3月17日 (木)
__________
ホテルの前に(青井阿蘇神社} 行ってみる。
ジョギングと参拝兼ねた男性ひとりと すれ違い、挨拶交わし。
裏側から入って表門に行って、前にも来た事が判った。
「人吉駅」am7時18分発≪肥薩線≫で再び「吉松駅」 8時17分着。
「吉松駅」am8時34分発「日当山駅 ひあたりやま」
濃いガスが立ち込め、
遠い山嶺や 杉の木立が、朧げに浮き上がって見えて、幻想的―――
陽が昇り始めると、ガスが晴れ、
木の根元から湯気が立ち昇り、畑土からも~~~
霜が溶けてきてるんだぁ~~~
「矢岳駅」
昨日も停車してるのに 気が付かなかった。SLが展示されてる。
若い男性2人、カメラ抱えてるから旅人―――
『SLが展示されてますよ。』 教えてあげて~~~
走り出したら・・・
昨日見られなかった ❝三大車窓❞―――
冷え込みが厳しかったこと―― 早い時間――― 陽の出と快晴―――
全ての条件が重なったから適った ❢ ❢
こんなに美しく 素晴らしい景色観られた・・・最高 ❢
2人の男性。
何も知らずに乗ってきたと言う。 事前に私が話してあげておいたから、
『イイ写真が撮れましたし、いいものを見せてもらいました。』
とっても喜んで 他の旅の話に話題が進む。
「嘉例川駅 かれいがわ」
15・6年前かなぁ~~
家族8人で「霧島温泉」に来たとき、此の駅に立ち寄って写真撮った。
100周年の幟がたってたっけ~~~
その後、一時 TVで取り上げられた時期は賑わってたけど、
今は以前と全く同じ、花も植わってないし~~
「粟野駅」
駅前に(丸池湧水)が~~
「日当山駅」am9時22分着。
人に依っては「ひなたやま」と言うし~~
駅員さんの「ひあたりやま」と言うのが 正しいかも~~
今夜の宿 清姫温泉 0995-42-0607
2食付き@8000円 連泊
何故此処の宿を選んだかと言うと、
≪JR九州ウオーク;隼人・天降川コース≫ 3月19日(土)
然し私は、別のコース歩くので、此処に泊まって 事前に歩こうと考えたから。
宿の人は「隼人駅」下車って言ってたけど、
どう見ても「日当山」の方が近い事と、バスでは無く歩いて~~
そう考えてたから、
道程を 電話で確認しながら 約40分、
陽射しも強く 暑くなり、汗掻きながら・・・教わった道歩き、
やっと~~~ やっと~~~
「日当山温泉郷」の中でも「清姫温泉」は、
永仁元年 1293年まで遡る 歴史ある湯。
チェックインpm4時。
am10時15分 鞄預け
上着1枚脱いで,≪龍馬ハネムーンコース≫歩き出す。
宿から 霧島川沿いに出る為、広い公道を右折し、
(松永橋)を渡り、右折し、川沿いを まだ固い蕾の桜の並木を進む。
(菅原神社)
磨崖仏の上に 神社が建立されてる。
磨崖仏==崖に彫られた仏の姿や、仏を表す梵字。 1500年代建立。
誰も歩く人も居らず、
川の流れ、 鶯の鳴き声、 雀の声・・・・
春の野花が賑わす 土手の道・・・・
スミレ、 れんげ草、 菜の花、 スズラン、 ボケ・・・
老人ホームも~~~
(宇都橋) 昭和36年竣工
(石関橋) 下小鹿野地区に架かる橋。
頭上に ゴオ― ゴオ―と爆音が~~~
鹿児島空港乗降のジェット機。
こんな洞窟が~~
水門が造られてる~~ 大水の時に 活用するのだろう~~
(下小鹿野橋) 11時25分
(別府橋) 11時55分
向うから歩いてこられた 60代の男性に声掛けたら、話が膨らんで~~
『垢抜けしてるから 都会の人でしょ!?
スタイルもイイし~~』
ダイエット・ 健康問題にまで盛りあがって~~~
何処で切り上げたらイイのか?~~~
お別れに 飴玉下さって~~~
山桜が、 緑濃く成ろうとしてる木々の間に華やかさを~~
やっとコースの折り返し地点に―――
これからは公道、コンクリートの道。
30分歩いて 陽射しも強く汗ばむ。
(松永用水路)
隼人一帯の水田に送水する為に 造られた。
其処に (平熊の石橋・石洗越) ? ? ?
