ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

神戸フルス愛好会発表会(指導者YUGEさん)

2010年11月10日 | 神戸支部の活動

 

リハーサルで指導中のYUGEさん(シルエット
YUGEさんは明るく快活な方だ。

左YUGEさん、右ちゅうちゃん。
ちゅうちゃんワールドから借用の画像。

神戸フルス愛好会は昨年の夏に発足した。発足会には新聞社が来て大きく報道された。これは大変だ、まだ、だれも吹けないのに、と思っていたら、その後、案の定テレビや新聞の取材依頼が来た。しかし、やむなく、それはお断りした。
その後、五線譜による日本人向けの練習曲やその伴奏用CDはあったもののだれもフルスにさわったこともないと言うのはやっぱり大変で、四苦八苦しながら練習していた。

ところが、11月頃、神戸フルス愛好会の前にYUGEさんが突如現れた。
YUGEさんはご主人の仕事の都合で天津に行き、そこで、フルスに出会い、先生につき一生懸命練習した。そしてそこで、コンクールに優勝す快挙を遂げたのである。おそらく、日本人で中国でコンクールに入賞したのは初めてであろう。そして、昨年神戸に帰ってきたら神戸にフルス愛好会があることを知り、愛好会に連絡をされたのである。あの新聞記事の切り抜きを日本にいた娘さんが切り抜いていたのだそうだ。

神戸フルス愛好会はその後、YUGEさんの指導により目標を定め、中国本場の技巧的な演奏を練習するとともに合奏による楽しい演奏をし、今日に至っている。
YUGEさんの受賞を知らせる中国の記事はここ。
http://www.csmes.org/html/29797.html


神戸フルス愛好会  (ちゅうちゃん)

2010年11月09日 | 神戸支部の活動



ちゅうちゃんのすばらしい古箏の演奏。右は尺八の名人


ネット上で知っていた「ちゅうちゃん」の古箏の演奏もあった。若くてかわいくてまだお嬢さんみたいだが、2児の母だそうだ。

古箏の演奏はすばらしかった。あちこちのコンクールで入賞しておられるだけある。
それよりもっと驚いたのは経営しておられるベトナム料理レストランがはやっており、市内にもう一軒音楽が聴けるレストランを建設中。
さらに、上海にも………!!!驚くばかりでした。

わたしは、といえば、一応フルスは持って行ったものの伴奏用CDを忘れて行って、かといって、いつもの無伴奏の「竹田の子守唄」では芸がなくて、ちゅうちゃんの音楽グループシャングリラの尺八の名手に直前に頼んで尺八と二重奏で「里の秋」を吹くことにした。はじめは私がサブメロディを吹こうと思ったのだが、私が主メロディを吹いてもいいと言うことだったので、そうした。それも、舞台の上で、決めたのだ。ここまでは我ながら、即席とはいえすばらしい企画だと思った。

それで、演奏を始めたのはいいが、調を正確に伝えていなかったので、1番はハチャメチャ、2番は音を探りながら吹いてもらって少し合い始め、3番で何とか聴けるようになったというおそまつだった。
それにしても尺八の演奏の先生の腕には恐れ入った。

※ ちゅうちゃんも神戸フルス愛好会の発表会の様子をブログに書いておられます。
  http://blog.goo.ne.jp/kimono1206/e/5b1c0962271e538887aa31524f1a2126


なごやかな神戸フルス愛好会発表会

2010年11月08日 | 神戸支部の活動
 

皆さんでの合奏
フルスはみんなで吹くと、さらに豊かな響きになります。



「ヨーッ!!  日本一!!!」
会長さんの名演技。南京玉すだれは 
中国伝来ではなくて、日本で生まれただそうだ。

泰安に出発する直前に神戸フルス愛好会の発表会が行われた。九州から新幹線日帰りで行った。内々の発表会だったのだが、私が、情報を聞きつけて、押しかけて行ったというのが実情だ。

神戸におじゃまするのは3回目、もう、顔なじみの方々が多い。30人ぐらいはいるステージ付きのレストランで、参加費1000円で行われた。食事、飲み物も付いている。三宮駅前のこの町中でよくできるなあと、思う。

和やかな中に会員の皆様も多彩な演芸も準備されていた。南京玉すだれは超一流だ。古箏、尺八の演奏にも魅了された。これらの方々はすでに私はネット上で知っている方たちだった。ネット上での知り合いが現実に会うと、ずっと昔から知っているような気がする。不思議なものだ。皆さん、気さくな方たちばかりだ。
一致団結して神戸フルスを盛り上げていこうという意気込みが感じられた。 ※ 南京玉すだれの八房善香さんは神戸フルス愛好会の会員さんで、  日本玉すだれ協会の会長さんです。ホームページはここ  http://tamasudare.org/index.html   ブログはこちらです。  http://ameblo.jp/zenkoutama/   さっそく神戸フルス愛好会の記事も出ていました。

三池フルス愛好会初舞台!

