慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
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本能寺の変と類似した二・二六事件?

2017年03月10日 | 新聞記事
二・二六事件(1936年2月26日~30日)

皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが約1,500名の下士官兵を率いて起こした事件
岡田内閣が総辞職し、後継の廣田内閣が、思想犯保護観察法を成立させた
二・二六事件と重なる本能寺の変に視る
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、番組BS11(尾上松也さんの古地図で謎解き!)、WIKIPEDIA
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)


















二・二六事件(尾上松也さんの古地図で謎解き!番組画面引用)

陸軍内の派閥皇道派の影響を受けた青年将校
昭和維新・尊皇討奸をスローガンに、元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現するとの考え
青年将校は、政財界の様々な現象や、農村の困窮は、政治腐敗より生じていると考えていた
政治家を排除すれば、解決できると考え、武力を持って政治家を殺害した

決起将校の行動と結果
歩兵第1,3連隊、近衛歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊等で組織
大蔵大臣高橋是清ら要人を殺害し、総理官邸、警視庁など日本の中枢を襲撃・占拠した
青年将校らは、陸軍首脳部を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えたが、天皇はこれを拒否した
天皇の意を汲んだ陸軍と政府は、「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた
叛乱将校たちは、下士官兵を原隊に復帰させ、大半の将校は投降して法廷闘争を図った
事件の首謀者達は銃殺刑に処された



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