楽しい老後を求めて

高齢者の生き方を模索した日記風です

27.7月のくらし(6)

2015-07-26 07:18:22 | Weblog

銀蝋梅  玄関前の手水鉢のそばの鉢植え。今年は良く咲いた。花期は長い。

昨日は吟詠会の例会。故障者が多く、半数の5名参加す。稽古内容の一つは漢詩。頼山陽作「不識庵機山を撃つの図に題す」詩吟の題として最も有名な詩だ。「鞭声粛々夜河を過る 暁に見る千兵の大牙を擁するを 遺恨なり十年一剣を磨き 流星光底長蛇を逸す」新人 初段の課題吟だ。新人と共に、復習を兼ねて全員で吟じた。新人は苦労して
吟じていたが、この吟をマスターすれば、他の漢詩も大抵吟じることが出来るので、皆で励まして学習させる。

今日の言葉。 日本詩吟学院 機関紙「吟道」 7月号より 総本部理事長「木部
岳圭」記述。「ポケット論語」より「子はのらす憂へず懼じず惑はざる仁知勇こそわが君子道」この言葉の原典の論語の孔子の言葉は恩師新田興より教えられた。何度読んでも
その深さは限りない。私はまだ入り口のあたりでウロウロしている。常に心にとどめている言葉であると。以上。 さすが崇高なる精神の育成と人格の完成を目指して詩吟の実践を目的としている全国八万の会員を指導している公益社団法人「日本詩吟学院」の総帥としての重い言葉と思う。私は入口の入口のまだはるかな入口だろうか。「吟道」は月刊であり、多くのことを毎月学んでいる。

 


27.7月のくらし 5

2015-07-23 08:15:17 | Weblog

ジャーマンアイリス 裏の庭 数種類あるうちの一つ。家庭菜園の近くだ。

今朝は待望の雨降りだ。昨日は胡瓜は勿論大豆にまで水やりをした。
昨日は眼科受診。白内障の薬を何時もの通り貰ってくる。手術をするまででは
ないらしい。1日4回の点眼だ。最近漢字の習字を独習をしている。思うようにいかず
苦心しているが、少しずつ進歩していくのが楽しい。

昨夜は俳句会。4名参加。暫くぶりに女性も加わり賑やかだった。私の選句から2句。「蠅叩き昭和がいまに自炊宿」台温泉で
一泊の同級会をした。その自炊宿に蠅叩きがあった。昭和の古い時代にはどこの家にも
蠅が飛んでいて、吊るした蠅取りリボンや紙と共に蠅叩きが常備されていた。今は衛生状態がすっかり良くなって蠅が殆どいない。偶々宿にそれがあった。ここに古い昭和の生活
風習が残っていた。懐かしいと作者は思った。「棚田より闇が流れて初蛍」日本の原風景の一つ。あまり蛍も見られなくなった。子供の頃は現在地である私の庭にも飛んできた。同心屋敷の萱葺屋根の家から出て、鑑賞したり、歓声を上げて祖母と共に捕まえたことが、懐かしく思い出される。祖母は私を唯一の孫として可愛がってくれた。その夜は私にとって至福の時間であった。さて、この句だが、作者は東和町の農家だ。闇が流れてとの表現に工夫がみられる。このような風景が見られるとは羨ましい。


27.7月のくらし(4)

2015-07-17 12:47:38 | Weblog

大でまり。小でまり。居間の前庭(6月)

昨日は免許証更新の高齢者講習の日であった。3名同時に受講。皆80歳以上であった。心配した認知程度検査も無事合格して安心した。教えられることが多々あった。
注意して運転し、3年後の更新を無事迎えたい。

今般句友(91歳)が第7句集「旅は求道」を出版し、送呈を受けた。彼は決して丈夫な方ではないが、旺盛な作句を続けている畏友である。天為の同人会長も務めている。
日常の生活態度は、楽天的で、くよくよしない。日頃百歳突破を広言している。

最近自宅での毎日吟じている漢詩は、孟浩然「春暁」詩文「春眠暁を覚えず。処処啼鳥を聞く。夜来風雨の声。花落つること知んぬ多少ぞ。」起句は知らぬ人は無いと思う。
早朝大きい声を出すのは気分が良い。


27.7月の暮らし(3)

2015-07-11 17:59:07 | Weblog

(赤)裏の庭。  6月。最も濃い赤だ。

今日も猛暑だった。空梅雨だ。胡瓜に毎日水やりだ。

今日は花巻地区5教場の合同発表会(芸術祭参加)だ。約70名参加だ。
私は独吟で「楓橋夜泊」を吟じた。日本では最も知られている漢詩の一つだと思う。
秋の夜の静かな情景を詠んだ詩だ。和訳すれば「月は西に沈みかけている。鴉が鳴いて
霜が降りる気配の冷気が空いっぱいに満ちている。川岸の楓と漁火が、なかなか眠りに着けない私の目に入ってくる。蘇州の街の郊外の寒山寺の鐘の音が、夜中の空を渡って、旅行中の私の船まで聞こえてくる。作者は「張 継」唐代の詩人だ。好きな詩だ。


27.7月の暮らし(2)

2015-07-09 10:45:33 | Weblog

カルミア 奥の花壇  6月長期間咲いてくれた。

今日の朝は涼しい。梅雨寒と言うところだ。トマトも熟し収穫している、ひところ雨が
少なかったためか皮が固い。今朝未熟な玉蜀黍が1本鴉に食われた。トマトはネットを張っているので、無事だったが、油断した。早速簡単なネットを張って様子を見ることにした。

昨夜は俳句会。私の選句から2句。「一匹の逆走ゆるす蟻の葬」黒ずくめの蟻が列を作っている。まるで葬列のようだ。そこに一匹の蟻が逆走している。どうしたのだろう。何か忘れたのだろうか。それとも悲しみに耐えきれず逃げ出したのだろうか。いろいろ童話の世界の連想をする。「五つ目が高い晩鐘梅雨湿り」最近鐘の音もあまり聞くこともなくなったが今日の夕方に聞こえてきた。うっとしい梅雨湿りの中を、さわやかな音が響いて魂が洗われるようだ。そして五つ目の音が高く感じた。作者の研ぎ澄まされた聴覚と心の張りが感じ取られる句である。


27.7月の暮らし(1)

2015-07-02 10:55:27 | Weblog

牡丹 6月裏の庭。数本あった牡丹もこれのみとなった。

梅雨入りし、最近は好きな庭いじりもままならない。晴れ間を見ては庭に出て剪定や除草をしたり、野菜の手入れをしている。是が何よりの楽しみだ。

先日の俳句会より2句。「田植え機に足音一つなかりけり」昔は田植えは労働であると共にお祭りであった。早朝より親戚も加えて大勢で働いた。朝食を始め、小昼を言って、10時、3時、昼食をに田んぼで、賑やかな団欒の中で食べた。美味しかった。今でもその味は忘れられない。今は田植え機が黙々とエンジン音のみで、進んでいく。便利だが、大切な日本の風景が失われたことは、寂しい。昔を知る者の郷愁である。
「糸蜻蛉川の流れに沿いしかな」単純な写生句であるが、一幅の日本画を見るような、清冽な感じを受ける。

今日の言葉。パスカル。「われわれは明日まで生きることは確実でないが、われわれが明日まで生きないかも知れないことは確実に可能である」。心すべき真理の言葉。