魚河岸女将の地球探索(勝手に専務)

地の隅々まで 旅しながら ・・・

 終の棲家を探し・・・

   生きるって・・・

西アフリカ6ケ国の旅 (最終編)

2008-02-22 01:20:21 | Weblog
   
1月28日(月)

3世紀から発生してた、バニ河と二ジェル河の中洲に出来た町で
米・トウモロコシが良く育ち、
トウンブクトウ~500km奥のダウディーの町から、岩塩も入ってきて
 食物がよく育つので「二ジェール河の宝石」と言われて
  交易都市として発展してきたのです。

日常市の脇で月曜日だけ開かれる「月曜市」は、大型で
 此の日の為に近隣から集まるので、
中州へ渡るフェリーに乗るのが、混雑するそうです。
出店者は市場管理者に50CF=12円デ、許可証を購入。

 待ってる間に渡し場に到着。

『フエリーって どれ??』それらしきものが無いのである。
 向こう岸の あの船???
『えっ!? 車ごと乗れるの???』
 とても見たところ信じられるものじゃあない~~~

30分程でフエリーが近ずいてきた、
車が3台載せられ、脇には出店さえある。
モーターボートのエンジン4基ついて、後方右側の人が舵取りしてる。
 渡し料=10000CF=2400円、人・バイクは無料

世界最大の土造りモスクの前に、「月曜市」が・・・
  風が強く、赤砂が飛び交う中を散策。

「ジュンネの泥染」が有名=大島紬のようなのだが、
食物の葉=ぶどうの木とグラマンの木の葉で先に染め、泥で絵を書き
 泥水で洗い乾燥させる、白いところはアルカリ性の粉で脱色する。

大きな布一枚購入し、中之島の小・中学校へ寄贈。

再びフェリーで陸へ戻り2時間半かけてサイの町で、ランチタイム。

ジュンネの町はバラバラ族が住み、
農業とニジェール河を使った交易で、生計を立てている。

セグウの町の人口350000人,

カワブク村の男は鍛冶屋・女は陶器作りと販売で生計を立てている。
河沿いはボソ族が・・漁師だが、乾季は作物を作っての生活・・

それぞれの種族が、それぞれの場所に適した生活様式を送っています。

 ホテル着が早かったので、シャワーを浴びたり、のんびり出来た。

     
1月29日(火)

1712年バンバラ王国の首都であったセコロ村には、
初代の王クリバリの子孫が現在も在住してて、許可なくしての入村は
出来ないので「お伺いを立ててから」~『おかけ下さい』が第一声で
携帯電話は回線を引くより安いので普及され、王もかけておりました。
  
13民族中、一番多いのがバラバラ族。
宗教を信じないとしてイスラム・キリスト教に
最後まで改宗を拒んできたが、今はイスラム教に~~~

此の王様、私がガイドのケイタに
 『ケンケン~~一緒に写真を撮ろう~~~!』っていた言葉を
  直ぐ、日本語でオオム返しに~~ 老人なのに頭が イ・イ!!
     ____________

AM9時半マリの首都バマコまで230㎞、 バマコ=ワニがいる川
北から「塩」南から「金」「象牙」で栄えてきた都市。
マリ=河馬の様に強く大きな国になろう・・・・

トイレ休憩は青空の下で何回も済ませてきたのに~~~
 棘のある木での枝で左腕を引っ掻いてしまった~~えぐれてる~~

明日一日で終わる旅も、こんなに長くなると人間の本性が丸出しになる

;根性が悪く何でも悪く解釈する男性___
  皆よらず触らず避けてるのも理解せず
『今回のツアーの人は耳の遠い人が多い』って同室の人に言ったそうだ。

;ビジネスクラスで来てる夫婦、それなりに人格者・・って思えば
    自分勝手でグズグズ文句ばかり言う・・・
  特に、男性の態度には、目に余るものが・・・・

;語学が出来る学(?)の有るオバアサン、髪の毛も服装も汚く
 腰も曲がりながら、女性達とは会話せず、男性オンリーの
  仇名は「魔法使いのお婆さん」
 私も此のバアサンにはチョッと頭にきた事があり バスの中でも
  後席の男性と会話するので、後ろ向きで短い足を出して座ってるので
  何度か蹴っ飛ばしてやった~~~!!
   『ホラ~~~! アッシ~~イ!!』 てね。

;アイ化粧も服装も派手な赤提灯の○○○見たいな~~~
  足には引っ掻き傷や、カカトは「象」の足、仇名は「象さん」
  田口さんは
『いつも必ず遅れてきて~腕にある大きなイボ何とかセェ~と言いたい』
  だって~~ 皆感じ思ってる事は 共通してたよ。
        _____________

ランチで頂いたハイピスカス・ジュース=ピサップ・ジュースと言って
 ロゼと言う品種のハイピスカスを茹でて作り、目の疲労・足のむくみ
  肌のくすみ等に良く効き、濃い赤紫で甘味の有る飲料水。

6日間1500㎞の距離一緒だったガイドのケンケン(私がつけた名)が
   お別れの挨拶

『少人数のグループでも、自分を地獄に落とすような人もいたが
   今回は大人数なのにとっても楽しかったよ~~』 と。
 
『ケンケン!一緒に日本に帰ろう~~!』と 私。
 
『スーツ・ケースに入れて逃げてよ~~』

彼は、『土曜日の夜だったら、ダンス・クラブで踊れたのに・・・』
  って、誘ってもくれた・・・
     ________________

バマコ発の便で1時間40分、次の国セネガルへ。
  順調に行ってもホテル着はAM2時だろう~~
機内で眠れたので疲れは残っていない。気温22度。

1月30日(水)

セネガル共和国、人口1085万人面積196190K㎡、
大西洋の交易で発展、1482年ポルトガル人がキリスト教を持ち込んだが
現在は8%位で90%がイスラム教、国会議員150人、民主主義7政党。

「処変われば 品変る」ではないが、大聖堂の天使も黒人でした。

 ユネスコの支援で開校されてる「アートスクール」では
24種類の砂(サハラ砂漠・赤砂=鉄分を含む・白砂・黒砂・火山灰・・)
 を、板の上にバゥバォ木汁で作った糊で絵を描き、砂を重ね乍ら
  振り落とすと、絵が 浮き上がってくる・・

 売り上げは、ユネスコの基金となるので 一枚購入。

セネガル人の月給100㌦、そんな中でも月1000万㌦も稼ぐ人も
 居るそうで、やっぱり格差は何処に居てもあるんですよ。

大西洋の最西端アルマディー岬が、風が強く砂が舞い霞んで見えます。
昨夜此の道を通ッた時、大西洋を照らすように高台の上にあった灯台は
1964年、「海」と「空」を照らす役目として建立。

12時、フェリーで奴隷貿易時代中継地として栄えた ゴレ島へ渡る。
 
2階の甲板に座ると
『ビューティフル!』『ナイスファッション!』と 黒人女性たちから
 声が掛かる・・・・うれしいものです・・・・

その一人が泣いてる赤ちゃんに乳を含ませるが、ぐずるので
 私が抱いて話しかけると、笑い出し、なにやら言葉を発してる~~
上陸まで私が抱いていた。とっても喜んで 『ハァ~~~ィ!!』

ゴレ島の水は澄み美しく、日本の島旅を思い出す・・・
  やっぱり~~~島は いいなあ~~~

1500人が住み、奴隷の家は150も今も残っていると言う。
   当時の奴隷の質を決めるのは、
男・体重60k以上、女・胸が大きい、子供・歯、歯茎

この旅をして、何度此の奴隷に関する事柄を耳にした事だろう~~
   もう~~たくさん~~~!!

