楽しい老後を求めて

高齢者の生き方を模索した日記風です

散歩道

2005-03-31 09:59:50 | Weblog
賢治の雨ニモマケズの碑のある羅須地人協会跡から坂を下って北上川の岸辺の方に歩いていくと「下の畑」の前に出る。このコースは私も時々散歩するし昨年の秋は老人クラブでも「歩こう会」のコースにして皆で歩いた。畑のところから川沿いに左折し、岩手山や早池峰を望み左の林檎園や田畑を見てわいわい歩いた。この辺は子供のころは野原でよく戦ごっこをした懐かしいところだ。暫く歩くと滝清水神社崖下の泉の所に出る。このコースは賢治もよく歩いたそうである。この清水は少年の頃10分位かけてよく汲みに来た。冷たくおいしい水だった。今は付近に人家が多く、飲料水に適さないと思う。ここの社は土地の人は昔から、おみょんつあん(お明神さんの意味)と呼んでいる。ここには昔、金勢さまの小さな祠が入り口の木の下にあった。時々供え物がしてあった。小学生の私はその訳が分からなかったが、ませた同級生が物知り顔に「これは花柳界の女(もっと下品に言った)が病気が治るようにお願いしているのさ」と言った。私はちんぷんかんぷんで頚をかしげた。神社の西側には工兵隊の兵舎があり時々兵隊が来て豊沢川、北上川で架橋演習をしていた。豊沢川は清く且つ今と違って深く広く子供らの水泳の場所だった。湧水の量も少なくなった。不鮮明ですが画像をクリックしてください。

お別れ

2005-03-30 16:30:49 | Weblog
今日も雪がちらついている。クロッカスや福寿草がけなげに咲いているのを見ると頑張ってねと声をかけたくなる。春の雪だから大きい。量は多くないが風が吹いていて寒い一日だ。午前中急逝した友の葬儀があった。会葬者は350人程だった。弔辞も多く、みな急逝を心から惜しんだ。奥さんの喪主挨拶があったが、声涙共に下る状況だったが「夫は動脈瘤破裂だった。未だに何が起きたか飲み込めない思いだ。よく講習等で保健師さんがピンピンコロリの死に方のお話があるが、まさにその様になってしまた。また歌に(飲んで、飲んで、飲んで・・・)というような歌があるがお酒が好きだった主人は、飲んで飲まれての一生でその点、幸せだったと思います。」遺影は何時ものように穏やかな微笑を浮かべていた。 悲しい。 合掌。 

老人クラブ総会の議案書の草稿をやっと打ちあげた。総会前の役員会の通知書を葬儀から帰って午後作成し終わり、先ほど各役員に配って歩いた。

エスプリの一言
ある人がバーナード・ショーに「金曜日に結婚すると不幸になるというのは本当ですか」と聞いた
バーナード・ショウの答え「勿論です。どうして金曜日だけが例外になるのでしょうか」

蕗味噌

2005-03-29 16:29:11 | Weblog
屋敷内の蕗のとうが、そちこちに咲いている。今日はは雪がちらとら舞っているが老妻に摘んで蕗味噌を作ってもらった。おいしい。春の味が舌いっぱいに広がる。このほろ苦い味がなんともいえない。昔カルピスが初恋の味と宣伝文句にあったが、蕗味噌の味こそ初恋の味と思う。庭の白梅が咲だした。いつもは桜の咲く少し前に咲くのだが、今年は少し早い。すぐ隣の紅梅は蕾が少しふくらんできた。枝垂桜はまだ蕾がかたい。先ほど隣の奥さんが、野で、やはり蕗のとうを採ったからと持ってきてくれた。場所によって、苦味や味が微妙に違う。こちらのは煮上げて水出しして、鰹節をかけて醤油で食べようと思う。

