阪神、浜中トレードでオリックス
<交換トレード>
Bs、平野恵一・阿部健太
×
阪神、浜中おさむ・吉野誠
平野ぉ~(T_T)/~
…まぁ、川越の放出と言う暴挙は避けられましたが、、、平野も貴重な存在でしょう。
浜中とってどう使うんでしょう?
まぁ、外野以外にはDHという路線か?
清原の期待はできないし。。。
とはいえ、
本人たち的には良い転機かと思います。
移籍、トレードはプロスポーツ選手のツネですし。
浜中にしても、吉野にしても、年齢的にもこれからいくらでも期待できますし。
逆に、与えられた大きなチャンス。勝負の移籍ですが。
平野には頑張ってもらいたい!!
一コ下で、ルーキーの頃はずっとサーパスで見ていました。
ちょうどサーパス応援を始めた頃の、2002年のルーキー生。
契約金ゼロ選手なんてのもいましたが、地味ながらもまぁ個性的な選手ばかりでした。
ボクら的には、サーパス見てても一番楽しかった年のルーキー君。
平野恵一、後藤光尊、藤本博史、橋本泰由、、、etc。
ボクの間近のサーパスファンは、だいたい2002年ルーキー君が好きでした。
しかも、ハッスルプレーはその頃から。
自打球当てて目の上に絆創膏を貼っていたこともありました。
それでも笑顔で、
「あ、今日も見てくださっていたんですか?」
「恥ずかしいです(笑)」
なんて気丈に明るく振舞っていました。
荷物の整理やバス移動の立会い(昔、ナゴヤ球場の遠征ではそんなんがあったんですよ)をしたり、、、
平野に遭遇する機会も多く、顔を覚えてくれていました。
オフにサーパスが参加した、あじさいスタジアムのレクリエーションイベントで野球教室を開いたときに、ボクにもトスバッティングを担当してくれたんですが、
まぁ10分近くになる熱血指導!
「とてもきれいなフォームをしているので、すごく楽しいです。」
と言ってくれて、とても嬉しかった思い出があります。
とにかく真面目で実直な人柄。
プレーにも出ていました。
その後、1軍にもお呼びがかかるも、試合でアゴを骨折。
1軍と2軍を行ったりきたり。。。
Bsになった年は、ライナーを後ろ向きにキャッチするスーパープレイで逆転を阻んだ試合もありました。
その年は、ボクなりにBsを前向きに応援しようという気持ちで、Bs選手のイラストを直営店に掲載してもらっていたんですが、その年一番印象に残った選手として、平野を描かせて頂きました。
頭の写っのイラスト、
人選はファン仲間で投票をしてもらって選ばれたものだったので、平野のインパクトは多くのファンの目に残っていたことになります。
そしてその翌年、
そうです。
アニマルの家で試合を見ていて、思わず叫んで、昼寝していたアニマルを起こしてしまった、千葉マリンの試合。
フェンスに激突。全身打撲で長期離脱。
このときは、心身ともに平野にとっては辛い時期でした。
真面目さがゆえにプレーに取り組む気持ちと裏腹な現実。
内野で行くのか外野で行くのか。
何番を打つのか、レギュラーに入り込めるか。
自分のプレースタイルを求めて相当悩んだと思います。
今年もシーズン途中はファームで悩む時期がありました。
声、かけられないんですよ。
ヤツには。
ファンがはたから見ていても苦しいのが分かるので。
よくよく考えたら、
ルーキーの頃のような笑顔は最近では見ていません。
ファームで間近に見ていて、自分の弟が試合やっているように気になる選手。
しかもルーキーから見ている選手ですから。
自分ごとのように復活の日を待ち望んでいた選手のひとりです。
いよいよ本格的に復活を期待していた矢先のトレード。
平野のためには!
移籍と言う選択は良かったと思う。
いまは、頑張れとしか言えないですね。
悲しいけど。
新しい環境で、新しい仲間と野球を取り組めることに感謝してもらいたい。
平野だったら、そう言うかなぁと思ってみたりします。。。
ひらのぉo(T0T)o
…
それにしても、浜中獲得の動機は気に入りません。
”人気”をとりたいって。
阪神ファンの獲得が真のBsファンの獲得じゃありません。
浜中にも悪いよ。
Bsはどうなっていくのでしょうか。。。
そういえば
交流戦の日程が出てましたね。
Bsのナゴヤは案の定ド平日でしたね。。。
<交換トレード>
Bs、平野恵一・阿部健太
×
阪神、浜中おさむ・吉野誠
平野ぉ~(T_T)/~
…まぁ、川越の放出と言う暴挙は避けられましたが、、、平野も貴重な存在でしょう。
浜中とってどう使うんでしょう?
まぁ、外野以外にはDHという路線か?
清原の期待はできないし。。。
とはいえ、
本人たち的には良い転機かと思います。
移籍、トレードはプロスポーツ選手のツネですし。
浜中にしても、吉野にしても、年齢的にもこれからいくらでも期待できますし。
逆に、与えられた大きなチャンス。勝負の移籍ですが。
平野には頑張ってもらいたい!!
一コ下で、ルーキーの頃はずっとサーパスで見ていました。
ちょうどサーパス応援を始めた頃の、2002年のルーキー生。
契約金ゼロ選手なんてのもいましたが、地味ながらもまぁ個性的な選手ばかりでした。
ボクら的には、サーパス見てても一番楽しかった年のルーキー君。
平野恵一、後藤光尊、藤本博史、橋本泰由、、、etc。
ボクの間近のサーパスファンは、だいたい2002年ルーキー君が好きでした。
しかも、ハッスルプレーはその頃から。
自打球当てて目の上に絆創膏を貼っていたこともありました。
それでも笑顔で、
「あ、今日も見てくださっていたんですか?」
「恥ずかしいです(笑)」
なんて気丈に明るく振舞っていました。
荷物の整理やバス移動の立会い(昔、ナゴヤ球場の遠征ではそんなんがあったんですよ)をしたり、、、
平野に遭遇する機会も多く、顔を覚えてくれていました。
オフにサーパスが参加した、あじさいスタジアムのレクリエーションイベントで野球教室を開いたときに、ボクにもトスバッティングを担当してくれたんですが、
まぁ10分近くになる熱血指導!
「とてもきれいなフォームをしているので、すごく楽しいです。」
と言ってくれて、とても嬉しかった思い出があります。
とにかく真面目で実直な人柄。
プレーにも出ていました。
その後、1軍にもお呼びがかかるも、試合でアゴを骨折。
1軍と2軍を行ったりきたり。。。
Bsになった年は、ライナーを後ろ向きにキャッチするスーパープレイで逆転を阻んだ試合もありました。
その年は、ボクなりにBsを前向きに応援しようという気持ちで、Bs選手のイラストを直営店に掲載してもらっていたんですが、その年一番印象に残った選手として、平野を描かせて頂きました。
頭の写っのイラスト、
人選はファン仲間で投票をしてもらって選ばれたものだったので、平野のインパクトは多くのファンの目に残っていたことになります。
そしてその翌年、
そうです。
アニマルの家で試合を見ていて、思わず叫んで、昼寝していたアニマルを起こしてしまった、千葉マリンの試合。
フェンスに激突。全身打撲で長期離脱。
このときは、心身ともに平野にとっては辛い時期でした。
真面目さがゆえにプレーに取り組む気持ちと裏腹な現実。
内野で行くのか外野で行くのか。
何番を打つのか、レギュラーに入り込めるか。
自分のプレースタイルを求めて相当悩んだと思います。
今年もシーズン途中はファームで悩む時期がありました。
声、かけられないんですよ。
ヤツには。
ファンがはたから見ていても苦しいのが分かるので。
よくよく考えたら、
ルーキーの頃のような笑顔は最近では見ていません。
ファームで間近に見ていて、自分の弟が試合やっているように気になる選手。
しかもルーキーから見ている選手ですから。
自分ごとのように復活の日を待ち望んでいた選手のひとりです。
いよいよ本格的に復活を期待していた矢先のトレード。
平野のためには!
移籍と言う選択は良かったと思う。
いまは、頑張れとしか言えないですね。
悲しいけど。
新しい環境で、新しい仲間と野球を取り組めることに感謝してもらいたい。
平野だったら、そう言うかなぁと思ってみたりします。。。
ひらのぉo(T0T)o
…
それにしても、浜中獲得の動機は気に入りません。
”人気”をとりたいって。
阪神ファンの獲得が真のBsファンの獲得じゃありません。
浜中にも悪いよ。
Bsはどうなっていくのでしょうか。。。
そういえば
交流戦の日程が出てましたね。
Bsのナゴヤは案の定ド平日でしたね。。。