2010年11月07日 | 三池フルス愛好会



全盲の方も参加の緊張気味の初舞台。
たくさんの障害者の方々に勇気を与えた。

三池フルス愛好会は今年の7月に練習開始。11月6日の昨日が初舞台だった。さっそくメールで泰安にいるの私のところにいくつかの報告があった。

全くのしろうとが4ヶ月あまりの練習で人前で演奏するには大変な努力と、勇気が要る。
全盲の会員の方については前回紹介したが、弱視の方もいらっしゃる。実は弱視の方は大牟田市の視力障害者協会の会長さんで、三池フルス愛好会発足の時には膝の手術のために参加しておられなかった。退院、リハビリ後入会され1ヶ月程度の練習期間しかなかったが、サンアビリティ祭りに参加しようと提案された。
みんなはそれに答えて、がんばった。ご本人も猛練習でがんばり、何とかついてこられるようになった。

こんな状態の中での初舞台だったので、緊張しただろう。でも、やり遂げることができた。

いくつかの情報によると、大成功だったようだ。さっそく、地元新聞の取材の申し込みや別の演奏依頼の話も来ているそうだ。

私は遠く泰安にいて、皆さんの生き生きとした活動ぶりをうれしく想像している。ちなみに、視覚障害者協会の会長さんはそのうちに、もう片方の足の手術をされるそうだ。また少々遅れることがあってもその根性で、みんなに追いつき、フルス活動の推進力になられることだろう。

ポコポコ音の回避

2010年11月06日 | フルスの基礎



音を切る瞬間に口を「あ」の形に大きく開ける

最近、メッセージ欄から質問があった。
「フルスを吹くときポコポコと音が鳴るのはどうしたら回避できますか。」というのだ。
これは、一応フルスが吹けるようになると必ず経験する現象だ。その対処の仕方は比較的簡単だ。 注意深く吹いてみると、この音はある音を切った瞬間に鳴っていることが分かる。

 それで、音を切った瞬間に口を吹き口から離すと同時に口を「あ」を発音する形に大きく開ければいいのだ。これは数回練習するとできるようになる。そして、それを繰り返すうちにだんだんと要領がよくなり、別に「あ」の形にしなくてもできるようになる。 これができるようになると、音がなめらかに進行するようになり、メロディを豊かに表現できるようになる。

ちょっとしたコツだが、誰にも習わないと、なかなかそのコツはつかめない。


全盲の方からメールが来た

2010年11月05日 | 三池フルス愛好会



障害者のための施設、サンアビリティ
11月7日に初舞台




最後の練習風景

三池フルス愛好会は視覚障害者の方を中心に据えて活動している。
その中の全盲の方からメールが来た。福岡県支部の最近の状況を報告したメール、「フルス通信福岡県版」に対する返信だ。
 いつか練習の時に全盲でもメールが打てますよ、と言われたことがあったが、信じきれなかった。でも、実際に私のメールに対する返信が来たのだから間違いない。

 「11月7日のサンアビリティ祭りに出演するので一生懸命練習をしています。遠い中国から応援ありがとうございます。」との内容であった。

 障害者の支援施設であるサンアビリティで視覚障害者の前で、私がフルスを紹介したのが4月。
視覚障害者の方を中心に据えた三池フルス愛好会が発足したのが7月。
それから、4ヶ月の練習で、たくさんの障害者の皆さんの前で、初舞台としてフルスを吹く。
「さわやか まろやか いやし系!!」のフルスの音色とたくましく生きる盲人の方の気持ちが皆さんを感動させるに違いない。

 「がんばれ、三池フルス愛好会!!」私は泰安のはるか遠くから応援してる。


教え子 3 (同窓会)

2010年11月04日 | 日本語教師



3年前、聊城で別れた研修生たちの何人に会えるだろうか


教え子の馬君は「先生、夜はどうしていますか。暇でしょう。」という。
私は「暇はないよ。日本にいるときよりは雑用がなく、時間がゆったりしているので、自由に時間が使えていいよ。」と答えた。

そして、フルスの話をした。
フルスで、「竹田の子守唄」を吹いたら、馬君は「それは日本では子守唄ですね。先生に習いましたよ。」といった。
そういえば、「竹田の子守唄」と「里の秋」は聊城での研修以来研修生に教えている。これらの歌が日中共通の歌で、中国人もみんな自分の国の歌だと思っていると知ったのはそのころ、中国の検索サイトで中国の歌として見つけたからだ。

研修生たちはみんなメロディを知っているので、教えるのに時間がかからないのが、一つの理由だったが、いい日本の歌だからというのが本当の理由だ。あのころはフルスは先生が見つからず、まだ、人前で吹ける状態ではなかったので、研修生の前では吹かなかったはずだ。

 実際、私は今、フルスの練習ばかりでなく、インターネットのフルスの記事のチェック、そして、日本のフルス愛好者への連絡などで結構忙しい。また、いつか何かに役に立つだろうと、時間があるときには中国のフルステキストの一部の曲を五線譜になおしたり、説明文を日本語に訳したり、データ化している。

馬君は私が泰安を去るまでにこのあたりにいる研修生たちに連絡して、もう一度会いたいという。同窓会だ。もう、みんな日本語が自由に話せるはずなので、研修生たちのいろいろな体験を聞けるのが楽しみだ。

教え子 2(社長さんに電話)

