10月5日-9日 農繁休暇。 例年10月には稲刈り時期に一致しての農繁休暇があった。昭和30年代の鷹泊は、まだ人の手で稲刈りをする時代であり、稲刈り、稲架掛け、脱穀、精米といった収穫作業がある中、子どもたちは稲刈り、稲架掛けあたりを手伝っていた。昭和40年代に入って、一気に稲刈りの機械化が進んだが学校の農繁休暇がいつ頃まであったかはわからない。農協横の食糧検査所には、等級判定を受けるために、米俵やカマス(米俵に変わり昭和40年代まで米袋として使われていた)を積んだ馬車が並んでいた。
昭和39年は、農繁休暇明けの10月10日(土)が東京オリンピック1964の開幕日だった。翌日の東京オリンピック開会式をテレビで見れるという期待感いっぱいで家の仕事を手伝っていたのを覚えている。オリンピック期間中、学校では体育館のステージの上にテレビを置いて、授業の一環として各学年ごとにオリンピック中継を見た。今年2020年は56年ぶりの東京オリンピックになるはずだったのに延期になったのは残念であった。
写真は今年の夏の学校跡付近から元の市街地方向を写したもの。このあたりは今も水稲が植えられていた。
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