万葉集より

明日よりは春菜採まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ     赤人

わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも        旅人

軽老の時代

2005-03-28 10:04:00 | Weblog
先般届いた年金の支払い通知書を見て驚いた。私にとっては多額な所得税が課税されている。文書を見ると、「老年者控除」の廃止、「公的年金控除」の縮小にともなう課税である。裕福な老人もあるだろうが、年金生活者にとっては大きな負担である。この対象者は500万人と言われている、まさに低所得者、弱者に対する増税である。付随して住民税、国保、介護保険料も上がることになるだろう。まだ公費の無駄な支出是正等やることがあると思う。社会保険庁の不祥事や年金積立金の運用の損失とうに見られる弛み、ハコ物の無駄な支出など、あげればきりがないほど、改善の余地が有ると思う。口では敬老と言うが実態は軽老である。
今日の尊厳死考
本日の新聞にアメリカの尊厳死事情が大きく報じられていた。私が日本尊厳死協会に加入している最大の理由は、私の意思をバックアップしてくれるからである。それは協会から送付されているカードの裏面にリビング・ウイル(生前の遺言)書かれ署名捺印するようになっている。その文面を要約すると、「不治の状態で死期が迫っている時延命処置をことわる。但し苦痛を和らげる処置は最大にして欲しい。その為死期が早まってもかまわない。長期の植物状態になったときも、延命処置をやめて欲しい。これらの責任は一切私にある。」である。これを私か家族が医師に示して了解を得る。もし納得得られない場合は協会に連絡してバックアップしてもらうということである。95年の横浜地裁の判断でも、患者の意思表示、家族による意思の推定が3要件の1つになっている。

今日の雑感

2005-03-27 08:59:59 | Weblog
今朝も少し雪が降った様子だ。―0.2度。結構寒い。だが晴れ間が覗いてきた。昨夜突如、友の訃報が飛び込んできた。囲碁会の幹事からだ。碁友(昭和12年生まれ)が昨日正午ごろ急逝したらしい。前日5時まで、碁を打ちかわした時は元気だったとのことだ。私は3月16日の老人クラブの旅行の宴席で言葉を交わしたばかりだ。またゲートボールの大会に出ようと話し合った。彼は中学校の数学教師だったと聞いている。温厚な人柄だし現在行政区長も務めている。惜しんも余りある人を失った。脳卒中か心筋梗塞らしいとの話だ。私も2年ほど前体調を毀し脳外科で治療検査をうけた。そのとき主冶医(県立病院の副院長)から「右脳の一部が完全に閉塞している。普通に動いていられるのは、どこかMRIでも発見できないところから血管が働いているらしい。あなたは本当に運の良い人だ。しかし何時どんなことが起きるか分からない体なので、身辺はいつも、整理しておいてください」と言われて薄氷踏む思いで生きている。だから人事でないとショックを受ける。

10年ほど前から市の下水道工事が開始されたのだが、やっと私の前の工事が終わった。これからは個人負担の工事となる。老夫婦だけで何年使えるか分からないのに大金を出すのも惜しい気もする。しかし孫達が来ても今まで怖いからと使用しなかったり、衛生面を考えると迷う。工事をすぐ始めるかは、見積もりを見た上でだ。
今日の一書
マルクーゼ(ドイツ生まれの哲学者)「エロス的文明」1956年刊。
邦訳、南博。1974年第12刷。紀伊国屋書店。
勿論何回目かの読み返し。気楽に関心のあるところだけ拾い読み。頭の体操として。しかし消化不良気味。だが入眠剤として最適。古い蔵書なので薬買うより激安。

老人クラブ「誕生会」

2005-03-26 08:41:40 | Weblog
今日も昨日に続いて雪だ。気温も朝ー4度Cだった。冬に逆戻りだ。ゲートボールも休みだ。しかしまもなく消えてゲームが出来るだろう。すると読書の時間も減るだろう。しかし私の読書は、若い時から購入を続けてきた蔵書を読み返していることが多いので、気楽に読んでいる。
今日11時半から誕生会。55名の会員中13名参加と少ない。3月は何かと行事が多いためか。男性は会長の私一人。だから会の内容を女性に合うように配慮した。酒類は少なくて済んだ。私のところに絵の出るカラオケが400曲あるので、それをもって出かけた。今日は殆ど70歳代の女性なので、全曲「懐かしのメロデー」なので丁度良かった。皆喜んで呉れ2時閉会した。16年度はスポーツの慰労会に大分支出している。これには60代の男女が多く参加している。今日の行事でいくらか年齢別、男女別、支出のバランスがとれた。さあいよいよ総会準備本番。

今日の読書。「分かるとはなにか」京大総長。長尾真著。2002年岩波新書。




これも4回目ぐらいの読み返し。私の頭脳では理解が難しいのでこうゆうことになる。しかしどのページにどんなことが書いているかはだいたい分かる。だが意味が分からない。だから落語のようだが、このような本が読みたくなる。蟻の一歩かな。いや牛に錨だ。人がなんと言おうが、これで結構楽しい。自己満足か?まあいいや。頚をまわしてリラックス。

