魚河岸女将の地球探索(勝手に専務)

地の隅々まで 旅しながら ・・・

 終の棲家を探し・・・

   生きるって・・・

≪JR九州ウオーク≫霧島周辺を歩く  3

2016-04-05 02:51:04 | Weblog
      3月17日 (木)
     __________
ホテルの前に(青井阿蘇神社}  行ってみる。













ジョギングと参拝兼ねた男性ひとりと すれ違い、挨拶交わし。
  裏側から入って表門に行って、前にも来た事が判った。

「人吉駅」am7時18分発≪肥薩線≫で再び「吉松駅」 8時17分着。
「吉松駅」am8時34分発「日当山駅 ひあたりやま」
  濃いガスが立ち込め、
   遠い山嶺や 杉の木立が、朧げに浮き上がって見えて、幻想的―――








陽が昇り始めると、ガスが晴れ、
 木の根元から湯気が立ち昇り、畑土からも~~~
    霜が溶けてきてるんだぁ~~~

「矢岳駅」





  昨日も停車してるのに 気が付かなかった。SLが展示されてる。


   若い男性2人、カメラ抱えてるから旅人―――
    『SLが展示されてますよ。』 教えてあげて~~~
走り出したら・・・
  昨日見られなかった ❝三大車窓❞―――

 冷え込みが厳しかったこと―― 早い時間――― 陽の出と快晴―――
   全ての条件が重なったから適った ❢ ❢





    こんなに美しく 素晴らしい景色観られた・・・最高 ❢

2人の男性。
  何も知らずに乗ってきたと言う。 事前に私が話してあげておいたから、
   『イイ写真が撮れましたし、いいものを見せてもらいました。』
      とっても喜んで 他の旅の話に話題が進む。

「嘉例川駅 かれいがわ」
   15・6年前かなぁ~~
  家族8人で「霧島温泉」に来たとき、此の駅に立ち寄って写真撮った。
     100周年の幟がたってたっけ~~~
   その後、一時 TVで取り上げられた時期は賑わってたけど、
      今は以前と全く同じ、花も植わってないし~~

「粟野駅」
    駅前に(丸池湧水)が~~

「日当山駅」am9時22分着。
 人に依っては「ひなたやま」と言うし~~
    駅員さんの「ひあたりやま」と言うのが 正しいかも~~

     今夜の宿  清姫温泉 0995-42-0607
        2食付き@8000円  連泊

何故此処の宿を選んだかと言うと、
  ≪JR九州ウオーク;隼人・天降川コース≫ 3月19日(土)
 然し私は、別のコース歩くので、此処に泊まって 事前に歩こうと考えたから。

  宿の人は「隼人駅」下車って言ってたけど、
    どう見ても「日当山」の方が近い事と、バスでは無く歩いて~~
   そう考えてたから、
  道程を 電話で確認しながら 約40分、
   陽射しも強く 暑くなり、汗掻きながら・・・教わった道歩き、
       やっと~~~ やっと~~~



「日当山温泉郷」の中でも「清姫温泉」は、
   永仁元年 1293年まで遡る 歴史ある湯。


チェックインpm4時。

am10時15分 鞄預け 
  上着1枚脱いで,≪龍馬ハネムーンコース≫歩き出す。


宿から 霧島川沿いに出る為、広い公道を右折し、
   (松永橋)を渡り、右折し、川沿いを まだ固い蕾の桜の並木を進む。



(菅原神社)
   磨崖仏の上に 神社が建立されてる。





 磨崖仏==崖に彫られた仏の姿や、仏を表す梵字。  1500年代建立。

誰も歩く人も居らず、









  川の流れ、   鶯の鳴き声、  雀の声・・・・
     春の野花が賑わす 土手の道・・・・
   スミレ、 れんげ草、 菜の花、 スズラン、 ボケ・・・







老人ホームも~~~
(宇都橋) 昭和36年竣工



(石関橋) 下小鹿野地区に架かる橋。


    頭上に ゴオ― ゴオ―と爆音が~~~
       鹿児島空港乗降のジェット機。

 
 こんな洞窟が~~


水門が造られてる~~ 大水の時に 活用するのだろう~~



(下小鹿野橋) 11時25分
(別府橋) 11時55分




向うから歩いてこられた 60代の男性に声掛けたら、話が膨らんで~~ 
  『垢抜けしてるから 都会の人でしょ!?
         スタイルもイイし~~』
    ダイエット・ 健康問題にまで盛りあがって~~~
       何処で切り上げたらイイのか?~~~
   お別れに 飴玉下さって~~~


 山桜が、 緑濃く成ろうとしてる木々の間に華やかさを~~

やっとコースの折り返し地点に―――


  これからは公道、コンクリートの道。
      30分歩いて 陽射しも強く汗ばむ。


(松永用水路)


隼人一帯の水田に送水する為に 造られた。
  其処に (平熊の石橋・石洗越)  ? ? ?
 初めは 何だか判らなかったけど、 
   暑いし、喉も渇いてきたので、此処で休息し、 缶ビール開けて~~


土手に坐し、天降川水用水路に流れ落ちる 水の音、
  どの枝で鳴いてるのか?  鶯の声・・・聴きながら・・・

   幼い頃、こんな風に過ごした日々も有ったよねぇ~~~

 安永6年 1777年改造。
   造られた年代==宝暦11年1761年  水神碑が残ってる。



山手から流れてきた谷川水を、
  洪水にさせない為、橋を越えて 2mの落差で排水させてゆく構造。






    石橋と石洗越が一体となった構造が珍しく、
        江戸時代の土木技術の才を知る―――

(松永漁業協同組合)




  養殖場。  生簀の中で 稚鮎が躍ってたよ。


夫婦での共同作業――
  何を植えてるのか?  苗から見て 南瓜? そうでした。





pm2時、チェックインし、
   洗濯したり、片付けて明日への準備終え、温泉に。
 泉温;47度位。



pm6時半、食事月泊まりの人 今日は居ないみたい。   
 貧弱な~~~



 ご主人は語り始める。
  
『開湯は古いが「指宿」&「宮崎」が有名になり、取り残された地。
    
  同じように「由布院」も悩んでて、互いに情報交換し協力して往こう~~
   と、長年やって来たけど、
  
 「由布院」
     大分市観光課の斬新的な誘致作戦が当たり、
       瞬く間に発展して往くのに反して、此処
  
 「日当山温泉」は、
     田圃しか無い地に 温泉があっちこっちに湧いてたが、
       誘致したのは、大企業2社。
    
  人口は増えたものの、温泉地としては取り残されてしまい、現在に至ってる 
    JR九州の協力もあって、少しは名が知られて来たものの、
    「由布院」には及ばず、その後「由布院」との交流も途絶えてる』と。

やはり、人が来てくれてナンボ―――
 
 然し 湯質も、湯量も「由布院」よりズッと豊富。
  
   南洲翁=西郷隆盛が こよなく愛した温泉地。

 1本の源泉から、互いに分け合う方式では無く、自噴。
   けど、周囲に一般住宅が多く、温泉街には程遠さを感じるのは、否めない。

    食事も プロの腕を頼らないと~~~
 
 いつまでも(西郷隆盛)(坂本龍馬)に頼らないで 脱皮していかないと~~