、膨大な言語の中から
それを表現する語を選び出し五・七・五に纏め表現することは並大抵
のことではないと何時も思う。

 


庭の花(14)

2009-09-15 11:31:21 | Weblog

シュウカイドウ(8.17)玄関の脇。

俳句では秋の季語。この写真も立秋以後。居間の濡れ縁から
いつでも見れる。下垂する薄いピンクの花柄と花弁と黄色のしべ
のコントラストが美しい。ハート型の緑鮮やかな葉も良い。
どこか哀愁を感じる花だが好きだ。


今日の俳句シュウカイドウ

秋海棠ほろほろ言葉染まるなり   多希女

断腸花妻の死ははや遠きこと    八束

秋海棠馬籠ははしる水ばかり    ゆう子

今日は幸い雨も上がり午後から暫く振りにゲートボールが出来そうだ。
午前中は理髪店に行きいろいろ耳学問をして来た。その後焚き火。

今日の読書は「死に方のコツ」副題「死ぬのが怖くなくなる101のはなし」
縁起でもないと思うかもしれ無いが、この歳になると切実な問題だ。
この本は初発行当時すなわち平成6年に買った本で私の愛読書だ。著者は
高柳和江(日本医科大学助教授)。今日はその中の第5章「死ぬのは気持ち
いい」6章「その瞬間、脳の快楽物質がどっと出る」から。
「死ぬ状態は柔道の締めで落ちた場合と似ている。体験者から聞くと気持ち
が良かったという。またまばゆい光りを見たと言う。  浄土信仰でも光り
輝く阿弥陀仏がお迎えにくることになっているが、このことではないか。
また臨死体験者から聞いても、まばゆい光りを見たり至福感を語る人が多い。
医学的には死ぬ瞬間脳の快楽物質エンドルフィン、エンケファリンがどっと
出ることが分かっている」とある。 死の恐怖を予測している人が幾分たりとも
慰めになればと記した次第である。 内容はまた折に触れて。

 

 

 


五輪塔

2009-09-14 06:59:09 | Weblog

伝説の五輪塔(8.16)花巻市 西宮野目地内。

私の母の実家の屋敷内にある。盆に行って拝んできた。
当地の伝説によると15世紀中ば、稗貫氏を討つため南部軍が
攻めて合戦が続いた。永亨の乱である。その戦場、今の花巻
温泉地内の台城は稗貫氏に属していた高橋氏の居城だった。
その台城主、高橋氏の子孫で高橋駿河が元亀・天正(1570-
1592)の頃、稗貫氏が滅亡すると台城を去って農民となった。
その次男が西宮野目に住まい先屋(今は先家と呼ばれている)
と呼ばれ数十町歩の耕作地を持ち濠を巡らせた豪邸に住んで
た。ある年の田掻きの時見知らぬ乙女が加わって働いていた。
当主が妖しい女と思い酒の勢いもあり切り下げた。女の姿が消
え血の跡が点々と高橋駿河を祀ってある五輪の石塔で消えて
いた。そして石塔は頭からまっ二つに割れていた。現在針金で
括りつけられている。

現在の当主(私の従兄弟の長男)は落雷による破損と思っている
と話していた。この地は私が子供のころ、何時も来て7人の従兄妹
達と走って遊んだ広い懐かしい屋敷である。塔は杉の木の下、田圃
に近い道路際にある。


三日続いた花巻祭りも終った。豪華けんらんな山車の運行が圧巻
だった。哀愁を帯びた花巻囃子と共に12台が続いた。大変な人出で
何時も閑散としている街中に比べて、まるで夢の中に居るようだった。
山車や樽神輿、鹿踊りは何回見ても感動する。



庭の花(13)

2009-09-12 10:30:02 | Weblog

ムクゲ (8.18)  前の庭。駐車場際、

昨日から花巻祭が始まった。天気も良く夜は大変な混雑だった。
普段の閑散とした町内の情況からはまるで違う街に来たようだ。
屋台店を早々に見て帰宅しテレビ中継で山車運行をみた。

昨日の午前中は町内の仲間12人と市営グランドでグランドゴルフ
を楽しんだ。球を遠くに飛ばせず、又ホール近くに来ても強弱が
分からず行ったり来たりでさんざんで、最下位クラスだったと思う。


