ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

十日市祭コーヒータイムミニコンサート

2010年11月20日 | 日頃の活動



「知っていますか。」「知っています。」「知りません。」「なんですか。」の
四つの中国語単語で楽しく交流しながら進行していった。、 



私の出番がすべて終わり、最後に劉さんに
中国民歌を吹いてもらった。

「はら」さんからはこのミニコンサートは特別の宣伝もしないし、呼びかけもしない。ただ、地元の新聞社に情報を流すのと、店に来たお客さんに手書きのお知らせを渡す、ということだった。
果たしてお客さんが来られるのか、心配だったが、いつもお世話をしてくださる山野さんが早く来られたので、ああ、これで、一人は聴いてくださると、安心した。結局は20人ぐらいのお客さんが集まり、前日の絆フェスティバルで初めてフルスを聴かれた方も来られていた。

留学生の劉さんはフルスはもちろん、ピアノも弾けるし中国の歌も歌える。それで、コンサートではゲストとして出演してもらい、「在邦遙遠的地方(遙か離れたところ)」を歌ってもらった。この曲は青海省で歌われていた曲だが、日本に紹介されて「草原情歌」となっている。 「草原情歌」は見事に日本化され、日本人にとっては中国情緒たっぷりになっているので、みんな中国の歌だと思っているが、中国人にはあまりなじみがなく、中国人ならだれでも知っている「在邦遙遠的地方」とは別の歌だと思っている。 歌詞の内容は同じである。

また、中国人である劉さんと、お客さんを交えて簡単な中国語で対話しながら進めたので、小さな国際交流の場にもなった。最後に劉さんにはフルスで、中国の民歌を吹いてもらった。

このコンサートのあと、会場に来られた方の中で、三池フルス愛好会と、白川フルス愛好会にそれぞれ一人ずつ入会された。


お礼のコーヒーをもう一杯追加

2010年11月19日 | 日頃の活動



「お礼はコーヒー一杯」では申し訳ないと、
折から開かれていた露天で、名産からしレンコンをおみやげに……
……右側の2本で300円のを二人で分けて……
劉さんはからしの辛さに涙を流して喜んだであろう

コーヒーサロン「はら」は感じのいい店だ。
ミニコンサート当日は、日本フルス普及会が奨める
雲南省に学校を建てる運動の募金箱と
私が特集で載った新聞のコピーを掲示して頂いていた。

 

コーヒータイムコンサートは、太極拳の先生の歓迎演奏の時にやった企画(ここを参照)がおもしろかったので、同じような内容をすることにしていた。

タイトルを「日本の歌、中国の歌」……意外と知らない共通の歌……とし、日本の歌に、中国の歌詞をつけて中国で大ヒットし、中国人は自分の国の曲だと思い込んでいる「里の秋」と「竹田の子守唄」を中心にした。また、中国から伝えられた歌だが、日本で歌われているメロディが元歌とはかなり違うので、中国人は自分の国の歌だとは思っていない「草原情歌」だ。 今回はそれぞれの曲を実際に中国語で歌われている歌をプロジェクターによる動画で楽しむことができる。会場もいいし、客層もいいし、条件がそろっている。

この企画は本当の中国人と直に話しをしながら進行するとおもしろいのだが、中国人がいないので、誰かに偽の中国人になってもらい、「この歌、知っていますか」などの質問に中国語で答えてもらおうと、思っていた。

ところが、そこに留学生の劉さんが現れたのだ。「渡りに舟」とはこのことだ。そこで、劉さんにゲストとして出演を頼み、「はら」さんに「お礼のコーヒーをもう1杯お願いします。」と、電話をした。もちろん劉さんも「はら」さんも大喜びで、了解してくれた。


コーヒーサロン「はら」のコーヒータイムミニコンサート

2010年11月18日 | 日頃の活動



普段はひっそりとしているこの商店街もこの日ばかりはにぎわう。



コーヒーサロン「はら」は商店街の中にある上品な喫茶店だ。

わが町大牟田は炭鉱が閉山して、急激に元気がなくなり、老人ばかりの町になりつつある。私もすでに立派な老人になり、「ただのおじさん」という名がふさわしくないくらいになってはいるが、この町ではまだまだ、見捨てたものではない。

実はフルス普及活動の支援者である「はら」さんから「ミニコンサートをしませんか、お礼はコーヒー一杯ですけど………」とお誘いがあったのが7月ごろ。
それで、11月には泰安に行くことになっているが、その前か、帰ってきてから来年2月以降にぜひ願いしますと、たのんでいたのが、10月10日に決まっていた。

コーヒーサロン「はら」は、毎年行われる日本フィルの公演の事務局も務め、また、小さなクラシックコンサートの会場として貸し出すなど、この町では珍しく文化の香りの高い喫茶店である。

「はら」さんは私の駆け出しのフルス普及活動の意義をよく理解していただき、支援してくださる。昨年の私のフルス紹介コンサートでは全面的に支援してくださり、大成功を収めることができた。