すき透る海を眺めている時、過去にそんな出来事があったなんて
    とても考えられない・・・・

帰途はPM4時半、火照った肌に潮風が心地良い・・・
   
     ________________

 此れで全ての観光は終了。
深夜便のミラノ行きなので、出発までホテルで休憩。
  疲れず過ごせた旅でした。

終盤になり、佐藤さん・中沢さんと3人で「象さん」「お局さん」など
  変な人達(?)の話で盛り上がる。
皆黙っていたけど、感じる事は一緒だったんだね~~

ミラノでの乗り継ぎに6時間あったけど、
椅子を利用して 眠っていたので気にならず、時は過ぎてゆく~~


日付けが変ると、私が住む日本に。


  *         *         *

長い間、付き合って読んでくれて有難う。
 『何故そんなに行きたいの~~?』って 聞かれるけど
行ってないのに 語れない・・・

此のブログを読んでくださっている頃、私は又、アフリカに・・・
  では、 行って まいりま~~~す。



写真は ゴレ島で
 



  

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西アフリカ6ケ国の旅 (その 6)

2008-02-21 04:14:41 | Weblog
     

     1月26日(土)

 西アフリカの学術の中心として繁栄した,
交易都市「黄金の都」トンプクトゥへ飛行機にて行くので
  AM6時30分出発、大きなトランクはホテルに置いて
   一日分だけキャリーバックにつめての出発です。

朝焼けがとても美しいです!!

やっとAM9時10分飛び立ちますが、33席革のシートで清潔
   スチュワーデスもロングドレスで、おしゃれです。
 此の便は一日三便、トランジッタして乗ってきたのは
    上流階級と思える4人の夫人たちでした。

約一時間で到着し 4WDで市内へ、

 先ずは図書館、

 14世紀~18世紀には 各地からの通過地点の為
通行税を取ることで益々栄え、イスラム教の聖典も売られていたが
 18世紀後半には(モハメット・バーバー)の土と砂に埋もれた
   何も無い国と化していった。

此処には25000冊の古文書が保管され、歴史・法律・医学・肉体・・
   等の事も記載され,紙は中国紙を用い
 金を混ぜる事で保存にも、見た目にも美しい為、
  金のインクを使用している物もありました。

 トンブクトゥ=
ブクトウと言う名の女性が初めて見つけた井戸に、住み着いた所。

 1880年代後半には、交易は海からの形で
サハラ砂漠を通過する大変な交易は、だんだん衰退していったのです。
  
 当時の王マンサ・ムーサは
15tもの「金」と10000人もの奴隷や家来を従えて、メッカに行ったので
  トンプクトゥには 人参のように「金」が採れるとの噂が広がり、
 各地から探検家が訪れるようになったが、
  生きて戻ったのはフランス人ただ一人だったそうです。

ランチは今夜宿泊のホテルで。

 部屋数が不足なので
  『どなたかシングルで~~~』 と添乗員の声で・・・
  『ハイ! 私が~~』
 ランチ会場から4WDで別のホテルへ。

  いいんじゃな~~~ィ!!  ひとりも~~~

フランス人オーナーが経営するホテル
 
 添乗員の吉田さんと行ったので、カップルと思ったらしく
  彼は『シングル・シングル』と答えたので
 ロマンスグレーのオーナーは『 えっ?!』という顔をされて
 案内された部屋、WベッドとSベット2台のスイートルームでした。

 お庭でトゥアレグ族の2人の男性と出会い
  『何処から来たの~~?』
  『自分は、トゥアレグ族だ~~~』
     そんな会話を交わして3人でカメラに。

サハラ砂漠に有る彼らのテントまで、ラクダ組・4WD組に分乗
 彼らは、井戸の在る場所を求めて 移り住むのです。

「人は皆 平等である」  
  という言葉がいかに虚しいかを、思い知らされる・・・

「フンコロガシ」だけが
『砂漠の砂は、私のものよ~~~』と 言わんばかりに
  足跡だけ残して去っていく・・・・

ホテルに戻り、今 PM6時半をまわっています。

 アラビアンナイト風の部屋で,ひとりビールで夜を更けよう~~~

   夜は更けてゆくものだが、私は更けよう~~~
 
♪♪解かってくださいまぁすね~~あなたなら~~~♪♪

こんな雰囲気は、はじめてです。
 とっても静かな・・・私の走らすペンと紙の擦れ合う音しかしない・・

 一本のビールが、人をこんなに酔わすものでしょうか~~?

  こんな気持ちの時、アラビアンナイトが現れたなら・・・・
     どんなに素敵な夜を過ごす事でしょう・・・・

  経験してみたいものです。

    さあ これから夢の世界へ・・・・zzzzz

   ______________


 フッと・・
ジャンベのリズムに目が醒めると、BARで踊る人の姿が~~~

   勿論、行って踊りました!!!

 女性の踊り手が少なく、一人出て踊ると、10人位の男性で盛り上げ
踊りおわったら、トゥアレグ族の一人が私を抱きしめてきました・・・
 チョッと驚きましたが・・・・・

 さあ、もう一度眠りに入りましょう・・・・・PM11時30分
                    
  
   1月27日(日)

AM4時半、月明かりの中で今まで踊っていたのでしょう~~~
  音楽が聞こえていましたから。

AM5時半、再びモプティーへ戻る為、早い出発です。
 ホテルに犬2匹・猿1匹飼われてましたが、1匹のワンコが懐いて
  私が出入りする度に部屋まで付いて来たり、
    今朝も玄関まで送ってくれました。
  
   眠りが少ないので あ・く・び・が連発‘’‘’

AM8時モプティー到着
 
 南のふちに住み、牧畜生活をするフラニ族の村を訪れますが、

 定住する人と移住する人とのグループに、分かれているそうです。
  乾季で水が少ない此の河も、3月~雨季に入る頃には
 牛・ヤギを此の河に連れてきて「糞」させた後、土を耕し、
土を豊かにさせる・・・という サイクル方式をとっているそうです。
 