宮沢賢治の「下ノ畑」

2005-03-25 06:21:33 | Weblog
雨ニモマケズの碑のある旧羅須地人協会跡の丘から北を展望すると遠く早池峰山が見え、北上川の岸辺まで農地が広がっている。風光明媚なイーハトーブの一角である。碑のある場所から少し下ると(300mぐらいと思う)賢治が自耕した畑の跡地がある。賢治が「下の畑にいます」と書いて来客に不在を告げていたことから、「下の畑」と呼ばれている。川辺には翡翠も見られる。
写真をクリックしてください。


昨日は3ヶ月ぶりに友人から「雪が消えたので午後からゲートボールします」と案内が来た。4時までみっちり10人でプレーをした。風はないし暖かで絶好の日和だった。

ぱらぱら手元の画集をめくる。素人の一寸画評。
ムンク「橋」寂しさ。ルソー「夢」野獣が覗いている不気味さ。ドラン「テームズ河」明るく美しい。モディリアーニ「夫婦」長い顔が好きだったんだなあ。ローランサン「犬と夫人」優しさ、今の日本の女性では珍しいかも。シャガール「マドンナとそり」ロシアに行ったことはないが、懐かしく感じる田舎の風景。ダリ「内乱のきざし」怖くグロテスク。エルンストン「象の祭典」キュルケゴールの(不安の概念)の絵画化。

追憶の彼方

2005-03-24 10:11:27 | Weblog
時間の矢が3本あるとホーキングは言う。第一に熱力学的な矢、第二に心理的な時間の矢、第三の矢は宇宙論的な時間の矢である。私たちが未来でなく過去を記憶する方向が、第二の時間の矢である。未来を記憶することはありえない。予想することはあるが記憶ではない。追憶は人間に与えられた能力の一つと思う。私の胸襟を開いて長年付き合い苦楽を共にした友達は、地元よりもむしろ県内各地、東北各地、また熱っぽく討論した思い出の仲間は、全国各地に散らばっていた。併し今は遠い過去となり、県内の友も殆ど故人となってしまった。数年前に、支部副委員長として長く、年下の私を補佐してくれた友も故人となられた。知らせを受け宮古に数時間かけて葬儀に出席して、別れの言葉を奉げることが出来た。中国の詩人の言葉と記憶しているが「さよならだけが人生さ」まさに実感のこの頃である。健在の人も少数ながら居る。年賀が来てほっとする。福島の友人もその一人だ。彼は真面目な人で私らの単労から出て、中立労連の議長を長年務めた。長男が東京で結婚式を挙げたとき主賓として出席してもらったこともある。
これからは地元の知人友人達との付き合いを大事にし友情を深め、楽しく有意義な余生を送りたいと思う。

賢治の碑

2005-03-23 15:26:43 | Weblog
雨ニモマケズの碑です。私と愛犬たちがよく散歩した所です。
先の愛犬リリー(ポメラニアン)が上顎癌に侵され、助からないと言われ、
獣医さんから引き取ってきた夜ここに連れてきました。銀河の美しい寒い夜でした。
私はリリーを抱きしめ、「美しい銀河だね、賢治さんもあの空のかなたにいるんだよ。
怖がらなくてもいいからね。」と言って、しばらく二人で星を見つめて帰ってきました。
それから幾日かたってリリーは昇天していきました。画像をクリックしてください。

老人クラブ活動の視点

2005-03-23 06:39:55 | Weblog
現役時代私は長年労働組合の運動にかかわってきた。全国組合員約4万人の組織の県支部(組合員約900人)の委員長、書記長等の幹部として、東北地方本部執行委員、全国中央代議員兼務してきた。いつも民主的、かつ大衆運動としての視点から身を処してきた。勿論老人クラブ活動は根本的に組合運動とは違う。しかし私の場合、会議の進行、議案作成、活動方針作成、等手段としての運用には過去の経験が随分役にたって来たと思っている。理念においても、民主的運営、平等、友愛、まとまりのある仲間作りなど、役立っていると思う。今後も民主的反権威主義・反権力主義の立場で、一会員として活動にかかわっていきたい。地区労連(9単老加盟)の事務局長3年、地区の老人クラブ会長3年、連続して6年勤めたので、単老会長を若い人に代わってもらい、活性化を推進するべく交渉中である。

昨晩、吟詠会として昇段審査を控えての最終練習日であった。皆真剣に吟じた。5名受審だ。今朝電話で昨夜臨時に指導にあったった先任師範から、会長としてもっと会員に遠慮せずアドバイスをして下さい。そうしないで師範にだけ任せていては、成果が上がりません。と言われた。責任の重さを感じる。