慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

三菱倶楽部道散策(12/6/26)

2012年06月27日 | 懇談会


三菱倶楽部からの皇居


三菱倶楽部からの皇居


三菱倶楽部からの皇居

友人のお陰で、三菱倶楽部を昼間散策できました
素晴らしい、眺め・眺望に感激しました
以前、竹橋の毎日新聞社ビル(アラスカ)から眺めましたが、正面からの眺望は最高です

三菱倶楽部散策

三菱倶楽部

三菱創業百年を記念して、丸の内に設置された会員会社の方が、懇親・記念行事の場として
 利用出来る倶楽部です
会員が利用するため、会員以外の方には非公開となっています

岩崎 弥太郎

三菱財閥の創業者で、明治の動乱期に政商として巨利を得た有名な人物です

生涯

土佐国獄中、商人から算術や商法を学んだことが、商業に手を染める機縁となりました
土佐藩の土佐商会主任・長崎留守居役に抜擢され、藩の貿易に従事しました
坂本龍馬の後、藩命を受け、隊の経理を担当(弥太郎は龍馬と酒を酌み交わし良い中でした)
海運業として、現在の大阪市西区に「三菱商会(郵便汽船三菱会社)」を設立しました
三菱商会は、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせて三菱のマーク
 「スリーダイヤ」を作ったこは有名です
藩札を買占め、それを新政府に買い取らせて、莫大な利益を得ました
台湾出兵に際し、軍事輸送を引き受け、西南戦争でも、輸送業務を独占し利益を得ました
政府の仕事を受注し、発展を遂げ、弥太郎は「国あっての三菱」と話していました
外国資本と熾烈な競争を行い、船荷を担保にし資金を調達(後の三菱銀行に発展)し
 勝利しました
1885年弥太郎は51歳で病死しました
三菱商会は、共同運輸会社と合併し、日本郵船となり、日本郵船は三菱財閥の源流です

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