 又、女性の顔立ちも鼻が高いのが特徴で、エチオピアから
   移り住んできたから~~だと 言ってました。

市場は水・木曜日に開市となり、タウディーという町からラクダ1頭に
 150kgの岩塩を一枚板にして載せてきたのを、切り売りしていたり
 魚「ナマズ」が多かったけど燻製にしてあり、大・中・小・折れ・・
  と、仕分けして売っていた・・折れは、スープにするそうです。

隣接する造船所では、釘一本に至るまで鉄を叩いて・・・・
 船以外の小物・・・例えば、黒人のちじれ毛を取り分けるのに使う
  「かもじ」のようなのも作って売っていました。

ランチはバニ河沿いの川面に吹かれながら、
 カピタンと言う脂のある魚の炭焼きを、いただきました。
  結構、美味しかった。

午後から、4時間休憩がとれ、夕方からのクルーズに備えて昼寝。

 2艘に分乗、河から見る景色は、箱庭のよう~~~

カラコダカバ村は中州にあり、ホゾ族150人が住み、男性は漁をし
 女性は、それを牛糞をいぶして「燻製」にしてました。
 「漁」は投網・地引網で。

 河は命の水で食用にも洗濯にも、シャワーにも~~~

 夕陽を浴びながら、上半身を洗う女性の乳房の形の綺麗さと
 黒光する肌が美しく見えると感じたのは、私だけだったのだろうか?

  今は乾燥した地ですが、雨季になると一面青草が繁り
    景色が、一変するそうです。
     ______________

 『今日の夕食、美味しいですよ~~~』 
と言う吉田さんの言葉を信じて、初めての夕食に出席~~~
   彼の手作りで、「お素麺」が用意されています。

とっても美味しかった!!! 行って好かった~~あ!!!

メイクを落とし、セットしてある髪をターバンで巻いていたので
 『どちらのグループの方ですか??』 田口さんが・・

 始めはジョークかと思っていたら、本当に解からなかったらしく
  も~~~~う  笑いの渦~~ワ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・・・・・

     *        *        *

 明日からアフリカ・マダガスカルへ
   どうにかこの旅も終わりそうです。
                 
又、出かけるので、チョッと切れた夫ですが、どうにか納まり
 孫息子との旅・・・どんな事があるでしょう~~


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西アフリカ6ケ国の旅 (其の 5)

2008-02-20 05:31:51 | Weblog
   

     1月25日(金)

 マリ共和国の人口、1195000人、面積124万K㎡

  風が少し強く澄んで晴れ渡った空に、
東の方から赤みを帯びて大地に広がる__アフリカだと感じさせる朝。

 朝食は全く粗末なパンとインスタントコーヒーのみ。
  私は、部屋で食べます。

AM7時30分、4WDで世界遺産のバンディアガラの断崖に住む
 コゴリ村とボコリ村を訪れますが、途中今でも守られている
 {ジャッカル占い}の場所へ立ち寄ります。
 畑の と或る場所によるピーナッツを置き、
 食べに来たジャッカルの足跡で占い師が、相談事を占うのです。
  棒=人間、石=物事を表す道具として使われていました。

 此処は700人位の村で成立する共同体で、
  ゴコン族の人は数字の[8]を大事にするので、
  家の柱なども、全てが{8}を基調として生活しています。

アマニ村の守り神は{ワニ}
 年に一度{ヤギ}を捧げるが、お腹がすくと山に入ってきて
 家の台所の餌を食べたりするが、人間を食べたりはしないそうです。

ハナニ村の住民400人位、崖の上に住んでますが、
 午前中下山し、買い物をしたり洗濯したりして
  再び戻っていくと言う 生活をしてるそうです。

下には澄んだ池があり、此の水を利用して用事を済ませますが
  美しい蓮の花が咲いていました。

  あッ!ラッキー!!

  お祭りの行列が入ってきました。

女性を象った土像を神輿の上に乗せ、太鼓を叩きながら練り歩き~
 今までこんなに大勢の人が住んでいたなんて~~~?
何処からか湧いてきたのか???と思うほどの 人・人・人・・・

 4WDはその中を静かに一台・一台走り去ります・・・・

昨夜のホテルでランチなので、徒歩で戻る途中にある建物で
 円錐形の土の家は、整理中の女性が5日間寝起きする所だったり
 同じ敷地内に在る大・小の家は、一夫多妻制なので
  大は男、小は別々の妻に同じように与えられた家でした。

AM11時半
 ホテルに戻った時には咽喉がカラカラ・・・ビールを一気飲み・・
  ランチでもう一本!!  
 茄子と鶏ひき肉の はさみ天ぷらが美味しかったよ。
     _____________

旅には、「ナフタリンのような存在」のような人が必ずいる・・・と
 面白い表現をされた方が居たけど、~~ウ~~ン 納得~~
     _____________

PM4時、4WDからバスに乗り換え、モプティーの街に。
 私はひとりで4WDに・・・横になれてよかった~~~~。

 ランチの後ドゴン族の{仮面の踊り}を見ました。

其の後立ち寄ったのは、ソンゴ村
 
 人口3000人イスラム教が入ってるが、共通するのは「割礼」
 12・13・14歳、三年に一度約70~80人が
  岩山のそびえる場所が聖なる所で
 その日、大きな蛇ににわとりを一匹飲み込ませて
  『泣くとこうなるんだ!!』との教訓を与え
    25日間其処で寝泊りし、大人の男としての教えを受け
 
終了後、山の下に在る大きな木の根元から岩山のマークの在る所まで、
 駆け抜け、一位には土地・二位は村一番の美人の女性・三位穀物が
     与えられる。
  
  二位の方がイイな~~ア って思ってる男性諸君!!!
    違うんだって!!!
 
 土地がなければ何もお金を生み出す事ができないから、
  此の女性も,一位の男性が最終的には手に入れるそうですよ!!
   やっぱり働きがなくっちゃ~~あ~~ね

 そして、村の長となるテストが行われます。それは
  木の上の的に石を投げ 正確に当てた若者が選ばれます。


今夜の宿モプティーに到着した頃、ベニ河に夕陽が輝き
 船が・人が・車の全てが活き活きとして見えます・・・・

 PM6時、部屋で食事し、明朝の早い出発に備えます。

    見所の多い一日でした。

     *        *        *

  二日間載せたかったけど長いので 止めました。
     出かけるまで間に合わないかも・・・・

 昭JIJI 又予約の仕方教えて~~~
  学校が忙しくって駄目って言われちゃうかな~~~?

