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南・東南アジア集団の多様性2

2022年09月24日 | 歴史

🌸南・東南アジア集団の多様性2

言語とゲノム
 ☆東南アジアから北東アジアにかけての現代人集団のゲノムデータが解析された

 *アジアの集団の遺伝的な分化は基本的に言語集団に対応している

 *同じ言語集団に属する人びとは似たような遺伝的な構成をしている

 *婚姻は、同じ言語グループの中で行われますから、当然の結果だ

 *文化の重要な要素は言語で、それが集団の遺伝的な構成を規定している
 ☆東南アジア集団は、東アジアの集団よりも遺云的な多様性が大きい

 *東アジア集団は、東南アジアから移動してきた集団で形成されたから

 ☆東南アジアヘのホモ・サピエンスの初期拡散とそれに続く

 *狩猟採集民集団の分化の様子、現段階でわかっていない

 ☆現在分かっているのは、最初は南アジアの古代狩猟採集民

 *東南アジアやオーストラリアにまで展開し

 *その中でデニソワ人との混血が行われたということだけ

 ☆ホモ・サピエンスが最初に拡散した氷河期

 *スンダランドと呼ばれるひとつの大きな陸塊だった

 *最初は基本的に似たような遺伝的構成をした集団が住んでいた

 *海水面の上昇により現在の地形が形成されるようになった

 *1万年前以降から、それぞれに別の道を歩むようになった

マンバック遺跡の発掘調査より
 ☆東南アジアの半島部では、

 *在来の狩猟採集民集団と農耕民の混合によって

 *現代の地域集団が形成されたというシナリオが提示されている

 ☆ベトナムの北部のマンバックは、初期農耕民の遺跡

 *この時期は日本で縄文時代から弥生時代に移行する時期

 *日本では縄文人とは姿形の違う渡来系弥生人が列島に進出してきた

 ☆マンバック遺跡の人びと

 *日本の渡来系弥生人と似ていない別の集団
 *出土した人骨の中には現代の東南アジア人に似た個体に混じっている

 *明らかにそれとは異なる古い形質を持った個体も存在した

 *この遺跡自体が、異なる2つの集団の混合によって形成された
 ☆マンバックの人びと、現在の東南アジアからインド東部に散在する

 *オーストロアジア語族集団に似た遺伝的な特徴を有している

 *移住してきた中国南部の初期農耕民と

 *在来のユーラシア東部の狩猟採集民との混合である

 *初期農耕民は、オーストロアジア語族集団の祖先集団である
 *この地域にはその後も、南中国から農耕民が移住してきていた

⛳東南アジア半島部の遺伝的にも言語学的にも高い多様性

 ☆在来の狩猟採集民集団の世界に

 *北方からの複数回の農耕民の進出し完成したためと推定されている

 ☆アンダマン諸島の人

 *南アジアの古代狩猟採集民のゲノムを保持している
 *これは初期拡散が南アジアから到達したことを考えれば当然
 ☆東南アジア各地の古代農耕民のあいだの遺伝的な違いも大きい
 *中国南部からの移住の波が複数回が要因だ

 *在来集団との混血の様子が異なっている

 ☆広西チワン族自治区の狩猟採集民

 *現代にゲノムを伝えず消滅した
 ☆東南アジアスラウェシ島の7千年ほど前の狩猟採集民のゲノム

 *現在には伝わっていない

 ☆ヨーロッパ同様、農耕以前の時代に存在した

 *地域の狩猟採集民集団の多くは、歴史の闇の中に消えてしまった

                      (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『人類の起源』

南・東南アジア集団の多様性2

(『人類の起源』記事、ネットより画像引用)


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