萩 (9.17) 書斎前の庭。
昨日は午前中奥の庭木の剪定。木の実のある木を除いて
剪定した。一年で伸びる量が多く驚く。
午後はゲートボール。9名。プレーに丁度良い気温だった。大分
涼しくなったので、外でのプレーは後2ヶ月ぐらいなので、存分に
楽しみたい。
昨日は色々句集や俳句評論集を読み勉強になった。芭蕉は死に
臨んで「一生些事にこだわり続け句を作り仏の教えに反して妄執
の生涯を送り後悔している。あの世へ行ったら句作を忘れるように
勤める。」との趣旨のことを述べているのであるが、それだけ彼は
現象の単なる表現だけを考えていたのでは無く、根源的な真善美
を追求したのは、他の述べた言葉から間違いない。
虚子はこの俳句における人生観、宗教意識をどう思っていたのだろ
うか。その残された言葉から探ってみたい。彼は「俳句を嗜む人は
成仏する。俳句は四季の循環に意を注ぎ、宇宙の現象に心を留め
ることだ。それによって安らかな人生の幕を閉づることが出来る。
所謂、菩提心を得る近道なのかも知れない」と宗教的にも肯定的な
見方をしている。
今日の俳句(萩)
一家に遊女もねたり萩と月 芭蕉
白萩のしきりに露をこぼしけり 子規
白萩のつめたく夕日こぼしけり 占魚
殉教の乙女峠の萩こぼる 操
萩あかり雨の法要長びきぬ 雪