鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

昔の先生達は大変だった鷹泊小中学校の勤務

2015年02月04日 | Weblog
前回、薪暖房のことを記載したが、昭和30年代前半は、薪ストーブが活躍していた。暖房だけではなく煮炊きも薪ストーブで行っていた。そのうち煮炊きにプロパンガスが使えるようになり、暖房は薪から石炭に変わっていった。薪を燃料にすると、煙突に真っ黒い煤がたまり、煙突掃除が大変だった。今なら、どこの家庭も温かい暖房で冬を過ごしているが、酷寒の鷹泊勤務は、大変だっただろうと思う。
過酷といえば、学校の宿直業務も大変だったろうと想像する。人のいない夜の学校は怖い。学校体育館で夜に映画会が開催されたときに、トイレに行くのが非常に怖かった。人がいても怖いのに、誰もいない校舎(隣には用務員の宿舎と隣接してはいたが)のあの端の部屋で宿直するのは、どうみても心臓によくないはずだ。公立学校の宿直制度は昭和40年代に廃止されたそうだ。


写真は鷹泊小学校記念誌から転載した、鷹泊小学校体育館。宿直室は左隣で、校舎の南端にあった。

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