  

   写真は ドゴン族の踊り
 
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西アフリカ6カ国の旅 (其の 5)

2008-02-19 01:00:38 | Weblog
    
    1月23日(水)

ベナン=ベニンの首都コトヌー
 面積112620k㎡、人口7250万人、1960年に独立。
 西アフリカでは珍しく,たった一国だけ時差があります。

 エコアスという16の独立国で成り立つ、経済発展の共同体として
 互いに自由に出入り出来る様にと、身分証明書(ICカード)と
 書類だけで、ビザの必要はありません。
 (20ケ国中、4ケ国だけは、参加していません)

12月~1月は、サハラ砂漠から吹く「ハルマッタン」の影響で
  ガーナより乾燥しています。
 青い空が見えないのも、砂が舞っている為だったんですね。

アニンシュと言う町は、ロメになる前の首都でした。
 此処を通過すると、国境になります。

手続きに1時間20分、
 奴隷貿易で財を成してきたきた国。
   言語=ホン族の地だったので、ホン語。
 やはり、
中国を目標としてマルクス・レーニン主義の社会主義をモットーに
 してきたが、国の赤字が大きくなりクーデターを繰り返す。

 毎年1月10日が、ブードゥ教の祭り=が 国祭です。

輸出は、綿花・椰子油・
トウモロコシは国内消費、石油は、輸入。

40以上の部族が暮らしてるが、
 日本の芸能人で「ゾマホン」は此の地出身で(私は知らないけど)
    TVで稼いだお金とビート・たけしの協力で
[ たけし日本学校][明治学校][江戸学校]など、
   日本名をつけた学校を 沢山建てているそうです。

ロメの町を抜ける時、道でビンに入れたガソリンを売っていたが
 ナイジェリアからの密輸で、安価だが純粋ではない・・・が
  それでも売れているそうです。

ロクコウサンの町には、大学・病院・木綿の工場があり
 中学・高校一緒の学校で300~400人在学中、
   60人一クラス・教師一名、
 給料が安いので、大学教育を受けてまで・・・と成り手が少ない・・

トウモロコシ・椰子・綿花の油を食糧とするので、椰子も植樹されてる

ベニンの海岸線は100km位あり、そこから直角に左に曲がり
 北に向かって、アボメイの町でランチ。

アボメイ王国は、1890年まで続きましたが、
 フランスを利用し、最終的にフランスによって滅ぼされます。
  其の後植民地化して、
 国分けしたのはヨーロッパ人であって原住民ではない。

丁度、ブードゥ教の祭りの行列に出会えたのは、ラッキーでした。

PM4時50分、やっとベニンの中心地100万都市・コトヌーに到着。
 主な産業は交易。
 
 黄色のシャツを着たバイク・タクシーは認可制個人経営で~~
 すご~~~い数の台数です、一回乗車=50Cf=12円 位です。

夕食まで時間が有るので、
 ノックゥェイチュ河をはさんで広がる、市民市場を見学。

其の後、ブルキナファソへ向う機で1時間30分、
 一応国際線です。  就寝AM1時。

    _________

 成田で一番初めに声を掛け合った山口県の「佐藤さん」と言う女性
 サッパリして気持ちの良い方で、いろいろな面で良くしてもらえて
  とても助かりました。 久方ぶりに出会った女性です。


    1月24日(木)

人口1400万人、面積274200k㎡、ワガ族のブルキナファソ。
 世界遺産はありませんが、ゴミも無く、美しい町です。
 緑色のバスが市民の足、アフリカの映画祭が開催される地。

モシュ帝国の王宮には23代目の王が住み、
 毎日一回市民に顔を見せるのは「生きてる」事を証しするため
  フランス語が公用語。

ブルキ=清廉潔白・ ファソ=国、
 気温32度、これから5月まで日陰でも45度となり今の季節が一番

 52%のイスラム教、残りがキリスト教と自然界信仰

 産業=粟が世界第6位、トウモロコシの生産。
  
 今まで巡ってきた4カ国で一番肌が黒く見える・・炭を塗った様な
  其の肌に、赤・黄・青・緑の原色が映える・・・!!

ワガ族の道から北へ向う道路の通行料、乗用車1000CF=250円
   大型2000CF、バイク・人は ゼロ
 車の通行によって道のメンテナスが必要となるため。

AM10時半サハラ砂漠の北端の町、サヘールは
 トワレグ族・ベルベル族=言語で区別している・・が住み
   文字も[牛耕体]という
  牛が田を耕すように 上から下へ下から上へと書くそうです。

サバンナのような木や牧草が広がり、青空が続き、ヤギを放牧し
   井戸を掘って灌漑を作り、農作業をし、
 ヤギの餌の牧草は、乾季の時 木の枝に束ねて干すので
  小屋に保管する必要が無く、自然を活用。

ランチはワイグニアの町で。

しばらく走って国境ではない所で、チェックがあったが
マリの国から来たガイド=ママリーケイタとポリスの感情のもつれで
1時間ぐらいもめるが、添乗員の吉田さんが  
 『御免なさい~~』と、謝る事で、やっと通過~~~

その理由とは?  
1974年・84年と2回に渡る領土問題で両国が争い、今でも
  何処が国境なのか?明白ではないようです。
 そんな関係で、民族的な感情が糸を引いているらしい~~~

マリ国境PM3時20分、手続き完了。

再び赤砂が舞う中をマイクロバスは走り続け Pm4時50分

バンディァガラの台地に登って行くのでオーバーヒートを避けるため
 クーラーをきって・・・すご~~い凸凹道を走り
月世界のような岩の台地が広がり、ここには700年間も
イスラム教の支配から逃れる為住み着いた、農業で生活するドゴン族が
  定住すると言う・・・えっ?こんな岩山の中で農業が出来るの??

マイクロバスを下り4DWに乗り換えないと行き着かない~~
  道路と言う表現では言い表せない~~~ものすごい~~
 4WDには山口県出身の田口さんが乗り合わせました。

こんな岩山の台地の奥にも川?池?があって水が豊富なので
  真緑のネギが畑によく育っています。
 女性達がタライ位のボールに水を汲んで頭上に載せ、小さなボールで
     噴霧しています。 
 
 が、こんな思いをしてイスラム教から逃れてきたのに、
   今はイスラム教に改宗してるそうです。???