数年前に買った人ははるか銀河を越えてという本がある。哲学書
コーナーにあったので副題の「あなたは本当は誰なのか?」にひかれて
内容をろくに確かめずに買った本だ、発行は講談社。著者は坂本政道
内容を読んであてが外れた本だ。霊の世界、時空を超えた前世体験への
道、魂の自己離脱等を書いた本で、未だに半分も読まず、当然理解も
出来ていない本だ。ただ最初に書いてある守護霊については、私も否定
出来ないような体験をしている。数年前自宅が火事全焼になるところを
偶然の積み重ねで防げたことが在った。その時あまりの幸運に守護霊
が守ってくれたのではないかと思った。ある日の朝パソコン操作の参考書
を借りに図書館に行こうと靴を履きかけたが、何の操作に関することを
重点的に借りたらいいか思いなおして室内に戻りパソコンに向った。
間もなくきな臭さを感じた。家中を見、また窓を開けて他所で焚き火でも
していないかと確認したが何も見当たらなかった。出かけようと居間で準備
していたら、今度は確かに我が家の寝室方面から煙が這ってきた。
はっと気づいて外に出た。やはり家屋の下から煙が出ていた。何故気付い
たかと言うと朝家の裏で人声がするので出てみたら、隣の新築中のアパート
のフェンス工事でその上に薄く積もった雪を溶かすためバーナーを使って
いた。それを思い出したのだ。作業員は何も気付かず反対側の作業中で
あった。隣接する我が家に引火したことを告げたら、気づかず、ぽかんと
していた。私と作業員2人で必死に作業し一応消火したが念のため消防車
に来て検分してもらった。思い返して偶然を超えたものを感じた次第であっ
た。この本では守護霊をガイドと呼んでいる。
ちなみにこの著者(1954生)の経歴は東大物理学科卒。トロント大。電子
工学科修士課程修了。その後ソニーで半導体素子開発従事。米国の企業
で半導体レーザー開発に従事した理科系の人である。

 

 

 

 

 


庭の花(12)

2009-09-07 11:11:47 | Weblog

鳳仙花(白) (8.15) 裏の花壇。

花期が長くいまだ紅白とも、鮮やかに咲いて楽しませてくれる。
この花を見ると島倉千代子の歌を思い出す。そのせいか、
ほっと暖かな感じを与えられる。一年草とは惜しいが毎年咲いて
くれる。思いがけなく離れた所にも咲く。結構種が飛んでいる。


昨日、この前ライラックにシロヒトリが居たので注意深く見たが幸い
居なかった。アゲハチョウの幼虫が2匹葉を啄ばんでいた。庭に
まだ色々な花が咲いているので、早く無事蝶になって、庭に喜び飛ん
で、彩りと楽しさを添えてくれることを祈った。
また初めて3個の秋茗荷を収穫した。丁度夏茗荷が終ったばかりだ。
ただ比べると固い。早速刻んで夕食に食べた。香りが素敵だ。

今日の俳句天為9月号より

有馬朗人主宰の句日向への旅15句より7句

ソレントの海あをあをと青蜥蜴

ヴェネチアの路地に迷へり夏の月

神田川昨夜に過ぎし祭かな

銅剣秘めし倭大乱夏寒し

潮騒や舟型埴輪明け易し

夏落葉韓紅を尽しけり

鬼女棲みし山の闇濃き夜鷹かな

○私の句主宰選 同人作品

藤の花古参船頭唄も良し

(うぐい)車座に聴く瀬音かな

銭湯の裏道籬鉄線花

噴水を巡る韋駄天走りの子

華麗なる羽毛挿頭せし子蟻かな


庭の夏花(11)

2009-09-06 12:44:15 | Weblog

鳳仙花(赤) (8,15)  奥の庭

今日の俳句(鳳仙花) 秋の季語。つまくれない。つまべに。

湯の町は端より暮るる鳳仙花    展宏

鳳仙花がくれに鶏の脚あゆむ    耕治

鳳仙花木曾はどの家も鯉太り    静江


今日は暑さが帰ってきた。昨日午後ゲートボール8名。

今日の新聞に天文学者小尾眞弥(25年生まれ)の「宇宙の中で人間は
一瞬」の記事が眼に入った。「わが銀河系には約2千億個の星があり
、同様な銀河がやく1千億個ある。誕生から約140億年になる宇宙は今後
も1兆年程続く。人間は宇宙誕生いらい生まれ老化して死ぬという数十億
年の生命の連鎖の先端に居る。無限といえるくらい宇宙の時間の中では
ほんの一瞬の存在である」また「僕は死後の世界や霊界は考えない。
人間の肉体を離れて心は存在せず、死は本人にとって、自分の心と繋が
総てのものとの別れだと思う」と言っている。

昨日たまたま読んだ、世界的ベストセラー「死ぬ瞬間」の著者キューブラ・
ロス(26年チューリッヒ生まれ。精神科医)は「死後は無に帰することなく
別の存在状態への移行」と言っている。また「夜と霧」の著者フランクル
も「神は死んでいない」と信仰的に死後の霊的な世界に触れている。
科学者でも死ついていろいろな考え方がある。どれが真実なのだろうか。