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明日の風に吹かれて

日々の感じることを感じるままを綴っていきます。 明日が佳き日になりますように。

「悠遠の人 高山右近」by 塩見弘子

2017年04月11日 22時06分34秒 | キリシタン
「悠遠の人 高山右近」by 塩見弘子


史実を踏み外さないようにはしながらも、歴史書というよりも小説かな?

それは別に悪いことではなく、小説っぽい仕立て故に、その時々の右近の気持ちを書き綴る部分が多く、右近の想いを推し量るのに手がかりとなる言葉がたくさんあった。



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高山右近 列福式ミサ@大阪

2017年02月07日 16時16分26秒 | キリシタン
高山右近 列福式ミサ@大阪






高山右近
戦国のキリシタン大名、利休七哲の一人

信長に仕え、秀吉に仕え、それぞれが知恵と才覚、胆力で上を目指していく時代にむしろ降りていった人


1587年秀吉による「伴天連追放令」に際し、時の権力者からの棄教令に従わず、領地没収の上、大名の地位を奪われ、栄誉と財産を失い国内追放に

1614年家康の「禁教令」により国外追放となり、最終的にはジャンク船に揺られてマニラに追放。約40日後1615年2月3日未明に病死、帰天

火あぶりや十字架に架けられての華々しい殉教ではなく、むしろそれすら叶わない中、劣悪な環境のもとで長い時間をかけて示された殉教の道を歩み、降りていった人..


困難、侮辱、蔑み、貧困、欠乏、疎外、虐待、流刑、
神に近づくほど貧しくなっていった


これまで御尽力頂いた故溝部脩司教を想っていた..






ついに発刊!

2016年09月01日 16時16分05秒 | キリシタン
ついに発刊!

ヨハネス•ラウレス「高山右近の生涯」の現代語訳





キリシタン大名であり、茶人として利休七哲の一人でもある高山右近、

高槻城主時代には、領主でありながらも領内の一村人の葬儀ではその棺を担ぐなど、殺し合い、上へ上への立身出世を競う時代を違う目線で生きた人のように思う。


1587年秀吉によるバテレン追放令に際し、秀吉より利休が使者として遣わされて棄教を迫るも受け入れず、結果大名職を剥奪。国内放浪の身に。

1614年家康による禁教令にも従わず、遂には宣教師達と一緒に国外追放に。マニラに流され現地にて病を得て亡くなる。


高山右近を学ぶにその教科書的存在とも言われる本著も、本来は昭和20年にドイツ人司祭ラウレスがドイツ語で書いたもの。

昭和21年に日本語訳されたとは言うものの、その文体、漢字は現代の若者に通じるものではない。勿論絶版。


「なんとかして欲しい」と私達が集められたのが、平成26年4月8日

それから絵本作家柳谷さんや皆さんのお力を借り、私達はあくまでも裏方ボランティアで。

裏方とはいえ、吐きそうな作業の連続だったが...

途中作業中止の危機もあり、更には最大の貢献者であり協力者である最長老溝部氏がお亡くなりになり...

いろいろ想うところはあるものの、今は感謝と安堵で胸一杯

ありがとうございました。



流れに任せていけばいい

2016年08月04日 12時35分40秒 | キリシタン
研究会の次に向けて

これまで取り組んできたヴァリアーノの「日本巡察記」がようやく読了していく。




ヴァリアーノは、1579年〜1582年、1590年〜1592年、1595年〜1603年と戦国時代の日本を3度にわたって来日した宣教師。

信長、秀吉とも何度か謁見
信長は、その優れた人物をすぐに見抜き、大いに歓待し、議論している。


そんな彼が書く当時の日本を巡る諸事情。
正確にはローマのイエズス会総長への業務報告書であり、嘆願書。


遠く離れたヨーロッパから見て、如何に日本が特殊てあるかの数々の事例。しかも、日々に勝者、統治者の替わる戦国日本。

厳しい環境に翻弄されながらの苦労に溜息をつきながら、それでも日本を愛し福音宣教に進む人達に感嘆しながら読み進めるうちに、ようやく最終に近づいてきた。



次に向けてどうすべきか?と会長として悩んでいた。

今日の研究会で今後について議論したが、そんなことは悩まなくても自ずと導かれていくもんなんだ..


俺が用意し決めなきゃなんて力まずとも、皆さんを信頼し、流れに任せりゃいいんだなと、しみじみと実感。




最長老の最後のノート

2016年07月14日 16時15分09秒 | キリシタン
最長老 最後のノート

春に亡くなられた最長老
最後の遺稿のノート、「あなたに預けるわ」とお預かりしていたが、私一人が持つべきものでもないし、余りに時間が経ってもと、京都の事務局にお返しに伺った。





ラテン語の交じったノート
私に全てが判読出来る訳はないが、緻密に積み上げていくプロセスはとても教えられるものだった。

この国で然るべき人が引き継いでくださればいいんだが..