今回のミニコンサートは毎月十日に行われる街の中央地区商店街連合を会場とした定期市で、一般の商店はそれに合わせて大売り出しなどをするが、「はら」は大売り出しする物はないので、ちょっとおしゃれなミニコンサートをして、買い物帰りのお客さんに立ち寄ってもらおうという企画である。

全然おしゃれではない私をお誘い下さるのはおかど違いではあるが、大変うれしいことである。
「はら」さんもフルスの音色と歩き始めたばかりの日本のフルスの将来に期待をかけておられるのだと思う。


フルスが吹ける留学生

2010年11月17日 | 日頃の活動

留学生サポートセンターが入るアクロス福岡

9月ごろの話
福岡市に住む中山さんはフルスのことで、いろいろとお世話をしたり、いろいろなアイディアを出してくださる。おかげで、私は昨年末から各地の春節の行事や会合で、幾度となくフルスを吹く機会を得た。

その、中山さんがまた、一つの情報をもたらしてくれた。日中友好協会福岡支部60周年記念式で留学生がフルスを吹くというので、私が載った新聞記事やフルス会員募集のチラシを持って行って下さったそうだ。演奏が終わった後、その留学生に会い、会の情報を渡し、その留学生が「フルスを吹いて、日本に普及させたい。」という意志を持っていることを確認したというのだ。

身近にフルスを吹ける中国人はいなかったので、私たちと一緒に活動してくれるなら、幸いだと思い、この留学生を記念式の会場に引率していただいた福岡県留学生サポートセンターに出向き、趣旨を話した。サポートセンターでは私の申し出を理解していただき、劉さんを紹介してくれることになった。

あらためて出直し、天神アクロスのサポートセンターで会った。彼女は大柄の明るい子で、瀋陽大学音楽学部卒業で現在九州大学芸術工学部の大学院生だということが分かった。ピアノが専門だが、二胡も弾け、中国歌曲も歌えるという。これなら、申し分ない。いつも私がフルスを教えている天神の二胡ショップに行って紹介した。劉さんは日中の文化の交流に興味を持っているそうなので、劉さん自身がフルスを通して交流をし、福岡を拠点にフルスの普及が広まることを期待している。


やっぱりお土産屋さんにフルスがあった

2010年11月16日 | 中国、海外のフルス事情



お土産屋さんがいっぱい



一番目立つところにフルスがドカーン


中国の観光地のお土産屋さんには、たいていフルスが置いてある。前回ここに来た時にはフルスをお土産で買って手に持って歩いて人は見かけたけど店に置いてあるところは見なかった。お土産屋さんがある通りを通らなかったからだ。

買う人がいるから、置いてあるはずだ。

スーパーにはないけど、全国どこのお土産屋さんにも置いてある。
ちょっと珍しくて、かわいい置物にもなる。
必ず必要なものではないが、あれば楽しくなる。
日本で言うなら何だろうと考えているが、思い浮かばない。

「孫の手???」
「こけしは全国どこにでもhないなあ………。」


あなたは通訳です。

2010年11月15日 | 日本語教師



孔府の入り口の門





二人の研修生は曲阜の近くの出身だ。


研修生に日本語を教えて2週間余り、少しずつ軌道に乗ってきた。

孔廟には中国の三大木造建築といわれる建物があり、中国で、もっとも最初に世界遺産に指定されたところでもある。泰安からバスで1時間で着くので、楽に行ける。

今回は初めて研修生を連れて行った。「あなたは○○です」、という表現は知っているので、電子辞書を示しながら「あなたは通訳です。」と言った。もちろん、この時期にはまだ、通訳というわけにはいかないのだけれと、中国人がいるのといないのではずいぶん安心感が違う。これで、あと1か月もすれば、少なくとも先生である私にだったら通訳をきちんと果たせるようになる。まさか、と思われるかもしれないが、今まで、ほとんどの研修生がそうであった。

今日は、リュックの中にフルスを忍ばせていったが、結局は吹かなかった。万里の長城でも敦煌の砂漠でも吹いたが、今日はちょっと恥ずかしくて、吹く勇気が出なかったのだ。帰ってきてから「せっかく行ったのに………」と、後悔している。


フルスの先生は大変なお方だった

2010年11月14日 | 泰安にて



左から奥さん、娘さん、イ先生、一人置いて奥さんのお父さん、息子さん
みんな演奏家だ。



息子さんとの演奏

話をしていると、フルスの先生、イ先生は大変なお方であるということが分かってきた。

明さんから私のフルスの指導をお願いしていただいたとき、CCTVに出演のために北京に行っておられるという話を聞いていた。CCTVとは日本で言うなら国営放送NHKだ。 中国のことだからとちょっとまゆつばと思って聞いていたが、写真を見せて頂き、本当のことだと分かった。
それもつい最近のこと、北京のコンクールで優勝され、その結果家族一緒にテレビに出演されたとのことであった。まさに現在進行形の出来事だったのだ。