アフリカの真っ赤な太陽が台地に沈み始め、星が降るほどに輝く中を
ホテルに戻りましたが、田口さんが「明治維新」の詳細を良くご存知で
 話してくださり、私も興味があったので長時間の悪路も気にならず
    楽しい一刻となりました。

PM7時40分サンガのホテルに到着。
 温かい野菜スープが、心まで「ホット」させてくれます。

お湯も出ないし・・・布団もないし・・・でも寝られるだけで・・・

 目をつぶれば「明日」という日がきますから。


      *        *        *

  打ち始めてもう2時間になります・・・
     眠い~~~
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西アフリカ6ケ国の旅 (其の 4)

2008-02-18 16:27:20 | Weblog
 

   1月21日(月)

ギニア湾に面した、リゾート・ホテルです。
 AM6時浜に出て走る。 サッカーの選手なのだろう~~~
  やっぱり浜を走っていた~~

出逢った人達が 
 『歌手?』と聞き『ナイスガール!』と 声を掛けてくれる~~
 『サンキュウ!!』



此の国に調整制度はないが、陸5000、海1000、空1000人

浜に寄航してる漁船から、魚を手に入れようと 人々が群がってます。

ケープコーストの郵便局で 切手に捺印を押してもらい、
 「野口英世」のメモリアル・ガーデンに向います。

彼は、高校卒業後上京し、医者を目指し十年架かるのを一年で卒業、

その後「金」が裕福に入ってくるので遊郭や料亭で遊び歩いてたようだが
 ある小説の主人公の「野口英世」に開花し同名に改名・・・後
  毒蛇の研究に_・_結核・細菌・梅毒の研究に移り、
   ドクター・ノグチとして日本でも有名になる。
其の後、パナマ運河開通と共にアフリカ方面から、黄熱病が入ってきたので
   南米エクアドルへ任命され、研究してゆくが、
 西アフリカで彼の薬が効かない・・と言う噂が流たのを耳にし、
 船で出航しアクラの町に住み、赤毛猿をモルモットに研究するが
   自分もかかって死亡してゆきます。

  生涯を科学の為に捧げた偉人として、
   今も 此の地での記憶は 新たになっています。

エルミナ~アクラへ向う海岸線の舗装道路は 日本の大成建設の施工で
 行われていますが、工事中の場所では地域の婦人達が
 椰子・バナナ・オレンジ・パイン・パパイヤ・芋・パン・水などを 
 直ぐ売りに来ます。私も窓を開けてオレンジ@50セントで買う。

AM10時10分、ウイ二バーの町に入ってきましたが
トイレ休憩後 再び 東へ東へとバスは進みます。

やっと11時半、野口英生の研究していたガーナで一番大きな病院
 コールブー病院に到着です。

 研究室には、顕微鏡3台と母からの手紙など陳列されてましたが、
 ドライバーとガイドが
 『自分達も学校で学んだが、ガーナの人達に尽くした人だから
   日本人には感謝してるヨ~』  日本人の誇りですね。

  然し、研究だけでなく遊びにも~~~偉人・変人・凡人??

12時30分 
 街の中心に入った途端高い建物が多くなり、裸足の人が少なく
 ビジネスマンは、白いワイシャツに黒のスラックスに革靴・・
  というスタイルは、大都会?という感じがします。

昨日行われたサッカーの大会場が左手に・・・・
 入場料は、10・5・1,5セリーで手に入ります。

ランチは中国人経営の中華、久し振りに美味しかった~~!!


西アフリカの星・革命の星・ングルマ氏
 革命後、発展の為に尽くしたので、今もそう呼ばれています。
彼は、1セリー札にビック6が載っている中の一人ですが
 そこから離脱し、独立を目指そうと動いて、刑務所に入れられた時
 大統領選挙に立候補、会議人民党として独立を宣言。初代大統領に。

 3年間はイギリスの首相がいましたから、その後大統領となり
 中国の発展を目標としていたので、周恩来氏を招待しています。

彼は、アメリカのハーバード大学での教授でしたが、
 イタリアがアフリカに侵略してくるのを知って、教授の地位を捨て
  独立運動に目覚めます。


ショッピングセンター?いいえ、公設市場のような所へ立ち寄り、
 買い物の時間が取れました。


PM4時10分、早い到着でうれしい~~~が、明日からは~~
  今日はゆっくりしよう。
 
    

     15月22日(火)

5日間滞在したガーナを出国し、隣国のトーゴの首都ロメへ。
 約4時間の行程です。昨夜のホテルの設備・朝食はよかったが
 もうこれからの滞在中は 望めないらしい・・・

1時間50分走ってカッセと言う町を通過、
 此処では岩塩が採れるので、 袋に入れて道端で、売っている。

陶器の盛んな町グンベ、赤い土で作った大・中・小の壺を
 やはり、道端に並べて売っています。

傍を流れていたボルダ河は全長1600㎞、北までつながる最大の河。

リカコピーの町でWC休憩。

しばらく走った町では、
 貧しいので道路を造るため掘り出した大きな岩石を 
   家を建てる人達に売ってます。

5月・6月・9月・10月が雨が多く、今は全く降らないので
 チョッとした煙草の火でも野に広がっていき
   所々 黒く焼けた原野が、目に入りました。
  そこには、ラビットや鹿も生息しています。

集落は、井戸の或る所に集まりエッフェル塔のような蟻塚もありました

12時、国境の街アクラに到着。
 鉄製で中に炭を入れて温めるアイロンで、かけてる女性がいました。

トーゴよりガーナの方が油が安いので、給油してから入国です。
   軽油1ℓ @165円、

トーゴはフランス領だったので公用語はフランス語。
 
 人口500万人中ロメは、700000万人九州の1,5倍 
  面積は53,000k㎡、海岸はわずか60kmで
   北に細長い国です。

ロメ=アメ アメと言う木の繊維が歯を磨くのに医学的にも良く、
 この地域には沢山あったので、ア=の発音が出来ず
  ロ=と発音して ロメとなったそうだ。

ガーナ国を除くアフリカの国で使用する、Cf=シーファーフランは
 西アフリカ諸国中央銀行で印刷する 《目指せ ユーロー!!》
  Ⅰユーロー=650CF

ホテルにはPM4時30分に到着、
 今日までのんび~り、明日からハードになるので体調を整えて。

      ___________

アフリカの旗の色は共通で
 アフリカの色=ラスタカラー=日本ではボンアフリカカラー
  と言うそうですが、すべて共通です。

  { 一つの国民・一つの目標・一つの信念 }


    *         *          *

22日からマダガスカルに発つので、それまでにこの旅の紀行文を
 終わらせたいので、2日分まとめて載せていきます。
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西アフリカの旅  其の3

2008-02-17 03:24:35 | Weblog
  

    1月20日(日)

 AM8時、ケープコーストへ向かう途中、
1時間ぐらいでオブアシ=谷の下 の町を通過して行きますが、
世界一「金」の採掘が多く、政府が55%で残りを分配するそうだが
 実際には 平等には分配されていないそうです。

待ち行く人を見る時、
 子供のスタイルも とても高価なものを身に着けてるし
  な~~るほど と思える。

鉱山の採掘工場や機械が,あちらこちらに設置されていて
  この先700年はまだ、採れると話してました。

朝食なんですが、パン・オートミール・ビーンズ・卵・・・だけ・・
 何も食べるものがナ~~イ。
夕食も同様、大して変りばえせず、持って来た日本食を食べて過ごす。
                


 油田開発が進んでおり、3~4年後には原産国の仲間入りするので
それによって貧富の差が出ないようにと、
政府では今のうちに 考慮してるそうです。

 病気のトップはやはりエイズで、マラリア・伝染病・心臓病と続き
  寿命は男性55歳、女性57歳。

 上・下水道に関しては浄水場から送られているが、
政府の運営ではなく民間企業によるもので
 電気も同様だが、水力発電のキッカケは、
  
1957年3月、イギリスから独立、
  6月には全てのイギリス人が出て行ったものの、
 残された物など何も無く、原料の「カカオ」での輸出だった為
   付加価値をつける缶詰・チョコレートなどに
 加工するのに必要なエネルギーの開発に、先ず、ダム建設と
  初代大統領は、目をつけました。
   
