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鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

下鷹地域を散策中にJR深名線バスに遭遇

2024年02月16日 | Weblog

写真中央のレンガ色の家の右隣りにバス停(鷹泊待合所)がある。

旧鷹泊駅前通りを境界として、その南側が南鷹で、北側が下鷹であった。

 昭和30年代には中村さん、山下さん宅があった付近にJR深名線バス停(鷹泊待合所)がある。時刻表を見ると上下線あわせて1日14便が走っている。

タイミングよく、深川方面のJR深名線バスが通過した。思わずシャッターを押した。乗客は誰もいないように見えた。

ウーン。なんともいえない気分になる。幌加内が始発であるが、少なくとも幌加内・鷹泊間で乗降する客はいなかったということである。

JRが提案した、鉄道深名線を廃止してバス路線に変換する案を地元自治体が受け入れる条件として、運行本数とか交渉過程でいろいろあったと思う。しかし、これほど人口減が進むとは想定外だったのではないだろうか。バスを利用する人がほとんどいなくても、公共交通をなくすわけにいかないだろうし、どこの過疎地でも難しい問題ではある。

下の写真は乗客ゼロと思われる路線バス。

 

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南鷹の昔と今

2024年02月13日 | Weblog

写真は国道275号のT字交差点から南鷹全体を写している。建物は富岡産業関連のものだけで、左の道は旧鷹泊駅方向。

鷹泊駅前通りを境として、それより南が南鷹であった。(居住者が多かった時代、鷹泊は南鷹、下鷹、中鷹、上鷹、竜水、ヌップ、ペンケに分けられていた)南鷹には鉄道官舎の長屋を含めて多くの家があった。駅前通りの中ほど左側には富岡商店があり、店の前に広い空間があった。今なら駐車場として当たり前だが、まだ車はほとんどなかった時代であり、どうしてあのような空間があったのかはわからないが、子供の遊び場でもあった。

昭和28年の南鷹は戸数42、人口227であり、多くの人が暮らしていた。時は流れ、今は富岡産業関係の建物だけになっている。

鷹泊入植120年記念誌に記載されている昭和40年頃を表わす『广泊市街案内圖』には南鷹には数えてみると29戸表示されている。

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鷹泊駅前通りは鉄道深名線が廃線になっても、道道693号鷹泊鷹泊停車場線という堂々とした名前が残っている。

2024年02月08日 | Weblog

 

上の写真は旧鷹泊駅からまっすぐ正面の道(道道693号)を写したもの。正面突きあたりの道は国道275号。

 

写真は反対方向。国道275号のT字路から駅舎方向。突きあたりのやや右奥に旧鷹泊駅舎がある。

昔と較べて、道の舗装・未舗装の違いはあるが、当時の雰囲気は残っている。

Wikipediaによると、この道は道道693号鷹泊鷹泊停車場線といい、1971年(昭和46年)制定、起点鷹泊貯水池 終点旧鷹泊駅。路線延長5.6kmとある。

鷹泊駅からダムまで5.6kmの距離なら、学校からダムまで昔は4kmと思い込んでいたが、それは正しかったと思われた。鷹泊市街地入口から発電所まで7.kmという前述した表示板はちょっと違うのでないかとあらためて思う。

昭和34年にメートル法が完全実施されるようになったが、その当時子供たちの間でも小学校から鷹泊ダムまでは1里(3.927km)という表現が主体だった。そのうち4kmということが多くなったはずである。遠足でダムまっで歩く時も、時速4kmで歩いて約1時間ということで非常にわかりやすかった。

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鷹泊駅跡から周囲を見渡して

2024年02月05日 | Weblog

写真は中央部に三号沢への道、その右側の小高い山が焼山。

 

鷹泊駅舎そのものが、昔の鷹泊を知る者にとっては、歴史的建造物であるが、ここに立って四方を眺めるといろいろと昔を思い出させてくれる。

南方向にある木が茂った山はイチゴ狩りに行った旭団体への近道。東南方向には昭和30年代前半にはスキーをする子供達で賑わった焼山。東には炊事遠足に行った三号沢。

駅の隣には、農協倉庫が変わらずに残っている。

駅舎の近くの少しくぼんだところに鉄道官舎があった。今は整備されて平地になっている。

同級生の親が駅長だった時に、鉄道官舎の駅長の家でよくテレビを見せてもらった。

昭和30年代前半は、テレビのある家は商店などに限られていた。その後徐々に一般の家でもテレビが見られるようになり、昭和39年(1964年)の東京オリンピックは自宅や、学校で見ることができた。柔道、レスリング、重量挙げ、女子バレー等は60年経った今でもよく覚えている。2021年の東京オリンピックは誰が金メダルをとったとかの記憶にあまり残っていない。今年2024年はパリオリンピックだ。

変わらぬ姿の農協倉庫。

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鉄道跡を見るとありし日を思い出す

2024年01月29日 | Weblog

上の写真が深川方面の線路跡、逆光で見づらい。

上の写真が幌加内方向の線路跡。今は学校跡にリフレッシュプラザ鷹泊が建っている。その右サイドから幌加内(朱鞠内)方向からの汽車が姿を現した。

今シーズンは例年にも増して、北海道各地でドカ雪被害の報道が多く、車の通行あるいはJRの運行にも支障をきたしている。

降雪時期の汽車が運休するか、定時に来れないかは特に高校への通学生にとっては大きな問題だった。降雪のあった日に朝の始発列車(蒸気機関車あるいはディーゼル車)が、幌加内方向から学校の横に姿を見せた時はホッとしたものだった。

