雪椿(4) (12.16) 書斎前。文字通り雪椿となった。
一年も早く過ぎ去り大晦日を迎えた。掃除をする。煤逃げをしたい
ところだが、腰痛でままにならない。書斎に籠りパソコンを打ち煤籠り
というところだ。満智子の句に「管長は煤籠して在しけり」というのが
ある。世の男性諸君には掃除を逃げて、俳句で言う煤逃げ、煤籠りが
大分多いのではないだろうか。
今日の漢詩(客中。 一休宗純)
一休禅師(1394~1481)は京都の人。詩書また画も巧みであった。
私が子供の頃は、頓知話の一休さんとして親しんだ。
この詩は俳句の心にも通じ、好きな詩で、しばしば吟じている。
大徳寺四十八世となった。
客中(旅行中の意味) 漢詩を和訳。
吟髪霜白衰容をいかんせん 風は過ぐるも浮雲一片の蹤あり
識らず今宵何れの処にか宿せん 一声あり古寺暮楼の鐘
通訳
旅にあって、自分の髪が白く身の衰えをどうしようもない。空吹く
風すらも浮雲を残しその跡とする。定所のない私は足跡さへ残ら
ない。今夜は何処に泊ることになるだろうか。丁度その時、古びた
寺の鐘が夕暮れを告げて響いてきた。今日もまた、このまま暮れ
ゆくのだろうか。
良いお年を。