特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

100年前のクリスマス

2007年12月18日 | フィリピン
Bacolodのとなりのとなりの街、Silayにある植民地時代の古い家の内部。いまではMuseumとして一般に開放されています。この街にはこういう場所が3ヶ所あります。博物館と書いてもいいのですが、展示はそれほど充実していません。100年以上前の建物そのものが最大の展示物ということでしょうか。

アメリカの東海岸から船で運ばれた氷を使っていたほど裕福な暮らしをしていたので、クリスマスも華やかだったのではないでしょうか。


フィリピンで過ごすクリスマス

2007年12月18日 | フィリピン
10年以上昔の話ですが、世界最貧国の一つといわれていたとある中米の国でクリスマスを迎えたことがあります。カトリックの国なので、さぞ盛大な催しになるのかと思っていたら、拍子抜けするほど質素でした。比較的裕福そうな家の玄関には、シンプルなクリスマスライトが飾れていましたが、街の様子はWhere is Chrismas?という感じでした。だから、Feliz Navidadは自分の中で、清貧という言葉を想起させる代名詞とて意味があるのです。

フィリピンは昔スペインの植民地だったとはいえ、ここBacolodでFleliz Navidadというサインを街中で見ることはあまりありません。


クリスマスは神の息子の生誕を祝う日

2007年12月18日 | フィリピン
子どものころから、どういうわけか神様も天国も地獄も信じていなかった。その頃、アポロが人を乗せて月まで行った科学の影響なのでしょうか?

小学校1年生のとき、路上でキャッチボールをしながら、何かのきっかけで近所の友達と天国の存在について論争になった。お互い気が強かったのか一歩も譲らなかった。結局そのときは、後で家の人に聞くということで、キャッチボールを再開した直後、その友達が車にはねられて路上を転がっていった。運転手が直ぐに降りてきて、友達を車に乗せてどこかへ行ってしまった。幸いその友達は頭を包帯でぐるぐる巻きにされて、家に戻ることが出来た。
これでわたしがはねられていたなら、神様を信じない罰が当たったということになったのだろうが、有神論者の友達が事故に遭ってしまったのだ。「やっぱり神様なんていない。」と思うしかなかった。

あれからXX年近い月日を経た現在、自分の中における神様の定義も変化したので、一概に神様はいないとは言いがたくなってしまいました。

今ではイエス様の成されたことは世界で一番尊敬するに値すると信じています。そんなわけで、きらびやかなイベントと大量消費文明の象徴と化したメリークリスマスMerry Christmasという言葉を避けて、あえてFeliz Navidadというスペイン語でイエス様の生誕をひっそり祝福しています。