  それが、アポソン・ダムです。

今では国内でも充分な位の電気があるので、
 トーゴ・ベニン・などの 隣国にも輸出してるほどです。

 パソコン普及率は、まだ一部の上級クラスの生活者のみ。

 携帯電話はプリペイド・カード200弗購入し、其の分だけ使用でき
 ビジネスだけでのみ使用してるようで、
 「オレンジ」と言う名の会社が販売してるけど、外から見ると
 「オレンジ・ジュース」を売ってるのかしら??って思ってました。

  女性の働く姿を多く見かけるのは、
やはり男性の収入だけでは少ない為、共稼ぎになっているようです。

 
今走ってる此の道は、北~~南へと一本道が続き、奴隷達を船で運んだ
ケープコーストのアッセンマンス村を通過してゆくが、
当時此の村の川で、体を洗われ、選定され、役に立ちそうも無い人は
 此処に置いてゆかれ、のたれ死にするしかなかったのだが・・・・

 奴隷制度も白人が黒人を売った・・・と、伝えられているが
そうとばかり言えず、戦いで負けて捕虜になって売られていった・・
 と、言うのが事実のようで・・・・

そんな説明を受けていたら~~~~

 目の前に大型トレーラーが道をふさぐような型で横転!!!

幸いにも右側に村を通過する古道があり~~~
 右へ左へ体がぶつけられる程の凸凹道ではあったけど、
  元の国道に出られたので、よ・か・っ・た~~ぁ~~

やっと出たらもう何十台もの大型トレーラーが数珠繋ぎで待機してたが
 今日中に通過は難しいって言ってから、 
マイクロ・バスだったから、ラッキーだったね、
 巻き込まれていたら全てのスケジュールが・・・・・

 ランチのジャガイモ~~ホクホクして美味しかった~~あ


ケープコーストが1890年頃首都だった
オグアーと言う町=海賊達が住む町、の、ホテルの城塞が
「世界遺産」となってて、当時「城塞街道」と呼ばれてたようで
  牢や奴隷たちを売った買ったのせり場なども・・

エルミナ城=セントジョージ城塞は

 1471年ポルトガル人が入ってきて、1482年に建造したが
 目的は、貿易「金」とキリスト教の宣教師を宿泊させる為でした。

此処まで来る途中、バナナの葉で作った家並みが続く村は、
 漁で生計を立てているが、魚を燻製に加工し、販売するのは女性。


  PM4時10分ホテル到着です。
     やっと、ゆっくり出来そうです。


     *         *         *


22日~「マダガスカル」へ 孫息子の海史と出かけるので
   今日中之島から私の家に戻ってきます。
 孫娘みな海と久し振りに姉弟での時間が出来るので
     明るい声が家の中に 広がる事でしょう・・・・・
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西アフリカの旅 其の 2

2008-02-16 05:08:16 | Weblog
  
   1月19日(土)

両替はUS弗で30,  1ガーナ=約1US弗=1セディー。

バスに乗り込み、アシャンティー族の首都クマシへ向いますが、
 曇りなのか?スモッグなのか?砂嵐なのか?ハッキリしない空。

 広い道路を造る為 工事が延々と続き、
   赤土が乾燥して真っ赤に舞い上がる中、
  大きなトランクを頭の上に載せて歩く原住民の男性や
   道の脇に家具を売る店などが 続きます・・・・


ガーナ共和国=
 面積239460㌔㎡、人口2000万人、
  首都アクラの人口400万人、年間雨量1500ml、平均温度30度
  現大統領=ジョン氏、任期4年、水の面積=ダムを含めて3,6%
 今年はガーナ独立51年目。 10コの県に分別されてます。

朝食後, アシャンテ族の首都・クマシはガーナ2番目の都市で
  人口300万人の街へ向います。

 
 ガーナはキリスト教徒70%・イスラム教25%・
  残りは昔から続く、木・川などの自然崇拝

 産業は世界第2位のカカオ。
 
 各国の言葉では統一出来ないので、今は、英語を教育し、使用してる。

 6歳から9年制の義務教育。

 学問より技術の方へ進む人が多く、専門学校を選択。

 消費税2%を含む所得税12%には、国民保険も含まれています。

 成人の月給=役人で月120~150弗、30弗払えば医療費は無料

 土地は私有地で、部族の酋長 或いは国王から借りるので、世襲制。

 自動車は中古 ヨーロッパから輸入3000弗、
  スズキ・カワサキのバイクが1000弗、新車の自転車200弗
   車検は1年に1度、車両保険にも 義務があります。


AM10時、アクラを抜け、イースタン州に入り一路北上してゆきます。

 次は、アシャンテ王国=オセイトゥトウ二世のビジアセ神殿見学。
  当時は金を輸出し、武器を手に入れ、
   村人を奴隷としてイギリスに売ったりしていた。

AM11時50分、ココの町を通過~~、凄い人出で賑わっている
 朝食は、野菜も果物も出されていないのに~~~パイン・オレンジ
  トマト・バナナ・りんご等・・豊富に売られています。

1879年、カカオ栽培から『ガーナ・チョコレート』を販売してきた。

 クマシの街は緑が多く、文化の中心となっています。 
  王が 沢山の木々を植樹してきたからだと、言ってました。


12時30分、やっとアシャンテ州に入ってきましたが、
 此処までの距離が長く,お尻が、イ・タ・~~~イ。

 この地域では、金曜日は葬式の日・土曜日は埋葬の日で
  日曜が祈りを捧げ、黒・茶・赤が喪に服す色とされ・・・
 もしも、月曜日になくなたら?
     冷蔵庫で、金曜日まで保管して置くそうです。


道路工事の為片側車線となり、大幅に遅れて到着したビジアセ神殿
 神からのお告げや祈りを捧げる、「呪いの家」とも呼ばれる建物は
  かやぶき屋根と赤レンガで造られた、20畳程の家屋でしかない。

 近くで子供達が
  『オブロー二~~~』と 声をかけてくる

  『白人』って意味だそうだが、日本人も彼等からすると
    「白人」に見えるらしい~~~

 丁度、葬式を見かけたが、ロック・バンドまで呼んで
   来客をもてなしていた。
  此のもてなし方で「香典」の額が決まるそうだ。


クマシの街が、西アフリカの「へそ」と呼ばれているのは
 
 色々な物が集まってくる場所であり、「商い」で成功して
  此の地で、「家を建てる」と言う事は、
「成功した」事の証明と言われるくらいの地でもあって、
  完成した家で、2000万円ぐらいするそうです。
 
 アシャンテ族の王位継承決定権は、母親にあり
  母方から「血統」 父方から「精神」をと、いう考え方。

PM5時半、西アフリカ最大の市場へ。
 
 青空の下、政府が開設した所へ民間人が脇に店を広げて行き
  現在は規模が大きくなって、何店舗なのか???

