音盤工房

活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

激しい雨

2009年07月21日 | インポート

 もうかれこれ3,4年前のことになるのだが、旅行に行くために衣類や髭剃り、それに旅行になると必ず持っていく文庫本の物色をしていたときに、本屋でまとめて買ったなかに角田光代さんの『これからはあるくのだ』があった。それでなんの根拠もなくこれにしようと決めて旅行鞄に忍ばせた。

 移動バスのなかでは車が揺れてとても本を読める状態ではないのだが、旅館についてしばらくすると無性に本が読みたくなる。旅館部屋は相部屋でひとりで独占はできないが、宴会までにはしばらく時間があるので、早々に大浴場で汗を流し終えると、部屋に戻って、宴会が始まるまでの間、ずっと持ってきた文庫本を読んでいることがあった。この場合、読む本には僕なりの鉄則があって、小説とか教養新書は持っていかないようにしている。比較的文章が短く肩が凝らないものが望ましい。

これからはあるくのだ (文春文庫)

 『これからはあるくのだ』は、本屋でぱらぱらとページをめくったときに短めの作品が並べられたエッセイ集という印象が強かった。実際そうだったのだが、作品の冒頭で、「わたしの好きな歌」というのがあり、ここで角田光代さんは清志郎の「スローバラード」に触れ、あるバンドがライブハウスでこの曲をコピーしていたのを聴いて気に入り、そのときは「いい歌だなぁ」という感想だったのに、それから3年後に本物の「スローバラード」を聴いて衝撃を受けたと書かれていたのを読んで一気にこの作家のことが身近になったのを思い出した。作品の内容については是非、本を手にとって読んでもらいたいのだが、爾来、僕はこの本をことあるごとに鞄に忍ばせて歩くようになった。

 ブログの記事を書くにあたって、なにか角田光代さんに関する映像はないか検索するととんでもないものがヒットした。忌野清志郎がラストアルバム・レコーディングに挑んだ模様をドキュメントした映像である。これは僕も始めて目にする映像でびっくりした。⇒追悼】清志郎最後のアルバムレコーティング 2/4(下の映像)

 スティーブ・クロッパーが大きく関わったアルバム『夢助』はナッシュビルで録音された。そのレコーディング風景からミニライブまでが克明に描写され、彼を信奉する芸能人、ミュージシャン達が熱く清志郎を語る姿に思わず胸を衝かれる。勿論、その中には角田光代さんがインタビューを受ける姿もある。

夢助

 このアルバムを買って部屋で聴いていたとき、3曲目の「激しい雨」で、不意に信じられぬ歌詞が飛び出して驚いたときのことは今でも鮮明に覚えている。これについては、是非、映像の中で確認してほしい。⇒追悼】清志郎最後のアルバムレコーティング 2/4(下の映像)

 いまでもこのフレーズを聴くと涙がこぼれてくる。どうしてこの歌詞を使うことになったかは、盟友、仲井戸麗市がその答えを映像の中(追悼】清志郎最後のアルバムレコーティング 2/4)で語っている。「二ール・ヤングがバンドのことを歌ったように清志郎にも歌わせたら…」。

 今では、「激しい雨」が清志郎がこうなることを知っていたように、…なぜか彼の最期のメッセージのように聴こえる。

 偶然にもこの原稿を書いているときに、夕立が降ってきた。南国のスコールのように激しく大地を叩くこの通り雨は、しばらくやみそうもない。

【追悼】清志郎最後のアルバムレコーティング 1/4

【追悼】清志郎最後のアルバムレコーティング 2/4

【追悼】清志郎最後のアルバムレコーティング 3/4

【追悼】清志郎最後のアルバムレコーティング 4/4