鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

鷹泊小中学校での昭和30年代の遠い日の思い出。その6  

2020年12月16日 | Weblog

遠足は春と秋にあったが、行き先は鷹泊ダムがほとんどであった。小学1年から中学3年まで9学年が同じ距離の遠足というのも不思議な感じであるが、小学1年でも難なく4kmの距離を歩いて目的地へ到達した。あれから50年以上経っているが、時々訪れる鷹泊ダムの勇姿は歳月を経ても変わらない。ダムへの遠足ではいつも同じ道を往復していたが、一度だけペンケ側から鷹泊ダムへ行った遠足があった。油断すると雨竜川へ転落するような危険な傾斜地を通ってダム到達であったが、おそらく先生が予め調べておいて、転落することはないし、ある程度の冒険は必要だと判断されて選んだ道だったと思っている。

鷹泊ダム以外では、幌加内峠を超えて沼牛堰堤まで行った遠足もあった。当時は未舗装で車もほとんど通らなかった曲がりくねった道をクラス全員が歩き切ったことがなつかしい。

9月22 日には社会見学旅行というのがあった。汽車で当時砂川にあった東洋高圧という硫安を作っていた事業所(今はない)を見学に行った日帰りの行事だった。

学校畑でのじゃがいもの植え付け・収穫体験を行っていたが、9月末に収穫していた。

学校畑は、学校裏の小高いところにあった。校舎のトイレ出口を通り、坂道を上ったところがその場所であった。

写真下 今はその坂道は草が生い茂り、当時の面影はない。学校畑は指導する先生の関係で、数年間だけだったと思う。

 


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