簡単に言ってしまえば、フィリピンにいたほうが楽だったからです。温暖な気候や先進国より安い物価、英語がわかればそれほど不自由しない、人々はフレンドリー。
しかしそれは表面的な理由で、裏の理由は、日本では考えられないようなうまい話に乗せられて自分を失った結果大損をし、その損を取り返そうと欲をかき、損の上塗りを繰り返し続けて5年が過ぎてしまったのです。
その惨事に見舞われている最中は「今度こそ、一発大逆転の機会がやってきた!」と思っていました。欲に取り付かれていたため、状況を正確に自覚できなかったのです。そういう意味ではB級映画的な出来事が次から次へと起こったので退屈しなかったのかもしれません。映画のタイトルをつけるとしたら迷わず「鴨葱として」にしたいと思います。
石の上にも3年という諺がありますが、フィリピン在住5年、無理に成果を上げるとしたら、自分の奥底に潜む貪欲、愚かさをこれでもかというくらいに知らされたということです。それともう一つ人間に対する考え方にある種の確信をもつようになってしまったこともあげておきます。
今、そろそろこの国の生活に見切りをつけようと思っています。やっぱり鴨葱として生きるのはいやですからね、もっとも、その葱も底をついたので、そうなることもないのですが....
しかしそれは表面的な理由で、裏の理由は、日本では考えられないようなうまい話に乗せられて自分を失った結果大損をし、その損を取り返そうと欲をかき、損の上塗りを繰り返し続けて5年が過ぎてしまったのです。
その惨事に見舞われている最中は「今度こそ、一発大逆転の機会がやってきた!」と思っていました。欲に取り付かれていたため、状況を正確に自覚できなかったのです。そういう意味ではB級映画的な出来事が次から次へと起こったので退屈しなかったのかもしれません。映画のタイトルをつけるとしたら迷わず「鴨葱として」にしたいと思います。
石の上にも3年という諺がありますが、フィリピン在住5年、無理に成果を上げるとしたら、自分の奥底に潜む貪欲、愚かさをこれでもかというくらいに知らされたということです。それともう一つ人間に対する考え方にある種の確信をもつようになってしまったこともあげておきます。
今、そろそろこの国の生活に見切りをつけようと思っています。やっぱり鴨葱として生きるのはいやですからね、もっとも、その葱も底をついたので、そうなることもないのですが....