特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

ひんこんについておもうこと。

2008年09月03日 | フィリピン
先日何か食べたいのに食べられない状態になった。そろそろ食事にしてもいい時間になっても腹が減っていなかったのだ。おかしな話だが腹が減ってもいないのにただ単に習慣として食べたくなったということなのだ。

この世の中には、空腹で食べたくてもそれが手に入らないために食べられない人がいるというのに、注文した食事をの大量に残す人もいる。これを不公平と呼ぶのだろうか。例えば勉強したくないのに、それを強制される子どもがいる反面、それがしたいにも関わらずそれができない子どももいる。こういうことを矛盾に満ちた社会と単に言っていいのだろうか。

フィリピンで暮らしていると、構造的社会格差とは個々の人間の本質がそのまま自然に現れているだけのことで、ある意味人間が作り上げた当然の結果としての状態が今の社会なのではないか、そんなことを思う。

その反面、この世の中が実に平等公平だと思うことは、人間の幸福感と富の保有とは無関係であるということである。そういう意味でやはりこの世の中は実に調和に満ちた社会が構築されていると思える光景にも日々出会う。


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