さぁ!
日曜日。
阪神大震災が発生して15年。
「がんばろう神戸」と銘打ってオリックスブルーウエーブが躍進したときの歴史を忘れずに語り継いでいくための、BlueWave復刻デーとなりました。
といえば
聞こえはとっても良いですが、それ半分商魂半分と言ったところでしょうか(爆)。
まんまと商魂にハマったわれわれ。
この日は試合前から異様な混み具合!!
やはり復刻という珍しさか。
でも
BW復活を楽しみにきての来場も多かったと思います。
実際、合併を機にファンをやめたような方もいらっしゃっていました。
それに、
抜けるような五月晴れに栄えるグリーンのフィールド!
まさにグリーンスタジアム!!
神戸のボールパーク晴れですよ。
お天気もイベントを盛り上げます。
さぁ
BWの選手が出てきました。
やっぱり、この球場にはこのユニフォームだなぁ。
と、違和感のなさに感激!
まぁ
決して昔過ぎないので、ユニフォームも演出も印象が残っていますからね。
それに
やはり合併してなくなったチームには変わりなく、素直に盛り上がった時代のシーンが蘇る感慨はあったと思います。
若干違和感あるのは、
オリジナルにしては華奢でオトコマエな44番なことでしょうか(爆)。
そう!
BlueWaveって決して遠い昔の幻じゃないんで、球場はそのままだし、演出なんかも記憶に残っている上にモノも残っているので、再現が出来るんですよね。
そのうえで、
球場はレベルアップ!
より芝と臨場感を尊重した屋外ボールパークに生まれ変わっているし。
また、
すべての応援歌をBlueWave時代の曲を持ち出して演奏した応援団にも拍手!!
近鉄色が比較的勝っている応援団。
本来なら近鉄を応援していた応援団の方々にとっては悔しいもののはずが、イベントを盛り上げるなら徹底したいという気持ちが動かしました。
とりあえず、
最高のフィールドに蘇る、BWを背負ったBs戦士をお楽しみください。
後藤はBW生え抜きですが、このユニフォームは初めてですね。
田口もスタメン!
坂口はイチローの応援歌にのせて1番バッターをつとめました。
そうそう
応援ってことで避けちゃいけない話。。。
ボクはこの当時といえば、、
ロッテの応援団にいたんですよ。
なんだ!
敵じゃないか!?
なにBWヅラして喜んでるんだ!?
言われても仕方ありませんけど、、
以前も自分の想いを綴りました。
ボクは
ロッテの応援団をやっていたけど、同時に神戸のこの球場が大好きでした。
そして
神戸のこのグリーンスタジアムで活躍するBWは、ボクにとって一番のライバルであって、一番気合いが入りました。
”敵としてあっぱれ”とキレイごとを言うつもりはないのですが、臆面なく話すとそれに尽きます。
神戸の球場のロケーション。
DJ-KIMURAのアナウンス。
そこで見られる最高のゲーム。
ここにいる自分が大好きでした。
そして
震災の爪痕も自分で見て、人に聞いて、災害の悲惨さを間接的にも実感しました。
そのうえで、
心にも身体にも傷ついているはずの神戸の街は、野球を通じてボクを温かく迎えてくれたんです。
その思いが今に至っているのは、間違ってはいません。
だから
ロッテで応援というものをやり尽くした!
と思って応援団をやめてからも、神戸には足を運び、BWファンになっていました。
同時に
当時のバイトを通じて裏方や球団運営、演出の素晴らしさに関心を持つようになって、オリックス球団にはいろいろと協力できるような関係になれたのは説明無用です。
その素晴らしさを知ったのも、神戸であって、BWでした。
だから
やっぱBWはリスペクト。
95年には伊良部、小宮山、ヒルマンでBWの地元胴上げを阻止したんです。
まさに
この年(笑)。
でも
その時はロッテも2位躍進で、やっぱりBWには勝ちたかった。
そこで阻止できたボクたちはスタンドで歓喜に泣きました。
そして98年
18連敗!
ロッテのエース、ジョニーとともに心中する思いで祈ったあの日。
プリアムへ投じたインコースのストレート。
あの時も泣きました。
2001年10月1日近鉄戦
仰木監督のラストゲーム
2004年9月27日の近鉄戦
オリックスBWのラストゲーム。
仕事を早抜けして駆けつけた。
ネッピーと一緒にBW最後の花火のカウントダウンをして、そのままネッピーと泣いた。
こんなに喜びも涙も見せた球場は、じつはナゴヤ球場よりも多い。
だから
ボクは他県民だし、経歴は複雑だけど、神戸の球場と震災、そしてBWに対する想いは深いつもり。
ちょっと順序を戻しましょう。
おぉ!
康雄さんだよ!!
背番号8を背負っての登場。
康雄さんのこの開会宣言とDJ-KIMURAのアナウンスには”ビリビリ”きました。
そう
この日はまさに"徹底"してオリックスブルーウエーブな一日でした。
ネッピーもひとり。
当時はリプシーはいませんでしたから。
しかも!
