慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

安土桃山時代4(小牧・長久手・四国の戦い)

2022年06月17日 | 歴史
🌸小牧・長久手の戦い

 ☆天下統一に手をかけた秀吉の前に徳川家康が立ちふさがる

安土桃山時代の小牧・長久手の戦い
 ☆柴田勝家を倒して織田家の実権は秀占が握った
 ☆信長の次男の織田信雄は秀古の台頭を快く思っていなかった
 ☆信雄は、秀吉の勢いを止めたい徳川家康と手を組む
 ☆秀吉に反旗を翻し戦いは小牧山で始まった
 *徳川軍は長久手で別働隊を撃破する
 ☆秀吉は信雄の領地を攻めて信雄を追い詰める
 *秀吉は、信雄との単独講和を取りつけることに成功
 ☆戦う大義名分を失った家康も講和に応じ、戦いは終結した.

局地戦に敗北するも政治的に勝利した秀吉
 ☆秀吉に反感を抱く織田信雄は親秀吉派の家臣を粛清
 ☆清洲城で徳川軍と合流し秀吉との対決姿勢を示した
 ☆信雄・家康は小牧山城へ布陣
 *秀吉も楽田城に入城してにらみあう
 ☆羽柴軍は、家康の本拠地を攻撃する部隊を結成し三河へ向かう
 *家康に察知され奇襲を受ける
 ☆家康の強さを悟った秀吉
 *信雄を攻撃して和睦に持ち込み、家康とも有利な条件で和睦した

羽柴軍を大敗させた長久手の戦い
 ☆三河攻略を目指す中入り部隊の動きを知った徳川軍
 *二手に分かれて羽柴軍の挟撃を狙う
 *榊原康政ら別働隊が羽柴秀次を撃破
 *家康本隊は岩崎城攻略後の池田・森隊を襲撃
 ☆激戦の末、徳川軍秀吉軍の恒興と長可を討ち取った

敗軍の将織田信雄
 ☆秀吉に下剋上を許すも家名を残す

 ☆織田信長の次男として生まれ、伊勢の北畠氏の養子となった
 *賤ヶ岳の戦いでは秀吉に与した
 *小牧・長久手の戦いでは徳川家康と手を組んで秀吉と敵対した
 ☆秀吉に本拠地・伊勢を攻められ、単独で講和
 *以降は秀吉に従い、小田原攻め後に改易されるも
 *江戸幕府下で大名に復帰し現代まで血筋を残している

🌸四国攻め

 ☆長宗我部元親の四国統一を秀吉の隊軍勢が砕く

安土桃山時代の四国攻め
 ☆秀古は条件を出すが元親はこれを拒否、秀吉は四国攻め決定する
 ☆秀吉の軍勢3方向から四国に攻め入った
 *約6万の羽柴軍本隊を率いたのは秀吉の弟の秀長と甥の秀次
 *宇喜多秀家軍約2万3000
 *毛利軍約3~4万
 ☆倍以上の兵力差に長宗我部軍は敗北を重ね2ヵ月で降伏する

3方から四国を攻める羽柴軍
 ☆秀吉は弟・秀長と甥・秀次に阿波
 ☆宇喜多秀家・蜂須賀正勝らに讃岐
 ☆小早川隆景・吉川元長らに伊予を攻めさせた
 ☆長宗我部方の城は次々と落とされた
 ☆元親が降伏し四国は秀吉政権下に入った

予想外の3方攻撃に敗れ去る長宗我部軍
 ☆長宗我部家は半士半農をはじめとする
 *精強な軍団を以て四国を席巻した
 ☆羽柴軍の侵攻に対しても
 *攻め口と予想された阿波の緒城
 *重臣に守らせるなど防御態勢を整えていた
 ☆羽柴軍が想定以上の兵力で讃岐・伊予からも攻めてきた
 *結果的に戦線は崩壊してしまった

敗軍の将・長宗我部元親
 ☆小領主の子から一代で四国覇者となる
 ☆初陣で活躍し「鬼若子」と呼ばれた
 ☆半士半農軍を率いて土佐を統一
 ☆四国制覇を目指すも秀吉の討伐を受ける
 *阿波・讃岐・伊予が制圧されていく中
 *土佐での徹底抗戦を主張
 ☆降伏を勧める家臣を「臆病者」と罵倒した
 ☆家臣の根強い説得で降伏を受け入れたという
                        (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本の合戦』








安土桃山時代4(小牧・長久手・四国の戦い)
(『日本の合戦』記事より画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 河瀨監督の東大生への「祝辞... | トップ | 欧米追従を脱却し、本来の日... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事