  各国から集められ販売され、足元も悪く
 道も一人通れ場イッパイの所を、リヤカーに沢山の荷を積んで
   通過してゆく・・・・ 押すな押すなの繁盛振りです。


とっても疲れた一日でした。

 湯も出ないし 停電にはなるし・・・兎に角早く休もう・・・
  就寝 PM7時30分。


    *          *         *


昨日のブログを見て????って 思ったのでは・・・・
 
 そう、この旅を終えて戻った時、
夫は、自分から変ろうと考えてくれたようで
 息子が夫に話してくれたのもあって、
  今は、話し合い、譲り合い乍ら、生きてゆくようにしてます。

  
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お待たせしました~~

2008-02-15 17:31:28 | Weblog


 平成20年1月17日(木)~2月1日(金) 西アフリカ
ガーナ・トーゴ・ベニン・ブルキナファソ・マリ・セネガルの旅
   其の 1

 今年初めの海外旅行、増して今朝の寒さときたら~~~~
昨晩初雪が降ったとか~~早く暖かい国に行きた~~あ~~い。

 夫との冷戦は、もう一ヶ月と成り、一回も口をきいていない。
           
今朝もお弁当つくりをしてたら、台所に来て
 
 『身支度するのが、うるさく寝ていられないから
   鏡台を別の所に移したいが~~~』
 
 『このままでは、自分が早く死んでしまう~~』
 
 『こんな事で死ぬわけ無いよ~~
  それに45年間 こうした生活してきたのに、今更何を言うの!
    だったら鏡台棄てちゃえばいいでしょう!!
   だったら、私が戻らなければいいんだから~~~』

こんなやり取りが合って、置手紙だけ残して家を出た。

嫁さんがバス停までおくってくれたので。
 
 別に、後悔もしてないし~~~

 成田~ミラノ迄12時間30分、時差-8時間
日本の上空には、雪のような厚い真っ白な雲が覆っている。
 機内に差し込む日差しは、暖かく小気味良い。

参加者19名(男10・女9)平均年齢73? 皆、白髪・薄毛・
 こんな年齢にならないと旅は、出来ないのかも~~~

今まであんなに厚い雲があったのに、シベリア海になったら
 海が・・・暑い太陽にキラキラ輝いている。

隣席には同じグループの女性二人。
 一人は、パズルだけして カメラはキャノンをぶら下げ
   誰とも話をしないし、バスの中では眠ってる 80歳?

 そしてもう一人は,アイ化粧もファッションも派手だけど
  足に引っ掻き傷や,カカトは象さん、赤提灯のママ??78歳?
  
 彼女は、席を立ったり出たり入ったり、

  さすがにパズルのオバチャマも、顔をゆがめていた~~~

 
 1月18日(金)

ミラノは2008年1月4日から、エコパスを適用するようになりました。
 排気ガスを無くそうと、大型10ユーロ、小型5ユーロ徴収。
申請したパスは登録されるので、何処の誰なのかが明白になってます。

AM11時ホテルを出、ミラノマルペンサ空港へ。
 空港までの路線は8車線なので、流れが良い。

雲ひとつ無い暖かい日差しに、空気がカラッと澄み渡り
 遠くスイスの国境のアルプスの山々が、空港を取り囲むように
  嶺が続き、真っ白く雪に覆われたモンテローザが
     ひときわ高くそびえています。

 定刻通り出発し
ナイジェリアのラパスを経由し ガーナのアクラに向います。

飛行時間7時間30分ガラガラの機内で横になり
  ラパス着陸まで眠る事が出来た。

空港は、30年前訪れたパラオのような雰囲気だが、建物は二階建てで
  それなりに整っている。  ガーナ滞在は4泊5日。

マイクロバスに積み込まれたトランクと人間で、ギッシリ!!
 之でもガーナで一番新しい車で 7000㎞しか走ってないそうだが
  之で回るって言うのは、チョッときついね。
 でも、クーラーも入ってるし有難いって思わないとイケナイかもね。

 早速苦情を大声で言い出すご夫婦と、他にも2・3人が・・・

ホテルPM11時30分着
 電気が切れていたり(2箇所)で、添乗員のお部屋と交換したりで
  寝たのはAM1時、

機内でよく休んでたので、無理に寝る~~という感じでした。


      *        *        *

 パソコンがつながらず打っていながら載せられず・・・

13日~~15日、今日まで 伊豆に行ってました。

32年前、蓮台寺清流荘の前、稲生沢川を挟んだところに住んでたので
 其の頃世話になった「中川屋」のお母さんを訪ねたり、
 住んでいた家にも・・・あの頃と変わらず桜が咲いてました。

小学校入学したばかりの次女(仁巳)が学校から戻ると
 桜の木下で下の息子(献)と3人で食事をしたものでした・・・

河津の桜・下賀茂のみなみの桜と菜の花・・・
 夫と二人で30代に過ごした頃を話ながら、歩いてきました。

    *  *

 次回は其の2を載せます。



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三ケ日温泉の旅

2008-02-11 02:07:06 | Weblog
      
      2月4日 (月)

 すっかり雪解けして 透き通った浜名湖の向こう岸から
   真っ赤な太陽が 昇り始めた。

フリータイムの一日は、ローカル線天竜浜名湖鉄道で、関東一の名親分
「清水の次郎長」の一の子分「森の石松」の生まれ故郷を訪れてみよう

 ホテルの車で「尾奈駅」へ送っていただき、
   AM8時52分の一両列車に乗車、乗客6名。

沿線には高い建物もなく、みかんの木が多く、キラキラ輝く浜名湖が
「気賀駅」迄 見え隠れしながら、右側の窓に続きます。
 
4月初めに都田川堤で、姫様道中が桜の木の下で繰り広げられます。

「金指駅」下車すると鍾乳洞の竜ケ洞や、
「さざれ石」のある「龍譚寺」に行けますが、行った事があるので
  「天竜二俣駅」で下車。ここでは、天竜川下りが楽しめます。

再び乗車し「遠州森駅}で下車、

ワンマンカーの運転手兼車掌は、まだ幼さの残るイ・ケ・メ・ンだった。
『こんなに可愛い子が・・・』と話しかけたら、ニコッと笑う
  素敵な笑顔が また 爽やかでいいね~~~