初期に使われていた杜を持ってるし(笑)。
なんなら、
裸に巻き布のネッピーも・・・
しかし
初代ネッピーの島野修さんが亡くなられて間もない時期なので、これを見てもらいたかったなぁってのもありますね。
球場でも随所でBWグッズを持った、ほんとうに当時のグッズを持ってきたファンの人も多く見られ、楽しんでいるなぁと実感。
おや!ヤクルトファンまで!
こんな若い姉ちゃんが「よっさん」を知っているとは!?
って
佐藤由規だって(笑)。
奇しくもヤクルトの先発でした!
狙ってるのか偶然か。
にしても、DJ-KIMURAのアナウンスもちょっぴり力が入っていたような。。。??
ほんとうに嬉しい演出となりました。
BWの先発は山本省吾。
ねえ
やっぱ野島、似てない(笑)?
なんでって?
山本省吾も「うっちー」だしね(爆)!!
さて試合は
BW戦士、スタメン日高が豪快に先制弾!!
米村さんもBW姿が懐かしい。。
その後は妙に締まった展開で、スミ1のまま中盤に進むとBWの方が先にスイッチしていきます。
平野
岸田
と、理想のリレーに持っていきます。
そしたら終盤8回!
BW戦士、後藤!
タイムリーの3塁打になる!!!
そして、続く岡田がつまりながらも犠牲フライを放ちさらに1点。
最後はレスター。
1点は許したが、ほんとうに理想的な展開で終了。
BW 3 × 1 ヤクルト
やった!
オリックスブルーウエーブが、もう一度勝てました!!
2004年9月27日以来のBWの勝利です。
ほんとうに感慨深く、そして心から楽しめた一日。
もっと
復刻に反対する人もいたかも、、、
と思っていたら!
自分でも、温故知新にはまだ浅すぎる!!
と思っていたものの!!
やっぱ自分が好きだったモノが見られるって嬉しいし、蘇るとなればひとしおでしたね。
合併を前向きにとらえた人間としては、温故知新は正しく伝えて守っていきたい。
今回のBWデー。
かなりBWをしっかりと蘇らせてくれた気はしたので、満足してしまいました。
難しいと思うけど、近鉄でもやってあげたいよね。
できるだけ再現できるものは。
にしても
珍しく”いい試合”をやって、前日の大敗をしっかりと取り戻してくれたカンジ。
締まった試合だったしね。
これに味を占めて、またやるんかなぁ??
ほんと
ただしく尊重してBWにしろ近鉄にしろ復刻してくれれば。
それ以外のファンサービスもね。
日曜日。
阪神大震災が発生して15年。
「がんばろう神戸」と銘打ってオリックスブルーウエーブが躍進したときの歴史を忘れずに語り継いでいくための、BlueWave復刻デーとなりました。
といえば
聞こえはとっても良いですが、それ半分商魂半分と言ったところでしょうか(爆)。
まんまと商魂にハマったわれわれ。
この日は試合前から異様な混み具合!!
やはり復刻という珍しさか。
でも
BW復活を楽しみにきての来場も多かったと思います。
実際、合併を機にファンをやめたような方もいらっしゃっていました。
それに、
抜けるような五月晴れに栄えるグリーンのフィールド!
まさにグリーンスタジアム!!
神戸のボールパーク晴れですよ。
お天気もイベントを盛り上げます。
さぁ
BWの選手が出てきました。
やっぱり、この球場にはこのユニフォームだなぁ。
と、違和感のなさに感激!
まぁ
決して昔過ぎないので、ユニフォームも演出も印象が残っていますからね。
それに
やはり合併してなくなったチームには変わりなく、素直に盛り上がった時代のシーンが蘇る感慨はあったと思います。
若干違和感あるのは、
オリジナルにしては華奢でオトコマエな44番なことでしょうか(爆)。
そう!
BlueWaveって決して遠い昔の幻じゃないんで、球場はそのままだし、演出なんかも記憶に残っている上にモノも残っているので、再現が出来るんですよね。
そのうえで、
球場はレベルアップ!
より芝と臨場感を尊重した屋外ボールパークに生まれ変わっているし。
また、
すべての応援歌をBlueWave時代の曲を持ち出して演奏した応援団にも拍手!!
近鉄色が比較的勝っている応援団。
本来なら近鉄を応援していた応援団の方々にとっては悔しいもののはずが、イベントを盛り上げるなら徹底したいという気持ちが動かしました。
とりあえず、
最高のフィールドに蘇る、BWを背負ったBs戦士をお楽しみください。
後藤はBW生え抜きですが、このユニフォームは初めてですね。
田口もスタメン!
坂口はイチローの応援歌にのせて1番バッターをつとめました。
そうそう
応援ってことで避けちゃいけない話。。。
ボクはこの当時といえば、、
ロッテの応援団にいたんですよ。
なんだ!
敵じゃないか!?
なにBWヅラして喜んでるんだ!?