豪雪地域を走る深名線であったが、今のJRと比較するとはるかに頑張って運行してくれたと思う。線路上の降雪はラッセル車や、ロータリー車の力が必要だが、駅構内の除排雪は保線に携わる職員の人海戦術だったと思う。

そういうこともあってか昔の国鉄時代は、鉄道官舎の長屋が鷹泊にも確か3棟あったと思う。

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鉄道深名線時代には発車時刻に深川方面、朱鞠内方面と書かれた発車標が掲げられた。

2024年01月25日 | Weblog

昨年、朱鞠内で釣り人がクマに襲われた事件が全国区ニュースになった。

朱鞠内といえば、鷹泊駅の発車標には上り深川方面と下り朱鞠内方面の両方があり、駅を利用する人達には朱鞠内の文字は目に焼き付いていた。

上り下りの汽車の入線間近になると、改札口に上り深川方面あるいは下り朱鞠内方面の発車標がかけられて、乗客がホームに出ていった。

鉄道深名線は深川と名寄をつなぐ路線であるが、実質的には深川と朱鞠内間を行き来していた。

 朱鞠内へは鉄道で、一度もいったことはなかったが、鷹泊駅を利用するたびに朱鞠内方面の発車標は無意識に見ていたことになる。

鉄道深名線が平成7年(1995年)にバス転換されてからは、朱鞠内までは行かなくなり、JRバス深名線は深川-幌加内間の運行になっている。

写真は鷹泊駅舎の前側と後ろ側

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 形をとどめている鷹泊駅舎を見てホッとした。

2024年01月22日 | Weblog

つきあたりに元の鷹泊駅舎

今回、鷹泊へ行って何を見たいかと自問してみたが、高齢になるほど思い出す、ふるさと鷹泊のそれほど変わらない自然、大きく変わった街の様子を感じ取りたいということかな。とりわけ、自分が住んでいた住居跡、鷹泊駅、学校、ダムは外せない場所だ。

鷹泊駅は、廃駅になって久しいが、なんとか形をとどめている駅舎を見るとホッとする。往時が思い起こされる。

深名線が廃止になって 年が経過している。風雪に耐えてよくぞ残ってくれている。多度志駅などは、駅舎の痕跡すらない状態と較べて驚くしかない。

駅の中には肥料の袋が置かれてあった。まだ倉庫代わりに利用されているようだ。

なんとか駅舎のたたずまいを残している姿。

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家がまばらな鷹泊市街地

2024年01月18日 | Weblog

市街地を貫く国道は、昭和の後半にアスファルト舗装がされていたが、平成になっての道路工事で、より直線的になり、歩道には並木が植えられていて当時とは段違いの市街地道路である。これで商店、民家がたくさん並んでいると立派なものだが、残念ながら家が超少ない。家はあっても人が住んでいるのかわからない住宅もある。我が家があった場所の前を通ったが、空き地になっており、月日の経ったのを思わずにはいられなかった。

昭和30年代は、未舗装で車道・歩道の区別がなかった。子供たちは多くても、車がほとんど走っていなかったので交通事故の危険など感じなかった。

写真は昔、下鷹と区分されていた場所。花卉栽培のビニールハウスが建っている。歩道の樹木は季節柄、葉がないので目立たない。

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雨竜川で泳いだ昭和30年代を思い起こして。

2024年01月15日 | Weblog

昭和30年代にできた堤防であるが、平成・令和になって、堤防の上までアスファルト舗装されて、当時とは雰囲気が変わってしまった。

この写真で写っている雨竜川の上手には、(鷹泊駅前通りの突き当りにあたるあたりであるが、)学校公認の第4水泳場があり、夏休みにはよく利用した。当時、学校公認の水泳場が4か所あった。子供でも腰までしか水がこない浅い場所とはいえ、学校プールがある今の時代では許可されるはずもない危険といえる場所で、よく水難事故を生じなかったと思い出す。

別角度で堤防を写して。堤防が道路のように見える。

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「鷹泊」市街地を前にして、目立たない道路標識。

2024年01月12日 | Weblog

こんな小さな道路標識しかないのだろうか。なんとか鷹泊と読めるが、車で通過する場合は、気が付かないというか、走行中の車からは小さい字なので読めないかも。北海道企業局鷹泊発電管理事務所(ダム)まで7kmと書いてある北海道企業局の看板と同じ場所にある。(以前、このブログで本当に7kmもあるのかと疑問をぶつけたことあり。昔の小学校の遠足では小学1年でも学校からダムまで歩いていったので、もう少し短いのではと思うが看板に表示するからには正しいと納得するよりない。)

 鉄道深名線があった時は、鷹泊駅の駅舎の看板と行き先表示板を見て「鷹泊」に着いたことを確認できて、住民にも鷹泊訪問客にもわかりやすかった。

周辺を見渡すと、堤防は舗装され、サイクリングロードを思わせた。人がもう少し多ければ、住みやすいいい場所なのにと思わずにいられなかった。

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