慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

世界の宗教(イスラム教共同体の分裂)

2016年11月13日 | 宗教
カリフの座をめぐって、イスラムウンマの分裂が始まった

正統カリフ時代から、ウマイヤ朝成立期にかけてのイスラムウンマの内紛
ウマイヤ王朝成立期にウンマが分裂
イスラームウンマ分派で、二大派閥、「スンナ派」と「シーア派」が成立した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆出典、『宗教史(成美堂出版)』他引用&参照










イスラム教(『宗教史(成美堂出版)』、ネットより画像引用)

「シーア(党派)」の意味
「シーア派」は、「シーア・アリー」の党派と言う意味です
ムハンマドの後継者は、ムハンマドの義理の息子のアリーとその子孫だけであると主張する一派です

第4代カリフは、シーア・アリーが就任
シーア・アリーは、ウマイヤ家のムアーウィヤを支持する、ソーア・ムアーウィヤと対立した
シーア・アリーは、ムアーウィヤとの調停に臨んだ
シーア・アリーの融和的な態度を批判して分裂した「八ワーリジュ派」が、強硬姿勢を貫く
「ハワーリジュ派」は、シーア・アリー、シーハ・ムアーウィヤ双方を敵対視しアリーを暗殺した
結果、ムアーウィヤがカリフに就任しウマイヤ朝が成立した

分裂した党派から今日の二大派閥が誕生
「スンナ派」
 ☆ウンマ内で大多数を占めていたのは、両党派の対立を静観していた中立派の人たちでした
 ☆中立派は、ウマイヤ朝成立によってシーア・ムアーウィヤを支持し、現在のスンナ派の母体となった
「シーア派」
 ☆シーア・アリーはウマイヤ朝を認めず、アリーを初代イマーム(指導者)とするシーア派を形成
 ☆シーア派は、アリーの子孫の誰をイマームとするかによって分派をくり返す
 ☆現在では、シーア派の約90%を「十二イマーム派」が占めている

「暗殺教団」と呼ばれたニザール派
ニザール派は、布教者ハサン・サツバーフによって創始された一派です
次期カリフ候補でありながら、内紛で殺害されたニザールを正統のイマームとみなす宗派です
政治的対立の解決方法として暗殺を是とした
信者に大麻(ハシーシュ)を与えて暗殺を実行させたといわれる
ニザール派の信者は、他宗派から「ハッシャーシュ(麻薬常習者)」とよばれた
ヨーロッパには、十字軍などを介して「暗殺教団」として伝えられた
その後、ハツシャーシュから転じて「アサツシン」とよばれ、これが英語の「暗殺者」語源ともなった
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『二重国籍問題』(深層・真相)

2016年11月13日 | 日本国内問題
「二重国籍」と「政治オンチ」で自滅ヘ?

「二重国籍」問題、多様性の問題にして開き直り
日本の日籍選択は、国籍法で規定されており「二重国籍」は認められていない
北京大学への留学経験もある?
自身の疑惑には答えず、専用車を要求する騎りだけは!
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典、「THEMIS」11月号記事(毎月1日発売)詳細確認ください


二重国籍問題(ネットより画像引用)

「二重国籍」問題、多様性の問題にして開き直り
多様性の広まってきたわが国で、国籍を重なって持っている方たちも増えている?
多様に生きている方たちにどのように多様性を認めて差し上げるかといつ論点もある?
「二重国籍」問題と多様性の問題を結びつけるような言動に批判が起こっている
回答を二転三転させ、とても国民に対して説明責任を果たしているとは思えない

日本の日籍選択は国籍法で規定されており、「二重国籍」は認められていない
参院議員に3度当選しており、大臣にも就いていた
選挙公報には「85年、台湾籍から帰化」と書いていたがそれも嘘だった
25年間にわたって国籍法違反状態が続いていたことになる
それをいまさら多様性の間題に擦り替えるのは詭弁なのでは?

「二重国籍』は確信犯?
タレント時代から知るマスコミ関係者がいう
無国籍を売り物にして『あるときは日本人、ときどき中国人』などといって妖しい魅力をアピールしてきた
日本の赤いパスポートは嫌いといっていたし、子どもも中国で産んでいる
ある永田町関係者は「戸籍謄本には『北京』の文字が入っているとの怪情報が流れてる」と語る

北京大学への留学経験もある?
父親は、台湾バナナの輸入で財を成し、代表も裕福な家庭で育った
父親は、中国系台湾人で、中国の秘密結社「青討」とも関係があったといわれる?
説明責任があると指摘する関係者も多い

最近発言&行動
「野党代表なのだから、衆院でも専用の車を出しなさい」と申し出たという?
党内の旧社会党勢力や、代表選を争った一部の人は、執行部と距離を置いており党内抗争の火種は多い
「初の女性総理を目指す」と周囲に語る?
次の総選挙では比例代表東京ブロックで、1位出馬を狙うといわれるが?
総理は、選挙区で勝たなければ党内外で認められない?

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上杉謙信(長尾景虎→上杉政虎→輝虎→謙信)

2016年11月13日 | 歴史上の人物
上杉謙信「越後の虎」

戦いの神、毘沙門天の生まれ変わりと自らを称す(生涯の戦い70勝2敗)
知将とも呼ばれ、私利私欲を捨て正義を重んじる武将との美談も多く残っている
戦いに明け暮れた戦国時代に、国を活性化させ、自国を統一していった
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
出典、番組、BS11『せいこうの歴史再考』(経済と結び付ける番組です)、WIKIPEDIA参考&引用
  ☆番組の画面引用(番組を集中して視るので、番組がよく理解できます)














上杉謙信(番組、BS11『せいこうの歴史再考』テレビ画面引用)

上杉謙信の概略
上杉家の下で、越後国の守護代を務めた長尾氏出身
戦国時代の越後国の武将・戦国大名で、「越後の虎」「越後の龍」「軍神」と称される
越後国を統一し、戦や政だけではなく、産業を振興して国を繁栄させた
足利将軍家からの要請を受けて、上洛を試み、越後国から北陸路を西進した
領土も、越中国・能登国・加賀国へ勢力を拡大したが志半ばで死去した
上杉謙信(謙信は法号)で、上杉輝虎と名乗った

上杉謙信と北条との戦い(武田信玄死亡まで)時代
北条氏政は、上杉との同盟を破棄、武田信玄と再び和睦した
上洛の途につく武田信玄は、謙信に背後を突かれないため調略により越中一向一揆を煽動
結果、上杉謙信は、主戦場を関東から越中国へ移すことになる
宿敵・武田信玄が病没して武田氏の影響力が薄らぎ、上洛の意を固める

上杉謙信と北条との戦い(武田信玄死亡後)時代
上洛を目指す謙信の主戦場は、既に関東でなく越中国
上洛への道を開くため、加賀国まで足を伸ばし、越中の過半を制圧した
一向一揆が、謙信が越中から軍を引き上げる度に蜂起するので、越中を自国領にする
北条氏政が、下総関宿城の簗田持助を攻撃する
謙信は、越中平定に集中していたが、救援要請が届くと軍を転じて関東に出陣した
既に、謙信の勢力は、関東では大きく低下していた
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