言われても仕方ありませんけど、、
以前も自分の想いを綴りました。
ボクは
ロッテの応援団をやっていたけど、同時に神戸のこの球場が大好きでした。
そして
神戸のこのグリーンスタジアムで活躍するBWは、ボクにとって一番のライバルであって、一番気合いが入りました。
”敵としてあっぱれ”とキレイごとを言うつもりはないのですが、臆面なく話すとそれに尽きます。
神戸の球場のロケーション。
DJ-KIMURAのアナウンス。
そこで見られる最高のゲーム。
ここにいる自分が大好きでした。
そして
震災の爪痕も自分で見て、人に聞いて、災害の悲惨さを間接的にも実感しました。
そのうえで、
心にも身体にも傷ついているはずの神戸の街は、野球を通じてボクを温かく迎えてくれたんです。
その思いが今に至っているのは、間違ってはいません。
だから
ロッテで応援というものをやり尽くした!
と思って応援団をやめてからも、神戸には足を運び、BWファンになっていました。
同時に
当時のバイトを通じて裏方や球団運営、演出の素晴らしさに関心を持つようになって、オリックス球団にはいろいろと協力できるような関係になれたのは説明無用です。
その素晴らしさを知ったのも、神戸であって、BWでした。
だから
やっぱBWはリスペクト。
95年には伊良部、小宮山、ヒルマンでBWの地元胴上げを阻止したんです。
まさに
この年(笑)。
でも
その時はロッテも2位躍進で、やっぱりBWには勝ちたかった。
そこで阻止できたボクたちはスタンドで歓喜に泣きました。
そして98年
18連敗!
ロッテのエース、ジョニーとともに心中する思いで祈ったあの日。
プリアムへ投じたインコースのストレート。
あの時も泣きました。
2001年10月1日近鉄戦
仰木監督のラストゲーム
2004年9月27日の近鉄戦
オリックスBWのラストゲーム。
仕事を早抜けして駆けつけた。
ネッピーと一緒にBW最後の花火のカウントダウンをして、そのままネッピーと泣いた。
こんなに喜びも涙も見せた球場は、じつはナゴヤ球場よりも多い。
だから
ボクは他県民だし、経歴は複雑だけど、神戸の球場と震災、そしてBWに対する想いは深いつもり。
ちょっと順序を戻しましょう。
おぉ!
康雄さんだよ!!
背番号8を背負っての登場。
康雄さんのこの開会宣言とDJ-KIMURAのアナウンスには”ビリビリ”きました。
そう
この日はまさに"徹底"してオリックスブルーウエーブな一日でした。
ネッピーもひとり。
当時はリプシーはいませんでしたから。
しかも!
初期に使われていた杜を持ってるし(笑)。
なんなら、
裸に巻き布のネッピーも・・・
しかし
初代ネッピーの島野修さんが亡くなられて間もない時期なので、これを見てもらいたかったなぁってのもありますね。
球場でも随所でBWグッズを持った、ほんとうに当時のグッズを持ってきたファンの人も多く見られ、楽しんでいるなぁと実感。
おや!ヤクルトファンまで!
こんな若い姉ちゃんが「よっさん」を知っているとは!?
って
佐藤由規だって(笑)。
奇しくもヤクルトの先発でした!
狙ってるのか偶然か。
にしても、DJ-KIMURAのアナウンスもちょっぴり力が入っていたような。。。??
ほんとうに嬉しい演出となりました。
BWの先発は山本省吾。
ねえ
やっぱ野島、似てない(笑)?
なんでって?
山本省吾も「うっちー」だしね(爆)!!
さて試合は
BW戦士、スタメン日高が豪快に先制弾!!
米村さんもBW姿が懐かしい。。
その後は妙に締まった展開で、スミ1のまま中盤に進むとBWの方が先にスイッチしていきます。
平野
岸田
と、理想のリレーに持っていきます。
そしたら終盤8回!
BW戦士、後藤!
タイムリーの3塁打になる!!!
そして、続く岡田がつまりながらも犠牲フライを放ちさらに1点。
最後はレスター。
1点は許したが、ほんとうに理想的な展開で終了。
BW 3 × 1 ヤクルト
やった!
オリックスブルーウエーブが、もう一度勝てました!!
2004年9月27日以来のBWの勝利です。
ほんとうに感慨深く、そして心から楽しめた一日。
もっと
復刻に反対する人もいたかも、、、
と思っていたら!
自分でも、温故知新にはまだ浅すぎる!!
と思っていたものの!!
やっぱ自分が好きだったモノが見られるって嬉しいし、蘇るとなればひとしおでしたね。
合併を前向きにとらえた人間としては、温故知新は正しく伝えて守っていきたい。
今回のBWデー。
かなりBWをしっかりと蘇らせてくれた気はしたので、満足してしまいました。
難しいと思うけど、近鉄でもやってあげたいよね。
できるだけ再現できるものは。
にしても
珍しく”いい試合”をやって、前日の大敗をしっかりと取り戻してくれたカンジ。
締まった試合だったしね。
これに味を占めて、またやるんかなぁ??
ほんと
ただしく尊重してBWにしろ近鉄にしろ復刻してくれれば。
それ以外のファンサービスもね。