
昭和30年代鷹泊の住所は雨竜郡多度志村字鷹泊であった。(昭和37年からは多度志村から多度志町に変更)昭和45年4月1日には、多度志町そのものが深川市に編入されたが、昭和30年代に深川というのは汽車に乗ってでかける隣町というイメージであった。
当時、多度志には役場があり、鷹泊よりも街は大きく、人もはるかに多くて近い所ゆえ深川以上になじみやすい場所であった。
その多度志も人口減が著しい。昭和30年の国勢調査データで6900人とある。6年前の2010年のデータで多度志全体で910人にまで減少している。
写真は多度志駅前から 二股に分かれているが左がメイン道路。昔はその左側道路の突き当たり付近に多度志小学校があった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます