ついに発刊!
ヨハネス•ラウレス「高山右近の生涯」の現代語訳
キリシタン大名であり、茶人として利休七哲の一人でもある高山右近、
高槻城主時代には、領主でありながらも領内の一村人の葬儀ではその棺を担ぐなど、殺し合い、上へ上への立身出世を競う時代を違う目線で生きた人のように思う。
1587年秀吉によるバテレン追放令に際し、秀吉より利休が使者として遣わされて棄教を迫るも受け入れず、結果大名職を剥奪。国内放浪の身に。
1614年家康による禁教令にも従わず、遂には宣教師達と一緒に国外追放に。マニラに流され現地にて病を得て亡くなる。
高山右近を学ぶにその教科書的存在とも言われる本著も、本来は昭和20年にドイツ人司祭ラウレスがドイツ語で書いたもの。
昭和21年に日本語訳されたとは言うものの、その文体、漢字は現代の若者に通じるものではない。勿論絶版。
「なんとかして欲しい」と私達が集められたのが、平成26年4月8日
それから絵本作家柳谷さんや皆さんのお力を借り、私達はあくまでも裏方ボランティアで。
裏方とはいえ、吐きそうな作業の連続だったが...
途中作業中止の危機もあり、更には最大の貢献者であり協力者である最長老溝部氏がお亡くなりになり...
いろいろ想うところはあるものの、今は感謝と安堵で胸一杯
ありがとうございました。
ヨハネス•ラウレス「高山右近の生涯」の現代語訳
キリシタン大名であり、茶人として利休七哲の一人でもある高山右近、
高槻城主時代には、領主でありながらも領内の一村人の葬儀ではその棺を担ぐなど、殺し合い、上へ上への立身出世を競う時代を違う目線で生きた人のように思う。
1587年秀吉によるバテレン追放令に際し、秀吉より利休が使者として遣わされて棄教を迫るも受け入れず、結果大名職を剥奪。国内放浪の身に。
1614年家康による禁教令にも従わず、遂には宣教師達と一緒に国外追放に。マニラに流され現地にて病を得て亡くなる。
高山右近を学ぶにその教科書的存在とも言われる本著も、本来は昭和20年にドイツ人司祭ラウレスがドイツ語で書いたもの。
昭和21年に日本語訳されたとは言うものの、その文体、漢字は現代の若者に通じるものではない。勿論絶版。
「なんとかして欲しい」と私達が集められたのが、平成26年4月8日
それから絵本作家柳谷さんや皆さんのお力を借り、私達はあくまでも裏方ボランティアで。
裏方とはいえ、吐きそうな作業の連続だったが...
途中作業中止の危機もあり、更には最大の貢献者であり協力者である最長老溝部氏がお亡くなりになり...
いろいろ想うところはあるものの、今は感謝と安堵で胸一杯
ありがとうございました。