慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「四畳半襖の下張り」「清潔への傾斜」会田誠『犬』

2023年11月13日 | 社会
🌸自由を侵そうとする人たちが、右派から左派に移った

性の解放をめぐる右派と左派の逆転
 ☆最近になって、アグルトビデオやポルノ、性産業そのものをも
 *排除しようという動きが進んでいる
 ☆前世紀には「性を解放せよ」という運動があり
 *表現の自由もだんだんと進んできたはずなのに
 *なぜこのような逆転現象が起きている
 ☆この動きを推し進めようとしているのが左派の人たちだ
 *ワイセツなものを社会から排除しようとしたのは
 *前世紀には圧倒的に「保守」「右派」だった
 ☆戦前にまでさかのぼると
 *禁酒禁煙や公娼制度の廃上をとなえ
 *「結婚するまで性交渉を行わない」という純血運動を行っていたのは
 *宗教右派の団体である
 ☆戦後になると「悪書追放運動」が起きた
 *この運動は保守派や警察組織が中心となっていた
 ☆この様な排除に一貫して抵抗していたのは
 *当時の左派の文化人たちだったのである
 *有名な事件として「四畳半襖下張」事件がある
 *この摘発に猛反発したのが、左派文化人たちだった
 ☆1999年に男女共同参画社会基本法が施行される
 *この時期からジェンダー平等が言われるようになった
 *それを「フリーセックスと同じ意味」と非難したのは、保守派だった
 ☆現在、逆に左派の女性解放運動の人々、道徳的な宗教右派に接近する

⛳清潔さへの過剰な傾斜で排除される人々
 ☆右派と左派のあいだで、驚くべき180度の転回が起きた理由
 *日本社会があまうにも清潔感を求めるようになったからだ
 *清潔になじめない人は、時に排除されるのが、今の日本社会だ
 *この問題はポルノなどのアングラな文化にも当てはまる
 ☆いまの日本社会からは「大人になって成長し円熟する」という
 *モデルが消滅している
 *年齢に限らず、みんなが若者的な心情になってしまっている
 ☆フランスなど欧州の映画では
 *恋愛映画の主人公は中年男女であることが多い
 ☆日本の恋愛映画はティーンエイジャーを描くことが近年圧倒的に多い
 *あまりにも「幼さ」「若さ」にこだわり過ぎている
 ☆そういう若さ偏重の文化にどっぷりと浸って
 *日本人は年を重ねても「自分探し」に明け暮れる
 ☆若さにこだわるということは
 *いつまでも自分が清潔であることに固執し続けることである
 *グレーであることを拒否し
 *自分が清浄な場所にい続けようとすることだ
 *空想の中で自分を理想化していれば
 *自分の汚いところや自分のダメなところを直視しないで済むのだ
 ☆20世紀の終わり頃から今世紀にかけて
 *このような清潔さへの過剰な傾斜が日本社会に蔓延していった
 *1980年代のバブル経済の頃に、日本の街は一変する
 *1970年代までの日本の泥臭さや封建的な文化を
 *バブル期はデオドラントし、清潔な世界へと変えた

清潔になった日本のバブル文化を代表する松任谷由実
 ☆日本は、土着的な貧乏くささの臭いを消し
 *20末世紀日本は清潔になった
 *その清潔さが過剰に進んでしまい
 *ワイセツ等が、不浄なもの・ポルノや性産業の排除へとなった
 ☆このような方向は、文化の破壊になりかねない
 *なぜなら文化は、泥くさく不潔なものと不可分だからである
 *多くの文化は、不浄なところから生まれてくる
 ☆富士山は日本一高い山だが、そこまで高くていられるのは
 *広いすそ野が支えているからだ
 ☆文化もそれと同じである
 *不潔な澱みこそが、実は上澄みである高尚な文化を支えている
 *上澄みだけでは文化は持続できず
 *すそ野と上澄みの循環があってこその上澄みなのである
 *「すそ野のようなゴミは切って捨てていい」と考える文化人がいる
 *それは傲慢というものであろう
 ☆日本で一部の人たちがアダルトビデオやポルノ、性産業そのものをも
 *排除しようとしていることは、このような思考とまったく同じである
 ☆文化に限らず、不浄で猥雑なものを切り離して
 *清潔なものだけが存在する社会というのはあり得ない
 *「退廃芸術」を排除したナチス全体主義の清潔なデイストピアである

会田誠『犬』シリーズの排除に動いた左派
 ☆現代アーテイスト会田誠氏は著書『性と芸術』で
 *ポルノと芸術の関係について鋭く考察している
 *左派系の運動がポルノなどを排除しはじめた
 ☆クレームに対して、会田氏は
 *『大』は『お芸術とポルノの境界は果たして自明のものなのか?』
 *という問いのための試薬のようなものと投稿している
 ☆同書によると、ヌードには三つの世界があるという
 ①古代ギリシャにさかのぼる、西洋近代美術としてのヌード画
 ➁欲情したい人に応えたポルノ産業
 ③批評性のある現代アートとしてのヌード
 ☆三つのヌード世界は、まったく接点もなく存在してきた
 *そのことを会田氏は理解したうえで
 *三つを混ぜてできあがったのが『犬』シリーズ
 *古典的アート、ただのポルノ、ただの現代アートでもない
 *アートでもあり、ポルノでもある
 *その領域こそが、アートそのものであると会田氏は考えた
 ☆これは「上澄みと澱み」に重なってくる
 *上澄みがアートで、澱みが不潔で排除されるものなのではなく
 *上澄みも澱みも混ざり合っているものこそがアートなのだ
 ☆会田氏は、アートはデモ行進のプラカードではないと言う
 ☆このような哲学こそ
 *いまの日本社会にも求められているのだと筆者は考える.
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『「神話」解体』




「四畳半襖の下張り」「清潔への傾斜」会田誠『犬』
(ネットより画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 金の価値は加齢とともに低下する | トップ | 私を形成する「遺伝」「共有... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

社会」カテゴリの最新記事