2010年11月03日 | 日本語教師



部屋のパソコンから社長さんの携帯に電話をかける


教え子の馬君と会った。私の部屋で3時間ぐらい話した。
日本での研修生活は日本語検定には失敗したが、楽しい思い出がいっぱいだったようである。
富士山にも登った、九州横断、四国一周、東北地方にも連れて行ってもらった。
現在運転免許を取るために自動車学校に行っているそうだ。
同じ工場へ行った研修生張君は日本語検定1級を取得したそうだ。実際、3年間の研修期間中に、まじめに勉強すれば2級はとれるが、1級をとれる人はめったにいない。1級と2級の差は雲泥の差なのだ。

会社の話、社長さんの話にも及んだ。中国に帰るときは社長さん夫婦と一緒に来たそうだ。1週間ほど泰安に滞在され、馬君がいろいろ案内したそうだ。「社長さんが帰られてから連絡したか」と聞いたらまだだという。だったらここから電話をしなさいと、部屋から電話をさせた。
パソコンから日本の一般電話や携帯電話に1分3円程度でかけられるスカイプを利用しているので、日本の国内電話よりも安い。 私も、電話を替わって社長さんと話した。社長さんは「ああ、忠野先生。よく話に聞いていましたよ。」と、気さくに話して頂いた。本当にいい雇い主の下へ研修に行くと幸せである。馬君は日本を満喫して帰ってきたようだ。
 


教え子 (あり得ない偶然)

2010年11月02日 | 日本語教師



聊城の研修センターにおける会話の練習

 
聊城(りょうじょう)における面接方式の会話訓練

コンビを組んで教えている中国人日本語教師陳先生から突然「教え子が先生と会いたがっていますよ。」と言われた。
しかし、思い当たる節がない。というのはこの泰安の研修センターで教えた研修生は現在みんな日本に行っているはずだからだ。
ところがそれは泰安から120キロ離れた聊城(りょうじょう)の研修センターで教えた馬君だという。

聊城の研修センターで教えた研修生をどうして泰安の研修センターの陳先生が知っているのか。それは、とてもあり得ないような偶然の結果である。
実は泰安と聊城の研修センターはいずれも国の事業でやっていて聊城で研修を受ける研修生の中には泰安の研修センターで受け付けた者も混じっているのだそうだ。

2ヶ月前のこと、3年間の研修を終えて帰国後の手続きのため、馬君は泰安の研修センターにやってきた。事務所で手続きをしているとき、私とコンビを組んで教える予定の陳先生がそばの電話機で、日本にいる私に電話をかけ始めた。電話の内容を聞いていた馬君が、もしかして、「今、電話をされた忠野先生は聊城で教えておられたあの忠野先生ですか。」と、聞いたのだそうだ。「そうですよ。」と答えたら「それなら私の先生です。」ということになったのだ。

私は、今回泰安におじゃまするために何度か連絡をしたが、そのほとんどはメールですませた。たまたま急用があって陳先生が私に電話をされた時に、教え子の馬君が来ていたというわけだ。なんとまあ、この広い中国でこんな偶然もあるのだなと、驚いたり、感心したり………。まるで、映画のストーリーの設定だ。

馬君の電話番号のメモをいただき、さっそく電話したら懐かしい元気な声が返ってきた。そして、さっそく土曜日に会うことになった。
聊城で研修していた当時、馬君は、初めのうちはなかなか言葉が出ずに苦労していたが、だれよりもよく勉強していて、後半にはぐんと伸びたので、鮮明に記憶がある。土曜日に会うのが楽しみだ。


新聞投稿記事  「フルス」

2010年11月01日 | 慰問、地域のイベント

メールで送ってもらった地元誌への投稿記事



一時はステージ(赤白幔幕)も中断するほどの豪雨

我が町大牟田市のフルス普及会の協力者から泰安にいる私に新聞の投稿記事の写真をメールで送って頂いた。以下、その記事の内容。

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先日、社協(社会福祉協議会)の「絆フェスティバル」が諏訪公園で行われた。
ステージと並行してグランドゴルフ大会もあり、私はそのメンバーとして出かけた。 プログラムは事前に頂いていた。中でも関心があったのがフルスの演奏である。
時間帯はと見ると、我々チームの出場時間と重なる!!
 フルスという初めて楽器の演奏をどうしたら聴くことができるか?やきもきしていたら、なんと15分ぐらい試合を中断せざるを得ないほどのにわか雨に見舞われたのである。そして、その間にかいま見ることができた。恵みの雨であった。

事前に調べたら漢字で「葫芦絲」と書くこの楽器は中国の雲南省の少数民族の間で古くから伝わる楽器で、ひょうたんを利用した笛。それが白川校区の方々十人ばかりで生演奏をされたのだ。
「コンドルは飛んでいく」の雰囲気がだだよう、悠久の草原で聴くような懐かしい響きの音色だった。

中国では大人気というこの楽器、演奏を直に聴けて大牟田のハイカラな一面を見ることができた。(一部改変)
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 いろいろな方法で支持し、応援して頂く協力者の方々のおかげでじわじわとフルスの普及が進んでいくのを感じている。