イ先生一家は本当の音楽一家だ。娘さんも青島のフルスコンクールで優勝されたとも聞いた。

こんな先生の指導を受けることができることは大変ありがたいことだ。5年間、フルスの先生を探し求めてきた結果、ここに実ったと思う。

実際のレッスンは泰安滞在中、8回しか受けられないが、その間、しっかり練習したいと思っている。


フルスの先生(老師)来訪

2010年11月13日 | 泰安にて



フルスを習おうとする日本人がいるらしい。
フルスの先生の仲間が大集合



すばらしいフルスの演奏
こんな先生に習いたかった。

私たちの歓迎会の時にセンター長の明さんに電話で話をつけてもらっていたフルスの先生は昨日来られる予定だったが、突然中止になった。
理由は聞かないまま、この話は終わったのかなと思っていたら、今日突然電話があり「今、先生がセンターに来られました。すぐ家に行きます。」という。
アパートの階段を昇ってくる気配を感じたので、ドアを開けたら、「大勢でおじゃまします.」と、陳先生を先導に6人の来訪者だった。
センター長の明さんをはじめ、フルスの先生(老師)の関係者で二胡の先生、バイオリンの先生、その親戚の方もご一緒だった。
日本人がフルスを習うのはとても珍しいので、大勢で見に来られたらしい。

にぎやかに和やかに話は進み、私は中級から入門することになった。先生はフルスとバウと中国笛子で演奏を披露されたが、いずれも、大変上手だ。 私はバウは初めて生で聴いたが、音が出る原理がフルスと同じのなので、これもフルスに負けず劣らずいい音だ。しかし、バウは横笛なので、全ての国民(ただし現在60歳以下)がリコーダー(たて笛)を吹ける日本ではまず、フルスを普及することが必要だと思う。

私は皆さんの前で、例のごとく「竹田の子守唄」(中国名「祈祷」)を吹いた。先生評では基礎はしっかりできているが、技巧的な表現が乏しい、ということだった。

実はその指摘は全く当たっている。
私は今まで、先生につけなかったので、基礎的な吹き方はしっかり自分で練習してきたが、変な癖が付かないようにと、指先の技法や装飾音符をつけた奏法は故意に避けてきたからだ。

さらに、日本ではサークル活動として合奏を指導し、施設等への慰問活動や地域の行事等への参加を主とするので、ビブラートや装飾音は慎重に扱わないといけないからだ。

しかし、今回は中国人の先生に教わり、本格的に中国的な技法を中心に正式に教えてもらい、技量を上げるつもりだ。


寒さ対策

2010年11月12日 | 泰安にて

 

一般の中国人よりはうんと着込んで……… 



公園のなかの通勤道

泰安に着いて10日あまり。今まで、この時期に中国に来ると必ず風邪を引き、大変つらい思いをしていた。
今回は、来たときには大変寒く感じたが、ちょっと慣れたのか、それほど感じなくなった。センターまで、アパートのドアを開けて、6分程度。それでも、九州よりは確実に寒いので、万全の体制で通勤する。おかげで、今のところ風邪は引いていない。中国人も一応冬服を着ているが、私ほど、着込んではいない。このあと、もっと寒くなるので、さらに耳当てと、もう一つ厚い防寒着も買った。

右手に持っているのはゴミ袋。3日に1回ぐらいはセンターの入り口のポリバケツに入れる。マスクは中国製の業務用の物を30枚ぐらい持ってきた。帽子はこちらで買った。

それから、フルス。私の仕事は昼までだが、その間に15分の休み時間が2回ある。教官室で一息つくときにフルスを吹くことがある。同じ部屋の陳先生もフルスを吹くので、日本や中国の文化や言葉についておしゃべりしたり、フルスの練習をしたりする。

私はまだ聴いていないが、研修生の張君もフルスを吹けるらしい。張君は日本に行っても、フルスを吹いてもらいたいものだが、荷物の量が制限されてるので、持っていけるかどうかは分からない。


中学校でフルスを教えている

2010年11月11日 | 中国、海外のフルス事情



中1ぐらいだろうか、学校でフルスを習っているという


バスの中で、二人の中学生がフルスを持っていた。さっそく、陳先生が、聞いてくれた。
そしたら、フルスは授業で使っていること、それも、クラブ活動ではなく、正規の授業だそうだ。現在、習い始めて、1週間なので、まだよく吹けないこと、フルスの先生も新しい先生であることなどが分かった。
ひょっとしたら一時期だけ外部講師が教えているのかもしれない。

今までに雲南省の学校ではではフルスを教えていると聞いたことがあった。
ここは山東省であるが、全ての学校ではないだろうが、フルスが教育の現場でも教えられているのだ。フルスは中国で広まりはじめてまだ、10年。フルスそのものは紀元前にも使われていたというが、長い間雲南省の山岳民族の一部で伝えられ、それが、改良されて、現在に至ったのだ。すでに、中国では大人気、広く普及している。私は日本に伝わり、日本のあちこちからフルスのまろやかな音色が聞こえてくる日を夢見ている。必ず、その日が来ると信じている。

以前、中国滞在中の日本人のプログで子供さんが幼稚園でフルスを吹いているという記事を読んだことがあるが、次の記事も幼稚園でフルスを習っていると書いてある。幼稚園の授業中の写真だそうだ。
http://didiinu.269g.net/article/15692515.html