多度志といえば、昭和30年代の鷹泊小中学校の先生は多度志から通っていた先生が数名いらっしゃった。朝7時半頃駅に着いた女の先生と、駅近くに住んでいた児童が一緒になって、学校へ向かう姿がよく見られた。実家が鷹泊で、鷹泊小中学校に赴任されていた先生も多数いらっしゃった。(宮部先生、松田先生、細田先生、中谷先生、倉橋先生、中村先生、内村先生etc.)今の時代は、教員採用になって、地元の学校に赴任を希望しても、道教委は、そのような優先、優遇は、していないようである。昭和30年代前半は、地元鷹泊や、隣町の多度志出身の先生が多くいらした。鷹泊小中学校も、30年代後半になって、よその地域から異動されてきた先生が多くなってきたような印象である。
しかし今はそんな昔話を語るのもむなしい。この地域から子供がいなくなり、教師も少なくなり、学校そのものがなくなっていっている時代である。
写真上は旧多度志中学校
写真下は、旧鷹泊小中学校(いずれも多度志中学校記念誌から転載)
しかし今はそんな昔話を語るのもむなしい。この地域から子供がいなくなり、教師も少なくなり、学校そのものがなくなっていっている時代である。
写真上は旧多度志中学校
写真下は、旧鷹泊小中学校(いずれも多度志中学校記念誌から転載)