初めは 何だか判らなかったけど、
暑いし、喉も渇いてきたので、此処で休息し、 缶ビール開けて~~
土手に坐し、天降川水用水路に流れ落ちる 水の音、
どの枝で鳴いてるのか? 鶯の声・・・聴きながら・・・
幼い頃、こんな風に過ごした日々も有ったよねぇ~~~
安永6年 1777年改造。
造られた年代==宝暦11年1761年 水神碑が残ってる。
山手から流れてきた谷川水を、
洪水にさせない為、橋を越えて 2mの落差で排水させてゆく構造。
石橋と石洗越が一体となった構造が珍しく、
江戸時代の土木技術の才を知る―――
(松永漁業協同組合)
養殖場。 生簀の中で 稚鮎が躍ってたよ。
夫婦での共同作業――
何を植えてるのか? 苗から見て 南瓜? そうでした。
pm2時、チェックインし、
洗濯したり、片付けて明日への準備終え、温泉に。
泉温;47度位。
pm6時半、食事月泊まりの人 今日は居ないみたい。
貧弱な~~~
ご主人は語り始める。
『開湯は古いが「指宿」&「宮崎」が有名になり、取り残された地。
同じように「由布院」も悩んでて、互いに情報交換し協力して往こう~~
と、長年やって来たけど、
「由布院」
大分市観光課の斬新的な誘致作戦が当たり、
瞬く間に発展して往くのに反して、此処
「日当山温泉」は、
田圃しか無い地に 温泉があっちこっちに湧いてたが、
誘致したのは、大企業2社。
人口は増えたものの、温泉地としては取り残されてしまい、現在に至ってる
JR九州の協力もあって、少しは名が知られて来たものの、
「由布院」には及ばず、その後「由布院」との交流も途絶えてる』と。
やはり、人が来てくれてナンボ―――
然し 湯質も、湯量も「由布院」よりズッと豊富。
南洲翁=西郷隆盛が こよなく愛した温泉地。
1本の源泉から、互いに分け合う方式では無く、自噴。
けど、周囲に一般住宅が多く、温泉街には程遠さを感じるのは、否めない。
食事も プロの腕を頼らないと~~~
いつまでも(西郷隆盛)(坂本龍馬)に頼らないで 脱皮していかないと~~
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ホテルの前に(青井阿蘇神社} 行ってみる。
ジョギングと参拝兼ねた男性ひとりと すれ違い、挨拶交わし。
裏側から入って表門に行って、前にも来た事が判った。
「人吉駅」am7時18分発≪肥薩線≫で再び「吉松駅」 8時17分着。
「吉松駅」am8時34分発「日当山駅 ひあたりやま」
濃いガスが立ち込め、
遠い山嶺や 杉の木立が、朧げに浮き上がって見えて、幻想的―――
陽が昇り始めると、ガスが晴れ、
木の根元から湯気が立ち昇り、畑土からも~~~
霜が溶けてきてるんだぁ~~~
「矢岳駅」
昨日も停車してるのに 気が付かなかった。SLが展示されてる。
若い男性2人、カメラ抱えてるから旅人―――
『SLが展示されてますよ。』 教えてあげて~~~
走り出したら・・・
昨日見られなかった ❝三大車窓❞―――
冷え込みが厳しかったこと―― 早い時間――― 陽の出と快晴―――
全ての条件が重なったから適った ❢ ❢
こんなに美しく 素晴らしい景色観られた・・・最高 ❢
2人の男性。
何も知らずに乗ってきたと言う。 事前に私が話してあげておいたから、
『イイ写真が撮れましたし、いいものを見せてもらいました。』
とっても喜んで 他の旅の話に話題が進む。
「嘉例川駅 かれいがわ」
15・6年前かなぁ~~
家族8人で「霧島温泉」に来たとき、此の駅に立ち寄って写真撮った。
100周年の幟がたってたっけ~~~
その後、一時 TVで取り上げられた時期は賑わってたけど、
今は以前と全く同じ、花も植わってないし~~
「粟野駅」
駅前に(丸池湧水)が~~
「日当山駅」am9時22分着。
人に依っては「ひなたやま」と言うし~~
駅員さんの「ひあたりやま」と言うのが 正しいかも~~
今夜の宿 清姫温泉 0995-42-0607
2食付き@8000円 連泊
何故此処の宿を選んだかと言うと、
≪JR九州ウオーク;隼人・天降川コース≫ 3月19日(土)
