特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

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1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

しつけ? マカティの路上で目撃した光景

2008年05月28日 | フィリピン
フィリピンの母親は、子供を体罰でしつけする。もちろん全ての母親がそうするわけではない。そういう母親もいるということだ。

細い木の枝を鞭のように使い、幼い子供を叩いている風景をミンダナオでもネグロスでも、ここマカティでも見かけた。

フィリピンは経済的な階層が存在する。もちろん日本にもそれはあるが、日本のそれと比較するとその階層間の格差ははるかに大きい。

子どもを、叩いてしつけする母親も、きっとそうやってしつけられてきたので、それを当然のこととして行っているのだろうし、こうやってたたかれた子どもも同じことを継承していくことになるのではないだろうか。

フィリピン人は明るい、確かにそういう側面もある、しかしある種の階層に帰属している人々は、日々ドメスティックバイオレンスの恐怖に怯えているのもじじつなのだ。

なんだか、話が逸脱してしまったが、日本にも児童虐待のニュースが後を絶たないという事実を忘れているわけではない。

焦点がずれた文面になってしまったが、こういう習慣の継承が世界各地で続く限り、人間の社会というのは、変わらないのではないか、そんなことを思う。

暴力というものが、この世の諸問題の根源に近いところにあることは否定のしようがないと思うが、なぜ人間の中に暴力的な感情が生まれてしまうのかということを考えることが、本質的な解決につながる鍵であるようにおもう。

もっとも、人間の社会を本質的に変える必然性があるか否かについてはまた別の問題である。



写真はLRTのバクラーラン駅から眺めたある日の風景。本文とは関係ありません。


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