「石松の墓」まで徒歩だと40分以上かかるというので、タクシーで

七歳の頃近くの天宮神社で 森の五郎に拾われ育てられて
「森」を訪れた次郎長と出会い子分になったという~~~

彼の「墓石」は{勝負運に強い}{商売繁盛}と縁起を担ぐ人達が
 削り持ち帰るので変形したので 金網の中に鍵をかけて設置され
  新しいのは、次郎長の碑と並べて建立されていた。
此の寺「大洞院」は 3400年末寺をもつ曹洞宗の古刹でもあり
 毎年3月に供養、3年に一度仮装行列が催されています。

AM11時46分発「掛川」行きに乗車。

 傾斜地には波打つように茶畑が広がり、
   家並みは昭和20年代を思い出させる・・・・
  駅舎も古いがよく手入れされ,小花がプランターに植えられ
   親切な駅員さん?駅長さんが いろいろ案内してくれます。

終点「掛川駅」正面に戦国時代、今川義元最後の戦いの城でもあり
 山内一豊の居城でも会った 掛川城の天守閣が、見えています。

ここから東海道線に乗り換えて「浜松駅」へ

列車の隣席にいた女子大生が「トルコの地球の歩き方=迷い方?」を
 読んでいたので、その話題で会話してる内に「浜松駅」でした。
  互いに サヨナラをして~~~

バスに乗り換えて「浜松城」へ。

 若き日の「徳川家康」の立像・天守閣・地下井戸など・・・・
 見た~~って言うだけで、再び「浜松駅」へ戻り遠州鉄道に乗り継ぎ、
  天竜浜名湖鉄道「西鹿島駅」での連絡に良い時間を選択したら
   20分ほど余裕が出来たので、ビールでランチ。

PM1時48分発車
 その間32分、知らぬ間に眠ってしまって~~~~
 電車が着いたのにも気がつかず~~~慌てて下車~~
   まだモウロウとしてる私~~~

PM2時35分「尾奈駅」へ向う電車に乗ったら少しハッキリしてきたが
 今朝の電車とは全く違う(新車両)窓も広く、椅子にもテーブルが出
 だんだん入れ替えてゆくのだろう。  今朝と反対側の席に座る。

今日一日真っ青な空に日差しが暖かく小春日和のようだったが、
 今は少し風が冷たくなりだしてきた。

PM3時33分、ホテルの車がお迎えに来てくれるようにように予約して
「気賀駅」から今朝ホテルから一緒だったご夫婦も乗ってこられ
 『旧宿場町を歩いてきたんですよ~~』
 『私は~~~~』  と
  互いに 有意義に過ごせた一日を 語り合いました。


夕食は、会席料理でしたが、バイキングの方が GOOでしたね。

食後、露天風呂・サウナ・マッサージ機で疲れを揉み解したら
 もうだるくて~~~ねむくて~~~ZZZZ


   2月5日(火)

浜名湖の朝、漁に出てゆく小舟が 波紋を広げながら走り去り、
 カモメが舞い、向こう岸に灯りが薄らいでゆくと、一日がはじまる。

沢山の惣菜が並ぶバイキングは、とっても美味しく、お客さんがイッパイ
         
朝食後、散歩しながら AM10時10分発の遊覧船乗り場へ。
  澄んだ水面に釣り糸を垂らす男達・・・・
こんなに美しい湖は、
『冬の間だけで、3月~8月になると底が見えなくなるんだよ~~』
 今とってきた「岩牡蠣」を剥きながら話してくれた漁師さん。

AM10時40分舘山寺港着
 
 ロープウエイで、海抜110mの大草山へ4分
展望台からは360度の浜名湖の全景と、浜松駅まで見渡す事ができ、
 冷たい風が頬にあたり、心地良い・・・

AM11時45分の帰りの船乗船まで、舘山寺温泉街や
 弘法大師によって開かれた舘山寺を巡って~~と、

 ロープウエイが途中停車してるじゃない~~???
  どうしちゃったのかな~~~???
   風が強かったから、もしかして~~~???

とうとう船が出発したけど、動き出す様子は無い~~~
 
  よかった~~あ~ あれに乗っていたら~~~

 もう、ホテルに戻る便がないもの。


PM2時15分集合まで、休憩室が使えるので、助かりました。
 ランチにも間に合ったし、昨日のご夫婦も一緒でした。

 食後入浴したかったけど、清掃中~~~残念でした。

これで、@19980円のクラブ・ツーリズムの旅です。

  採点評価==120点でした。
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 お待たせしました~~~

2008-02-10 10:28:39 | Weblog
 

  あ~~~やっと私のブログに戻れました~~~

   間もなく1ッカ月・・・になりますね。

1月17日に西アフリカに出発して、2月2日に戻って、

3日・4日・5日と 三ケ日温泉に行って~~~

あかすりに行って、紀行文を書いて、身の回りを整理して~~~

 そんな訳で 時間が 知らぬ間に流れていきました。

今月も忙しいです。

 13日・14日・15日で サービス券で稲取へ行くので
30年前過ごした 下田・蓮台寺・下賀茂・弓ヶ浜を夫と・・・


昨年12月中旬から 冷戦状態だったのを和平会議で(?)解決し
 やっと平和な暮らしに戻りましたので、
もっとよく話し合いたいって考えての、旅になります。

22日から孫息子海史と 中学卒業祝いにマダガスカルへ 発ちます。
 戻りは3月1日。

そして、7日からトカラ列島の中之島へ 1ヶ月間、
 卒業式・課外授業・畑作業・地域の人達との交流・・・

 大勢の人達と触れ合えるって 楽しいですね~~

そんな訳で紀行文 お待たせしました!!!。

西アフリカの旅は、16日間で長いので、先に2月3日~5日に行った
  三ケ日温泉の旅を 載せます。
    


  *         *         *
  
 2日深夜から降った雪が、目が醒めたら真っ白に積もっていた。
夫が、駅まで送ってくれたの 歩かずに済み助かりました。

 町田集合AM8時35分、
雪が 結構積もっていて、足が取られ歩きにくかったが
 それでも 時間に遅れず到着。

東名高速道路を、浜名湖目指して 幾つかのSAで休憩しながら
 「うなぎパイ」の会社に立ち寄り、  
 今回の宿泊先「ホテル・リステル浜名湖」には、PM3時に到着。

   連泊なので の・ん・び・り~~~

夕食は、バイキング。
 
  メニューは 凄く多く美味しかったし、
「節分」なので、二匹の鬼が登場し 豆まきが始まる。

が、 元気がない鬼なので、気合を入れてあげたら

 『ワォ~~~~ォ~~!』

面をはずして見せた顔は、イ・ケ・メ・ン だった・・・・


   ________________


 4日・5日は 次回にします。 

   写真は 浜名湖の朝
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