然し私は、別のコース歩くので、此処に泊まって 事前に歩こうと考えたから。
宿の人は「隼人駅」下車って言ってたけど、
どう見ても「日当山」の方が近い事と、バスでは無く歩いて~~
そう考えてたから、
道程を 電話で確認しながら 約40分、
陽射しも強く 暑くなり、汗掻きながら・・・教わった道歩き、
やっと~~~ やっと~~~
「日当山温泉郷」の中でも「清姫温泉」は、
永仁元年 1293年まで遡る 歴史ある湯。
チェックインpm4時。
am10時15分 鞄預け
上着1枚脱いで,≪龍馬ハネムーンコース≫歩き出す。
宿から 霧島川沿いに出る為、広い公道を右折し、
(松永橋)を渡り、右折し、川沿いを まだ固い蕾の桜の並木を進む。
(菅原神社)
磨崖仏の上に 神社が建立されてる。
磨崖仏==崖に彫られた仏の姿や、仏を表す梵字。 1500年代建立。
誰も歩く人も居らず、
川の流れ、 鶯の鳴き声、 雀の声・・・・
春の野花が賑わす 土手の道・・・・
スミレ、 れんげ草、 菜の花、 スズラン、 ボケ・・・
老人ホームも~~~
(宇都橋) 昭和36年竣工
(石関橋) 下小鹿野地区に架かる橋。
頭上に ゴオ― ゴオ―と爆音が~~~
鹿児島空港乗降のジェット機。
こんな洞窟が~~
水門が造られてる~~ 大水の時に 活用するのだろう~~
(下小鹿野橋) 11時25分
(別府橋) 11時55分
向うから歩いてこられた 60代の男性に声掛けたら、話が膨らんで~~
『垢抜けしてるから 都会の人でしょ!?
スタイルもイイし~~』
ダイエット・ 健康問題にまで盛りあがって~~~
何処で切り上げたらイイのか?~~~
お別れに 飴玉下さって~~~
山桜が、 緑濃く成ろうとしてる木々の間に華やかさを~~
やっとコースの折り返し地点に―――
これからは公道、コンクリートの道。
30分歩いて 陽射しも強く汗ばむ。
(松永用水路)
隼人一帯の水田に送水する為に 造られた。
其処に (平熊の石橋・石洗越) ? ? ?
初めは 何だか判らなかったけど、
暑いし、喉も渇いてきたので、此処で休息し、 缶ビール開けて~~
土手に坐し、天降川水用水路に流れ落ちる 水の音、
どの枝で鳴いてるのか? 鶯の声・・・聴きながら・・・
幼い頃、こんな風に過ごした日々も有ったよねぇ~~~
安永6年 1777年改造。
造られた年代==宝暦11年1761年 水神碑が残ってる。
山手から流れてきた谷川水を、
洪水にさせない為、橋を越えて 2mの落差で排水させてゆく構造。
石橋と石洗越が一体となった構造が珍しく、
江戸時代の土木技術の才を知る―――
(松永漁業協同組合)
養殖場。 生簀の中で 稚鮎が躍ってたよ。
夫婦での共同作業――
何を植えてるのか? 苗から見て 南瓜? そうでした。
pm2時、チェックインし、
洗濯したり、片付けて明日への準備終え、温泉に。
泉温;47度位。
pm6時半、食事月泊まりの人 今日は居ないみたい。
貧弱な~~~
ご主人は語り始める。
『開湯は古いが「指宿」&「宮崎」が有名になり、取り残された地。
同じように「由布院」も悩んでて、互いに情報交換し協力して往こう~~
と、長年やって来たけど、
「由布院」
大分市観光課の斬新的な誘致作戦が当たり、
瞬く間に発展して往くのに反して、此処
「日当山温泉」は、
田圃しか無い地に 温泉があっちこっちに湧いてたが、
誘致したのは、大企業2社。
人口は増えたものの、温泉地としては取り残されてしまい、現在に至ってる
JR九州の協力もあって、少しは名が知られて来たものの、
「由布院」には及ばず、その後「由布院」との交流も途絶えてる』と。
やはり、人が来てくれてナンボ―――
然し 湯質も、湯量も「由布院」よりズッと豊富。
南洲翁=西郷隆盛が こよなく愛した温泉地。
1本の源泉から、互いに分け合う方式では無く、自噴。
けど、周囲に一般住宅が多く、温泉街には程遠さを感じるのは、否めない。
食事も プロの腕を頼らないと~~~
いつまでも(西郷隆盛)(坂本龍馬)に頼らないで 脱皮していかないと~~